自然界から「生きる」を学ぶ。愛媛に生まれた通信制高校・あめつち学舎

Browse By

あなたにとっての先生は、誰だっただろうか。多くの人は教室で机に座り、教師から教科書をもとにした学びを受けてきただろう。

でも、ここは違う。愛媛県松野町にある「あめつち学舎」は、周囲の自然環境が先生となり、高校生に生きることを教える場所だ。その学びを支えているのが、学舎を運営するコミュニティ・森の国Valleyのファシリテーターたち。彼らの森・農・食をめぐる日常という授業に高校生を招き入れ、命に触れる場を生み出している。

山間の小さな町に、なぜ高校を設立することとなったのか。そこで高校生はどんな学びを得ているのか。開校して間もない2025年4月末に現地を訪れ、代表の前川さんに話を聞いた。

話者プロフィール:前川 真生子(まえかわ・まいこ)

学生時代に野外教育を専攻し、当時自身に起こったある原体験を機に日本の子どもの未来のため野外教育を通した自分を愛するためのきっかけづくりの提供を志す。2021年に株式会社サン・クレアに入社、同年小中学生対象の野外教育事業NAME CAMPをスタート、2025年より高校生対象のあめつち学舎代表を務める。

現代の子どもたちに必要な学舎のあり方とは

あめつち学舎は、2025年4月、愛媛県松野町に誕生した。運営を担うのは一般社団法人あめつち学舎。これまで同町でキャンプ事業やロッジの運営を手掛けてきたコミュニティ・森の国Valleyが学舎の母体となっており、瀬戸内を中心にホテル事業を展開する株式会社サン・クレアがその取り組みを後援している。

松野町は、人口3,300人ほどの小さな山間の町。ここにできたあめつち学舎は、新しい校舎を建設したり教員を迎え入れたわけではない。生徒は、一人の町民として自炊を中心とした寮生活をしながら、森の国Valleyのスタッフが“担当教員”ではなくファシリテーターとして日常を共にし、「森・農・食」に根ざした学びを得ていく。

もともと、森の国Valleyでは野外キャンプなどを通して多様な地域から集まる子どもたちに学びを提供してきた。その中で、生き方に正解のない混沌とした現代を踏まえて、改めて「教育」に注力したいとの声が挙がったという。そこから学校を設立するとなった背景には、メンバーそれぞれの課題意識がある。特に前川さんは現在の教育システムへの疑問から、あめつち学舎のような学びの場が必要だと捉えていた。

自然栽培の日、参加者に語りかける前川さん。栽培中の畑にて。

「私はずっと野外教育に関わってきたので、教育の視点からあめつち学舎の設立に携わっていました。これまでの日本の学校教育、特に学習指導要領に則った教育って、個性を伸ばすよりも『みんな一緒に何かしましょう』という方針が特徴としてあり、先生一人が大人数の生徒を“管理”するような構造になりやすいと感じます。

だから私は基本的に、高校生のことを“見守る”というスタンスを大切にしたいんです。自然も人も、本来は管理する対象ではなく“見守る”存在なのだと思います」

そう語る前川さんが指摘したのが、日本で不登校になっている子どもの数。2023年度の文部科学省の調査によると、その人数は過去最多の34万6,500人近く(※)。11年連続で増加しているという。こうした数字が、現在の教育現場で子どもたちが感じている息苦しさを表しているのかもしれない。

「学校教育が変わるか、新しい何かが生まれない限り、今のままでは息苦しい状態が続くのではないかと感じていました。大人が動かしやすいように高校生を管理するということではなく、 大人も高校生も一緒で、ありのままでいる様子を見守る教育をしたいんです」

そんな学びの場を実現させたのが、通信制高校との連携だった。あめつち学舎の生徒は、オンラインで島根県の明誠高等学校・通信制課程の授業を受けながら、愛媛県松野町で暮らし、この土地の自然や人からも日々学びを受けとっているのだ。2023年に構想を始めて2025年春に開校と、瞬く間の出来事だった。

自然に触れる日常の中で「どう生きるか」を考える

では、そんなあめつち学舎では日々どのような学びが育まれているのだろうか。まず土台として、森・農・食という3部門において森の国Valleyのスタッフが各部門の“担当教員”として存在する。それぞれ、森林管理や狩猟、自然栽培など、自らの生活において森・農・食に携わってきた人々だ。

「対外的に『あめつち学習』というカリキュラムを示してはいるものの、毎日・毎週の授業は決まっていません。週の初めに、各部門の担当がその週の予定を生徒に共有して、彼らが興味ある作業や現場に来てもらっています。森の国Valleyのスタッフは今まで通りの暮らしを続けています。たとえば、私であれば、これまで通り農業をやっていて、そこに高校生たちが関わってくれる形です。各部門をまんべんなく受けなければいけないといった決まりもなく、農業に興味があれば私に付きっきりで作業しても良いんです」

学びの源泉が自然であるからこそ、毎週・毎月の学びを事前に決めておくことも難しいという。森部門のスタッフは月ごとにテーマを決める一方、農部門の前川さんは日々の天候や植物の様子次第で業務を決めていくなど、学習の流れを自然の歩みに合わせているのだ。

この日は農部門アドバイザー・佐伯氏を招いての自然栽培の授業。対外的にも開いたプログラムで、各地から集まった仲間と一緒に学ぶ。

「ベースにある姿勢として、高校生を、私たちスタッフと同じように松野町に移住してきた、いち住民と捉えています。なので、 私たちに付きそうだけじゃなくて、例えば地元の人が田植えにちょっと人手が欲しいと声をかけてくれたら、みんなで田植えに行く。それが、もう学びなんです」

そして、滞在中に度々触れたテーマが「どう生きるか」という問い。これは高校生への問いかけにとどまらない、あめつち学舎という場所を表す言葉のようだ。

「高校生がどうこうというより、そもそもスタッフ全員が移住者なんです。私たちはサン・クレアという会社に所属しながら、それぞれが『どう生きるか』を考え、ここに集まってきた人たちばかり。時代背景的にも『正解』がなくなってきて、今まで常識だと思っていたことがそうでなくなったり、高学歴でお金をたくさん持ってたら幸せになれるわけでもなかったり。そういう疑問を抱えながら変化の激しい時代を『どう生きていくか』という問いも意味しています。

また、日本の食料自給率に対してはスタッフが共通して危機感を持っています。ここに来る前は、本当の意味で『どう生きるか』、つまり食べ物をどう育てるかという生きるために必要な食の始まりを知らなかったんです。それを知ることがすごく大事だなという共通意識があったので『どう生きるか』が自然とテーマになりました」

卒業生の人物像はない。ただ「あめつちの心」に近づかむ

こうして生徒は、松野町の住民として、自然から、地域の方々から学びを得ていく。その経験を通じて、高校生がどんな人に育っていくのか。前川さんは、「無責任に聞こえるかもしれないけれど、どんな人物になるかは分からない」と語る。

「多くの高校では、リーダーシップや自主性、思いやりなど『こういう人物を育てます』と掲げられています。でも私たちは、あえてそこを設定していません。学びの種を植えても、その芽がいつ出てくるか、きゅうりなのかトマトなのかは分からず、その子の土壌・身体の中でどう育つかは本人次第。みんな一緒じゃなくて、みんな違うんです。

それでもあえて表現するなら『あめつちの心』に近づく人を育てたいと表現していますね。ただ、あめつちの心っていうのも人によって解釈が違うんですよ。天と地だと言う人もいれば、雨と土のことだと思っている人もいる。全部正解だし間違いでもないんです。共通するのは、あめつちの心に『なる』のでも『理解する』のでもなく、ただ『近づこう』とする。この世の中には、人間が見ようと思っても理解しようと思っても、到底できないものがいっぱいある。その中で、それを完全に理解することはできないけれど、例えば、五感を使って感じてみることでちょっとでも近づけたら、きっと今より美しくて、自然とともにある暮らしが後世にどんどん残せていけると思うんです」

グリーンピースの植え付け作業中。畝によって穴の距離を変えて、どんな違いがあるのかを観察予定。

農部門アドバイザー・佐伯氏も参画している自然栽培の授業は、月に1度ほど。座学もしっかりと行われた。

実はこの「あめつちの心」という言葉は、松野町の初代町長・岡田倉太郎氏が愛した言葉であり、町内には「この森に遊び、この森に学び、あめつちの心に近づかむ」という石碑が立っている。この言葉に惹かれて移住した人も少なくないという。

「何かに迷ったら、この軸に戻ります。『あめつちの心に近づかむ授業になってるかな』と。それぐらい、地元の方々も、私たちも大事にしてる言葉ですね。

だから、何者になるわけでもなく、その子がその子として歩んでいけるのが一番いいなと思っています。選択肢の一つとして、『こういう人生もある』と背中で見せてくれて、子どもたちに希望ある未来を与えられる存在になって卒業してくれることが、私としては一番嬉しい。卒業生がその子らしく、幸せに、豊かに、あめつちの心に近づいた状態で生きてるだけで、 きっと幸せの波が周りに伝わっていく。そんな風に社会が良くなっていったらいいなと思っています」

多感な高校時代に、「森に学び、森に遊び、あめつちの心に近づかむ」ことができたら、どんな心が育まれるのだろうか。多様な解釈がある言葉ながら、その芯にある哲学が力強く地域を導いているようだ。

地に根を張った学校へ。成長する可能性と持続可能な運営

あめつち学舎が開校してから、約1ヶ月。まだ歩み始めたばかりだが、これからどんな道のりを描いているのだろうか。

一つ気になるのは、学びを支える経済的な仕組みだ。現在の学費は、一般的な私立高校と同程度。しかし今後は、地域内外の人々からのサポートで高校生の学びを支える仕組みも織り交ぜることを検討しているという。

「あめつち学舎を含めた森の国Valley全体に共感してくれる方々から寄付を募る仕組みを作りたいと考えていて、その議論の中で地域通貨の『森コイン』ができました。これを買うことが寄付になっていて、今後はコインを使うことも寄付になる制度を作ろうとしています。この寄付の進捗によっては、来年度全く違う学費になるかもしれないし、検討を続ける予定です」

こうした経済面の持続可能性を守るために、学舎の規模を大きくすることも可能なはず。しかし、その規模は現状にとどめようと考えているそうだ。

「今、各年度の定員は5人ですが、それを20人・30人にしたい考えはありません。松野町目黒は人口が270人、高齢化率は約60%です。そんな集落に高校生が急に20人も30人も増えてしまったら、それこそ生態系が崩れてしまう。今年入学してくれた2人ぐらいがちょうど良い人数かもしれません。丁寧に対話ができて、見守り、観察できるからです。

葉を大きく育てるよりも、まずは根を深く育てることが大切だと思っているので、生徒数も学校の規模も急に大きくなる必要はなくて。人としても学校としても根が大きくなって、この地域に根付いて地元の人たちにも愛されることが大切です」

あめつち学舎の「食」の学びでもある夕食会・アブサロンでは、自分たちで盛り付け・片付けをして、地域の方々と食卓を囲む(左)。地域通貨である森コイン(右)|筆者撮影

教育も社会も、上へ上へと成長することを良しとする現代。そんな中で私たちは、表面に出てくるわかりやすい数字や技能だけを追い求めてしまいがちだ。それはいわば、植物の根には目もくれずに地表の葉や実の部分ばかりを求めているようなものだ。

一方で、あらゆるものの根となり基盤となる「心」を育もうとする学びの場は、間違いなく誰かの生きづらさを和らげ、子どもたちが自分の力で生きることを支えるだろう。

「『あめつちの心に近づかむ』とは、自然は自分の一部、自分は自然の一部であるという感覚を体感として知っていることでもあります。その感覚をちゃんと自分の中で持っていたら、自分という存在が何者かによって活かされてる存在だと理解して、この太陽にも大地にも森に住む生き物にも感謝できると思っています」

見守るということは、決して簡単ではない。心を育むことも、先の見えない長い道のりであるはず。それでも、既存のカリキュラムに照らされた道を急ぐのではなく、自然の教えに従って自らの歩調で学べる場所には、私たちが守るべき豊かさが息づいているように感じられた。

児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果の概要

【参照サイト】あめつち学舎
【参照サイト】森の国Valley
【参照サイト】愛媛県松野町/この森に学び この森に遊びて あめつちの心に近づかむ~地域資源を活かしたまちづくりで個性を磨く!~|全国町村会
【関連記事】学費は「ごみ」で支払い。環境問題を学びながらスキルを身に着けるカンボジアの学校
【関連記事】堆肥づくりは心の教育。源流域・岐阜郡上で広がる、市民主体の地域循環

FacebookX