「スロー・ルッキング」というレンズから、世界を理解し直すことのすすめ

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昨日のことを思い出してほしい。立ち止まって足元の何かを眺めたり、空を漂い流れゆく雲を見続けたり、風の音に耳をすましたりした時間は、あっただろうか。

「デジタルデトックスをしよう」とか「身近な自然を慈しもう」と伝えたいのではない。社会と「時間」の交わりについて、批判的に捉えてみることへの誘いである。

現代社会において、効率やスピードは至上命題だ。止まることは「時間の無駄」と切り捨てられ、忙しない日々で「時間がない」と嘆いている。しかし、こうした短期的な速さの偏重が、一人ひとりの心身や他者への理解を浅くとどめているのではないか。

そんな違和感への真っ向からのカウンターとして注目され始めているのが、スロー・ルッキングという実践だ。ハーバード大学研究員のシャリー・ティシュマン氏の著書『スロー・ルッキング:よく見るためのレッスン』(訳:北垣 憲仁, 新藤 浩伸)を軸に、これが何を意味し、どんな場面で実践され、その広がりが現代に何を暗示するのかを思索していく。

スロー・ルッキングとは、繋がりを築くこと

スロー・ルッキングは、その名の通り「時間をかけて見ること」である。だが、それだけではない。もとは美術分野の言葉であり、作品をじっくりと観察することで自らとの繋がりや意味を創造するための実践とも捉えられてきた。

例えば、英テート・ギャラリーは、スロー・ルッキングを次のように定義する。

美術館やギャラリーを訪れると、時に圧倒されるように感じることがあります。展示作品がとても多いため、すべて見ようとすると時間との戦いのように感じられるかもしれません。調査によると、来館者は作品1点あたり平均8秒しか見ていないことが分かっています。

しかし、5分、15分、1時間、あるいは午後いっぱいかけて、じっくりと美術作品を鑑賞するとどうなるでしょうか?これが『スロー・ルッキング』です。(中略)じっくり鑑賞することは、学芸員や歴史家、アーティストが、美術をどう見るべきかを指示することではありません。あなたと作品が向き合い、自身で発見をし、作品とのより個人的な繋がりを築くための時間を与えることなのです。

Image via Shutterstock

一方、米MoMAはこう定義する。

スロー・ルッキングは、アートを新たな視点で見つめ、自分自身と向き合うことを助けてくれます。それは、五感をフルに活用して、アートを可能な限り深く体験するための誘い。スロー・ルッキングは、観察力、処理力、思考力、共感力、そして個人的な意味を創造する能力を磨くためのアプローチであり実践なのです。

これらは、観察の対象をアート作品であることを前提としている。しかし、その範囲は机の上にあるペンにも道ばたで見つける草花にも、広げることが可能なはずだ。そんなスロー・ルッキングの「学びの方法」としての可能性に光を投じた一人がシャリー氏だった。

学びのレンズとしての「スロー・ルッキング」

「一般的な教育は、ゆっくり見ることを重視しない傾向にある」と、シャリー氏は指摘する(※1)。批判的で深く「考えること」を教育全体で重視する一方、そのために必要なはずの「見ること」は美術や理科の授業に限定されがちであるという。日本の公教育を受けてきた人は、正解も目的もなくただ世界を眺めることが良しとされる時間が、多くはなかったことを思い出すかもしれない。

では、スロー・ルッキングを学びの軸に据えるとどんな可能性が開かれるのだろうか。

同氏が教育におけるスローの実践として著書で語ったのが、Out of Eden Learnという取り組みだ(現在はOpen the Canopyと呼ばれる)。ハーバード・教育学大学院が運営する教育プログラムで、次の3つの変化を誘うことを目指し、3〜19歳を対象とした教材やオンラインツールを無償で提供している。

  1. ゆっくりと世界を注意深く観察し、他者の話に耳を傾けること
  2. 物語や視点を共有すること
  3. 他の人々や彼らの人生経験、そして日常生活にあるモノや体験と、より大きな地球規模の力・物語・システムとの繋がりを築くこと

したがって、彼らが提供するカリキュラムには共通して、近所を散歩しながら観察したり、日常的に使うモノをじっくり観察したりして、世界と自分自身、世界と社会の繋がりを捉え直す時間が組み込まれている。

このスロー・ルッキングを実践した子どもたちは、驚くほど集中して取り組み、喜びや驚きに満ちた発見を語ってくれるのだという。ある幼稚園児はいつも遊んでいる公園で小さな植物が芽を出していることを知って喜び、ある学生は学校の屋上からいつもと全く違う景色が広がることに驚いて哲学的に分析し、ある学生はスマホがポケットにあまりにもぴったりなサイズであることにハッとする──こうした新たな視点を得ることや細部に気づくことは、スローな学びの特徴である(※2)

これらは、現代の主な教育の現場で獲得しようとしている学びと、大いに通ずるだろう。異なるのは、多くの学びの場でスキップされがちな「スローな観察」という過程なのだ。

スロー・ルッキングを支えに、子どもたちは、既存の道筋や正解をなぞるのではなく、自らの眼差しで世界との接続点を見い出し、自律的に意味を紡ぎ出している。これは子どもに限らず、現代社会で多くの人が取り戻したいと願う身体的なスキルであるはずだ。

意外な形で現れた、現代の「スロー・ルッキング」的実践

美術・芸術分野で語られ、教育分野に広がるスロー・ルッキングという考え方。実は、これが意外なシーンで(意図せずして)実践されていることに気づいた。

それが、2025年末頃からInstagramで増えている「カラーハント(color hunt)」という投稿スタイル。カメラを手に、地元で、旅行先で、街へ繰り出しテーマカラーに沿った風景を撮影し、同系色の写真を一つの画面に並べて投稿するのだ。実際に「#colorhunt」と検索すると世界各地の街並みを切り取った色鮮やかな投稿が多く並ぶ。

一つの色というレンズを通して街を歩くと、いつもは見過ごしていたひっそりとした路地裏やポツンと置かれた鉢植えが、突如として鮮明な意味を持つようになる。そのきっかけは短期的な「映え」かもしれないが、色を手がかりに世界を再発見することに人々の心が動いているのは確かだろう。

 

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面白いことに、これはSNSに投稿することを除けば、いつもと違う姿勢(切り取り方)で周りを観察し写真に収めることは、まさにOut of Eden Learnの参加者が経験する「ゆっくり観察すること」と同じだ。さらに実は、Out of Eden Learnでも観察のツールとしてカメラを持って散歩してもらうことがある(※3)

意図せぬ形で、世界各地で人々がスロー・ルッキングを経験し、その愉しさを共有し始めているようだ。

大切なことは「時間」の手綱を握っていること

スロー・ルッキングは「日常生活をゆっくりにしよう」という呼びかけではない。情報を、社会を、自然を「消費」しすぎている現代に対する警鐘である。

そして五感で受け取る“何か”と向き合い、咀嚼し、自らの視点で正解のない意味を創造するための技術のことでもある。つまり時間をかけて観察することは、誰でも始められる一方で、自らの感覚を訓練してこそ身につくものだ。

今まで摩擦なく通り過ぎていた情報を、こうして一つひとつ受け取り理解しようと五感を覚ますことは、体力を必要とするだろう。それでも、ほどよい疲労感は、効率やスピード偏重の流れに抗って「時間」の手綱を握るからこそ実感できる。

その先で、見慣れたはずの情景が、これまで想像もしなかった豊かさや深さ、意味を伴って立ち現れるはずだ。

※1 シャリー・ティシュマン『スロー・ルッキング:よく見るためのレッスン』(北垣 憲仁・新藤 浩伸訳、東京大学出版会、2023年)10-11頁.
※2 同上、46-65頁.
※3 同上、54頁.

【参考文献】シャリー・ティシュマン(2025)『スロー・ルッキング:よく見るためのレッスン』東京大学出版(訳:北垣 憲仁・新藤 浩伸)(原著:Shari Tishman, Slow Looking: The Art and Practice of Learning Through Observation, Routledge, 2017)
【参照サイト】How to appreciate art slowly – and why doing so is good for you|Positive News
【参照サイト】スロー・ルッキング(冊子版)|東京大学出版
【参照サイト】11.21 The Practice of Slow Looking 「ゆっくり見る」という学びの実践|東京大学
【参照サイト】Most viral photography trends are short-lived, but I finally found one that could actually make you a better photographer: Color hunting|Digital Camera World
【参照サイト】推し色みっけ「カラーハント」 街を歩き、看板や標識を撮影・投稿|日本経済新聞
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