「畏怖の念」は気候変動を解決に導くか。自然への恐れと慈しみを捉え直す

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もし、自然に「人格」があるとしたら、どんな人柄を思い描くだろうか。

「母なる大地」とも言われるように、あらゆる生命を支えるような暖かく力強い人物を想像するかもしれない。あるいは、天災の猛威をふるい荒ぶる人物だろうか。

筆者はスウェーデンで暮らしたことがあり、現地での生活を振り返る中で、ふと気づいたことがある。それは「自然が可愛らしく感じられる」ということだ。スウェーデンでの暮らしは、冬の冷え込みこそあれど、天候や天災によって自然の厳しさに直面することが日本に比べて少なかったからだろう。

こうした土地による自然像・自然観の違いは、すでに先人たちが観察や議論を重ねてきた。そして、その知見は、気候危機時代の今まさに必要とされるものかもしれないのだ。

本記事では、自然環境にもとづく自然観の違い、そこから生まれる文化の違いを捉えた上で、気候危機の解決に貢献しうる文化を形づくるカギとして「畏怖の念(awe)」が握る可能性を模索していく。

自然は美しい存在か、怖い存在か

一人ひとりが持つ自然に対するイメージは、その人が暮らす身近な自然環境の影響を受ける。物理学者および随筆家であった寺田寅彦氏の『日本人の自然観』には、こんなことが書かれている。

われらの郷土日本においては脚下の大地は一方においては深き慈愛をもってわれわれを保育する「母なる土地」であると同時に、またしばしば刑罰の鞭むちをふるってわれわれのとかく遊惰に流れやすい心を引き緊しめる「厳父」としての役割をも勤めるのである。

(中略)

日本ではまず第一に自然の慈母の慈愛が深くてその慈愛に対する欲求が満たされやすいために住民は安んじてそのふところに抱かれることができる、という一方ではまた、厳父の厳罰のきびしさ恐ろしさが身にしみて、その禁制にそむき逆らうことの不利をよく心得ている。その結果として、自然の充分な恩恵を甘受すると同時に自然に対する反逆を断念し、自然に順応するための経験的知識を集収し蓄積することをつとめて来た。

寺田寅彦 日本人の自然観|青空文庫

つまり、日本には四季の移ろいがあり、海と山の恵みをいただき、農業を支える土壌も存在することから、人々は自然の恩恵を受け、安心感を抱く。しかしそれと同時に、台風や洪水、地震といった自然災害も経験するため、日本では自然をコントロールするよりもその両面に「適応」しようとする傾向があるというのだ。

スウェーデンでは、そうした自然の暴威を実感する天災や荒れた天候が少なかった。一方で、日常的に手に入るフルーツや葉物野菜は少なく根菜が多いことなども含めて考えると、人々にとって恩恵と猛威の両方が遠い存在であるとも言えるだろう。

ではスウェーデンのように、自然の恩恵と猛威のどちらも実感しにくい地域ではどのような自然観が生まれるのだろうか。寺田氏は「自然の恵みが乏しい代わりに自然の暴威のゆるやかな国では自然を制御しようとする欲望が起こりやすいということも考えられる」指摘する。比較的、自然を管理下に置くようなアプローチが増えやすいと言えそうだ。

こうした自然との関わり方の違いは、文化の違いとしてより具体的に見えてくる。

庭園を題材にそれを説くのが、、山崎正和著『水の東西』。日本の庭にある水は、自然のままに流れ行く一方、西洋の庭にある水は造形美として形作られており、その対比が「鹿おどし」と「噴水」だという。

鹿おどし(左)と、噴水(右)|Images via Shutterstock

竹筒に水が溜まると水が流れ落ち、戻るときに心地よい音を鳴らす、鹿おどし。山崎氏によれば、その水は自然の原理のままに流れ続けている。しかし噴水は水が造型の対象となっており彫刻のように静止して見えるというのだ。

自然を生かすか、使うか。この違いを庭という文化からも感じ取れるだろう。

ただし異なる自然観や文化は対等に並ぶものであり、そこに優劣は存在しない。多様な自然の姿の数だけ、世界にはこのように様々な価値観が共存しているのだ。

自然の脅威が近づく今、「畏怖の念」が行動を促すか

先述の通り、日本は自然災害が多いため自然に対する恐れの感情を持ちやすい。

しかし気候変動が深刻化する今、今までその脅威を身近に感じなかった人々もその感覚を抱くようになっているようだ。例えば、2025年1月にロサンゼルスで発生した山火事は、住民が過去に経験したことがないような規模の自然の脅威を感じ、恐怖を抱くような出来事だっただろう。

こうした共通の感情が生まれると同時に、その解決に向けてアクションを起こす人が増えていることにも注目が集まっている。

カリフォルニア大学の研究者であるヴァージニア・スターム氏は、ロサンゼルスの山火事が「すぐには理解しきれない巨大な何か」として人々に認知され「畏怖の念(awe)」を生んだことで多くの人が支援に参加したのではないかと推測する。

畏怖の念(awe)とは、人々を圧倒するような存在を前にして、自分の存在が相対化され小さく感じると同時に、その大いなる存在や外界との繋がりも感じるような感覚のことだ。雄大な自然や危機、アートや人物と出会った際に感じることが多いとされている。

スターム氏が主導した研究によれば、畏怖の念を意識することで、前向きな感情が増えて自己を小さな存在と捉えるようになり、社会的な行動の増加にも繋がるという。さらに畏怖の念は、自己が世界と繋がりつつもその一部に過ぎないと認識させることから、自然と人の関係性を築き直し、気候変動を解決するカギとなる可能性もあるのだ。

元来、自然に対して恐れを持ちやすい日本において、畏敬の念は、ことさら目新しい概念ではないかもしれない。しかし日本でも気候変動が明るみに出始めた今、畏怖の念という感情の枠組みにも目を向けながら、足元の自然に基づいた自然の捉え方・関わり方へと立ち返ってみることは、行動変容を後押しするヒントになるのではないだろうか。

畏怖の念は、気候危機を解決する文化を築くか

とはいえ、「畏怖の念を意識する」ことは、具体的にどんな行動を意味するだろうか。スターム氏の同研究では、「毎週15分、好奇心を持ってまわりの環境に意識を向けながら歩く」という散歩を8週間続けることで、人は畏怖の念を体感できることが確認された。

こうして自然を認知することの練習や習慣付けは日常の中で実践できる。それは秘境に行くなどの手間をかけずとも、aweというレンズを心に携えながら、近所をゆっくり散歩することでも養えるのだ。

一方、この意識を個人にゆだね過ぎず社会に広げていくには、心に残るきっかけを意図的に作ることも大切だ。圧倒されるような自然との出会いから行動変容に繋げる機会をデザインするならば、ただ客体や背景として自然を楽しむだけではない、新たな体験が必要かもしれない。

例えば、「暗闇に圧倒される」体験。夜間の人工光の使用を制限し、本来の夜空を守ると同時に、その暗闇の中で星を眺める観光・ダークスカイツーリズムは、その規模の大きさと宇宙の計り知れなさが畏怖の念に通ずるところがあるだろう。

星降る“暗闇”を楽しむ、旅の新潮流「ダークスカイツーリズム」

また、「自然界の細やかさに圧倒される」体験も新たな視点を提供してくれる。海や山の雄大さだけでなく、目に見えないほどの小さな生き物が地表や地中で積み上げるとても緻密な働きにも驚かされる。身体感覚を通じて地中の世界を学べる体験型の学びも、畏怖の念に繋がるはずだ。

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こうして畏怖の念を軸とした場やデザインが増えていけば、それは単なる一過性の行動変容にとどまらず、日本の鹿おどし・西洋の噴水のように、自然観に基づく新たな文化として根付いていく可能性もあるのだ。

イヤホンを外して、意識を外に向けて歩いてみよう。公園にそびえる木が巨大であることや、鳥が手の届かないほど空高く飛んでいること、新たな季節を告げる風が吹き始めていることに気づくかもしれない。近くにいる人や自然、ものが「たしかにそこにある」と感じる──自分の身体をもってして、そんな体験や時間を得られる仕掛けが気候変動と向き合い行動を起こすために必要ではないだろうか。

【参照サイト】How Awe Helps Us Heal in Times of Crisis|Psychology Today
【参照サイト】What Are “Awe Walks?”|Psychology Today
【参照サイト】Sturm, Virginia E. et al., 2022, Big smile, small self: Awe walks promote prosocial positive emotions in older adults, Emotion, Vol 22(5), Aug 2022, 1044-1058
【参照サイト】‘Awe walks’ boost emotional well-being|UCSF Department of Psychiatry and Behavioral Sciences
【参照サイト】The Science of Awe|Greater Good Science Center
【参照サイト】‘Awe walks’ boost emotional well-being | UCSF Department of Psychiatry and Behavioral Sciences
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