「デス・ナッジ」という言葉がある。死(デス)と行動経済学(ナッジ)をかけあわせた用語で、私たちの寿命が有限であるという事実を適切なタイミングで通知されることで、その後の行動が変わることを意味する。イギリスの文化思想家ローマン・クルツナリック氏の著書『グッド・アンセスター わたしたちは「よき祖先」になれるか(松本紹圭 訳)』で登場した言葉だ。
この記事では、デス・ナッジ、別名「死の肩たたき(=死神がポンと肩を叩いて自分の寿命を通知してくるようなイメージ)」が私たちの長期思考に及ぼす影響を見ていく。長期思考とは、目先の利益にとらわれず、自分が死んだあとの世代を見据えて物事を考え、行動をすることである。
クルツナリック氏は当書籍でこう語る。
未来の人々は私たちのことをどのように記憶するだろうか。この問いは、人間の条件の核心に迫る問いであり、後世に遺産を残して自らの死すべき運命に抗おうという人間の強い願望に触れるものだ。
(中略)ほとんどの人は、自分の行動や影響力が何らかの形で将来に波及し、死と言う不可避の事態を超えて、自分の人生の火が灯り続けることを願っている。永遠に忘れ去られることを心から願う人は、ほとんどいない。
(『グッド・アンセスター わたしたちは「よき祖先」になれるか』 pp68-69)
死や、「自分も祖先である」ということを意識することが、どのように長期思考につながるのか。書籍『グッド・アンセスター』と、2021年10月にDeep Care Labが主催した、気候変動時代のウェルビーイングを探求するオンラインプログラム「Weのがっこう」の「わたしと過去・祖先」セッションでの体験から考えてみる。
「よき遺産を残す」マインドへの切り替えスイッチ
あらゆる変化のスピードが早い現代。私たちは、つい目先の利益を優先しがちになる。たとえば、健康に悪いとわかっていてもジャンクフードを食べたり、環境に悪いとわかっていても使い捨てのものを買ったりする。便利さなどの短期的な喜びはわかりやすく、逆に長期的な問題は見えにくいのだ。
しかし、そんな私たちのなかにも、確かに長期思考できる力が備わっているとクルツナリック氏は述べる。人間が他の種族と違うのは、未来を考える能力があり、まだ見ぬ未来に向けて絶えず可能性を探っていることだという。その証拠に、これまで人々はさまざまな長期計画を立ててきた。1882年に着工したスペインのサクラダファミリアは、144年の時を経て2026年に完成予定。日本の伊勢神宮は690年から、20年ごとに社殿を造り変えられている。その間に人の世代は入れ替わっているものの、意志は変わらない。『グッド・アンセスター』の言葉を借りると、私たちは「心待ちにする猿」なのだ。
クルツナリック氏は、破壊された地球環境ではなく、できるだけ「よき遺産」を未来の世代に残したい、という長期思考を養うアプローチの一つとしてデス・ナッジを挙げた。『グッド・アンセスター』では、その効力を示す二つの実験結果が明かされている。
まず、世代間の意思決定の違いについて研究するキンバリー・ウェイト・ベンゾーニが行った実験では、二つのグループに分けられた被験者のうち、片方は飛行機事故で亡くなった人の記事を、もう片方のグループはロシアの天才数学者の記事を読むように指示された。その後、被験者たちは1,000ドルをどの社会奉仕団体に寄付するかを決めることができたのだが、亡くなった人のことを認識したグループでは「未来」の人々を助けるための慈善事業に2.5倍の額の寄付をしたことがわかっている(※1)。
また、他の実験では、自分の死後、未来の世代にどのように記憶されたいかについて短いエッセイを書いた人は、エッセイを書かなかった人に比べて45%多い金額を環境保護事業に寄付しようとすることも実証された(※2)。どちらの実験でも、死を意識したり、自分の遺産について考える機会があったりした人々は、次の世代のことを考えた行動をする傾向にあることが明らかになった。
クルツナリック氏は、長きに渡って「共感」についての研究を続けるなかで、自分の生活や将来に直接関わってこない、もっと先の未来を生きる人々への世代を超えた共感をすることが大切だと主張する。そのカギの一つは、視点を「今ここ」から変えてみることだ。
後世に残したい遺産としての鋭い問いをデス・ナッジとして自らに与えることは、試してみる価値がある。すなわち、私たちの子孫が「ああ、自分たちの祖先が、こうしておいてくれれば良かったのに」と望むことは何だろうか、という問いだ。
(『グッド・アンセスター わたしたちは「よき祖先」になれるか』 pp73)
祖先に「もっとこうしてほしかった」を伝えてみて
視点を「今ここ」から未来や過去に置き換えてみる体験を、実際にしたことがある。
オンライン対話プログラム「Weのがっこう」で筆者が参加したセッションでは、3-4人ほどのグループに分かれて、1970年代を生きる大人に向けて気候危機の現状を伝えるロールプレイングを行った。50年前の祖先に扮したグループメンバーに対し、現在自分が持っているアイテムを一つ見せながら「今こんなに大変な状況なんです。あなたたちの時代に、もっとこうしてほしかった」と伝えるものだ。
グループのなかでは、自分のファッションアイテムを持ち寄って、環境汚染の問題や、一着がいかに早く消費されているかを伝える人、防災リュックでいつ起こるかわからない自然災害に備えなくてはならない状況を伝える人がいた。筆者も自分のスマートフォンを使い、気候変動に関するフェイクニュースも混じった、あらゆる情報が毎日のように消費されていく現状を伝えてみた。
セッションを進めていくなかで、難しいと感じることがあった。自分が生まれる前に死んでいった祖先に対する「もっとこうしてほしかった」がないのだ。正確には、過去の人々に対しての疑問や、少しの願いはあるが、先人たちがこれまで作り上げたものへの感謝の方が大きく思えた。
当セッションのゲストであり『グッド・アンセスター』の日本語訳を行った僧侶の松本紹圭氏は、「よき祖先とはいうものの、逆に“悪い”祖先はいるのでしょうか」と言う。「私たちの祖先が、未来が予測できないなかでベストを尽くしてきた結果が今です。墓参りに行くときに、先祖全体を罵っている人はいません。先人から受け取った恵みに目を向けることから始めても良いと思います」
また、2021年11月にインタビューを行った文化人類学者、辻信一さんの言葉も思い出した。
「僕たちの生活を形作っているものは、本来すべていただきものです。朝起きて息を吸うことができる体の仕組みは、人間が設計したわけではありません。太陽エネルギーで体を動かしていても、月末に太陽が請求書を送ってくることはありませんよね。空気や水や土も、自然条件という制約ですが、同時にそれなしには生きることのできない、恵みです」
私たちは人類の祖先や、自然からさまざまな恵みを受け取っている。1970年を生きる祖先に「こうしてほしかった」と思うことはないが、視点を変えることは、「未来の世代が安心して生きられるような地球環境を残したい」「そのために行動したい」と思わせるには十分だった。
デス・ナッジが培う想像力
もし、あなたの寿命があと少しで尽きるとしたら。
これまでの人生で、一度は考えたことがあるだろう。今改めて問うとしたら、あなたは後世に何を残したいと思うだろうか。環境、記憶、書き物、アイデア、伝統、お金、知恵など、できるだけ「よき遺産」を残したいと思わないだろうか。時代や場所によって「良い」の定義は変わるものの、100年前の人々にとっては、私たちも平和と健康を願われた世代だ。
何世代も先のことを考える長期思考が、今再び世界で重要視されている。そして後世によき祖先であると思われるような行動をするために、クルツナリック氏は以下の言葉を残している。
グッド・アンセスター、よき祖先になるためには、「どうやって<私>が変化をもたらすのか」ではなく「どうやって<私たち>が変化をもたらすのか」が重要な問題となってくる。代名詞を変えるだけで、世界を変えることができるのだ。現在の危機の緊急性にあっては、個人の単独のアクションよりも集団のアクションによって、権力者に変革を迫る戦略を必要としている。
(『グッド・アンセスター わたしたちは「よき祖先」になれるか』 pp278-279)
指針となる思想を持ち、社会により大きな影響を与えるには仲間が必要だ。SDGs(持続可能な開発目標)の17個目の目標も「パートナーシップ」である。
過去から学び、過ちを繰り返さないように。そして、できるだけ未来の人々が安心して暮らせるようにこれからの行動を考えるなかで、デス・ナッジ、つまり自分の寿命を自分自身に通知するところから始めてみてもいいのかもしれない。
Weのがっこうとは?
気候危機時代にわたしたちのウェルビーイングを探究するオンラインプログラム。Deep Care Labが主催。2021年10月8日(金)から12月10日(金)まで、全10回で開校された。「自然・生きもの」「人工物・モノ」「過去・祖先」「未来・こどもたち」の4つのモジュールで成り立ち、さまざまなゲストの話を聞きながら、参加者同士の対話を行うことで、これからの「We(わたしたち)」にとってのウェルビーイングを多角的に捉え直す。
※1 『資本主義と自由』(ミルトン・フリードマン著、村井章子訳、日系BP社)
※2 Theodore Zeldin Conversation(Harvill Press, 1998)p.14
【関連ページ】ナッジ(行動経済学)とは・意味