環境とアートと地方創生。瀬戸内の島々で学んだ、私たちが日常で見えていなかったものーE4Gレポート

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瀬戸内海に浮かぶ島々、そう聞いて人々が真っ先に頭に思い浮かべるのは「アート」ではないだろうか。瀬戸内海の12の島と2つの港を舞台に開催される現代アートの祭典「瀬戸内国際芸術祭」は3年に1度行われ、今年2019年は、第4回目の開催年でもある。

瀬戸内の島々

残暑が続く9月、NPO法人アーキペラゴのみなさんにコーディネートいただき、「Experience for Good」の旅の舞台となったのは、そんな瀬戸内海の島々である男木島(おぎじま)と、豊島(てしま)。

今回訪れた島の一つ、豊島には、実はあまり人々に広く知られていない暗い過去があることをご存知だろうか。

「豊島事件」──。1970年代に、ある悪徳業者による産業廃棄物の不法投棄が発覚したことから始まった公害事件であり、今でもその傷跡が残っている。おそらくそれは、全国的にも最大規模の産廃問題といえるだろう。

事件の背景にあったのは、「大量生産・大量消費・大量廃棄」という社会システムの問題だ。この島の事件から私たちが学べることは一体、なんだろうか。アートで人を魅了する豊島の光と影と、そして島に関わる人々は今、何を考え、何を大切に想うのか。

また、今回訪れた男木島では、島合同の島間交流会に参加させていただいた。芸術祭の影響で移住者も増えた男木島は地方創生に成功しているといわれるが、移住者は今、どのように島と関わっているのか。同時に、瀬戸内の島々が見せるアートの美しさを体験した中で感じたことを、「地方創生」「環境」「アート」の視点でお届けする。

 男木島

男木島の街並み

第一部:島間交流会で島民が大切にしているものを学ぶ

高松港から船に乗ること40分、男木島に到着して最初に見えるのは瀬戸内国際芸術祭のアート作品でもある小木交流館。そして迷路のような男木島の集落を歩くと、島のいたるところでアートに出会う。そんな街並みを歩いてたどり着いたのが男木小中学校だ。今回の「島間交流会」の開催場所である。

プログラム初日は、男木島で行われた島の移住者の交流会に参加させていただいた。これは、直島・男木島・豊島など瀬戸内の島々の移住者が集まり、交流しながら島の未来を考える会だ。

会場となった島の学校

会場となった島の学校「男木小中学校」

観光客に「参加」させる旅行の仕組み「レスポンシブルツーリズム」

今回行われた島間交流会では、集まった地域住民が「観光・環境」「教育」「移住」の中からそれぞれ興味があるテーマを選び、島の課題や移住者が今後どのように島と関わっていくべきかが話し合われた。筆者が参加した「観光・環境」の分科会では、経済と暮らしを守る「サステナブルツーリズム(持続可能な観光)」が大きなテーマとなった。

3年に1度開催される瀬戸内国際芸術祭は、いわば瞬間風速のようなもの。突然、一時的に島に観光客が押し寄せることで、受け入れる島のキャパシティを超えてしまっていることが、このところ問題視されているという。2016年3月に策定された「明日の日本を支える観光ビジョン」の中では、2020年に訪日外国人旅行者数を4000万人に、2030年には6000万人に増やすという大きな目標が掲げられている。

しかし今、突然訪れたブームによって京都や鎌倉のように日本各地でオーバーツーリズム(観光公害)が問題となっている状況の中、「私たちはろそろ立ち止まる時期ではないだろうか」という問いから分科会は始まった。

「観光とは何か」「島にとってアートが表すものとは」「そもそも観光資源とは何か」「何を大切にして、何を次に伝えたいか」などの問いが、次々と住民に与えられ、活発に意見を交換し合う。

分科会「観光・環境座談会」

分科会「観光・環境」座談会

瀬戸内の島々に来る旅行者は、島の「アート」や「文化」をきっかけとして訪れる人が多い。これらの島に来る旅行者は、一般の人々よりも地球環境の保護や文化の保全などに興味があり、文化レベルの高い人が多いという。そう考えると、旅行者自身に責任のある、自立的な観光「レスポンシブルツーリズム」を求めてもいいのではないだろうか。

ここで提案があったのは、パラオの例である。世界初の環境保護誓約「パラオ・プレッジ」への署名を観光客に義務化したパラオは、観光地の環境や文化に配慮しながら観光を楽しむ「サステナブルツーリズム」に国家レベルで取り組む。「旅行者に『参加』してもらう仕組みづくりを瀬戸内から世界に発信しよう」と、島民の意思の強さを分科会の中で感じた。瀬戸内の島々へ訪れる観光客に、環境を犠牲にしない誓いへの署名が求められる日も、そう遠くないかもしれない。

比較することで「強み」がわかる

分科会終了後は、各分科会の代表者によるクロストークが校庭の芝の上で行われた。印象に残ったのは「教育」の分科会で出た内容だ。

島民には「子どもたちが、島を愛することができる教育をしたい」という想いがある。では、一体どうすれば子どもたちが島を好きになるかと考えたき、「島の強みを知ること」が大切だと考えた。

しかし、長く島に住んでいると「強み」に気づくことは難しい。うどんの美味しさや山の美しさ、日常で見ている景色の綺麗さはいつも、外から訪れた観光客に気づかされる。つまり、観光客や移住者だからこそ、島以外の場所と「比較」をして、島の良さに気づくことができるポテンシャルを持っている。島の4割が移住者だという男木島では、まさに移住者の視点が、島の強みを知るきっかけとなる。

「都市」と「地方」の2つがあるからこそ、お互いのよさに気がつくことができる。移住者だからこそ、もっと積極的に担える役割があるのかもしれないと、それぞれが考える時間となったのではないだろうか。

トークディスカッションの様子

トークディスカッションの様子

豊島でゲストハウスmammaを経営する茂木さんは、最後にこうまとめた。「観光は地域に来るきっかけになるので、とても大事です。それが移住へとつながります。しかし、観光に来る人は多くても、住む環境が整っていないと、暮らしの満足度が上がらず、長く住むことには繋がらない。私たちはそこを考える必要があります。人口は全国で減っていますが、減ったとしてもそこにいる残った人が幸福である地域が、今後生き残っていくのではないでしょうか」

「大切なのは芸術祭の100日ではなく、芸術祭以外の残り1000日。島の人のために芸術祭をやっている」という話も「観光・環境」の分科会で出ていた。観光も大切だが、それよりも大切なのは「島民がどう心地よく暮らすか」だ。島民のための島の環境作りに今後も期待が高まる。

第二部:人類史上に残る挑戦「豊島事件」に触れる

男木島で島のBBQに参加した後は再び船に乗り、向かった先は豊島。名前の通り、豊かな自然に囲まれたその島が44年もの月日を超えて挑む過去の暗い歴史を知る人は今、どのくらいいるのだろう。

プログラム2日目は、そんな豊島の「負」の遺産と呼ばれる「豊島事件」について学ぶため、産廃処理場跡地とこころの資料館を訪れた。

豊島住民の終わりなき戦い

「電柱の根元までゴミがあったんです。5階建てのビルくらいの高さです」

そう力強く、私たちに説明してくださったのは、豊島有害産業廃棄物不法投棄事件の住民運動のリーダーのお一人、石井亨(いしい とおる)さん。

石井さん

石井さん

1975年から1990年に兵庫県警に摘発されるまでの約15年間、量にして88万トン以上もの産業廃棄物が、「食用ミミズの養殖場」と偽られた施設の中で、悪質業者によって不法に放置されていた。その結果、有害物質が海に流れ出すだけでなく、「ゴミの島」と呼ばれる風評被害も起こった。

処理対象廃棄物および汚染土壌は90万トン以上。総事業費およそ800億円、固形物の撤去はひとまず終えたが、設備の撤去や地下水浄化の問題が残されており、今なお浄化作業が続いている。

産廃投棄に反対する住民運動は、香川県が産廃処理場建設を許可した1975年の直後から始まった。それ以来、豊島の住民は戦い続け、延べ7000回を超える運動の結果、2000年6月に調停が成立した。

日本の「大量生産・大量消費・大量廃棄」を考え直すきっかけに

産廃不法投棄現場の入口にある、緑色の屋根の小さな建物。それは、かつて有害産廃を持ち込んだ業者の事務所だ。現在は、不法投棄現場の土地と共に豊島住民のものとなり、豊島住民の「こころの資料館」として利用されている。

資料館に入ると目に飛び込んでくるのは、産廃を剥ぎ取って作った壁面だ。2000年6月6日、公害調停設立直後、住民から「不法投棄された廃棄物の証を残したい」という声があり、不法投棄された廃棄物を残すため、住民は大きな費用負担を決意し、助成金を受けて実現に至ったという。

大量の産業廃棄物は、長い年月と多大な公費をかけて徐々に撤去され、元の姿に戻っていく。「ここに何があったのか」「ここで何が起こったのか」をあらゆる人に問いかけ、この問題を二度と起こさないためにも、ゴミはここで語り続ける。なぜこのような事件が起こったのか。そして、豊かな島を取り戻すために、住民がどれほど苦労したのか。

豊島事件は、日本の「大量生産・大量消費・大量廃棄」を考え直すきっかけとなったともいえる。この事件がきっかけとなり、循環型社会形成推進基本法や各種リサイクル法も制定された。

石井さん

産廃の剥ぎ取り壁面

しかし実際、瀬戸内国際芸術祭に来る観光客でこの「豊島事件」を知る人はほとんどいないという。ガイドブックにも、たった一行の記述があるだけだ。これから、どう若者に伝えていくかが課題だ。

被害者は、加害者でもある。敵は「自分たち」だった

「被害者は、ほんとうに被害者なのでしょうか」

そう、石井さんは私たちに問いかける。7000回を超える住民運動を、なぜ豊島の島民たちは成し遂げることができたのか。住民運動の参加者には高齢者が多く、「自分たちの代で島を汚してしまった」という当事者意識が強かったという。孫たちのために、島の美しさを取り戻すための道筋を立てなければいけないという想いがあった。「豊島問題の住民運動が、豊島の人々の心を育てたんです。月日が経つにつれて、島民は自分の言葉を持つようになりました」と、石井さんは言う。

「このような問題を起こさないためには、行政の考え方を変えさせなければいけない。そしてその力を持っているのは本来、主権者である「私たち」なのではないでしょうか。国民主権の国というけれど、ほとんどの人は投票にもいかない。投票したとしても投票した人が何しているか、誰も見ていません」

「こころの資料館」

「こころの資料館」

「被害者は、ほんとうに被害者なのでしょうか。被害者は、被害者でありながらも、加害者なのです。この社会を構成してきた一つの要因でもある。自分たちの責任なのです。私たちは、後世に残すために自分たちも加害者だと思って活動しています。私たちは、ただの被害者団体ではありませんでした」

「無関心ほど、強力な暴力はないと思っています。豊島問題は、ローカルな問題──。本当にそうでしょうか?沖縄の普天間基地の問題は、決して沖縄だけの問題ではないですよね。福島の原発の問題も、福島だけの問題でしょうか?私たち一人一人が、原発を黙認した結果ではないでしょうか。本当は僕たちの問題なのに、人々は勝手に『地域の問題』にすり替えてしまっている。被害者と加害者の距離が離れてしまうことが、根本的に起因している一つの原因なのではないでしょうか」

大量生産・大量消費の現代、不法投棄はどこでも起こり得る問題だ。行政の怠慢と不作為や過疎化と高齢化による地域社会の衰退、利益優先の業者。さまざまな要因が揃い、それが“たまたま”豊島であったというだけだ。

一人一人の行動がこの問題に関与していることを、私たちは忘れてはならない。一度人間が壊してしまった自然を取り戻すためには、想像を絶する努力と労力、莫大な資金と時間、人が必要だ。このような廃棄物を出さないためにも、個人、企業、行政、国、それぞれができることを考えていく必要がある。

第三部:50年以上前の日本のフォルケホイスコーレから「循環農法」を学ぶ

2日目の午後、訪れたのは豊島農民福音学校だ。近年、話題になっているデンマークの フォルケホイスコーレ。実は50年以上も前に、デンマークの民衆の民衆による民衆のための教育機関であるフォルケホイスコーレの思想に感銘を受けた賀川豊彦たち日本人が、日本各地に農民福音学校を開設していたことを、ご存知だろうか。

「立体農業」と呼ばれるキリストの教えをベースに、もっとも長い期間、多くの受講生を受け入れていた学校が豊島にある「豊島農民福音学校」である。賀川豊彦の弟子である藤崎盛一氏が、賀川の提唱した立体農業を実践するために1947年に設立し、35年間続いた。そのうちに送り出した卒業生の数は、約920名。

プログラムでは藤崎家を訪ね、豊島農民福音学校の創設者である、藤崎盛一氏のご子息である藤崎盛清さんによる講話に参加し、創設に至る背景から当時の様子を伺った。

※賀川豊彦(1888〜1964)大正・昭和期のキリスト教社会運動家、社会改良家。戦前日本の労働運動、農民運動、無産政党運動、生活協同組合運動、協同組合保険(共済)運動において、重要な役割を担った人物。生活協同組合運動をはじめ、その生涯を“よりよい社会づくり”のために捧げた。

盛清さん

盛清さん

豊島農民福音学校は、果樹園芸や畜産など山地を立体的に活用する「立体農業」を中心に農業について学び、農作物や家畜を飼い、ハムやベーコンの加工、羊毛から糸を紡ぎ衣類を作り、哲学や信仰を学びながら暮らしを豊かにする術を学ぶ場であった。自ら作物を育て、自給自足することや、農民自身の知恵によって自然を生かすことが前提にある考え方は、大量生産を目指す時代には非常に先進的な考え方であったに違いない。

「農業は聖業である」と、賀川豊彦は言う。神と人間の共同作業であり、神の創造の業に関与することである。

神様は天地を創造され、最後に人間を創造してくださった。生き続けるためには、食料が必要である。人間にその食料を与える為に、神様は、人間の創造に先立って、植物と動物を創造してくださった。それを生産するのが農業である。食料は人間が生きていくために、欠かすことが出来ないものであるから、農業は最も重要な仕事であり、産業である。

立体農業技術は、循環農法を目指したものだ。儲ける農業ではなく「太る農業」として考えられ、生活を豊かにすることに注力していたのだという。環境に優しい農法ということに加え、農業と農畜産加工、販売という「6次産業」が今でこそ注目されているが、その先進的な考え方が、既にこの時代からあったというのだから驚きだ。

第四部:生産と消費の距離を縮める

豊島の島の中央にそびえる山からは湧水が出ており、古代から現代に至るまで豊島の稲作、農業、そして人々の生活を支えている。そんな豊かな島には、島を誇る農産物が栄えている。

2日目には、豊島にある国内有数の規模を誇るオリーブ園を持つ「東洋オリーブ」の豊島農園の見学、そして3日目には「てしま天日塩ファーム」を訪れた。

持続可能な農業に取り組む「東洋オリーブ」

昭和30年に創業した東洋オリーブが保有しているオリーブ自社農園が豊島にある。豊島の南部に広がるオリーブ園は、1つの園としては国内有数の規模を誇る。オリーブの果実は傷ついた部分から急激に劣化してしまうため、一粒一粒選別しながら、優しく手で摘み取る。

また、循環型農業の一環として、剪定した枝を発酵させて堆肥化したり、オリーブオイル採油の際に副産物として発生する残渣を乾燥させてオリーブ牛の飼料にしたりしている。

オリーブ

案内してくださった東洋オリーブ株式会社広報部の佐々木貴宏さん

広大な土地を車で案内していただいた最後に、実際のオリーブオイルを試飲させていただいた。最初に香りを楽しみ、その後に味を楽しむのがオリーブの正しい味わい方だと教えてもらった。オリーブの背景にあるストーリーを聞いたあとに味わうオリーブは格別だ。

オリーブの試飲

オリーブの試飲

「天日塩ファーム」で島の一次産業を見学

てしま天日塩ファームでは、豊島の豊かな海水を汲み上げ、火入れを一切せず、太陽と風の力だけでじっくりと時間をかけて作る天日塩ができるまでの様子を門脇さんご夫妻にご説明いただいた。

豊島初の一次産業である天日塩。場所は有害産業廃棄物が不法投棄された海岸沿いだ。現在は、海水の水質調査を専門機関に依頼し、国の環境基準値以下の結果を得ている。

「島の方々が長い間闘って守ってくれた海水。今の豊島は、こんなにも美しい塩が作れるようになったということを知ってほしい」と、門脇湖(かどわきひろし)さんは語る。お二人によって大切に作られた天日塩は、今や島中の人々から愛される「本物」の塩となった。

移住者の2人

門脇まゆみさんと門脇湖さん

また、直感で豊島に移住されたというお二人には、お塩の話だけでなく、移住のきっかけや実際に移住されてからの生活の様子も併せて伺った。東京のラジオ局でディレクターをしていた湖さんは、全国各地、地域おこしなどを頑張っている人を取材する番組を担当していた。そのときに訪れた豊島に一目惚れし、奥さんのまゆみさんと移住した。

「豊島にしたのには、大きな理由はないんです。ただ、直感で。でも、今の生活にはすごく満足しています」と、2人は話していた。移住するのにシンプルな「行きたい」以外の理由はいらないのかもしれない。

塩の工房

塩の工房

こうして旅の中で生産者に会うことで、私たちは都会で購入する商品に対して「ストーリー」を想像できるようになる。どんな生産物にも、生産者の苦労や想いがあって、私たちの手元に届けられているのである。

第五部:自分と対話する「アート」

3日目のプログラムはアートの「対話型鑑賞」というもの。1980年代半ばに、アメリカのニューヨーク近代美術館で子ども向けに開発された美術の鑑賞法で、英語ではVTS(Visual Thinking Strategies :ビジュアル・シンキング・ストラテジー)と呼ばれる。

対話型鑑賞は従来の美術鑑賞とどう異なるのだろうか。作品の意味や技法などの美術の知識をもとにして作品と向かい合うのではなく、作品を観たときの感想や、そこから想像されることなどをもとに、グループで話し合いをしながら、その対話を通して作品を観賞する。

日本人が絵を鑑賞する時間は、平均15秒だという。主に、キャプションをみることが多い。対話型鑑賞では、さまざまな角度から時間をかけてアートを眺める。そしてアートを見て考えたこと・感じたことを、それぞれで共有し合う。

アートには、答えがない。人によって見え方も違えば、一緒に訪れた人、天気、自分の状態によってもアートの「捉え方」は異なるだろう。人の視点を聞くことで、その人のことをより深く知ることもできる。

アート

作品名:空の粒子 アーティスト:青木野枝

豊島の湧き水の隣にある作品「空の粒子」を一つにしても、色々な「見え方」があった。「島々」「水滴」「額縁」「太陽から降り注ぐ恵」。再度ここを訪れたとき、もしかしたらまた、違う見え方をするのかもしれない。そう思うとアート鑑賞とは、作品をつくった作者との対話ではなく、それを見る自分がどう感じるかの「自分との対話」でもあるのではないだろうか。

豊島美術館

豊島美術館

その後訪れたのが、季節の移り変わりや時間の流れとともに、無限の表情を伝える豊島美術館だ。休耕田となっていた棚田を地元住民とともに再生させて作られた。その広大な敷地の一角にある、水滴のような形をした建物は、広さ40×60m、最高高さ4.5mの空間に柱が1本もないコンクリート・シェル構造で、天井にある2箇所の開口部から、周囲の風、音、光を内部に直接取り込み、自然と建物が呼応する有機的な空間である。

瀬戸内の島々が見せるいくつもの顔。豊島の「負」の遺産を知った後には、島の中にある豊かな自然への儚さと無情さを覚えた。3日間の凝縮された旅ではあったが、豊島問題の話を聞く前と聞いた後では、島の見え方が異なった。産廃問題の島の状況を深く学んだ後に、より島の自然やアートの尊さを感じたのは、私だけではなかっただろう。

編集後記

今回の旅では、瀬戸内の島々を「地方創生」「環境」「アート」など、さまざまな角度から見てきた。これまで「アート」のイメージが強かった豊島での産廃問題を学んだこと、実際に島で暮らす人々の悩みを聞いたことで、いろいろな苦悩がありながらもアートでつながり、再生するまでの道のりを想像しながら旅をした。

また、「完成されたもの」をただ受け取るだけではなく、その背景にあるものや人々の想いを現地で知ることで瀬戸内国際芸術祭に参加するときや、豊島でとれたオリーブや天日塩を味わうときの気持ちも異なるだろう。より「大切にしたい」という想いや「ここまでの美しい豊島を取り戻した島民の方へのリスペクト」を感じるようになる。

それと同時に感じた、危機感。今、私たちの身近にある自然は、常に私たち人間によって脅かされている。経済の豊かさばかり考えた私たちはこれまで、発展の裏に隠れた闇を、見て見ぬ振りしてきた。日常で出る大量のゴミはゴミ箱に捨て、そのゴミは収集所に運ばれていく。すると私たちの周りは、ゴミがなくなり綺麗になった“かのように”感じる。

しかしそれらのゴミは一体、どうなるのだろう。捨てたゴミは確かに私たちの周りからは姿を消すが、本質的にはそれらのゴミはなくなるわけではない。そのことに私たちは「想像力」を働かせる必要がある。産廃問題は、豊島だけではなく、どの地域にも起こりうる話だ。この島で見たもの、聞いたことを、私たちは東京に戻っても、決して忘れてはならない。

民泊先での集合写真

民泊先での集合写真

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【参照サイト】NPO法人アーキペラゴ公式サイト
【参照サイト】豊島美術館