高次脳機能障害、失語症。
漢字ばかりが並び、なんだか難しそう……という印象を受ける人が多いだろうか。いずれも脳梗塞や脳卒中などの病気、交通事故など、脳を損傷することで起こる障害だ。高次脳機能障害には、注意力が落ち長時間の作業が困難になる、計画的に物事を実行できない、感情がコントロールできないなどの症状があり、失語症には、相手が言っていることを理解できない、文字が読めない……などといった症状がある。
いずれも、事故に遭ったり病気になったりして、いつ誰が直面してもおかしくない障害。しかし今の日本ではあまり知られていないばかりか、医療従事者にさえ十分に理解されているとは言い難い障害だという。
だが、そんな大変で難しそうなイメージを持つ障害を明るく伝えている人たちがいる。
「活動の根底はインクルージョン。障害を特別視せず、一緒にやっていこうよ!という考えです。」
そう話すのは、NPO法人『Reジョブ大阪』の代表、西村紀子さん。高次脳機能障害や失語症など、脳損傷による障害を持つ人の社会復帰、その家族への支援活動を行っている。西村さんは、脳損傷を抱える人たちの現状についてこのように言う。
「『障がい者の雇用を促進する』というとき、そこに意図されているのはすべての障がい者ではありません。障がい者の中にも差があって、雇用されやすい障害とそうでない障害があります。見た目は特に問題がなさそうに見えるけれど、言葉を発したり動いたりすることに人一倍時間がかかる、それが脳に障害がある人。彼らの働ける場所ってなかなかないんです。」
Reジョブ大阪のメンバーは、代表の西村紀子さんと理事の松嶋有香さんのたった二人(※1)。二人三脚で活動を続けてきたお二人に、Reジョブ大阪の活動、脳損傷者の直面している課題、理想の社会についてお話を伺った。
※1 2021年2月時点。
「目に見えない」障害を持つ人の、退院後のサポートを
NPO法人『Reジョブ大阪』の始まりは2018年。言語聴覚士として老人保健施設や病院での勤務経験を持つ西村さんが立ち上げて以来、高次脳機能障害や失語症といった脳損傷による障害に悩む人たちとその家族に寄り添って支援をつづけてきた。そんな西村さんにまず伺ったのは、活動を始めたきっかけだ。
「きっかけは、病院で勤務しているときに感じた、医療制度、医療保険の限界です。脳損傷の患者さんは、退院の時期が迫って来るとリハビリの計画を立て、退院した後は地域のかかりつけのお医者さんに行きます。なので、退院後にその人がどうなったか、医者や看護師、リハビリ担当者が知ることはほとんどありません。でも脳外科の病院に勤めていたときに、たまたまある患者さんに出会ったんです。」
「その人は、昔は社長としてバリバリ働いていた人。病気になってからリハビリを終えて一度退院しましたが、退院後はリハビリがなくなり思うように動けなくなりました。それから暇を持て余して鬱っぽくなってしまい、再度入院してきたんです。その人から手記を見せてもらい、そのとき初めて患者さんの退院後の生活を知りました。」
脳を損傷した患者さんの話を聞き、「こういう症状が出ているからこういう訓練をしよう」など、退院前に色々と検討をしてリハビリのプログラムを組む。しかしどれだけ一生懸命、病院でリハビリをしても自宅に戻ると、一度は取り戻した認知機能も下がってしまうことがほとんど。今の介護保険・医療保険の対象から取りこぼされることの多いこの障害は、一度病院を出れば自力でのリハビリ継続と回復、そして社会復帰が求められる。社会には、そもそも社会復帰が困難な人や、社会復帰したけどモヤモヤを抱える人が多いのが現状だ。そんな人たちに対する支援は少なく、あったとしてもそれが必要な人に届きにくい。
「すごくショックでした。その時に、脳損傷者の患者さんたちは退院後もずっと障害と向き合わなければならないと気付いたんです。そして、退院後のサポートがほとんどない彼らが生活復帰できるための支援をしたいと思ったんです。」
就労の困難を乗り切るための「知恵袋」づくり
そんな西村さんの想いから始まったReジョブ大阪は、障害を持つ当事者が日々の生活で認知の訓練をするための「オンラインリハ」や当事者の家族の方からの相談受付、本の出版、イベント開催、啓発活動などの様々な取り組みを行ってきた。新型コロナの影響でオンラインでの活動が増えている今は、動画の配信やクラウドファンディングなどを通して、高次脳機能障害と失語症という障害の存在を広めているという。
それに加えて西村さんたちが今取り組んでいるのが、高次脳機能障害や失語症がある人のための冊子づくり(※2)。コロナ禍であろうとなかろうと、就労へのハードルがかなり高い彼らにとっての「知恵袋」のようなもので、もう少しで就労できるところまでいったのに就労できなかった人、あと少しの下支えがあれば働ける人たち、そして、医療現場のスタッフに読んでもらおうと作っているそうだ。
「自身も高次脳機能障害の当事者である、文筆業の鈴木大介さんと共に、試練を乗り切った人たちにインタビューし、まとめています。ここには、『こういう仕事についた人はこういうところで躓きやすい』という実際の体験談が書かれているので、今入院している当事者やその家族の人に読んでもらい、実際に就労を目指すときに活かしてほしい。日本全国のリハビリ病院、急性期病院に置いてもらい、一人でも多くの人に届けることが目標です。」
※2 記事中に登場した冊子は、3月上旬から販売を開始した。詳しくはこちらから。
障害は「老い」と同じ。いつ誰が経験してもおかしくないもの
障害を持つ当事者の方から、障害のことを全く知らない人まで、多くの人に対して発信し続けるReジョブ大阪。様々な活動を行う中で、特に普段から苦労しているのが、時々投げかけられる「心ない言葉」だという。団体に対して、「障がい者を利用している」「見世物にしている」と言われるのは珍しいことではなく、さらにそういった言葉は脳損傷者である当事者に対しても投げかけられるそうだ。
「この障害は、手足が不自由な人ほど分かりやすい障害ではありません。なので公共の場でゆっくりと動いていると、周りの人から『もたもたするな』と言われてしまうことがあります。例えばATMで何度も同じところに戻ってしまったり、バスを降りるときに小銭をぱっと数えられなかったりして後ろの人を待たせてしまう……そんな状況に陥ってしまう人は決して少なくありません。」
「そういう言葉を発せられるとき、私たちも辛いですが当事者の人たちが一番辛いと思います。高次脳機能障害や失語症の人は言葉や行動に移せないだけで、知能が低下しているわけではない。つまり心ない言葉だって全て受け取り理解しているんです。『自分ができない』と分かっているのに、そんな言葉を言われることで、余計に傷ついている人も多いと思います。」
たとえ言葉に出さなくても、少し“マイペース”に行動している人を見ると、イライラしてしまう……そんな人も少なくないかもしれない。だけど、こういったことは今障害を持っている人だけに起こることではないという。
「これって『老い』と同じだと思うんです。たとえ今障害がなくても、高齢になると動きが遅くなって誰かを待たせてしまうことはあるかもしれない。年を取ったり突然事故に遭ったりすることで誰もが直面しうることであるからこそ、一人でも多くの人にこの障害を知ってもらいたい。心ない言葉や態度を見せる人が減ってほしいと思うんです。」
Zoomが使えるのは当たり前じゃない。コロナ禍で広がるデジタル格差
他にも活動の中で大変なことを尋ねると、西村さんと松嶋さんの口から出てきたのは「デジタル格差」という言葉だった。元々簡単ではなかったが、特にコロナ禍の中でオンライン中心の活動になってから、届けたい人に支援を届けることが難しくなったという。というのも、支援が必要な当事者の中にはネットリテラシーの高くはない人が多く、さらに個人差はあれど、脳の機能低下によって、デジタル機器の操作が困難な人も少なくないからだ。
「例えばイベントに参加したくても、申し込みに必要なフォームの入力に手こずる人がいます。フォームを送信する際に、セキュリティ保護のため、画面上に『ロボットではありませんか?』と出てきますが、チェックを付ける代わりに口で『違います』と答えてしまって、申し込みを完了できない人がいます。きっとお年寄りの中にも、同様にうまく使いこなせない人が沢山いる。デジタル化がさらに進む今、障がい者やお年寄りにとっても使いやすい、誰も取り残さないデジタル化が必要だと思うんです。」
これまでは公共施設などで、ネットの使い方を学ぶ講座なども開講されていたが、コロナ禍では多くが中止になり、学ぶ機会はかなり減少した。広がり続けるデジタル格差は、実は人々の機会へのアクセスだけでなく、心身の健康にも多大な影響を与えている。
「コロナ禍の中では、仕事があり働いている障がい者への負担も大きくなっています。仕事がリモートになり、人と会って話す、歩く、電車に乗るといった、これまで脳のトレーニングやリハビリになっていたことができなくなったからです。脳に障害がなくネットリテラシーがある人は、直接会えなくても、ビデオ電話をして誰かとつながりを感じられる。でもネットを使いこなせない人にとっては、それが難しい。体力や脳の機能低下と心理的な孤独感、その両方に直面しているんです。」
原動力は「感謝されること」
西村さんと松嶋さんのお話を聞けば聞くほど、脳損傷者に対する公的な支援は十分であると言い難いのが現状。誰かを傷つけるような言葉や広がるデジタル格差など、目の前には多くの課題が山積しているようだ。だが、そんな現実にも負けまいと精力的に活動を行っている西村さんと松嶋さん。その原動力は、一体どこから来ているのだろう。
「感謝される仕事だから、そして必要な活動だと思うから続けられています。Reジョブ大阪のスタッフはたった二人ですが(※1)、日々の活動には本当に沢山の当事者の人が関わってくださっています。自分一人でやれば早く済むような作業も、当事者の人にお願いしたり一緒に協力しながらやったり……そうすると、本人も周りの方たちもとても喜んでくれるんですよね。そういう貴重な機会をなくしちゃいけないなと感じています。マネタイズにはかなり苦労していますが、それでも感謝してくれる人がいるから続けられているんです。」
また、応援してくれる人の存在も大きいという。
「当事者やそのご家族の方が応援してくれることが大きいです。先日、活動に精力的にかかわってくださっている当事者の一人に、『松嶋さんのように、当事者やその家族、医療従事者でもない、当事者の友達がいるわけでもない人が活動してくれていることが本当に嬉しい。』と言われ、私も心から嬉しかったんです。この仕事に意味があると思ってくださっている人がたくさんいる。その人たちを仲間にして一緒に頑張っていきたいと思います。」
もっと当事者の人にとって生きやすい社会になるために
最後に、脳損傷者がより生きやすい社会をつくるために必要なことを伺うと、返って来たのは意外な言葉だった。それは「日本がもっと緩くなること」。
「全体的に今の日本ってせかせかしていて、余裕がない人が多い気がします。障害の有無にかかわらず辛い思いをしている人って結構いると思うんです。仕事に一生懸命になりすぎるあまり、少し体調が悪くても出社したり、ちょっと忘れ物やミスをしたらめちゃめちゃ怒られたり……はたまた、おばあちゃんがバスを降りるときに『早くしろ』と後ろから言われてバスに乗るのがいやになってしまったり。正直辛いなあ、生きにくいなあ……と感じている人もいるのではないでしょうか。」
「その生きづらさって障がい者にも言えると思うんです。脳に障害がある人の中には、ちょっと記憶力が悪くなって注意散漫になる人がいます。そういう人たちは今の社会から取りこぼされがち。だけど、障害の有無関係なく、今取りこぼされている人がいるということは、誰もがその立場になるかもしれないということ。そう考え、どんな人にも生きやすい社会をつくっていくことが必要だと思います。」
「年を取ったり病気になったり事故に遭ったりした途端、急に生きづらくなる社会って嫌じゃないですか。だから、みんなが一緒に肩の力を緩められたらいいんじゃないでしょうか。『一本くらい電車に乗り遅れてもいいや』って、イライラせずに待てる人が増えたら。――そしたら、みんながもっと生きやすくなると思うんです。」
編集後記
まだまだ課題が多いなあ……。お話を聞いた後に感じた筆者の率直な気持ちだ。それを伝えると、西村さんはこう言った。
「ほんと、課題だらけですよ。」
だけどその言い方は、落胆したふうでなければ希望を失っているようでもなかった。言葉を補って言い換えるとすれば、「課題だらけでまあまあ大変やけど、なんとかなるやろ」。直面している厳しい現実に打ちひしがれるのではなく、それを「吹き飛ばしてやろう」という、団体の根底にある強さとポジティブさが感じれられた。まさに“大阪のおばちゃん”のパワーを見せつけられたようだった。
そんな取材の中で印象的だった言葉がある。「ちょっとミスをしたときに『まあいいよ』って許してくれる社会になったら……みんなが『私はいつ老いてもいい』って思えるような社会になったら……それって、障害がない人にもある人にも生きやすい社会だと思うんです。」
見えない障害のことを多くの人に知ってもらうことも大事。だけど、そもそもこの社会が、みんなに生きやすい社会だったら、きっと障害のことを知らなくても、みんなが笑顔で生きられるのかもしれない。そう思った。
もう一つ印象的だったのが、自身の体験談をもとに松嶋さんが話してくださったこと。「この間、健康診断の日を一か月間違えて病院に行ってしまったんです。こういうちょっとしたミスって笑い話に変えられることもあるけど、同じミスを脳損傷者の人がしても笑い話にはならないんです。」
正面にそびえる多くの山々を超えて、届けたい人に支援が届きますように。誰でもミスを笑い話に変えられる日本になりますように――。
※ Reジョブ大阪は、4月25日(失語症の日)に向けて本を出版するためのクラウドファンディングに3月12日から挑戦中。興味を持った方はサイトを覗いてみてはいかがだろうか。
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