デジタル化は人を幸せにするか?デジタル先進国エストニアに学ぶ、ビジョンと信頼の大切さ

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日本において「デジタル手続法」が2019年5月に成立し、行政デジタル化の動きが進んでいることをご存じだろうか。国の行政機関での行政手続きが原則インターネットで受け付けられるようになり、引っ越しや相続といった手続きがインターネット上で完結できるようになる。狙いは、国民である私たちがより便利に行政サービスを受けられるようにするとともに、行政の運営をより効率的にできるようにすることである。

紙の使用が減ることでの環境負荷削減、人口減少社会での行政機能維持、外国人にとっても使い勝手のよいサービスになること等の効果も期待されるが、日本の行政デジタル化は世界各国からすでに大きく遅れている。電子申請の認証に使われることになる「マイナンバーカード」が約13%しか普及していない、地方公共団体のデジタル化が努力義務にとどまるなど課題も大きい。

一方、行政デジタル化で世界の最先端を行くのが、1990年代からデジタル化を推し進めてきたエストニア。エストニアではすべての成人した国民がIDカードを持ち、婚姻・離婚・不動産売却の手続きを除くすべての公共サービスを24時間365日いつでもインターネットで利用できる。日本の行政デジタル化が進められていく中で、エストニアの事例から学べることはないか。エストニアの人たちがデジタル社会で感じているメリット・デメリットはどのようなことか。東京で行われたフォーラム登壇のために来日したエストニアの非営利シンクタンクe-Governance Academy 戦略・開発担当副ディレクター ハネス・アストク氏と、三菱UFJリサーチ&コンサルティング 南雲岳彦氏に対談形式で話を伺った。

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東京タワーを望む会議室で対談インタビューを行った。右がアストク氏、左が南雲氏。

話し手:ハネス・アストク氏

e-Governance Academy 戦略・開発担当副ディレクター。エストニアにおけるデジタル化の知識とベストプラクティスを世界に広げる活動を行っている。

聞き手:南雲 岳彦氏

三菱UFJリサーチ&コンサルティング 常務執行役員。京都大学経営管理大学院客員教授、国際大学GLOCOM上席客員研究員、タリン工科大学e-Governance Technology Labフェロー。デジタル・ガバメント、スマートシティ領域における国内外の機関、企業等とのアライアンスやコンサルティング等を手掛ける。

貧しい小国から一気にデジタル先進国へ

南雲氏:最初に、エストニアがデジタル先進国となった経緯をお聞かせください。

アストク氏:エストニアが行政のデジタル化に着手したのは1990年代にさかのぼります。1991年のソ連崩壊による独立後、エストニアは国家のシステムをゼロから作り直さなければなりませんでした。当時は国家全体が非常に貧しく、人口も少なく、石油やガスなどの資源もありませんでした。1990年代はパソコンやインターネットが飛躍的に発展した時代であり、デジタル化によって、公共サービスの時間やコストを効率化できることがわかっていました。そこで政府が主導して情報のデジタル化を推進したのです。

同時に、国民一人ひとりに固有のIDを付与しました。2002年からは、成人したエストニア国民はICチップ付きのIDカードの所有が義務付けられるようになりました。こうして強力なデータベースとID情報が整ったことで、ほとんどの行政サービスをインターネット上でデジタル化して提供できるようになりました。現在ではIDカードだけでなく、SIMカードもしくはアプリを利用してスマートフォンで電子認証ができるようになっています。

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エストニアではIDチップ付きのIDカードもしくはスマートフォンに挿入する特別なSIMカードもしくはアプリを使って、インターネット上でほとんどの行政サービスを利用できる。

デジタル化はあくまで手段。大切なのは国としてのビジョン

南雲氏:日本政府は「Society5.0」と称し、Society1.0(狩猟社会)、Society2.0(農耕社会)、Society3.0(工業社会)、Society4.0(情報社会)に次ぐSociety5.0(超スマート社会)に向け、デジタル化を推進しようとしています。2019年5月には「デジタル手続法」が成立しました。政府がデジタル化を推し進めようとする一方で、国全体ではデジタル化の機運が高まっているとはいえません。行政のデジタル化を推進する上で、欠かせないものは何でしょうか?

アストク氏:デジタル化はあくまで手段であって、欠かせないのは「どのような国が理想なのか」というビジョンです。

政府が示すべきビジョンの一つ目は、「デジタル化のメリットを行政がどのように活用するのか」ということです。行政デジタル化で扱えるようになるビッグデータを活用し、どのように国民や社会にとって役立つプランを考えるのか、教育・ヘルスケア・高齢者向けサービスを含めた公共サービスをどのように改善することができるのかということを、ビジョンとして国が示す必要があります。

二つ目は、「デジタル化によって現実の生活がどのように変わるか、それによってできることは何か」ということです。デジタル化が進めば、今以上に物理的に会社に行く必要性はなくなり、家で仕事をするというケースも増えます。その場合に不要となる広い職場スペースを、より有意義なことに使うことができるかもしれません。そういった現実社会に与える影響を示すことが求められます。

三つ目は、「デジタル化で変わる現実に合わせて、教育をどのように変えるのか」ということです。デジタル化によって従来の職を失う人も出てくるでしょう。政府に求められるのは、失われる職についていた人たちを新しい仕事に適合させるための再教育の仕組みを整えることです。例えば、工場の自動化によってマニュアルに従ったルーティンワークに就いていた労働者は職を失いますが、デジタル社会においても、新規ソフトウェアの検査技師などのマニュアルに従ったルーティンワークは存在します。再教育を実施さえすれば、工場労働者をそういった新しい仕事に適合させることができるはずです。同時に、難度の高い技術を持ったITエンジニアを育成することも、国家の教育システムとして求められます。政府だけが教育システムを変えることができるのです。

南雲氏:日本のデジタル化においては、認証に使うことになる「マイナンバーカード」の普及率が約13%にとどまっているという問題があります。どうしたら「マイナンバーカード」を普及させることができるでしょうか?

アストク氏:私が思うのは、認証はもはやカードではなく、エストニアと同じようにSIMカードを用いてスマートフォンでできるようにするべきではないかということです。スマートフォンで何ができるかを考えるようにすれば、解決策ももっと簡単になるのではないかと思います。スマートウォッチにデジタルIDを入れるというアイディアもいいかもしれません。

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エストニアのように、スマートフォンですべてのことができるようになることが望ましい。

デジタル化を推進する上で、国民からの「信頼」は欠かせない

南雲氏:行政のデジタル化には、国民の間で不安な点もあります。政府やデジタル技術に対する不信感も関係していると思うのですが。

アストク氏:政府が存在することの一番の価値は「信頼」です。ほとんどのエストニア人は、ICチップの裏側で何が行われているのか、理解することができません。それでもわたしたちは、安全で適切な形で行政手続きが行われていて、不適切な目的で個人データが渡されたり売られたりすることはないと信頼しています。それは政府やデジタル技術に対する信頼に基づいています。

南雲氏:国家に対する信頼は、どのように構築すればよいと思われますか?

アストク氏:信頼は、長い時間をかけて構築する必要があります。そのために欠かせないのは、「透明性」と「教育」ではないでしょうか。

一つ目の「透明性」とは、政府がどのようにデータを扱っているかが明確であるということです。エストニアでは誰もが、どの政府機関の誰が自分のデータにアクセスしたか調べることができ、アクセスした人に対して自分のデータを見た理由を問い合わせ、回答を義務づけることができます。警察の捜査であっても事後報告が必須となっています。もしそうではなくて、政府によるデータの扱い方がブラックボックス状態であったら、誰も信頼することはできないでしょう。同様に、個人間の売買取引なども、取引時刻や内容などがすべて検証できる状態で行うことが求められます。誰かが文章を偽造したりすることが入り込む余地がないようにしなければなりません。

南雲氏:デジタル技術を正しく生かすには、個人の意識も重要になりそうですね。

アストク氏:そのとおりです。デジタルIDの安全な使い方についての「教育」が、国家への信頼構築に欠かせない二つ目の要素となります。例えば、デジタルIDと暗証番号は現実世界の個人自身と同じ価値があり、家族や親戚を含めて誰にも渡してはいけないこと、もし渡してしまったら銀行から資産を盗むこともできてしまうことなどを教育する必要があります。同時に、インターネットセキュリティについても教える必要があります。銀行のふりをして送られてくる「暗証番号を教えてください」といったメールには返信をしてはいけない、不審なファイルが添付されたメールは開かないこと、不審なURLリンクはクリックしないこと、といったことです。そういったことを教育して、国民が適切にデジタル技術を扱うことができれば間違いやトラブルは減り、政府への信頼も高まります。そのため教育は大事なのです。

教育と合わせて、政府が負う責任の限界を明確にすることも必要です。暗証番号を秘密にしておくことは、国民一人ひとりの責任となります。他の誰も責任を持つことはできません。

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デジタル化の成功には、信頼が欠かせない。

南雲氏:デジタル上では政府が意図的に操作することもできてしまいそうです。エストニアでは投票もオンライン上でできるということですが、投票が政府によって操作されるという懸念はないのでしょうか?

アストク氏: 投票の操作の問題は、デジタルか紙かということとは無関係に起こります。実際に、オンライン投票が導入されていない独裁国家で投票の操作が行われているケースもあります。

一般の人にとって、デジタル上で行われることは検証が難しいですが、操作されるのではないかといった懸念も政府に対する信頼と関連しています。政府を信頼できる状態だと、操作について心配する必要もなくなります。政府を信頼できない状態だと、国民は政府が提示するものに対して不信の目を向け続け、政府が提示する解決策を受け入れようとしないでしょう。

南雲氏:エストニアでは、学歴や生い立ち、医療情報、犯罪歴など、すべての個人データが管理されているということですが、過去の出来事もすべてデジタルで記録されるということになり、個人の将来の可能性が限定されかねません。こうしたリスクについてはどのように思われますか?

アストク氏:政府がアクセスできるデータの種類を限定することで、そういったリスクをなくす必要があります。エストニアでは、すべての行政サービスに関して、どのような種類のデータに政府がアクセスするか決められており、データが目的に沿って利用されているかどうかを第三者機関が監視しています。「データの利用目的は何か」ということも議論することが必要です。

南雲氏:デジタル社会のあり方について、政治家だけでなく国民一人ひとりが民主主義国家の一員として自発的に議論することが求められますね。

効率性・利便性を超えた、デジタル化がもたらす未来とは?

南雲氏:最後に、行政デジタル化で実現できる未来についてお聞かせください。

アストク氏:実現できる未来の可能性は三つあります。

一つ目は、エストニアでもまだ検討段階ではありますが、デジタルで管理するデータを用いて、行政サービスをより先行性のあるものにすることができるはずです。個人からの申込を待つのではなく、所有している情報をもとに個人が何を求めているのかを判断し、提案をするのです。民間企業ではすでに行われていることです。

二つ目は、政府が集めるビッグデータを計画策定に活用し、行政サービスをより実態に沿ったものにすることができるようになるということです。エストニアの一部の都市で試験中ですが、例えば人々の移動情報を深層分析することで、公共交通機関のあり方を検討することができます。従来の公共交通機関のデータでは、駅から駅といった定点間の移動しか見ることができなかったのですが、デジタルの移動情報を活用することで、実際に一人ひとりがどこからどこへ移動しているのか分析することができるようになりました。それによって、より適した位置にバス停を移す、バスのルートを最適化するといったことができます。

三つ目は、あらゆることにおいて国境の壁が低くなり、生活がより便利になることです。デジタル化が進んだ国同士であれば、デジタル署名の契約書を送ることで契約締結までの期間を大幅に短縮することができますし、もしかしたら医療情報を共有し合い、エストニアの病院で処方された薬を日本の薬局で出してもらう、といったこともできるようになるかもしれません。これは、私たち一人ひとりにとって大きなメリットになります。

南雲氏:デジタル化によってどのようなことが可能になるのか、政府はどのようなビジョンを描くのか、そういったことを日本国民全体で議論していくことで、日本に合ったデジタル化を実現していくことが大事になりますね。本日はありがとうございました。

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インタビュー後記

デジタル化は人々を幸せにしてくれるのだろうかということを考えた。デジタル化によって生活が便利になる一方、すべてがインターネット上で完結できることで、他人とのリアルなコミュニケーションが失われていく恐れもある。エストニア人は内向的な国民性がありデジタル化に向いていたとのことだが、日本では役所での人と人の関わりに幸せを感じている人もいるかもしれない。

しかし、「デジタル化」はあくまで手段であって、それ自体が人を幸せにしたり不幸にしたりするのではない。目的である「どんな国となるのが理想なのか」というビジョンがあれば、人々を幸せにするデジタル化が可能であるし、国家に対する信頼が構築できればデジタル化を推進していくことも可能になる。信頼の構築は難しい課題ではあるが、エストニアの事例にならうと、透明性の追求と教育、そしてビジョンによって、国家と国民との信頼関係を構築していくことができるのではないかと感じた。

人々が幸せになって初めて国としてのデジタル化が成功したといえる。日本においてもビジョンと信頼に基づくデジタル化の推進を期待したい。

【参照サイト】e-Governance Academy
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