※この記事は、著者・Shalinee Kumari氏によって2025年6月13日にDialogue Earthで公開されたもので、 Creative Commons BY NC NDのライセンスのもと、Dialogue Earthの許可を得てIDEAS FOR GOOD向けに翻訳・一部編集したものです。
標高5,000メートルを超える地点に、仏教僧、ネパールのランタン渓谷の住民、そして科学者たちが、特別な儀式のために集まった。首都カトマンズの北、ヒマラヤの高地で、科学と信仰が交わり、ヤラ氷河を称えた。ヤラ氷河は、ネパールで最初に「死んだ」と宣言される氷河のひとつとなる見込みなのだ。
アイスランドのオク氷河やアメリカ北西部のアンダーソン氷河は、10年前に元の大きさの10%以下に縮小したことで「死んだ」と宣言された氷河であり、ヤラ氷河がその仲間入りをすることになる。
これまでも氷河への追悼は行われてきた。しかしヤラへの追悼は、霊的かつ伝統的な儀式を通じて行われた点で異なっていた。ICIMOD(国際総合山岳開発センター)によって主催されたプジャ(敬意を表する儀式)では、仏教のマントラが唱えられ、インド、パキスタン、ネパール、中国の氷河学者たちも参加したのだ。

儀式当日の様子(Dialogue Earthの許可のもと追加)|Photo: Jitendra Raj Bajracharya/ICIMOD, Changes made with Dialogue Earth’s permission
ICIMODによると、ヤラ氷河は1970年代に初めて測定されて以来、66%縮小し、784メートル後退した。カトマンズから近いという地理的利点を活かして、科学者たちは長年にわたりヤラ氷河を訪れ、地域の氷圏研究を前進させてきた。2011年以降、インド、ネパール、中国、アフガニスタン、パキスタンから約100人の若手研究者が、ヤラ氷河で氷河学の訓練を受けている。
ヤラ氷河は長期にわたる科学的研究と、それによって蓄積されたデータ群により、この地域の「基準氷河」としての役割を担っている。現地での継続的な観測は、ヒマラヤ氷河の健康状態を追跡するうえで極めて重要である。
ICIMODの氷圏研究助手であるスンウィ・マスキー氏にとって、ヤラは2017年に研究のために初めて足を踏み入れた氷河だった。6年後に再訪した際、マスキー氏は劇的な変化を目の当たりにした。「以前は氷河の末端まで歩いて行き、そこでキャンプを設営してから氷河に乗って歩き出せたんです」と彼女は回想する。「でも2023年には、以前キャンプを張った場所がはるかに後退していて、そこから氷河に上るためによじ登らなければならなかったんです。簡単ではありませんでした」
彼女はこう付け加える。「こうした変化を目の当たりにして……もしかすると10年以内に、ヤラはもう見られなくなるかもしれないと気付かされました」
ヤラ氷河の文化的意義
ヤラ氷河は科学者たちだけでなく、ランタン渓谷の地域コミュニティにとっても重要な存在である。ランタン渓谷のキャンジン・ゴンパ村でゲストハウスを営む60歳のカルマ・タマン・ラマ氏はこう語る。「うちのヤク(ウシ科の動物)たちはヤラから流れる水を飲み、ヤラの周りに生える草を食べているんです」。彼は地域でよく知られているチベット語のことわざを口にした。「Gangri korni mayong, Gangchu thungni yongsong」──「ヒマラヤに行くことはできなかったけど、その水を飲むチャンスはあった」
彼にとって、このプジャ(敬意を表する儀式)に参加することは不思議でありながらも喜ばしい経験だったという。ヒマラヤ地域の人々は山々に祈りを捧げてきたが、これほど高所にまで登って祈ることは稀だった。「氷河や氷河から流れる川の近くで、こんなふうにプジャをすることはできていませんでした。このプジャを通じて、ヒマラヤの神々や私たちを守ってくれている守護神に祈りを捧げることができました」とラマ氏は語る。「そのおかげで、これから先、悪いことが起きないという希望を感じました」

1996年8月に撮影されたヤラ氷河|Image by Koji Fujita, via ICIMOD

2022年11月に撮影されたヤラ氷河|Image via Sharad Joshi/ICIMOD
この追悼は、科学的知見と地域住民の暮らしの実感を交えた対話を促すことで、科学者と地域コミュニティのあいだにあったコミュニケーションの隔たりを埋める助けにもなった。これまでICIMODの科学者たちにとってヤラへの訪問は、もっぱら科学的調査のために限られていた。しかし今回は、科学を称えると同時に、氷河の消失に敬意を表し、地域の人々を招いてこの場を分かち合いたいと考えたのだった。
会話の中で、地域コミュニティと科学者たちは、それぞれ異なるアプローチで山を守ろうとする共通の関心を表明し、互いに耳を傾けた。ランタン渓谷の地域コミュニティにとって、山は神であり、伝統的な慣習では氷河は神聖な存在とされている。彼らは、季節的放牧や周辺生態系の保全といった持続可能な暮らしを通じて、山への影響を最小限に抑えようとしており、それが敬意の表れでもある。彼らの信仰と精神性は、独自の自然保護のあり方を示しているのだ。
ICIMODの氷圏研究助手・マスキー氏によれば、地域の人々は、科学者がこの地域を訪れているのを見たことはあったが、彼らが氷河の近くで何をしているのかまでは完全には理解していなかったという。今回の会合がその説明の機会となった。「コミュニケーションのギャップがありました。調査をしているときに、私たちが氷河の周囲に穴を開けていると思っていたのです」と彼女は語る。科学者たちは今後も、氷河との関わりの目的を地域の人々に伝え続ける必要があるとマスキー氏は付け加え、それがこうした活動の重要性を理解してもらい、誤解を減らす助けになると述べた。
マスキー氏によれば、もう一つの課題は言語の壁である。地域の人々は主にネパール語とチベット語を話すが、ICIMODの国際チームの多くはこれらの言語を話せない。そのため、地域の人々と氷河について話し合うのが難しかったが、今回の儀式では通訳が同行していた。
マスキー氏は、今回の追悼儀式を行うことが、氷河後退に関する情報に対する「ニュース疲れ」が広がる中で、氷河の現状に対する意識を喚起するうえで非常に重要だったと語る。加えて、科学者は氷河について語る際、数値や客観的なデータを用いることが多く、雪氷学の専門用語に馴染みのない地域社会にはそれが響かないこともあるという。
このような追悼は、氷河を失うことの意味を視覚的かつ感情的に訴える強い手段となる。科学者たちは地域の人々を氷河のふもとまで連れて行き、彼らが初めて間近で氷河を見る機会を作り、共に思いを分かち合い、追悼する時間を共有したのだった。
しかし、マスキー氏はこのような追悼は節度を持って行うべきだと警鐘を鳴らす。「すべての氷河にこうした追悼を行うようになれば、かえってパニックを引き起こしてしまう可能性があります。それは私たちの望むことではありません」と彼女は言い、すべての後退する氷河に対して儀式を行えば、「氷河が死んでいくこと」が当たり前のように受け止められてしまう危険もあると付け加えた。
ヒンドゥークシュ・ヒマラヤの未調査の氷河たち
通称「第三の極」と呼ばれるヒンドゥークシュ・ヒマラヤ(HKH)地域には、南極・北極を除けば世界最大の氷量が存在する。この地域の氷河は、ガンジス川、ブラマプトラ川、インダス川を含むアジアの主要10河川を支え、アジア全体でおよそ20億人の水需要を支えている。にもかかわらず、この重要な地域は地球全体の平均よりも早い速度で温暖化が進んでいる。ICIMODの2023年の研究によれば、HKH地域の氷河は2010年から2019年の10年間で、その前の10年間と比べて65%も早く氷を失っていることが示された。
「地球温暖化について語るとき、ヒマラヤの氷河は非常に過小評価されています。南極やグリーンランドの氷床については話題になりますが、氷河が多く存在するヒマラヤ地域についてはほとんど語られません」とマスキー氏は語る。「それは、この地域で具体的な経験を持つ人が非常に少なく、この話題について語る人もほとんどいないためかもしれません」
マスキー氏は、ヒマラヤの氷河に関する研究が不足している理由をいくつか挙げている。この地域は人里離れた険しい地形であり、予測不能で厳しい気象条件が調査を極めて困難にしている。また、インフラが乏しいため、機材の運搬、キャンプの設営、研究者の安全確保が難しく、費用もかさむ。地域レベルでの専門知識や資金の欠如がそれに拍車をかけている。さらに、“きれいな”谷氷河から堆積物に覆われた氷河まで形態が多様であることが、先進的なモニタリング機器へのアクセスの難しさとあいまって、データ収集と解釈を複雑にしているのだ。

2021年11月に現地視察を行ったヤラ氷河の研究者ら|Image by ICIMOD, via Dialogue Earth
しかし、氷河の後退は単発的な出来事ではない。氷がこれらの地域から消えるにつれ、地域社会は水資源の減少、氷河湖決壊洪水(GLOF)の頻発、農業や水力発電への影響といった水関連のリスクに直面している。マスキー氏は、実際に影響を受けている地域社会を支援するために、適応的で持続可能な意思決定が急務であると強調。ラマ氏は「気候変動の影響で、氷河が溶けています。現在、多くの土砂崩れや氷河関連の災害が起きていて、それがとても心配です」と語る。「私たちは予防と、氷河の融解を遅らせることに集中する必要があります」
厳しい生態系への影響とともに、キャンジン・ゴンパ地域に根付く文化的伝統にも大きな脅威が迫っている。何十年も前、ランタン渓谷のツェルゴ・リ山を地域の女性たちが宗教祭の一環として訪れたとき、雪や氷、連なる山々の景色を目にすることができた。しかし、今日では同じ巡礼に出ても「氷はもう見えませんし、多くの山並みも消えてしまった」とラマ氏は語る。「あんな風にむき出しになった丘や尾根を見ると、本当に悲しくなります」
ラマ氏はヤラについてDialogue Earthに語りながら、チベットの詠唱を紹介した。「Chuni, Chuni rang zhim bey, Yala gangu yinna zhimbey」──「水は確かに甘いが、ヤラから流れる氷河の水はさらに甘い」。
マスキー氏は、現在の氷河の後退とさらなる温暖化に向かう世界の状況は厳しいとしながらも、若い科学者として楽観的な姿勢を持っており、ヒマラヤ氷河に関するICIMODの取り組みが世界中に届くことを願っている。「悲しいことは確かですが、だからといって氷河の研究をやめるべきではありません。私が氷河の研究をやめてしまえば、それはすなわち希望の終わりでもありますよね?」
専門家によれば、氷河が自重で動けなくなるほど薄くなったとき、それは「死んだ」と見なされる。マスキー氏は、ヤラはまだ死んではおらず、今も観測は続いていると強調する。しかし、この儀式は、ヒンドゥークシュ・ヒマラヤ地域およびそれ以外の多くの氷河が気候変動の中でいかに脆弱であるかを痛烈に思い出させるものだ。
ICIMODは、2040年代にはヤラが完全に消滅している可能性があると指摘する。だが今もヤラ氷河の麓には、作家マンジュシュリー・タパによる英語・ネパール語・チベット語の言葉が花崗岩に刻まれて残されており、それは訪れる者にヤラの広大さと包容力を思い起こさせている。
ヤラ、そこは神々が高山で夢を見る場所、冷気が神聖なる地。岩や堆積物、雪の中に、氷と大地が砕ける中に、空の色をした融雪の水たまりの中に、生命の夢がある。夢を見よ。氷河の夢を、そしてその下流にある文明の夢を。全体の生態系──それは私たち自身の糧。宇宙。私たちの知るすべて、そして愛するすべて。
メディア紹介:Dialogue Earth
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URL: https://dialogue.earth/en/
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Edited by Natsuki