似たようなシーンを切り取り何度も繰り返し放送する報道番組、Webサイトのトップに表示される速報ニュースやサイドバーあたりで点滅している広告、スマートフォンに届くSNS更新の通知……「インフォデミック(インフォメーション(情報)+パンデミック)」という言葉があるように、現代を生きる私たちの身の回りには、情報が溢れている。
さらに、SNSのフィルターバブルやエコーチェンバーと呼ばれる現象で、自分の周りに自身と同質のものが集まりやすくなった。このために、他者との「違い」がこれまで以上に「異質なもの」として目に映るようになり、場面での分断を生んでしまっている。
そんな状況に立ち向かおうと、2013年、オランダで立ち上げられたオンラインメディアが「コレスポンデント(De Correspondent)」だ。コレスポンデントは、日々の速報ニュースを追いかけるのではなく、世界で起こる様々な事象の「本質」に迫るスロージャーナリズムを実践するメディアとして国内外から注目を集める。2019年には国際社会に向けた英語版「The Correspondent」が立ち上がった。しかし、2020年末、コロナ禍の煽りを受けた財政難によち英語版「コレスポンデント」が創設から1年ほどで閉鎖されるというニュースが発表された(※オランダ語版は今後も続いていくという)。
Today is the last day of publishing at The Correspondent. Thank you to all our members who made our journalism possible 🙏.
Before we go – here are our best stories from our year-and-a-bit of making journalism with you, and for you:https://t.co/Y0C9ibb5FG
— The Correspondent (@The_Corres) December 31, 2020
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— The Correspondent (@The_Corres) December 31, 2020
先が見えず、誰も「正解」を持ちえないコロナ禍においては、これまで以上に多くの人がネガティブな報道やフェイクニュース、錯綜する情報に気持ちをかき乱されていることだろう。そんな中で発表された、英語版コレスポンデント閉鎖のニュースに、彼らのジャーナリズムを支持する世界各国の読者たちからメディアのクローズを惜しむ声が上がっている。
メディアは閉鎖されてしまったが、彼らのジャーナリズムや情報への向き合い方は、今も多くの人を惹きつける。今回は、先が見えず情報に翻弄されやすい今の時代だからこそ、改めて、コレスポンデントのフィロソフィーをご紹介したい。
記事の前半では、コロナ禍以前にコレスポンデント編集部を訪ねた際に伺った「コレスポンデントのジャーナリズム」や「情報との付き合い方」について、後半ではメディアクローズ後・2021年2月末にオンラインで行ったミニインタビューの内容についてお届けしていく。どうしてもネガティブなニュースが溢れがちな今、どのように情報と向き合えばいいのか?あるいはいち人間としてよりよい情報発信をするにはどうすればいいのか?そういったテーマに興味がある方にぜひ読んでいただきたいと思う。
【コレスポンデント英語版について】
2013年オランダで創設された「De Correspondent」の国際版「The Correspondent」として、2019年秋に誕生。日々のニュースではなく、事象の本質に目を向け、時間をかけながら深く追求していくスタイルが特徴的なオンライン・ニュース・メディア。広告を一切掲載せず、会員からの年会費や寄付で運営を行う。年会費が一律のオランダ版とは違い、英語版では、経済条件の異なる様々な国や地域の人々を購読対象としていることから、会員自身が裁量を持って会費を定めるシステムを採用した。
会員にコメント欄で知見を共有(コントリビュート)してもらい、ジャーナリストとともに議論を深める、という対話に基づいたコンバセ―ション・ジャーナリズムを実践。読者とのコミュニケーションを専門とする「コンバセ―ション・エディター」というユニークな役職が存在する。
2020年、コロナ禍の煽りを受けた財政難によりサイトを閉鎖することを発表。これについて会員に向けて公表した記事では、「閉鎖に至るまでの経緯とその理由」「閉鎖以外の解決策がないか模索してきたこと」「今後職員たちがどうなるか」などを正直かつ丁寧に綴っている。
キーワードは「コラボレーション」
Q.コレスポンデントの特徴について教えてください。
ナビラさん:コレスポンデントは、オランダ版を始めたときから「日々のニュースの解毒剤になる」と言いつづけてきました。現在、様々なメディアが新たな情報が舞い込んでくるたびに速報を出すというスタイルをとっています。しかし、私たちコレスポンデントでは、毎分毎秒更新される情報に翻弄されるのではなく、ゆっくりと深く、本質的なことを追い求めるジャーナリズムのスタイルを大切にしています。「情報の新しさ」ではなく、「普遍的で本質的な問いを立て追求すること」に価値を置いているのです。
エライザさん:コレスポンデントの基本は「コンストラクティブ・ジャーナリズム」です。コンストラクティブ・ジャーナリズムとは、問題そのものではなく解決策に焦点をあてるジャーナリズムのこと。こんな問題があります、と単に事実を報道したり、一つの視点を紹介したりするのではなく、問題の背景や事象のディテールについて丁寧に報道し、「問題に対してどう向き合えばいいのか」という点について深く追い求めていくのです。
Q.コレスポンデントが追求する理想のジャーナリズムを実現するために、記事の内容以外でこだわっていることはありますか?
エライザさん:理想的なコンストラクティブ・ジャーナリズムを実現するために大切にしているのは、「様々な人とのコラボレーション」です。多くの組織では、サイトの開発をするチーム、写真やイラストを担当するデザインチーム、掲載する記事を担当する編集チーム……というように、組織内が細分化されていて必要なときだけコミュニケーションをとりながら別々に作業をします。しかし、コレスポンデントでは当たり前のようにサイト開発者もデザイナーも、編集者もコンバセーション・エディターも皆が一つの机に座って、活発にコミュニケーションをとりながらクリエイティビティを高めているのです。
私たちのジャーナリズムは、「文章を完成させたら、そこに画像を添えて、そのままアップロードする」というようなぶつ切りの作業をつなげたような形では完成しません。文章はもちろんのこと、挿入する画像やサイトのつくり……すべての要素が読者の理解を助けるものとなるように考えて設計しているのです。
ナビラさん:また、メディアで取り上げる課題の現場にいる人々とのコラボレーションも大切にしています。例えば、大気汚染の問題について報道するときには、大気汚染のひどい地域で暮らす人のものを訪ねるといった具合ですね。これは、断片的な情報だけでは問題の全体像を把握できないため。だからこそ、記者だけでなく課題をよく知る現地の人々と一緒に記事を作っていくのです。これまでジャーナリストと現場にいる人々の関係は、「取材する人」と「情報のソース」のように捉えられがちでした。しかし、私たちは、彼らにただ情報を提供してもらうのではなく、ジャーナリズムの一端を担ってもらい、コレスポンデントの「いちメンバー」になってもらいたいと思っています。
さらに、コレスポンデントでは読者とのコラボレーションも大切にしています。コレスポンデントでは、コメントを書いてくれる皆さんを、私たちのジャーナリズムに貢献してくれるという意味で「コントリビューター(貢献者)」と呼んでいます。異なる環境で生まれ育ってきた読者たちは、突き詰めると、誰しもが何かしらの事柄についてのエキスパート。何かしらの想いを持ち、それぞれの視点からの多様な考えを持つ、彼ら一人一人はまさにスペシャルな存在です。ですから、私たちは、読者のなかにこそ専門家がいると考えています。私は、「コンバセ―ション・エディター」として、一日中読者からのコメントをチェックしているんですよ。
エライザさん:ジャーナリストは様々な事柄について見聞きし、様々な専門知識を持っています。しかし、それは「経験を伴わない知識」です。ジャーナリストは「経験がない」ことを忘れてしまいがち。「ホームレス状態の母親」という立場になったことがない記者が、シェルターで子を育てるという現実を適格に捉えて記事にすることができるでしょうか?
私たちが、編集部員ではない様々な人たちにも私たちのジャーナリズムをつくる一員になってもらいたいと思っているのは、こうした理由があるから。コレスポンデントを購読する彼らもまた、私たちのジャーナリズムを探索する旅の手助けをしてくれる存在なのです。
人間が情報に強く影響される理由
Q.現代の情報社会やジャーナリズムについて、どう考えていますか?
エライザさん:私たちはいま、絶え間なく飛び込んでくるニュース速報に追われ、24時間ずっと何かしらの情報にさらされています。いわゆる「情報の洪水」のなかにいるのです。立ち止まって考える時間もないうちに新たな情報が飛び込んでくるため、深く思考する時間が少なくなり、さらなる「問い」をたてる時間も減りました。
また、グーグルなどの検索サイトが覇権を握っている現代において、人々は皆「質問を入力すればその場ですぐに答えが返ってくる」システムに慣れています。基本的に、人がチェックするのはWEB検索結果の1ページ目に載っているサイトの情報だけ。自分ではいろいろなことを知った気になっているけれども、「検索結果1ページ目」以外の情報を見ていないので、実は非常に多くのものを見逃しているのです。
私たちは、ニュースなどの情報に大きく影響されます。それはいったいなぜなのでしょうか?答えは、私たち人間が「ストーリーテリングをする生き物だから」です。
私たちは個々の事象に意味付けをし、複数の事実を結びつけることで、物語を生み出し大きな意味を持たせてきました。自分が何者なのか、世界はどんな場所なのか、周囲の人との関係性はどんなものなのか、生きる目的は何なのか……そうした事柄はすべてストーリーで形作られています。ストーリーは、世界の中での自分たちの居場所を理解するのに役立つのです。我々の生存に不可欠なものなのです。
ナビラさん:ところが、近年、人々が「新たなストーリーや文脈」を探さなくなってしまいました。私はこれが昨今のジャーナリズムにおける大きな問題だと思います。
以前、私がガーディアン紙で研修を受けていた際にお世話になった調査報道ジャーナリストはこう言っていました。
「人々はもう新しいストーリーを探そうとしない。誰もが同じ古い記事をコピーしたり、互いのニュースを利用したりしながら、情報を使いまわしている。僕は、それにうんざりしてしまった」
Googleの検索システムのような即物的なレスポンスだけでは、ストーリーを語ることができません。なぜなら、事象そのものは「点」でしかないから。ストーリーや文脈は「点」と「点」がつながって「線」になったときに初めて生まれるものですよね。
「一度立ち止まって、落ち着いて、じっくりと見て。そこに見えてくるものが、ジャーナリズムから失われたものなのだから」──こちらも先述の調査報道ジャーナリストが言っていた言葉なのですが、本質を表していてとても気に入っています。
メディア・ダイエット──摂取している情報について考える
Q.間違った情報やセンセーショナルなニュースを流布するメディアもありますが、そういうメディアについてどう考えていますか?
エライザさん:まず言っておきたいのですが、私たちは「有害な情報と偏見」あるいは「法的に間違っていることと、センセーショナルであること」を明確に区別しています。 能力や性別などに基づいて人を差別することは、絶対にあってはならないことです。
しかし、私たちは、センセーショナルな発言をする人の口を塞いだり、偏見に満ちた人の声を奪ったりすることで自分たちのコミュニティを守ろうとはしません。対話を通して、あるいは自分たちがやっていることの価値を行動で示すことで、自らのコミュニティを構築していかなければならないのです。
例えば、自分の隣人が、砂糖がたっぷり入ったドーナツを1日に10個食べたりしているとしましょう。それがその人のためになると思わなくても、隣人を警察に突き出したりはしませんよね。隣人に健康になってほしいと思うのなら、ドーナツを力ずくで奪ったり、頭ごなしに「食べるな」と言ったりするのではなく、砂糖や油の健康への影響について話をしたり、ヘルシーな料理講座のチラシを渡したりするのではないでしょうか。なぜなら問題は、ドーナツの存在ではなく、隣人が「自分が食べているものがどんなもので、それが自分にどんな影響を及ぼすか」をわかっていないということだからです。
ドーナツの例と同じように、私たちは何が良い情報で何が悪い情報なのか、どんな情報が建設的と言えるのかについて、きちんと理解できていません。それが何よりも大きな問題だと思います。だからこそ、私たちは「メディア・ダイエット(media diet)」──「日々の食事(food diet)」のように自分が日々消費するメディアの量や、メディアとの付き合い方について考えてもらうこと──が大切だと考えています。
人は皆、情報を得て、その良し悪しをそれぞれが判断し、自分の進むべき方向を決めていきます。ですから、メディアが切り取る場面は全体のごく一部であること、報道されたものが必ず正しいとは限らないこと、いくらニュースを見ても世界を断片的にしか理解できないこと……こうしたメディアや情報の側面を理解し、上手に付き合えるようにしていかなければなりません。子どもも含めて、メディアを消費するすべての人が、より良いメディアリテラシーを身に着けられるよう訓練していく──対立構造を煽るよりも、間違った情報やセンセーショナルな情報が溢れる世界で生きる力を養うことこそが、重要なのではないでしょうか。
とことん問うことで「ラディカルな希望」が生まれる
Q.ネガティブでセンセーショナルなニュースに影響されて気分が沈んでしまう人も多くいます。「就活生だから時事問題は知っておかなきゃ」「ビジネスマンなら常識」と、日々ニュースを追いかけるのは必要なことなのでしょうか?
エライザさん: 確かに、日々ニュースを追いかけていると気分が沈んでしまうこともありますよね。ニュース番組で報道されることのほとんどは、戦争、死、病気、そしてまた戦争……というような感じで、それら全てがセンセーショナルに報道されます。
ナビラさん:そうそう。そして、番組の最後にだけ、申し訳程度にほっこりするようなニュースが差し込まれるんですよね。猫が木から救出されたとか、今日はなんとかの月が見ごろだとか。(笑)
「世界のニュース速報ばかりを追いかける」というのは、コレスポンデントが絶対にやらないようにしていることなんです。私たちが追いかけたいのは出来事そのものではなく、もう少し深く、もっと根本的なものだから。
エライザさん:ニュースをたくさん知ることは、本当の意味で世界を知ることと同義ではありません。例えば、私は日本の地理や歴史についていくつかの知識を持ち併せていますが、それらが国民にどのような影響を与えているのかはわかりません。一つ一つのニュースも確かに貴重なピースですが、それだけでは本質に迫れない。断片的な事実をたくさん寄せ集めたところで、全体を語ることはできないのです。
私たちは、「人は知識にアクセスすることで変化に希望を持てるようになる」という「ラディカルな希望」を抱いています。ここでいう知識とは、断片的なニュースのことではなく、問題の背景や本質的なエッセンスのことです。物事の背景や事象どうしの因果関係を丁寧に紐解いていくと、良い変化を起こすアイデアや逆境を突破するためのアプローチ法についても少しずつ知ることができます。そうすれば、「今自分が何をすべきか」も自ずと分かってきますよね。
ラディカルな希望に満ちているということは、単に楽天的ということではなく、課題に対して「何かできることがある」と考えられるということ。「ひどいニュースに溢れた世界はどうしようもない」「どうせ悪いことしか起きない」という運命論的な考えとは対照的ですよね。大事なのは、すべてのニュースを追うことより、バランスのとれた「メディア・ダイエット」を意識することなのだと思います。
ナビラさん:「常識だから知っておかなくちゃ」とニュース速報を追いかけるのではなく、自分なりのアプローチでじっくりと情報に向き合うことが重要なのではないでしょうか。
ナビラさん:誰かの意見を変えるよう働きかけられるのは、結局その人の近くにいる人なのだと思います。だからこそ、私の使命は、「人々の心を変えること」ではないのです。私達ができるのは、読者に、周りの友人たちへ手を差し伸べるように語り掛けること。
エライザさん:人々は信頼している人の話に耳を傾けます。そうすると、どんな問題についてでも、個人の意見を形成するうえで大きな意味を持つのは「誰の傍にいるのか」ということになってくるわけです。
私たちだけではすべての人に働きかけることができません。読者でない人にとって、コレスポンデントは遠い存在であり、耳を傾けるべき対象にならないからです。では、あなたの家族や友人たちをよりよい方向へと導き、メディア・ダイエットの概念について紹介できるのは誰なのでしょう?答えは、あなたです。彼らに、視野を広げる新たな「ものの見方」を紹介できるのも、彼らとの「対話」を始められるのも、彼らの気持ちを動かすことができるのも、彼らの近しい存在であるあなただけなのです。だからこそ、読者一人ひとりが対話を始め、近しい人たちに良い変化をもたらせるような手助けができたら、と思っています。
編集後記
自分が摂取している情報やそれが自分にどう影響しているかを把握すること、それぞれが自分に合った方法で情報と向き合うこと──これが、ナビラさんとエライザさんが教えてくれた「情報社会を生きるヒント」だ。
情報を一つも取りこぼすまいと絶えず時事ニュースを追いかけても、ポジティブな気持ちにはなれない。出来事を「点」として知るだけでは、「何がが起きた」という以上の意味は生まれてこないからだ。しかし、事象どうしが「線」でつながると、そこに「文脈」が生まれる。そうして見えてきた文脈が、自分はどう動くかを考える助けになる──それが、2人の言う「ラディカルな希望」を持てるということだ。
「ラディカルな希望を持つ」ということは、「もうどうにもならない」とあきらめることでもなければ、根拠もないのに「なんとかなる」と思うことでもない。現実を直視せず「大丈夫だ」と言うことや、なんとかしなければとただ闇雲に頑張ることとも違う。困難な状況下でもできることがあるはずだと信じる、状況をより良くするため実現可能な方法を見つけようとする──そんな「ラディカルな希望」を持った人からは、芯の強さとしなやかさが同時に感じられる。
新型コロナウイルス関連の速報に、異常気象や自然災害のニュース、「批判殺到」「炎上」「問題発言」等の文言が入ったニュースタイトルの数々に、鳴りやまないSNSの更新通知……。気分を沈ませながら必死に最新情報を追う必要はない。「情報=悪者」と決め込んでその一切を遮断する必要もない。
自分の食べたものが身体をつくるように、個々人の触れる情報は、それぞれの考え方を形づくっている。それなら、どんなときでも希望を見出せるしなやかさや、道を切り開ける強さの元となる「栄養価の高い情報」を摂取していきたいものだ。ともすれば、溢れる情報に振り回されそうになる世の中だからこそ、自分に合ったメディア・ダイエットのかたちを模索してみてはいかがだろうか。
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