旅行といえば、多くの人が息抜きに利用する定番の娯楽だ。いつもと違う場所への寝泊まり。新しいものごととの出逢い。道中のちょっとしたハプニング。──そんな旅の醍醐味ともいえる要素が、ある人たちにとっては大きなネックとなってしまうことをご存じだろうか。
介護を必要とする高齢者や障がい者のなかには、旅先での設備や普段と違う環境に不安を覚えたり、家族に迷惑をかけるのではないかと考えたりして、最初の段階から旅行をあきらめている人も多いという。
そんな諦めをなくし、選択できる世の中へ変えていこうと立ち上げられたのが、徳島県阿波市の民宿「旅の途中」だ。こちらは障がい者や高齢者に特化した民宿で、旅の最初から最後まで専門知識を持ったスタッフのサポートを受けられるのが特徴である。編集部は今回、「旅の途中」プロジェクトの発起人である榎本峰子さんにお話を伺ってきた。
話者プロフィール:榎本峰子(えのもと・みねこ)
幼い頃から福祉の世界に興味を持ち、現場で働く夢を叶える。制度の中では当事者の夢を叶えるのに限界がある事を知り独立を決意。「諦める世の中から選択できる世の中へ」を理念のもと、2017年5月株式会社TABIJIを設立。2018年11月には一般社団法人旅の栞を設立し、2019年4月クラウドファンディングを経て「福祉交流民宿 旅の途中」をオープン。
あきらめをなくしたい
Q:「旅の途中」について
「旅の途中」は、福祉交流型民宿です。「介護が必要な人」と「介護をする人」が旅の中で出会い、互いの課題を解決していくことを目指して立ち上げました。
高齢の方や障がいをお持ちの方、そのご家族の多くが「旅行がしたいけれどできない」というお悩みをお持ちです。バリアフリー設備のある、特別なニーズに対応可能な宿泊先を探したり、移動手段や適切なスケジュールを考えたり、具合が急変した際に助けを求められるような施設に目星をつけておいたり……心配せねばならない要素があまりにも多いのです。「旅の途中」では、そんな心配をせず安心して旅行を楽しんでいただくため、介護福祉スタッフが連携して利用者の方をいつでもサポートできるように準備しています。
一方、福祉現場のスタッフも様々な事情を抱えながら四苦八苦しています。初めは真っすぐに仕事と向き合っていたはずなのに、人手不足で休みを返上しながら毎日の業務に追われているうちに疲弊していってしまうのです。他の人は仕事とどう向き合っているのかと気になっても、福祉の現場は閉鎖的だったり人員の入れ替わりが激しかったりして、なかなか知ることができないんですね。そうするうちに、自分が何のために福祉を志していたのか分からなくなってしまうのです。
この民宿では、立ち寄った介護士どうしが情報交換したり、宿泊している要介護者の方のお手伝いをしたりするなかで「職場では気づかなかったけれど自分はきちんと成長していた」「こういう心のふれあいがしたくて福祉の世界に入ったんだった」と思い出してもらいたいなと思っています。介護を必要とする方も、介護をする方も、あくまでも旅の中の「ひとつの出逢い」を通してそれぞれの課題を解決していっていただければ嬉しいですね。
Q:「旅の途中」の立ち上げに至る経緯は?
自分たちが積み上げてきた知識や経験を、病院や施設とは違ったところで活かせないだろうか──そう考えていたときに着目したのが「旅行」の分野でした。介護に携わるなかで、当事者やそのご家族から「旅行がしたい」「旅に連れて行ってあげたい」という想い、そして同時に「現実的には無理だ」というあきらめの声を本当によく聞いていたからです。
認知症の方のご家族から、こんなふうに伺ったことがあります。「苦労して旅に連れて行ったところで、本人は覚えていないかもしれない」「介護する自分たちに疲れた記憶が残るだけなんじゃないか」と。確かに認知症の方って一瞬一瞬を忘れていってしまうけれど、直面している今この瞬間には確かに何かを感じていると思うんです。3秒後には忘れてしまうかもしれないけれど、きっとその一瞬という時間のなかに何かを見出だしているはずなんです。私たちはまさにその短い時間こそを大切にしたいと思っています。
困難や不安を抱えて旅行をするのは大変なことだと思います。ですが、そもそも行くか行かないかを迷うことすらできないのはよくないことだと思うのです。考える間もなく「行かない」という選択をしてしまったら、当事者が亡くなったときに後悔が残ってしまう。
「一緒にどこかへ行けばよかった」「想い出をつくってあげられたらよかった」というような「あきらめから生まれる後悔」をしてほしくない、と私は思っています。旅路はすごく大変だったけれど皆で行けてよかったね、と笑っていてもらえたほうが良いですよね。これまで旅行をあきらめていた障がい者、高齢者、そのご家族の方でも、専門家のサポートがあれば旅行をするという選択肢がもっと身近になるはず。だからこそ「旅の途中」を立ち上げようと決めたんです。
もう一つ、福祉の世界に入ってずっと仕事をしてきて、「福祉に携わる人たちのあきらめ」をどうにかできないだろうかという想いも強くなってきました。
介護は国の制度の関わる問題ですが、人と人の関わるお仕事ですから情の問題でもあります。そんなふうに、人情と制度の間に挟まれた分野だからこそ難しくて、ときにそれが「なんのために福祉をやっているんだろう」というあきらめにも似た感情を生んでしまうんだと思います。
例えば、訪問介護には身体支援(入浴や着替えの介助、ベッド・車いすへの移動介助等)と生活支援(料理や買いもの、洗濯などの支援等)の2つがあります。生活支援での契約をしている場合、利用者さんから「爪を切ってもらえないか」と頼まれても、ヘルパーは原則対応できません。すぐそこに爪切りがおいてあってもです。なぜなら、爪を切るというのは身体支援の領域になってしまうから。反対も同様で、身体支援での契約となっている場合、「急な雨だから洗濯物を取り込んでもらえないか」と頼まれても、ヘルパーは手伝ってあげることができません。洗濯物を取り込むのは生活支援の領域だからですね。
そうは言っても、それは制度上の話。ヘルパーも人間ですし、利用者さんとの関係もありますから、好意でお手伝いすることだってあります。利用者さんも助かりますし、その場はああよかったと収まりますね。ですが、何かトラブルがあったとき「制度違反だ」と怒られてしまうのは何もしなかったスタッフではなく情で助けてしまったスタッフのほうなんですね。目の前で困っている人を助けるのは正しいことのように思えるのに、制度が間に入ることでどう行動したらよいかが分かりづらくなってしまう。今挙げたのは極端な例ではありますが、現場で働く若い子の心が折れてしまうことも実際によくあります。
こうした現状もあり、福祉の現場離れは深刻な状態です。一人一人が休みを返上して、絶え間なく働いています。誰かやめたら新しい人を雇えば良いと思っている人もいるかもしれませんが、私はそれではいけないと思うんです。せっかく福祉を志し、一生懸命学び、自費をはたいてまで資格を取って頑張ろうとしてくれていた人たちなんです。彼らが仕事を始めて、誰にも相談できずに一人で頑張って、心折れて、やめてしまう──そんなループを私たちが止める必要があると思いました。
宿という一期一会の場で、助けが必要な方を前にしてすっと自分の体が動く感覚や、初めて出会う方との会話から「福祉の本質って何だったかな」ということを思い出してほしい。経験を自信に変えて現場に戻ろうと思ってほしい。そうした想いも立ち上げの大きなきっかけでしたね。
Q:「旅の途中」を運営する中で印象に残っているエピソードは?
全介助を必要とする四肢麻痺障がいのある方が長期で宿泊にいらしたときのことです。障がい者介護を専門とする私がちょうど妊娠していたため、SNSで一般の方に向けて介護を手伝っていただける出張レンジャー部員を募りました。すると、埼玉から女性の方が応募してくださったんですね。
彼女は、この旅行に進退をかけてきたといいます。中堅の立場として、下からも上からも板挟みで身動きが取れずにおり、休み返上で働く彼女。日々のタスクをこなすことに必死で、疲れきり、施設の利用者さんに対する感情さえなくなってしまった──そんな苦しいときに、たまたまフェイスブックで募集を知り、参加を決意したのだと話してくれました。
そんな彼女になにより響いたのは、彼女が宿で介護をしていた四肢麻痺の当事者さんの言葉でした。
「私は、生まれたときから誰かに手伝ってもらわなきゃいけなかったんです。そして、この先も私は一人で生きていくことはできません。あなたという人物は私の人生にとってかけがえのない人なんですよ」
それを聞いた女性は号泣しだしました。そして、「今すぐ埼玉に帰って利用者さん一人ひとりを抱きしめたい」と言ったんです。わたしたちがやりたかったのは、こういうことだ!そう思いましたね。日々の業務に追われて忘れてしまいがちですが、これまでやってきたことは必ず身になっているはず、着実に前に進んでいるはず。だからこそ、そうしたことについて旅中に一期一会の人とふれあう中で再確認してほしかった。経験を自信に変えて現場に戻ろうと思ってくださればいいなと思っていたんです。折れかけていた心を持ち直してもらうことができて、そしてそれを間近で見届けることができてあの瞬間は本当に嬉しかったですね。
皆が「寄り合う」社会へ
Q:インクルーシブ(包括的)な社会をつくるために必要なことは?
メディアの発達もあり、昔と比べて弱い立場にある人が声をあげやすい状況にあります。同時に、「障がいなんだから絶対にこうしてほしい」「高齢なんだからこう配慮してもらえるのが当たり前だ」という極端な押し付け事例があった際にも、メディアで大きく取り上げられるようになりました。皆、互いの動向に対してあまりに敏感になりすぎているような気がします。障がい者も高齢者も健常者も、皆同じ社会に生きる人間です。皆が妥協できる共通解というか……互いが納得できる「寄り合いどころ」のようなものを見つけて、ともに同じ方向へ向かっていかなければいけないのではないでしょうか。
お遍路を例にとってみましょう。お遍路で巡る寺は、古い建造物なので段差が多いこともしばしばですよね。本堂へたどり着くまで階段を登らなければいけない施設もあるでしょう。車いすユーザーにとっては参拝しづらいので、彼らから「スロープをつけてほしい」という要望が出ることもありえます。それは理解ができますよね。ただ、お寺側から金銭面や建物の構造上の問題でスロープの設置が「できない」と返ってきたときに、それを「差別だ」と言ってしまうのは違うのではないかと思うんです。大切なのは、そこから「じゃあどうしようか?」と考え始められること。互いに「どう歩み寄るか」ということです。
上に登ることが目的なのか、スロープを付けることが一番の望みなのかというと、そうではありませんよね。お遍路に来たのはお参りするため、心をどこか高みへもっていくためじゃないでしょうか?本当の目的がわかれば、スロープを設けなくても、簡易的な迂回路を設けたり本堂が見える位置に焼香台を設けたりという代替案で「寄り合って」いくことができるはずなんです。
いま、障がい者/高齢者/健常者という線引きがはっきりされていて、互いに敏感になりすぎているような気がします。だからこそいま私たちがやるべきなのは、「最終地点はどこなのかをきちんと見直そう」という提案をすることだと思っています。相手の事情で「できない」ことがあるのは、しょうがない。まずはそこを理解しなければならない。互いのできること/できないことを認めたうえで、じゃあどうしようか?と。お互いが目的を達成できるためにどういう方法だったら実現できそうだろうか?と考える。こういう考え方も含めて提案できるようになっていったらいいなと思っています。
Q:今後、取り組んでいきたいことは?
現在の民宿より規模の大きな、福祉交流型の旅館を立ち上げたいと思っています。医師や地域との連携が取れて、災害時の優先避難所にもなるような施設をいつかは作りたいですね。
それから、介護される側でも、介護する側でもない人に民宿を利用してもらい、介護・福祉という世界を少しでも知ってもらえるようにしていきたいと考えています。
若かったころは、高齢者や障がい者に対して心ない言葉をかける人に対して「なんでそんなひどいことが言えるの」ってすぐに怒りを覚えていました。ですが、ここまでにたくさんの経験を積んできて「ああ、わからないほうが当然なんだ」と思うようになったんです。身内に障がいを持つ人や高齢の人がいないと分からない感情があるんだ、と。障がい者や高齢者が身近な存在にならないと、差別の意識などなく当たり前のものとして心ない言葉が出てきてしまうんだろうなって。福祉の世界に興味を持っていただくために、まずは少しでも「知っていただく」ことが必要なのだと分かりました。
だからこそ、私たちが「こういう世界があるんですよ」と周知することで軽いジャブを打ち込まなくてはいけないと考えています。介護が必要な方、介護をする方だけでなく、介護福祉という世界に興味のない方にこそ「旅の途中」に来ていただけるようにしていきたいですね。宿泊していただくのはもちろん、民宿で開催されているイベントに来ていただくだけでも、ただ私たちとお話をしに来ていただくだけでも構いませんしね。
福祉の世界にいる人間は、どうしても暑苦しく語ってしまいがちなのですが、福祉に興味のない方からしたら負担に感じられてしまうんですよね。だからこそ、生活のなかで高齢の方や障がいを持つ方と接しておく機会を持ってもらえるようにしたい。背筋を正して一方的に語るのではなくて、生活のなかにこうした話題を自然と組み込んでいきたいですね。
とはいっても、すでに皆さん、生活のなかで障がい者・高齢者の方とごく近い距離ですれ違っているはずなんですよ。意識していないだけで。例えば、駐車場の地面に描かれた車いすマークは、何度も目にしたことがあると思います。そんなとき、ちょっとだけ考えてみるんです。このスペースに自分が車を停めたらどうなるんだろう、と。後から来た車いすユーザーはどこに駐車することになるかな、そうするとどんな困りごとが生まれるのかな?──そんなふうに、生活のなかの小さな小さな場面で「立場を置き換える」ことを続けていれば、当人が感じているもどかしさや、ほんの小さな心遣いがとても嬉しいことが分かる。そうすれば、自然と相手を手伝おうと声が出たり手が伸びたりするはずですよ。
Q:榎本さんが考える介護の本質とは?
介護士になるには資格が必要ですが、資格って結局、何か問題が起こったときに自分を守るためのものでしかないんです。介護の本質には資格の有無なんて関係ないと思う。けれども、絶対に必要だと言い切れるのは相手を想う「気持ち」ですね。人の心は人の心でないと救えないんです。気持ちがなければ、いくら資格があっても本当のスペシャリストにはなれないと思います。感情がこもっていない介護をすれば、利用者さんには必ず伝わってしまう。テキストどおりの介助方法を守るより、目の前の利用者さんに誠実に向き合うこと、真摯に相手と向き合う経験を積み重ねて対応の仕方を学んでいくことのほうが大切だと思います。
Q:読者へのメッセージ
あきらめることを考えるよりも、まず「どうしたらその課題がクリアできるのか」を考えてみてほしいです。少し角度を変えて物事を見てみるだけで、新たな発見があるはず。どんな方でもどんな立場にいても、「見方を変える」ことならすぐに適応できます。あきらめないで、ちょっと考えてみて。きっと、良い方向へ進むことができるはずです。
編集後記
榎本さんが介護を志したのは、小学校4年生のころ。同学年にいたダウン症の女の子に、他学年の生徒が心ない言葉を投げかけている場面に遭遇した榎本さん。「なんてひどいことを言うんだ」と憤り、何かあったら反論するぞと構えていたが、彼女が口を開く間もなくクラスの男の子たちが飛び出してきた。そして、「うちの○○ちゃんをいじめるのはやめろ~!」と言っていじめを止めたのだという。「その瞬間、ぞぞっと鳥肌が立ちましたね。衝撃的でした」と語る榎本さん。その時「自分には何ができるだろうか?」と感じたことが介護を志すきっかけになったそうだ。
それからずっと、「自分にできる介護」の形を追い求めてきた榎本さん。民宿の名前には、“旅の道すがら、様々な人と出逢い感じたことが、その人の「人生という旅」の一部分に何かを残してくれたら”──そんな想いを込めた。彼女は今日も、レンジャーたちとともに、民宿を訪ねる人のあきらめという鎖を解き放っている。
あの頃、ただ目の前の出来事に圧倒されていた少女が、この民宿にやってきたら?今の彼女を見たらどうなるだろう?──目をまん丸くした少女の顔を見てみたいと思った。
【参照サイト】旅の途中 Facebookページ
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