京都の「しば漬」から考える、文化と歴史を体現した「食べられる」サステナビリティ

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日本らしいほっこり朝食と言えば、ご飯・みそ汁・お漬物が思い浮かぶ。その漬物の代表格の一つとして「しば漬」が挙げられる。あまりにも日常に溶け込んでいるこの「しば漬」、実は京都の大原発祥であり、よく知られた「平家物語」にそのルーツがあるというのはご存知だろうか。

「すぐき」「千枚漬」、そして「しば漬」が京都の三大漬物とされている。きゅうりや茄子などの野菜に紫蘇を加えて塩に浸け、樽の中で長期熟成させた自然乳酸発酵の漬物だ。紫蘇の葉を加えるので、本来は「紫葉漬」と表記する。そして、その紫蘇の葉も、赤紫蘇を用いるため、鮮やかな赤色になる。

赤シソの葉

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産地である大原は、京都の北東部に位置する里山だ。京都市内中心部からはバスに乗って1時間ほどで行くことができる(ちなみに自転車で行くと、1時間半ほどかかる。いくつか山を越えるため、変速機付の自転車の利用をおすすめする)。比叡山の裾野に広がる美しくのどかな田園風景の中に、三千院や寂光院をはじめとする社寺仏閣が点在している。そして、この自然豊かな地域では昔から豊富な野菜、そして赤紫蘇が名産として知られる。

その理由は、大原の地形・風土による。大原は、東は比叡山・西は金比羅山をはじめとする「大原三山」など、周囲を山で囲まれた盆地であるため、他の種との交配があまり無く、他の地域に比べて原品種の紫蘇に近いと言われる。また、盆地特有の気候である昼夜の大きな寒暖差と霧によって、紫蘇の葉は柔らかくなり、香り・発色・味が良くなる。しば漬の美味しさの決め手は、この赤紫蘇の品質によるものが大きいとされるため、大原はしば漬の名産地であり続けている。

京都の里山

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自然環境に加え、大原でしば漬けが生まれた背景には、ある一人の女性の儚い人生が深く関わっている。さあ、ここからタイムトラベルをして、しば漬の起源とされる平安時代にさかのぼってみよう。

平清盛の娘である建礼門院徳子は、「平家物語」で知られる源平合戦の最終決戦の場である「壇ノ浦」にて、幼い安徳天皇を抱きかかえて母と共に入水したが、幸か不幸か彼女だけが源氏方に助けられたという逸話で有名である。その後、仏門に入り、大原で隠棲していた彼女が、村人が献上した夏野菜と赤紫蘇の漬物の美味しさに感動し、「紫葉漬」と名付けたことが発祥とされる。「平家物語」の最後は、大原を訪れた後白河法王に徳子が自らの人生を語って往生し、幕が引かれる。しば漬は、この悲劇のヒロインを慰めるために村人が献上したものだったのである。

京都の西に位置する嵐山は、平安貴族らの別荘地であったのに対し、徳子が出家したことに表れているように、北の大原は平安から鎌倉期にかけて現世の煩わしさや都の喧騒を逃れた皇族や貴族、文人や僧侶らが寺院に身を寄せたり、草庵を結んだりするなどして隠棲した場所である。都との結びつきもありながら一定程度閉ざされた風土の中で、独特の文化を育んだ地域だったのである。静寂な環境で白いご飯としば漬けを食べながら、徳子は何を思っていたのだろうか。

しば漬け

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今もこのしば漬は大原の漬物会社に受け継がれ、日本全国の家庭で愛されている。多くの漬物会社は、決め手となる赤紫蘇を大原の自家農園で育てている。赤紫蘇は味の根幹であると同時に、徳子への献上という発祥を知ると、歴史・文化の根幹でもあると言える。

筆者は数多くある大原の漬物屋の一つ、「翆月」でしば漬を購入した。徳子が隠棲した寂光院の門前に店を構える小さなお店だ。親子で切り盛りされており、お店を覗くと小さなお皿に白ごはんをよそって、試食を勧めてくださった。季節柄、ふきのとうの漬物などもあった。自家農園で育てた赤紫蘇で漬けたしば漬もいただいた。徳子も眺めた景色を見ながら、彼女が感動したであろうしば漬けをいただく。この美味しさには独特の赤紫蘇が生み出す味に加え、文化という味が加わっている。

その地ならではのものを活かす、というのはこういった野菜等の産物だけではなく、その地にしかない歴史や文化も同じである。世界でそこにしかないものをベースに受け継いでいくこと。グローバルなサステナブルビジネスを考える上で見落としてはいけない「味」だと思う。

一般社団法人サステナブル・ビジネス・ハブの北林功氏による記事です。

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