Tag Archives: 環境問題
夕食にマイクロプラの缶詰はいかが?皮肉たっぷりの啓発キャンペーン
スペインで、ある缶詰が話題を集めています。頼んでもいないのに、無料で、海から新鮮なまま家に直送されるそうです。この缶詰を夕食に食べてみたいと思いますか?【皮肉たっぷりの署名キャンペーン】
”存在を想う”からはじまる。生活やビジネスを「ケア」の視点で考えてみたら
現代の環境・社会問題。その多くに共通する根本的な原因の一つに「ある存在が『存在している』ことを意識できていないこと」があるのではないでしょうか。今回の記事では、その解決策として注目される「ケア」の概念を考えてみます。
若者だけの問題にしない。気候変動に立ち向かう、シニア・コミュニティがアメリカで発足
気候変動のアクションをするのは若者だけじゃない?60歳以上の人たちで構成された気候変動に対するアクションをする組織「Third Act」がアメリカで発足されました。
銀行が「成長しない事業」に投資?オランダのTriodos Bankが描くウェルビーイングな経済とは
世界で最もサステナブルな銀行のひとつ、オランダのトリオドス・バンクが2024年に向けた経済予想を発表。そこで最も重視されたのは、成長依存型からの脱却でした。なぜ、そしてどのように、ポスト成長経済を目指していくのでしょうか。
仕事を休んで木を植えよう。ケニアの新たな祝日「植樹の日」
東アフリカの国ケニアに、国民に植樹を推奨する新たな祝日「植樹の日」ができました。市民参加型の環境政策の背景には、どんな未来が待っているのでしょうか。【植樹の日】
森林火災を啓発する、アルゼンチンの「山火事の匂いがする」芳香剤
森林浴の香りが変化する日が来るかもしれません。実際、南米アルゼンチンのグリーンピースでは、現代の森を象徴する香りの車用芳香剤を開発しました。【山火事の香りの芳香剤】
再生経済は、尊厳を守ること。バリ島で森と農家をつなぎ直す「竹」のチカラ
荒廃してしまったというインドネシアの森。その生態系を「竹」によって再生し4つの課題解決に同時に挑むアリーフ氏に、話を聞きました。
地球に恋しよう。メルボルンで40年続く環境教育パーク“CERES”の物語
豊かな自然が広がるオーストラリア。いまは大都市となったメルボルンで、地域の生態系や歴史を引き継いでいくためのハブが作られました。40年以上にわたって地域の人々から愛される「CERES」をレポートします。
「海のスポンサーになりませんか?」人口1,700人の島国がひらめいた海洋保全アイデア
南太平洋にある島国、ニウエ。海洋生物そして島民の暮らしを守るため、政府が独自のイニシアチブを立ち上げました。【私たちの海のスポンサーになりませんか?人口1,700人の島国がひらめいた海洋保全アイデア】
モロッコの街に、スマホ充電できる「木」登場
エネルギーを輸入に頼るモロッコで、無料でスマホやPCを充電できる「ソーラーパネルの木」が注目を浴びています。
ごみをまとい、踊り狂う。コンゴのアート集団「キンアクト」に見る、アフリカの課題の伝え方
環境や人権が問題視されるコンゴ民主共和国。人々に問題提起をし、訴えるために、注射器や空き缶を身にまといパフォーマンスする集団がいます。彼らはどんな思いでパフォーマンスするのでしょうか。
人や地球とつながり直せる暮らし方。オーストラリアの「コハウジング」を覗いてみよう
住宅の価格高騰、地域の人とのつながりの希薄化……大都市での暮らしは困難が多いですが、オーストラリアのメルボルンで「コハウジング」を通じてそれらを乗り越えようとする試みが始まりました。その内部を覗いてみましょう。
アマゾン生還の子どもたちに見る、コロンビア先住民の世界観
人間は、自然によって生存を脅かされていると同時に、自然によって生かされています。そういう現実を、コロンビアの先住民の人々の世界観から学べるかもしれません。
「次の休みは、ごみ処理場に遊びに行かない?」
「こんなにごみ収集車を美しいと思ったのは初めて」東京・武蔵野市にあるごみ処理場を訪れて、そんな気持ちに襲われました。ごみから学び、集い、まちに溶け込み、まちにつながる場所への訪問レポートです!
最高の一杯は、「捨てない一杯」だ。コーヒーの街・メルボルンで始まった堆肥化プロジェクト
世界有数のコーヒーの街として知られるメルボルンでは、毎日大量のコーヒーかすがごみとして出されています。そんな状況に疑問を抱いた一人の女性が、コーヒーかすを「資源」として地域で活用するためのプロジェクトを始めました。
オーストラリア発、先住民との「寿命格差」を埋めるファッションブランド
オーストラリア・メルボルンの街を歩いていると、若者たちが赤・黒・黄色の原色ファッションを身に纏っているのを見かけることがあります。そのファッション、実は先住民の人々への敬意を示すものだったのです。