気候変動に「適応」するビール大麦。サッポロビール研究員が約30年の育種で見出した、「良い作物」の条件

2026.11.04

いつもの食べ物や飲み物が、いつもの値段で手に入る。その「当たり前」が、気候変動によって揺らぎはじめている。

2018年に『Nature Plants』で発表された研究では、極端な干ばつや高温によって世界の大麦収量が減少し、日本でもビール価格が大きく上昇する可能性が示された(※1)。

すでに生産現場では、気候の変化が大麦の育ち方に影響を及ぼしている。高温が続けば生育が早まり、粒が十分に太らないまま成熟する。収穫前に長雨が続けば、穂についたまま芽を出す「穂発芽」が起こり、ビール用の麦芽に加工できなくなることもある。原料として使えなくなれば、その損失はメーカーだけでなく、大麦を育ててきた生産者の収入にも及ぶ。

穂発芽

穂発芽|Image via サッポロビール株式会社

では、気候変動に強い品種をつくればよいのかというと、実はそう単純でもない。穂発芽しにくい大麦は、工場で麦芽にするときにも発芽が進みにくい傾向がある。また、農業の環境負荷を減らそうと肥料を抑えれば、今度は収量や醸造に必要な品質が下がる可能性もある。

気候変動への適応には、こうしたトレードオフがつきまとう。気候に強くても、生産者が十分に収穫できなければ、その品種は広がらない。環境負荷を減らせても、つくる人の負担が増えたり、価格が上がって日常から遠ざかったりすれば、それを「良い作物」と呼べるのだろうか。畑で育つこと、農家が生産を続けられること、加工に適した品質を保つこと、環境への負荷を減らすこと。そのすべてを同時に満たすのは簡単ではない。

30年以上、大麦の育種研究に携わってきたサッポロビール原料開発研究所の木原誠氏は、現在、気候変動への適応とビール原料としての品質を両立する「Dual-S大麦」の研究を進めている。

気候変動の時代に「良い作物」とは、誰にとって良いものなのか。生産者に選ばれる技術の条件から、研究成果を一企業のなかにとどめず各地の適応へどうつなげていくのかまで、木原氏に話を聞いた。

話者プロフィール:木原 誠(きはら まこと)

木原 誠サッポロビール株式会社 原料開発研究所 上級研究員 博士(農学)。1990年にサッポロビールへ入社して以来、30年以上にわたり大麦の研究・品種開発に携わる。長年、群馬県の研究拠点で大麦育種に取り組み、現在は北海道・上富良野を拠点に研究を続けている。気候変動への適応とビール原料としての品質の両立を目指す「Dual-S大麦」をはじめ、穂発芽耐性や麦芽品質、LOXレス大麦などの研究・開発に携わってきた。

暑さに見舞われる富良野で突きつけられた「適応」の切迫感

木原氏が気候変動への適応を強く意識したきっかけは、研究室のデータではなく、日々の暮らしの皮膚感覚だったという。九州で育ち、学生時代を北海道で過ごしたのち、群馬県の開発拠点で34年間にわたり大麦の育種研究を続けてきた。群馬県伊勢崎市や近隣の埼玉県熊谷市が最高気温40度を超える酷暑の常連となっていく過程を、一人の生活者として見つめてきたという。

「長く同じ土地で暮らしてきたからこそ、近年の異常な暑さが手にとるように分かりました。しかし、本当に危機感を抱いたのは、2年前に北海道の上富良野へ単身赴任したときです」

約40年ぶりに戻った北海道で、木原氏がまず感じたのは、学生時代とは明らかに違う夏の暑さだった。

「学生時代を過ごした40年前の北海道は、30度を超える日などひと夏に1週間ほどしかありませんでした。それが40年ぶりに戻ってみると、驚くほどの暑さに見舞われていたのです。さらに連日のニュースで流れる国内での線状降水帯や酷暑日の報道を目にするたび、これまでの常識ではあり得ない事態が起きていると痛感しました。植物に携わるビール会社の研究者として、自分にできることは何かないのか。その切迫感が、気候変動への強い意識へとつながりました」

Dual-S大麦の穂

Dual-S大麦|Image via サッポロビール株式会社

気候の極端化は、大麦の生体リズムを大きく乱す。北海道では春に種をまき、お盆前に収穫するのが通例だったが、近年の異常高温によって作物の生育は不自然に早まっている年もあるという。

「穂が出て実った種子が充実していく大切な時期に高温が続くと、急激に成熟して一気に枯れ上がってしまいます。そうなると種子そのものが細くなり、成分のバランスが崩れてしまうのです。これは収量が減ってしまう生産者にとっても、品質を求めるビール会社にとっても大きな問題です」

さらに厄介なのが、収穫期を直撃する長雨だ。長雨が続けば、穂に実った種子が畑の中でそのまま芽を出してしまう。

「健全な大麦があってこそ、高品質な麦芽ができます。収穫直前の長雨で畑の穂についたまま発芽してしまう『穂発芽』が起きた大麦から、健全な麦芽をつくることは極めて困難です。原料を安定して調達できないビール会社も困りますが、何より悲しいのは生産者の方々です。ビール用として適正な価格で買い取られるはずだった大麦を、安価な家畜飼料として売らざるを得なくなり、収入が大きく落ち込んでしまいます」

気候危機のコストを農家だけに背負わせる構造を放置すれば、やがて原料の供給網そのものが立ち行かなくなる。畑の現実を前にした木原氏は、大麦そのものの性質を気候に適応させる育種の必要性を、かつてない強さで確信したという。

雨に強いほど、麦芽にしにくいという壁

収穫前の長雨による穂発芽を防ぐには、種子が簡単には発芽しない性質が求められる。ところが、その性質を強めると、麦芽をつくる工程でも発芽が進みにくくなってしまう。畑では芽を出さず、工場ではきちんと芽を出す。ビール用大麦には、一見すると相反する二つの性質が求められていた。

「雨に強くすると加工しにくくなるというのは、世界のビール産業における一般的な常識でした。しかし、気候変動のリスクがこれほど高まっている以上、常識を理由にあきらめるわけにはいきません。雨に強い耐性を持ちながら、麦芽にも加工しやすい大麦をつくれないだろうか。そう考えたのが、すべての出発点でした」

そこで木原氏らが着目したのが、穂発芽への耐性を持ちながら、麦芽に加工する際には発芽しやすい大麦系統「N68-411」だった。さらに、この系統では、通常およそ6日かかる麦芽製造時の発芽工程を、2日程度まで短縮できる可能性も確認されている。

「通常6日かかる発芽のプロセスを2日まで短縮できれば、工場で消費されるエネルギーを大幅に削減できます。雨への適応だけでなく、製造段階の脱炭素にも貢献できるのです」

ここに、サッポロビールが約20年前に開発した独自技術が組み合わされた。ビールの老化を早める酸化酵素を含まない「LOXレス大麦」だ。この大麦を使うことで、ビールの鮮度と美味しさを長く保つことができる。

「私たちが目指したのは、ビールの美味しさを保つ安定性(Stability )と、気候変動に適応する持続可能性(Sustainability )を兼ね備えた大麦です。片親にLOXレス大麦を、もう片親にN68-411のような気候変動に適応できる大麦を掛け合わせることで、2つのSを併せ持つ『Dual-S大麦』が誕生しました」

ビールのおいしさを長く保つ「Stable Care」と、変化する気候への適応を目指す「Sustainable Care」。今回開発したDual-S大麦は、これまで両立が難しかった二つの条件を、一つの大麦のなかで成立させようとする試みだった。

Dual-S大麦の穂

Dual-S大麦|Image via サッポロビール株式会社

肥料を減らしても、発酵に必要な栄養を保つ

Dual-S大麦の研究では、異常気象への適応に加えて、肥料を減らした環境でも醸造に必要な品質を保てるかという課題にも取り組んでいる。

過剰な窒素肥料の使用は、土壌や地下水の汚染を引き起こし、強力な温室効果ガスである一酸化二窒素の発生源にもなる。欧州委員会が掲げる「Farm to Fork」戦略では、2030年までに肥料の使用量を20%削減する目標が打ち出された(※2)。

「肥料の過剰な投入をやめ、環境負荷を減らしていくことは、すでに世界的な潮流です。農業を取り巻くルールが変わっていくなかで、私たち育種に携わる人間が先手を打たなければ、将来的に生産者の方々が追い詰められてしまいます」

しかし、肥料を減らすことは、醸造の世界では極めて危険な賭けだった。化学肥料に含まれる窒素は、植物に吸収されてアミノ酸となり、さらにタンパク質へと合成される。このタンパク質が麦芽製造の過程で再びアミノ酸へと分解され、ビール酵母がアルコール発酵を行うための決定的な栄養源となるからだ。

「肥料を減らせば、種子に含まれる全窒素やタンパク質が少なくなります。すると製麦時に十分なアミノ酸が生成されず、酵母が発酵をうまく進められなくなってしまうのです」

Dual-S大麦は、この課題に一つの答えを示した。

「Dual-S大麦の画期的な点は、たとえ種子中のタンパク質が減ってしまっても、麦芽にする段階で極めて効率よくタンパク質をアミノ酸へと変換できることです。発酵に必要なアミノ酸の量をしっかり維持できるため、肥料を大幅に減らした条件でも、発酵不良リスクを最小限に抑えられます」

Dual-S大麦の穂

Dual-S大麦|Image via サッポロビール株式会社

大麦の生産段階では、1トンあたり約100キログラムの二酸化炭素排出量を削減できるという試算もある。一方で、低肥料条件での収量低下までは、まだ解決できていない。

「正直にお話しすれば、この成果はまだ道半ばです。今回開発したDual-S大麦によって品質面や醸造のリスクは克服できましたが、肥料を減らしたときの『収量の低下』という壁は、現時点ではまだ乗り越えられていません。低肥料でも畑でしっかり育ち、十分な量を収穫できる大麦を新たに見つけ出し、このDual-S大麦と掛け合わせる必要があります」

肥料を減らしても品質を保てる一方で、収量が落ちれば、生産者にとってその品種を選ぶメリットは小さくなる。環境負荷を減らすことと、農家が生産を続けられること。その両方が成り立ってはじめて、農業としての持続可能性が実現する。

畑で穫れなければどんな高付加価値も意味がない

「畑でしっかり収穫できなければ、生産者には認めてもらえません。いくらビール会社にとって価値のある麦でも、生産者にとって十分な収量が得られなければ、選んでもらえないんです」

木原氏が繰り返し強調したのは、品種の価値は研究室での評価だけでは決まらないということだった。醸造にとって優れた品質を備えていても、畑で十分に収穫できなければ、生産者にとって育てる理由にはならない。

カナダのサスカチュワン大学と共同でLOXレス大麦の品種改良を進めてきた際にも、同じ課題に向き合った。木原氏によれば、最初に開発した「CDC PolarStar」だけで終わったわけではない。周囲の品種と比べて収量面で見劣りすれば、いずれ生産者から選ばれなくなる。そのため、より収量性を高めた「CDC PlatinumStar」、さらに「CDC Goldstar」へと改良を重ねてきた。

ここには、ビール用大麦ならではの難しさもある。まず、農作物として畑で十分に育つこと。そのうえで、麦芽に加工した際の品質を確かめ、最終的には実際にビールを仕込んで評価する必要がある。木原氏は、この「畑」と「醸造」という異なる評価軸を行き来しながら、品種を選び続けてきた。

大麦は、畑で収穫できればそれで終わりではない。生産者に選ばれ、麦芽として加工でき、最終的にビールの原料として使えるところまでつながって、はじめて品種として広がっていく。

気候変動に強いという性質も、それだけでは十分ではない。収量や品質を確保しながら、生産者が「この品種なら育て続けられる」と思えること。その条件まで揃って、ようやく実用化が見えてくる。

一社だけでは、気候変動に適応できない

2025年夏、米国の学会で研究成果を発表したことをきっかけに、海外の研究者から声がかかり、育種機関との取り組みも始まりつつあるという。木原氏は、論文や学会発表を通じて研究成果を外に伝えながら、各地のパートナーとの連携を広げていきたいと話す。

背景にあるのは、気候変動への対応を一社だけで進めても、その影響には限界があるという考えだ。

「世界のビール市場から見れば、サッポロビール1社が使う原料はごく一部です。自社だけで技術を囲い込み、自社だけでCO2を減らしたところで、地球環境全体から見れば微々たる影響しかありません。気候変動という巨大な危機に適応していくためには、私たちが得た知見を広く社会へ還元し、業界全体で共有していく必要があります」

Dual-S大麦の穂

木原氏。学会での様子|Image via サッポロビール株式会社

すでに海外の育種機関との協業が動き始めている。日本で育った優れた種子をそのまま海外へ持っていっても、土質や日照、気候が違えばうまく育たないことが多い。世界の各地域にあるパートナーと手を組み、その土地ごとの風土のなかでDual-Sのもつ気候変動に適応できる遺伝的特性を現地の品種に組み込んでいく必要があるのだ。

一つの完成した品種を世界へ配るのではなく、研究から得られた知見を、それぞれの土地で次の品種づくりにつなげていく。木原氏が描いているのは、そんな広がり方だ。

編集後記

「木原さんにとって、良い大麦とは何ですか?」

取材の最後、投げかけた問いに対して、木原氏は穏やかな笑みを浮かべながらこう答えてくれた。

「今、私の中で良い大麦というのは、ビールという産業自体に関わる皆さんが幸せになれる大麦です。お客様も含めて、いつまでも安心して買っていただける価格で飲んでいただけるような原料を開発したい。そういう大麦が、良い大麦なんじゃないのかなと思っています」

30年以上、大麦を研究するなかで、木原氏が追いかけてきたのは、畑でよく取れ、ビールの品質にもつながる品種だった。そこに気候変動という条件が加わり、雨への強さや肥料の使用量、農家の収量、さらには消費者が手に取れる価格まで、考えなければならないことは増えている。

気候変動に強いだけでも、環境負荷が小さいだけでも十分ではない。農家が育て続けられるか。加工する側が使えるか。そして、最終的にビールが一部の人だけの贅沢品にならず、これまでのように手に取れるか。気候変動への適応を考えるとき、問われるのは作物の性能だけではない。その変化に伴う負担を、誰か一人に押しつけていないかということでもある。

「良い大麦」の条件は、気候が変われば変わっていく。だからこそ、その「良さ」を誰の立場から考えるのかも、同時に問い直していく必要があるのだろう。

※1 Decreases in global beer supply due to extreme drought and heat
※2 The Farm to Fork Strategy

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この記事を書いたライター

IDEAS FOR GOOD編集長。大学卒業後、日系不動産会社のベトナム支店で営業マネージャーを務めたのち、アーティクル株式会社に入社。2018年よりサステナビリティをテーマに国内外で取材・編集企画に携わる。現在はフランス・パリを拠点に、企業や起業家、研究者などを取材。Artiql Europeでは、欧州のサーキュラーエコノミーに関するリサーチや視察、イベント、教育プログラムを企画する。WCEFやISEE-Degrowthなど国際会議への参加・取材のほか、企業向けセミナーでの登壇実績を持つ。関心テーマは、人と社会、地球の豊かさを支える新しい経済のあり方。