2020年10月10日、横浜の象の鼻テラスによって「FUTURESCAPE SUMMIT vol.1」が開催された。横浜市は現在、新型コロナウイルスとの共存や、世界共通の目標となっているSDGsの達成に貢献することを目指した社会実験や教育普及事業の取り組みが行われている。
2019年から始まった本イベントでは、横浜での取り組みが発信されるとともに、公共空間を創造的に活用する世界各都市の経験と知見が交換されている。今年イベントに参加したのは、イギリス・リーズと香港からのゲスト。国内外からの流入人口も大きく、国際的に大きな注目を集めるリーズ・香港・横浜の公共空間は、コロナ禍でどのようにデザインされているのか。各都市の様子をレポートしていく。
目次
なぜコロナ禍に公共空間を考える?
近年、大都市では公共空間の民有化や商業化が頻繁に行われるようになり、一部の人々や企業に土地が占有されることで、人々の生活空間が余白のない無機質なものになるのではないかと懸念されてきた。一般の人々が無料でアクセスできる憩いの場がなくなると、私たちの都市での生活は豊かさを失ってしまう。たとえすぐに経済利益を生まなかったとしても、「自然を眺めながらちょっと休める空間」「行き先までに寄り道できる空間」がいかに大切か、歩行者も土地の所有者も実際にその土地を歩いてみて、意識しはじめているのではないだろうか。
最近はそうした都市生活の豊かさをより多くの人に行き渡らせるべく、各都市で緑地空間の設置、パブリックアートやイベントなどの開催が試みられるようになった。そこでやってきたのが新型コロナウイルスだ。空間が準備され始めたのにも関わらず、私たちの生活はウイルスによって、物理的に再び分断されるようになった。
オンラインが中心の生活は、もちろん便利なこともある。しかし、コミュニケーションが無機質に感じられたり、偶発的な出会いがなくなったりと、その弊害も意識されてきている頃だろう。新型コロナによって、私たちは街中での出会いを諦めなければいけないのだろうか――その問いにNOをつきつけるように、横浜・リーズ・香港では、コロナ禍という状況を逆手にとって、今だからできること・必要とされることが模索された。それぞれの都市で実際に行われたコロナ禍での社会実験を見ていこう。
各都市で行われたコロナ禍を豊かにするプロジェクト
【リーズ】ソーシャルディスタンスを大胆に捉えたライトショー
ロンドンやマンチェスターからのアクセスも良く、まさにイギリスの「中心」に位置するリーズ。三つの有名な大学があり、カーニバルやフェスティバルなど季節のイベントも頻繁に行われる、多様性に溢れた街だ。
2005年からは、夜の街を光が彩るイベントLight Night Leedsが行われている。地元、そして海外からのアーティストによる60以上の作品が街中に散りばめられ、2019年には15万人もの来場者が夜のリーズを彩る光のアートを楽しんだ。
Light Night Leedsはリーズ市が単独で行っているものではなく、世界中のLight Festivalのネットワークの一部だという。International Light Festival Organizationという欧州を中心とする世界的なネットワークでは、定期的に会合が行われ、互いにアドバイス・コラボをするなど関わりが保たれている。
今年は新型コロナの感染拡大により、人々で街が賑わう例年のようなフェスティバルは中止になるかと思われた。そうした中、リーズのアーティストたちが出した答えがLaser Light Cityだ。
イベントにおけるソーシャルディスタンスの確保が必須となるコロナ禍。それでは逆にソーシャルディスタンスを活かしたアートが考えられないかと、考案されたプロジェクトがLaser Light Cityだった。リーズ中心街のランドマークやオフィスビルから天空にレーザーが放たれる。それらがイルミネーションを作り出す。遠くからの観覧を想定していることから、今年はリーズの中心地だけではなく、近隣地域を含めたより広いエリアから光のショーを楽しめるようになる。
ショーを鑑賞する人たちは、スマートフォンやタブレット端末で光の動きや色をコントロールすることもできるという。ショーはライブ配信もされ、遠方に住む人たちにも見届けられることになる。
これからの新型コロナの状況はまだどうなるかわからず、ロックダウンなどの制限が再び設けられる可能性もある。しかし、たとえそうなったとしても人々の癒しになるような催しが実現できるよう、リーズでは模索されているのだ。
【香港】「市民とその都度考える」高密度都市の公共空間
日本と同じ東アジアに位置する香港では、どのような取り組みが行われているのだろうか。今回のイベントでは香港をベースにしたNPO団体Make a Difference(以下MaD)が公民のセクターと連携して手掛けた公共空間のプロジェクトが紹介された。代表的な事例としてあげられたのは、ウエスト・カオルーン公園だ。
世界屈指の高密度都市である香港。ビルが隙間なく並び、歩行者で溢れかえるマーケットの様子などを想像する人も多いだろう。そのような環境で、木々や海をみながら自由にゆったり過ごせる空間は市民にとって貴重だという。
香港の若者の中には、クリエイティブな仕事に従事する人も多い。街中に商業施設は多いものの、「作品を発表できる場」が少ないという意見があった。そこで開催されたのが、クリエイティブマーケットだ。イベント中は土地代を必要とせず、デザイナー同志でクリエイティブ作品の交換が行われる。
他には「犬をつれて歩ける場所が少ない」という声も。(香港の9割の公園はペットを連れて入場できない。)それに対して公園を一時ペットにも開放するなどの策が取られた。このように、MaDは常に市民からあがってきた声を市民とともに実現する姿勢を貫いている。
ただし、MaDの仕事は単に「要望を叶える」だけではない。そこに訪れる人を巻き込んでパブリックアートを完成させる企画を行っているのだ。ビクトリアハーバーで行われる光のレーザーショー(シンフォニー・オブ・ライト)が有名な香港だが、あまりに観光名物化してしまっており、地元の人からのまなざしは必ずしも肯定的ではないという。そこで「じゃあ私たちは私たちのライトショーをやろう」ということで企画されたのが、People’s Light Showだ。写真の通り、人々の手で作り出されたアート作品が後ろのビル群の夜景と重ねられている。
他にも、開催されるイベントのテーマはユニークだ。例えば「高齢者が公園のデザイナーになる」ワークショップ。近所の高齢者が集まり、彼らならではの要望を叶えながら公園をデザインした。また、公園の自然を観察し、スケッチするプロジェクトでは、参加者の絵や文章がそのまま看板として公園に残されることになった。
デモなどでの活用をはじめ「道端」が大きな意味を持ってきた香港。コロナ禍においても癒しや交流を求め、公共空間に多くの人が集まった。香港政府は芸術への予算を一定確保しており、MaDの活動もそれによって支えられているという。
【横浜】オンラインとオフラインを行き来する新時代のパブリックアート
新型コロナが流行する以前から、横浜のとりわけ都心臨海部では様々なアーティストとコラボして公共空間の様々な活用が試みられてきた。象の鼻テラスはその先進事例とも呼べる場所だ。公共空間を劇場化し、演劇ユニットが寸劇を即興で行ったり、障がいのある方が工作やサーカスに取り組んだりと、実に多様な人々が象の鼻テラスに集まっている。
最近では、子供たちが薄い紙に描いた「笑顔」の絵をライトに被せ、公園を彩る「ひかりの実」プロジェクトが象の鼻パークで行われた。コロナ禍ではワークショップを実施することが困難になったことから、Web上で絵を書ける仕組みが構築され、投稿された絵をプリントしたものが実際に横浜の海辺に展示されている。先日は日本と香港をWebで中継し、子供たちが一緒に色とりどりの「笑顔」を描いた。現地で実際に鑑賞するアートだけではなく、想像力を働かせ、遠くの土地に思いを巡らせて楽しむアートが横浜から発信されている。
このようにリーズ・香港・横浜の三都市では、その街の特徴を活かしたプロジェクトが様々なスケールで行われている。三都市に共通するのは、「鑑賞者」と「制作者」の垣根を超えて、作品を生み出していることだ。公共空間は美術館ではない。問題発見が市民に委ねられ、自己表現の場が多くの人に開かれていること。それが公共空間のデザインに今後求められていくのかもしれない。
編集後記
今回イベントに参加して、リーズ・香港・横浜で行われる一つ一つの取り組みに圧倒された。それは、それぞれのプロジェクトが壮大だから・豪華だからという理由ではなく、新型コロナがもたらした状況を逆手にとって、その制限の中からクリエイティビティが湧く様子が印象的だったからだ。イベントの最後に語られていた通り、疫病による制限を受けて、活動の幅を広げるアーティストは、今後多くの人に勇気をもたらすだろう。
最後に、リーズからのゲストが語った「アートはどのように社会問題を解決するか?」という問いに対する答えを引用したい。
アートを使うと様々な観点から問題を再発見することができます。従来と異なる方法を模索するのは楽しいし、アートを使うことで新しいオーディエンスを取り込むことができるはずです。ニューノーマルへ移行する新しい動きをつくるきっかけとしてアートが機能していくのではないでしょうか。
今回イベントで焦点を当てられた三都市とも、新型コロナで大きな打撃を受けた。疫病の流行によって改めて露わになったそれぞれの都市の問題もあるだろう。そうした問題を様々な角度から認識しながら、そこで暮らす人々のことを置きざりにすることなく、いかにこの時期・その都市ならではの表現を模索できるか――暮らしを豊かにする都市と人の力が、いま試されているのかもしれない。