※本インタビューは、2022年3月22日に行われたものです。
ロシアによる、ウクライナへの軍事侵攻の開始から1か月が経つ。さまざまな情報が飛び交う中で、何を信じたらいいのかわからなくなったり、自分は無力だと落ち込んでしまったりすることだってある。私たちが今できることとは一体、なんなのだろう。
「軍事侵攻が起きていることはもちろんそうなんですが、そのなかには人が生きていて、幸せに生きたいと願っていて、明日をどうにか生きようとしている──その中に、どういう感情があるのか、本当に何を願っているのか。そういうことを“ちゃんと”知ってほしい」
そう話すのは、世界中を飛び回る映像作家、ジャーナリストとして各地のさまざまな社会問題を取材している慶應義塾大学2年生の小西遊馬(こにし ゆうま)さんだ。小西さんは、ロシア軍によるウクライナ侵攻が始まった2022年2月24日、バングラデシュの取材から帰国したばかりだった。
そんな中、ある使命感で、2022年3月16日にウクライナの首都キーウ(キエフ)に入った小西さん。小西さんはなぜ今、ウクライナに行ったのか。現地にいる小西さんに、現在のキーウ(キエフ)の状況、そして今のロシアとウクライナの状況を見て何を想うのか、話を聞いた。
“自分自身”が、ここに来るべき理由があった
「ジャーナリズムとは何か、ジャーナリストとしての責任は何かと考えたとき、日本の多くのメディアがその責任を果たせていないのだとしたら、自分にできることはまだまだあるんじゃないか、自分自身が行く理由があるのではないかと、そう思ったんです」
バングラディシュの取材から帰国したばかりだった小西さんは、帰国した当時はメンタル的にも疲弊しており、意図的にウクライナの情報をシャットダウンしていたと話す。
「ですが、しばらくして回復してからニュースを追い始めたとき、ウクライナのキーウ(キエフ)に関しては日本のメディアがゼロで、フリーのジャーナリストも片手で数えられるくらいしか入っておらず、まずいと思ったんです」
2019年から行われていた香港民主運動の際も最前線に出向いていた小西さんは、今回のロシアの軍事侵攻に関しても日系メディアの数の少なさを指摘。海外のジャーナリズムと日本のジャーナリズムのギャップを感じていた。
「もし、日本のメディアの多くがすでにキーウ(キエフ)に入っていたとしたら、僕は多分ここに来ていなくて。僕じゃなくてもできるのならば、日本でやれることをやっていたと思います。ただ、今の状況から、今回は僕自身がここに来る意味があった。あとは、一度海外メディアを通して得た情報を転載するような報道を、自分自身が受け取ることも嫌だったんです」
滞在場所から500メートルほど先での爆撃
「今、僕がいるのはキーウ(キエフ)の北西にあたる場所で、イルピンやブチャから森を一つ隔てたところに、滞在するアパートがあります。なのでイルピンやブチャの区域で炎が上がっている様子や、ミサイルをウクライナ軍が打ち込む様子、逆にロシア軍から撃ち込まれてくる様子が、滞在先から見えます」
3月20日夜、ニュースでも報道がされていたショッピングセンターの爆撃も、小西さんの滞在場所からたったの500メートルほど先での出来事だったという。
小西さんが現地で取材をする中で市民に対し、「最後に何か言いたいことはありますか?」と聞くと、市民が口を揃えてこう答えるのだという。「空を閉じてほしい」。空爆が始まってしまったら、被害があまりにも大きすぎるからだ。
「国民全体で助けあっているウクライナに、(ロシアが)そんな簡単に勝てるはずがないということを、現地に来ればみんな感じると思います。だからこそ、核の話も出るのではないでしょうか。軍隊と軍隊をぶつけあうやり方では、もはや勝てない。だから空爆などの奇襲的な方法をとるしか、きっとこの現状を打開することができないのかもしれません。そういう意味では今後、危険ですね。何が起きるかわからない」
「あとは”ありがとう”という声も多いです。世界の人々がすでにウクライナのために色々なことをしてくれていることを、彼らはわかっています」
今後、今の状況はどう変わっていくのだろうか。現地にいる小西さんは、どう考えているのだろう。
「少なくとも今、聞いている限りでは『諦める』という雰囲気はないです。ウクライナ軍はかなり自分の国をちゃんと守っていて、当初は2日でやってやろうと言っていたロシアが、もう2週間以上もキーウ(キエフ)に入れていない。市民の人たちも、圧倒的な信頼感を軍に置いています。自分たちのために先頭を切って戦っている兵士たちがいるのに、自分たちだけ逃げることはできないと、首都のキーウ(キエフ)に今も残っている人は多いんです。そうした市民のボランティアの人たちが、学校の給食室でたくさんお弁当を作って兵士の人たちに届けて、支えながら今、キーウ(キエフ)で戦っています」
「普通の日常」こそが、人々を助けてくれる
現地に滞在しているからこそ感じる、首都キーウ(キエフ)の市民の様子は、どのようなものなのだろうか。
「現状、市民の生活に関しては、電気や水道、ガスもあり、ネットはたまに不安定になりますが、基本的には問題ありません。東部のマリウポリなどは完全に壊滅していますが、ウクライナといっても広く、場所によって戦闘の激しさも違うので、キーウ(キエフ)は少なくともそんな状況です」
「どうしても現場にいないとわからない部分で、イルピンやブチャでの映像とキーウ(キエフ)の映像が混同されがちですが、キーウ(キエフ)においてはそこまで激しい爆撃を受けているわけではありません。徐々に近づいてきてはいますが」
ウクライナに現地入りする前までに想像していた現状と、実際にその目で見た現状は違うものであったと、小西さんは続ける。
「たとえば、今日は一日中外出禁止令が出ているんですが、基本的に外出禁止令自体は夜の8時から朝の7時までなので、日中に関しては比較的みんな、普通に過ごしています。コーヒーを飲みに行ったり、公園に出かけたり。みんなできるだけ“普通に”過ごそうとしています。普通に過ごすことで、戦時下であることを多少なりとも忘れたいという気持ちがあるのではないでしょうか。ずっと戦時下であることを強く意識するのは、やはりものすごくストレスなので」
「今一緒に住んでいるウクライナ人との取材帰りにも、彼女が『コーヒーを飲みたい』と言うので、『じゃあもうすぐ家だから、家で飲もう』と返したんです。そしたら、『いやいや、外で飲みたい』と。『外で普通にコーヒーを飲むという日常が、今のこの状況を忘れさせてくれるから、外がいい』と、言っていたんです」
「そうしたささやかな時間をあえて──明日死ぬかもしれないと思ったときにやっと、そういう普通の日常がものすごく美しいと感じたり、それが何らかの形で人々を助けてくれたりすることは、あると思います」
現地で触れる、人々の助け合いや、あたたかさ
多くの制限がある中でも、”日常”を送る人々。小西さんが現地で驚いたのは、人々の助け合いや、あたたかさだったという。
「この状況だからこそ、市民が団結して助け合っているという人のあたたかさには驚いているというか、感動しています。きっとこれは来てみないとわからないと思うんですが、人ってこんなに人に対して、優しくなれるんだって。それは不思議なことでもあり、わかっていたことでもあり──やはりそれこそが、僕が取材をする一つの理由でもあります。究極の極限状態に置かれるからこそ、人の本当の優しさと愛情というものが、出てきてしまうというか……見える瞬間がある。それはこのウクライナでも感じます」
「たとえば、僕は陸路でポーランドからウクライナに入り、リヴィウの街に少し滞在してから、キーウ(キエフ)に車で向かいました。通常であれば8時間で着くところも、今はとても混んでいるので16時間ほどかかったため1日で到着できず、前日に一泊したのですが、一般市民の方が自宅に宿泊させてくれたり、夕飯や朝食を作ってくれたりしました。海外から来たジャーナリストである僕にありがとうと感謝の気持ちを伝えてくれて、最後に少しお支払いしたお金も結局、彼らはウクライナのために戦う軍隊のために送っていました」
「今まさに滞在している家もそうですが、部屋を用意してくれただけでなく、朝ご飯と夕ご飯においしいものを作ってくれて、日中は取材の翻訳に協力してもらうなど、無理無茶な要望をたくさん聞いてもらっています」
「あとは僕、ウクライナに入るまでのポーランドとの国境沿いで、財布をなくしてしまったんです。まさかそんな失態をすると思っていなかったので、相当落ち込んでいたんですが、難民の人々でごった返している駅のインフォメーションセンターに対応してもらうなんてことは無理で。そこで、たまたま話しかけたスペインから来たボランティアの方に説明をすると、対応してくれそうな色々なところに連れていってくれました。財布は見つかりませんでしたがお礼を言って別れたら、その後すぐに戻ってきて、現地価格で1万円ほどの、くしゃくしゃになったお金を、僕の手に渡して去っていったんです。このような状況だからこその、助け合いや優しさに、これまでたくさん触れてきました」
今、どれほどの人が香港での出来事に想いを馳せているのだろうか?
今回、小西さんのウクライナ入りを後押しした存在がいる。小西さんの知人であり、現在キーウ(キエフ)で取材活動を共にしている、香港人ジャーナリストだ。彼の存在も、小西さんが今ウクライナにいる理由の一つだという。
「彼が先にウクライナに入っていたことは、知っていて。彼は2019年の香港民主運動のときから、香港で取材をずっと続けていました。当時はものすごい数のメディアが香港に来ていて、ニュースでも報道されていました」
「だけど今はもう、誰も香港のことを気にかけていない」
「その中で香港人として、かつ記者として生きていた彼は、今何を想ってウクライナを見つめているのかということが、僕は興味深かった。それは、これからの世界情勢を考える上でものすごく重要だと思います。彼の中にはきっと、ウクライナもそうなるだろうという想いもあるでしょう」
「また、香港のときと同じで、みんな最前線のバトルフィールドの部分しか切り取らない。本当はもっと、その中には普通の日常や、だからこその助け合いがあったりとか、だからこその美しさもあったりするはず。おそらくインターナショナルのメディアが映してくれないそれらをすべて背負って、香港の記者として彼は今、ウクライナから取材をしているのだと思います」
人は、数字ではない。人は、人であるということ
いま、現地で取材に挑む小西さんが、日本にいる私たちに伝えたいこととはなんだろうか。
「人は、数字ではないということ。人は、人だということです。みんなそれぞれ生きていて、誰かを愛そうとしていて、悲しいことも楽しいこともあって、夢があって。それはものすごくあたりまえのことですが……意外とメディアがこれまで、そう映してこなかったことの責任は大きいのではないでしょうか」
「もちろんそれは、距離的なものがそうしているのもあると思いますが……だからこそ、どこか他人事になってしまう。どこか同じ人間だと思っていない。ウクライナにいる人たちのことを、自分の隣にいる父や母、姉や兄、あるいは友だちなどと同じようには想っていない。内なる優生思想みたいなものは、やはりあると思います。“しょうがない”と、どこかで思える理由を残しているというか。真に同じ人間だと思えていないということですね」
人を人として想うために、過去の出来事として忘れ去らないために、私たちができることはなんだろう。テレビやインターネットで情報に触れる中で「何か自分できることはないか」と、悶々としている人も少なくないだろう。最後に小西さんに、そんな私たちにできることを聞いてみた。
「僕が個人的に思っているのは、『“ちゃんと”知ってほしい』ということです。僕は現場に来たときに、人々の日常まで映したいという話をしているんですが、ウクライナのことではなく、『そこにいる一人一人の人間』のことを見てほしいんです」
「軍事侵攻が起きていることはもちろんそうなんですが、そのなかには人が生きていて、幸せに生きたいと願っていて、明日をどうにか生きようとしている──その中に、どういう感情があるのか、本当に何を願っているのか。そうでないと、何かすると言っても、何もできないというか、ありがた迷惑になってしまうことをこれまでにもたくさん見てきました」
「自分の正義のために戦っていてもしょうがなくて。やるのだとしたら、本当にその人たちが必要としているものを、届けてあげるべきだなと思います。僕の発信だけでは到底無理なので、色々なメディアさんの記事も含めて、本当の意味で、ちゃんと知ってほしいです」
誰しもに、日常がある。誰しもに、大切な日々がある。大切な人がいる。小西さんの話を聞く中で、どうかそれを忘れぬようにと、今もウクライナで、コーヒーを片手に語らう人々に想いを馳せた。
*3月25日18:15〜19:15、現地の小西遊馬さんがお話しされる「緊急オンラインイベント」が開催されます。25日は西部の都市リビウに滞在している小西さんとオンラインでつなぐ現地報告イベントです。(外部サイト)
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▼取材のダイジェストムービーはこちらからご覧いただけます。
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【参照サイト】 小西遊馬 Portfolio