「ヒロシマ」という文字を見るとき、どんなイメージを受けるだろう?――かつて原爆を経験した戦後の広島など、暗く、どんよりとした印象を持つ人が多いのではないだろうか。
それは戦争自体が悲しいことであるからかもしれない。もしくは私たちがその事実を知るとき、多くの場合に写真や映像、経験者による語りなどを通して、「可哀そう」「悲しい」と感じる経験をしているからかもしれない。そのように、戦争や社会課題などの“重い”事実を知り、そのまま感じることは大切なことであり、平和について考える一歩になることは言うまでもない。
しかし、暗い出来事と向き合うために、必ずしも暗いものと出会う必要はない。――そう教えてくれたのが、広島で生まれ育ち、広島を拠点に活動するアーティスト、有田大貴さんである。彼がアート制作に使っている素材は「折り鶴と、折り鶴の灰」。その作品の多くが色彩豊かで、見る人の心にも彩を与えてくれるようなものばかりだ。作品を通して、広島について自由に感じ、考えて欲しいという有田さんに、現在の活動を始めたきっかけや大切にしていること、これから挑戦していきたいことなどをお伺いした。
話し手:有田 大貴(ありた たいき)さん
1987年、広島県生まれ。2011 年米国アラバマ州立ジャクソンビル大学芸術学部グラフィックデザイン学科卒業。現代アートで有名な香川県の直島で仕事をした経験から、アーティストを志す。退職後にヨーロッパを周遊し、アートについて見聞を広めた後、ドイツに滞在し個展を開催。そこで故郷、広島について作品を初めて発表した。帰国後、故郷広島へ届けられる千羽鶴やその焼却灰を使用した絵画やインスタレーションなどを制作し、国内外で発表している。
「ヒロシマ」へのきっかけはロック音楽
広島県の児童福祉施設で働きながら、アーティストとして活動する有田さん。平和のシンボルとなった折り鶴(千羽鶴)を使った作品を通して、広島の記憶を未来へ伝えている。3年前にワーキングホリデーで訪れたドイツでの経験をきっかけに、広島に関するアート制作を始めたそうだが、一体どういう経緯で活動を始めるに至ったのだろうか。
「ドイツを訪れた時は、好きなロック音楽をテーマに作品を制作をしていました。ロック音楽の歌詞には『Burn(焼く)』『Break(壊す)』『Cut(切る)』といった単語が出てくるのですが、それをそのまま制作に取り入れていました。例えば、キャンバスを焼いたり切ったり壊したりして再構築するといった方法でつくっていたのですが、ふと、その行為が自分の故郷である広島が原爆で破壊されたのと重なりました。当時は国外にいたので、『何かを伝えないといけない』と感じていたというのもあり、ヒロシマをテーマに作品をつくり、伝えることにしました。」
ドイツへ行くまでは広島のことには目が向いていなかったが、自身が“被ばく3世”ということは自覚していたという有田さん。被ばくして生き残った祖父母のおかげで今の自分がいるという感覚はずっと持っていて、その中で「何か深いものを表現したい」という想いは持っていたそうだ。そんな有田さんが初めてつくった広島に関する作品のテーマが「黒い雨」だ。
行き場を失った千羽鶴、一羽一羽に込められた想いをアートに
初めてドイツで黒い雨を発表した後、広島に帰国して「折り鶴」や「折り鶴の灰」を用いた制作を始めた有田さん。きっかけは帰国してから働いていた広島のカフェで、千羽鶴について話を聞いたことだった。
「今はコロナの影響で少なくなっていますが、広島市には年間約10トンくらいの千羽鶴が届いていて、あまりに沢山であるため展示後の保管場所に困っているということでした。また、一部のお寺では千羽鶴をお焚き上げしていて、その焼却灰が花壇の肥料として使われていると聞き、自分はアート作品として昇華できるのではないかと考えました。灰になった千羽鶴というものをとても魅力に感じ、絵の具に混ぜて使い始めました。」
「自分の中で、“千羽鶴―千羽鶴の灰”の関係性は“生命・復興―破壊・死”の象徴です。これらの素材を使って表現することで、“生と死”や“破壊と再生”など独自の解釈でメッセージを発信しています。戦争は広島や長崎だけでなく、日本各地、そして世界中が経験していることです。人間自体に生と死があることは普遍的なことなので、千羽鶴の焼却灰をアート作品にすることで、そういうことが表現できると思いました。」
「一人ひとりの多様性」と「今の広島」を表すカラフルな作品
有田さんのアートの作風として、千羽鶴と千羽鶴の焼却灰を使っていることがあることは言うまでもないが、「カラフルさ」もまた大きな特徴。全体を通して、カラフルで明るい作品が多く制作されている理由を尋ねた。
「もちろん千羽鶴の色が明るいので、それと呼応しているところもあると思いますが、今自分が広島で幸せに生きていることを表現しているのかもしれません。広島のこととか長崎のことを考えると悲しい気持ちになってしまうけれど、広島も復興してきていて、また自分自身が広島で育って広島の一部なので、それでいいと思っています。あと、カラフルな色を使うとき、すべての色が調和するように描いていますが、振り返ってみると、無意識のうちに『多様性』を表現している気もします。」
さらに、暗いイメージになりがちな黒い雨の作品の中でも、多様な色を使って描いた上に黒い雨を流したり、黒い雨の下にカラフルな絵の具を流したりもしているという。
大切にしている、「生きていることへの感謝」
原爆投下の前、沢山の人がそれぞれの色を持って生きていたことを伝えたかったという有田さん。そんな多様性を象徴する作風は、これまで戦争や平和をテーマにしたアートに暗いイメージを持っていた人たちに、また違った印象を与えるように感じられる。明るい音楽を聴きながら常にポジティブに作品制作を行っているという有田さんだが、制作の際に常に大事にしていることがあるそうだ。
「生きていることへの感謝の気持ちです。作品を作るとき、被ばく者の方に話を聴いたり、資料館に行ったり、また本を読んで想像して作ることもあります。広島は破壊されたけれど、人々が一生懸命頑張って復興し、自分は奇跡的な確率で生きています。そういうことにも感謝の念を抱きながら、そして追悼の念も持ちながら、自分が生きている喜びを表現しています。また、これからも戦争などを経験することなく生きていきたい、そういう社会であってほしいという願いを込めて制作しています。」
限定しない、見る人に解釈をゆだねる作品づくり
広島をテーマにした作品も、「自由に広島について考えるきっかけになってほしい」という有田さん。アートの役割を「解釈を限定しない、自由に感じてもらえるモノ」であることを強調していた。過去にはトランプ大統領やプーチン大統領など、世界の政治家をモチーフにした作品の制作も行い、核兵器の問題を訴えていたが、政治的な作品が自由な解釈を制限してしまうことを感じたという。
「例えば、何事にも良い面もあるし悪い面もあると思っているので、一概にプーチン大統領が悪い、トランプ大統領が悪い、みたいな捉え方はしてほしくないんです。“アートの解釈は、見る人に委ねられるべき”だと思っているので、見る人にある程度自由度を与えるためにも、今は抽象的な作品を心掛けています。」
ある出来事を直接的に伝えるニュースや写真などとは違い、「曖昧な抽象画」だからこそ多くを感じてもらえる、と有田さんは言う。
「戦争のことや核兵器のこと、平和のことや生と死など様々なテーマがあるのですが、見る人自身で何か感じ取っていただけたらなと思っています。こちらから押し付けるのではなくて、嬉しい想いでも悲しい想いでも何でも自由に感じてほしいです。戦後75年が経ち、被爆者や戦争体験者は高齢化し、直接お話を聞ける機会も減ってきています。その中で特に若者に興味を持ってもらうために、自分はアートという親しみやすい形で伝えていきたいと考えています。」
日本から世界に。平和を広げていく幅広い活動
国内外での展示に加え、広島がテーマであるパフォーマンスイベントに参加したり、宿泊施設とコラボして、客室に鳩の壁画や折り鶴の絵を展示したりと、幅広く活動する有田さん。引き続き展示は開催する予定だが、その他にも新たにチャレンジしたいことがあるという。
「今予定しているのが、家具屋さんやチョコレート屋さんとのコラボレーションです。岡山のチョコレート屋さんでは、店内に作品を展示をするのに加えて、チョコレートパウダーで折り鶴の形をかたどったドリンクを販売していただく予定です。あとは計画段階ですが、絵本のような画集をつくりたいと考えています。絵と言葉を通して、広島や自分の作品について伝える予定です。そして、チョコレートドリンクや絵本の収益の一部は、ゆくゆくどこかに寄付できるようになりたいです。」
さらに、有田さんが力を入れて取り組みたいというのが「アーティスト・イン・レジデンシー」。国内外のアーティストが広島に滞在し、様々な場所で広島を体感してもらいながら作品を制作、発表してもらうという取り組みだそう。
「今、広島にはそういった施設がほとんどありません。そこで、アトリエとして借りている家に海外からアーティストを呼んで滞在してもらおうと考えています。国際交流や平和を促進する活動にもつながるし、外国の人が広島のことについて作品をつくるのは刺激になると思います。外国の人との交流の場としてのアーティスト・イン・レジデンシーというものを作っていきたいです。」
取材後記
「千羽鶴を使って作品をつくっている限り、それは自分一人の作品ではなく、千羽鶴を折った人と一緒に作り上げていると感じています。そういう想いをどこかに還元していきたい。そのためにもっと活動の幅を広げていきたいです。」
そう語る有田さん。“被ばく3世”として、今生きていること自体への感謝の念と同時に、自分の作品を共につくりあげている陰の立役者である千羽鶴の折り手への感謝の気持ち。自分一人で生きているのではないから、誰かに貢献したいという気持ちが強く感じられた。
そんな、「誰かのために」という想いは、アーティストとしての活動の傍ら携わる、放課後等デイサービスでの仕事にもつながっている。「自己表現の手段としてアート」を提供しながら子どもたちの創作活動に寄り添っている。
千羽鶴と千羽鶴の灰に「生と死」や「復興」の想いが込められた有田さんのアート。見る人それぞれが、悲しみだけでない、自由な形で「ヒロシマ」に想いを寄せることができる、そんな力を秘めた作品だ。一人ひとりの想いはきっと、戦争で苦しんだ人々のもとに届けられるだろう。
現在は、岡山駅の地下道でロック音楽をテーマに作品を展示しているほか、広島市内の宿泊施設とのコラボレーションも行っている。そこには宿泊者だけが見られる、有田さんの作品で埋められた客室があるのだそう。興味のある方には、ぜひ有田さんのWebサイトをご覧いただきたい。