多死社会における幸福論。富山県上市町と矢野和男さんから学ぶ、「終わり」から考える幸せ【後編】

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Sponsored by 富山県上市町

現在の高齢化社会、そしてこれから訪れる「多死社会」で、私たちが「幸せに」生きていくには、何が必要なのか。前編では、地域に密着した包括的なケアを行う富山県上市町の医療従事者から、町や病院の実践を通して考える「暮らしていて幸せな地域」について話を聞いた。そこでは、地域に訪れるなんらかの「終わり」や人の人生の終わりである「死」を丁寧に受け入れていくことで、地域全体にお互いがケアし合うケアマインドが生まれ、結果的に地域の幸福度をあげているのではないか、という仮説を得た。

多死社会における幸福論。富山県上市町と矢野和男さんから学ぶ、「終わり」から考える幸せ【前編】

「死」と幸福の関係を科学的に探る

では、これを『科学の視点』で分析すると、何が見えてくるのだろうか。

「『死』は、極めて大事な問題ですよね。近年、友人や知人を亡くすなかで、若い頃に比べ、死は身近になってきています。私も今年で64歳になり、フィジカルには確実に『死』に近づいている。男性の平均寿命が80歳前後だと考えると、あと15年ぐらいしかないわけです。そうしたなかで、身近な人の人生が『終わった』ということには非常に感化されますし、『死』が自分の幸福に影響していると感じています」

長年にわたり幸福を研究する科学者・矢野和男さんは、「死と幸福の関係」についてこう語る。後編では、前編で見てきた上市町の実践も振り返りながら、科学やデータによって証明されている「幸福に生きるための秘訣」について矢野和男さんに話を伺い、「多死社会」での幸福とは何かをさらに深掘りしていく。

話者プロフィール:矢野和男(やの・かずお)

矢野和男さん株式会社日立製作所フェロー、株式会社ハピネスプラネット代表取締役CEO。山形県酒田市出身。1984年早稲田大学修士卒。日立製作所入社。論文被引用件数は4500件、特許出願350件を越える。20年にわたる半導体の研究から転身し、「人を幸せで生産的にしたい」という思いで人を幸せにするテクノロジーの研究を世界に先駆けて開始。2020年に株式会社ハピネスプラネットを設立。 10兆個もの行動データを分析することで、幸せな組織が持つ四つの特徴「FINE」や「三角形のつながり」が幸せで生産的な組織の普遍的な特徴であることを解明。これに関する論文は22年6月、著名な科学誌『Nature/Scientific Reports』に掲載された。ウエルビーイングのテクノロジーに関するパイオニア的な研究により、世界最大の学会である米国IEEEから最高位の賞の一つ2020 IEEE Frederik Phillips Awardを受賞。博士(工学)、IEEE Fellow、東京工業大学情報理工学院特定教授。

人間にとって最も幸せな状態は、「何かに集中している」とき

矢野さんは、日立製作所で20年近く半導体研究者として活躍したのち、同社の半導体事業からの撤退、そしてポジティブ心理学との出会いをきっかけに、2006年頃からデータとAIを活用した幸福の研究を始める。そこから約15年を経て、これまで「曖昧」なものとして捉えられてきた人間の幸福を、ウェアラブルデバイスから収集した膨大な生体データを元に「計測可能」にしたことで、今まさに世界から大きな注目を集めている。

その矢野さんから取材冒頭で問いかけられたのが、「人間にとって一番不幸な状態って、何だと思いますか?」というものだ。人間にとって不幸な状態──人間関係がうまくいかない状態や、孤独な状態だろうか。しかし、矢野さんの答えは違った。

「それは、『注意がさまよっている』状態です。例えば、今こうしてインタビューを受けているにもかかわらず、次の会議のことを考えている、というように。この状態を『マインドワンダリング(mind wondering)』とも呼びます。

では、その反対は何でしょうか。それは、『意識が今ここに集中している』という状態ですよね。これを『エンゲージメント』や『マインドフルネス』と呼び、これが人間にとって最も「幸福」な状態なのです。これは幸福研究の中核とも言えるポイントです。幸福にはさまざまな定義があるようですが、その答えは実はとてもシンプルなのです」

矢野さんが語るのは、幸福研究の第一人者とも言える心理学者ミハイ・チクセントミハイ氏が1970年代に提唱した「フロー理論」に近いものでもある。アスリートや芸術家などはこの「時間や自我の感覚も忘れて、物事に没頭している状態=フロー状態」を経験する人が多いことで知られているが、フローはそうした一部の人のみが経験できる「魔法のような状態」ではない。むしろ、程度の差はあれ全ての人が経験できるとされており、人間が持続的で本質的な幸福を得るために最も重要なことなのだという。

矢野和男さん

矢野和男さん

実は人生に幸福をもたらす、「締め切り」の効果

では、人間はどのようなときに「マインドワンダリング」の状態に陥り、どうすればその逆の「注意が定まった」状態に入ることができるのか。矢野さんは、マインドワンダリングに陥ってしまう最大の原因は、「フィードバックを得られないこと」だという。

「何か行動を起こし、それに対するフィードバックが得られると、自らの注意を次に向けることができます。そうすると、どんどん熱が入ってきて、夢中になれる。そうすると楽しくなってきて、成長実感にもつながります」

フィードバックというと、一般的には、自分の行動に対する自分ではない誰かからの指摘や評価のことを指す。だが、ここで矢野さんの言うフィードバックとは、自分自身で、自分の行動の結果を認識したり評価したりすることも含む。

「例えば、多くの人は、『お金』や『誰かに喜んでもらうこと』が仕事の報酬になると考えますが、幸福度が高い人たちは『仕事』そのものを報酬としています。行動してみたらそれに対するフィードバックが起こり、次の半歩、一歩が見えてくる。それがまた次の新たな挑戦につながっていく。この『仮説検証のプロセス』そのものが楽しいという感覚が、持続的な幸福につながっているのです」

こうした人々の特徴を、チクセントミハイ氏は「オートテリックパーソナリティ(自己目的的パーソナリティ)」と名付け、彼らが総じて高い幸福度を保っていることを実験により証明した。

矢野さんは、こうした幸福な状態に至るための方法のひとつとして「締め切り」が効果的だという。

「『締め切り』には、このフィードバックを自然と生み出す効果があります。締め切りがあると、毎日、だんだんとそこに向けての時間が少なくなっていく。そして、『今日は締め切りまでにふさわしい前進ができたか?』というフィードバックが、他人から何も与えられなくても自然とできるからです。そうすると、人は自然と意識が定まり、集中できるようになる。これは、最高の幸せではないでしょうか。ですから、本来私たちはもっと締め切りを愛すべきものなのですよ(笑)」

砂時計

Image via Shutterstock

締め切りを意識することは、あることに対する「終わり」を意識することとも言える。ここで矢野さんは、人生の終わり──つまり『死』について意識することも、自分にとっては同じ効果を生むのだと語る。

「こう考えると、『死』は最高のフィードバックと言えます。人は必ず、いつかは死にます。それがいつなのかは、誰にもわからない。ですから、『今日も一日死に近づいた』という事実は、最高のフィードバックですよね。私のようにおおよそあと15年しかないと思ったら、そのうちの1日に対して、『今日は本当にやるべきことをやったか』と考えるようになるため、1日1日が最高のフィードバックなのです。ですから、歳をとって死が身近になることは最高の幸せだと思いますし、自分は歳をとるごとに幸せになっている、とさえ感じるのです」

矢野和男さん

「ほどよい」締切や目標が、自己学習サイクルをつくる

「締め切り」や「死」といった、ネガティブに捉えられがちな言葉と幸福を結びつけて考えられる人は、そう多くはないだろう。だが、矢野さんの一連の解説を聞いていると、この考え方は非常に腑に落ちる。

一方で大事なのは、締め切りや目標が『ほどよい程度』であることだと矢野さんは続ける。

「締め切りや目標が『絶対にこんなのできない!』と感じるような高いレベルになると、人は『不安』という状態に陥り、逆に挑戦できなくなってしまいます。一方で、簡単すぎたり楽にできたりしてしまうと、それはそれで『退屈』という状態に陥ってしまいますから、これもいけません。

ですから、『背伸びしてやっと届くくらい』の適度な締め切りや挑戦がある状況に、常に自分を持っていくこと。目標が高すぎたり低すぎたりしたら、『ちょうどいいところ』に調整できること。これが、幸福になるためのスキルであると言えます」

ミハイ・チクセントミハイのフローモデルによるメンタルステート図。チャレンジレベルとスキルレベルの二軸で表される。Csikszentmihalyi, M., Finding Flow, 1997.

ミハイ・チクセントミハイのフローモデルによるメンタルステート図。チャレンジレベルとスキルレベルの二軸で表される。 Csikszentmihalyi, M., Finding Flow, 1997.

ここで、かみいち総合病院の取り組みを振り返ってみよう。ネガティブな評判を受けて、地域に寄り添う医療に転換したこと。トラブルに向き合いながら、その度に改善方法を考えて継続してきた在宅看取り。苦渋の決断を乗り越えて、新しい形で始めた産後ケア。

この全ては、純粋に「住民にとって幸せな地域」を作るために行ってきたことは間違いないだろう。実際に川岸さんは、「町の人たちの感謝の声が、看護師のモチベーションにもつながっている」と話していた。だが矢野さんは、かみいち総合病院のそんな姿を、こう分析する。

「かみいち総合病院の人たちは、『上市町の医療の仕組みをゼロから作る』ことに常に挑戦してきたわけですよね。何か新しいことをやってみて、住民からのフィードバックをもらう。そしてそのフィードバックを受けて、さらに良い方法を見出している。まさにこのプロセスこそが、病院の人たちの『幸福度の高さ』につながっているのではないでしょうか」

自己を犠牲にしてでも、誰かの幸せのために尽くす。ともするとそんな風にも見えるかみいち総合病院の人々だが、実はそれをしている彼ら自身が、一番幸福になっている──それは、「住民のために」と積極的に出前講座を開催する区長たちや、暮らしの改善に向けて町を走り回る上市町役場の職員たちも同じかもしれない。

縮小していく社会で大事なことは、「ほどよい挑戦を続けられる個人」になるための環境づくり

そう考えると、本記事の大きな問いである「縮小していく社会で幸せに生きるには?」の答えは、「縮小していくからこその課題を幸福になるためのチャンスと捉え、ほどよい挑戦を続けられる個人になること」だと言えるのではないか。さらには、「そうした個人の挑戦をお互いにサポートし合い、刺激し合える環境や社会を作ること」がこれからの時代に何よりも必要なのではないだろうか。

矢野さんはこうした環境を作るため、業務に必要な連絡のみになりがちな職場で、従業員同士が応援し合ったり日々の行動の改善に役立てられたりするコミュニケーションを促進するアプリ「ハピネスプラネット」を作り、2018年から実証実験を続けている。

「当然ですが、人それぞれにスタートポイントは違います。ですから、標準化して『みんなが同じようにやらなきゃ』と思う必要はありません。ある人にとっては不安なことが、他の人にとってはとても退屈かもしれませんし、その逆も然りです。人それぞれ構成要素は違うし、同じ人ですら今日と明日では違うものです。

ですから、そうした多様性を受け入れ、お互いが適度な挑戦をできるようにサポートし合える仕組みや、刺激を受けあえるコミュニティを作っていくこと。これが、組織や地域にとって、今後ますます重要になっていくのではないでしょうか」

「自分自身は、人間の“良い面”を引き出すテクノロジーの使い方を、これからも研究していきたい」──矢野さんは、取材の最後にこう語ってくれた。

矢野和男さん

編集後記

「この病院はまだ、町の人の生活に溶け込んでいるとは言えないと思っています。病院をもっと地域に開きたいし、自分たちが町の中に入っていきたい。町の人たちの生活に寄り添い支えるような病院の役割が、まだまだあると思っています」

上市町での取材の最後に、佐藤先生はこう話していた。すでに十分にも見えるかみいち総合病院の歩みは、これからも止まることはない。そして、いずれ訪れるであろういくつもの「終わり」にも、ひとつひとつ丁寧に向き合いながら、また新しい“何か”につなげていくのだろう。

人間の力ではどうすることもできない「終わり」や「死」は、確かに存在する。だが、それに抗おうとするのではなく、真正面から受け入れることはできる。そのうえでどう感じ行動していくのかも、選ぶことができる。

そんな「誰か任せではない」幸福への道筋を知っていれば、どれだけ高齢化社会が進もうとも、その後にどんな多死社会が訪れようとも、恐れずに生きていけるのではないか。今回の取材から得たのは、そんな希望に満ちた確信だった。

上市町の企業版ふるさと納税について

富山県上市町では、これから訪れる多死社会と向き合うため、医療とコミュニティが相互に作用する、先進的な地域医療モデルの実現を目指しています。こうした取り組みに賛同し、医療、ウェルネス、高齢者、子育て支援などの分野で協働できる企業さまを募集しています。詳細は以下のURLよりご覧ください。
上市町「ふるさと応援寄附金」(ふるさと納税)のご案内(公式サイト)
詳細資料:コミュニテイ・ホスピタル事業について(PDF)

【参照サイト】日立の人:職場を幸せにするアプリ「ハピネスプラネット」 研究者の飽くなき挑戦
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