「シルク」という素材に触れることはあるだろうか。高価なイメージがあることから、普段なかなか手にする機会は少ないかもしれない。シルクの歴史は紀元前にさかのぼり、日本では弥生時代に養蚕や機織りの技術が伝来したとされている。その後、日本は明治時代には世界屈指の生糸の産地として名を馳せた。しかし、近年日本のシルクは危機的な状況にある。農林水産省によると、養蚕農家の高齢化や後継者不足により、平成30年の養蚕農家数と繭生産量はともに平成20年の約3割の水準まで減少している。これに伴い生糸の生産数量も大きく減少し、国産の生糸のシェアは現在0.2%と推定されている。
このように、急激に衰退する蚕糸業だが、素材からテキスタイル、そして最終的なファッションアイテムに至るまで一貫したものづくりのアプローチを通して持続可能性を模索している地域がある。埼玉県・秩父だ。
今回は、養蚕や絹織物に関して千年以上もの歴史を持つ秩父でものづくりをする「REINA IBUKA」代表の井深麗奈さんに、これまでのデザイナーとしての活動や秩父の素材を使ったものづくり精神についてお話を伺った。
話者プロフィール
井深麗奈(いぶか・れいな)
埼玉県秩父市出身。文化服装学院卒業後、ランジェリーブランドの企画を経て、フランスのランジェリーやレースに憧れ1997年に渡仏。アンティーク品、ヴィンテージ生地のバイヤーとしてヨーロッパ各地をまわった経験を生かし、レースとカーテンやテーブルクロスを合わせたインナーブランド「maria-reina paris」を2000年に立ち上げる。その後1920〜60年代のオートクチュールや映画、文化に魅了され、アウターラインとレースのマリアージュをベースに「Reina I. paris」を2009年に発表。17年過ごしたフランスから2014年に帰国し、 秩父の自然、人、伝統的絹織物の豊かさに触れ、2019年に再びファッションブランドをゼロからスタートさせる。地球の変化とともにファッションのあり方も変わっていかなければならない現代、秩父を拠点に大切なことを人と共有していきたいという思いで活動中。
秩父から、ファッションの本場・フランスへ
秩父に生まれ、小さい頃からファッションに興味があった井深さんは、文化服装学院でデザインを専攻した後、都内のランジェリーブランドで4年間デザイナーとしての経験を積んだ。ブランドのオーナーが25歳でランジェリーブランドを立ち上げた姿に影響を受け、自分もその歳までにファッションの本場であるフランス・パリに行きたいと思うようになったという。
井深さん:当時は、海外に住んで研修生としてブランドで働いてみたいという冒険心が強かったですね。若いうちに行っておかないといけないな、と。
渡仏後ファッション業界関係者のアテンドや通訳の仕事をしていた井深さんは、そのつながりから井深さんが製作したアイテムの取引を始め、2000年にオリジナルブランド「maria-reina paris」を立ち上げた。
井深さん:蚤の市にあるアンティーク素材など、パリだと日本にはない素材がたくさんあり、自分でランジェリーを手作りできました。インスピレーションがたくさんありましたね。ランジェリーを中心に製作していたのですが、本物のレースに興味を持ち、洋服を作って着てみたいという気持ちが強くなりました。
帰郷で見えた、秩父のものづくりの魅力
パリで17年間デザイナーとしてものづくりを続けてきた井深さんは、その後秩父へ帰郷した。
井深さん:30代後半で子どものことを考え始めたのですが、妊娠しても赤ちゃんが育たないという不育症で、パリで流産を繰り返していました。夫の家業を継ぐ話もあったので、日本での治療に希望を持ち、一大決心で秩父での子育てを夢見て帰国しました。ところが、その後も流産を繰り返し、最終的に子どもを持つことを諦めたのです。
それまで自分の思い通りに決断して歩んできたので、人生で初めて頑張っても思い通りにいかないこともあるということを知りました。ですが、畑で土に触れ始め、少しずつ力が湧いてきて本来の自分を取り戻せるようになりました。自然のおかげで人とつながって、美しいものに触れて嬉しくなる気持ちを徐々に思い出すことができたんです。
そうした状況で井深さんが出会ったのが、「秩父銘仙」と「秩父太織」という絹織物だった。
秩父銘仙とは、2013年に国の伝統的工芸品に指定された絹織物だ。糸に型染めをするため表裏が同じように染色される「ほぐし捺染」という技術を用いている。裏表のない生地が特徴で、角度によって色の見え方が異なる「玉虫効果」が見られるものもある。大正から昭和初期にかけて手軽なおしゃれ着として女性の間で全国的な人気を誇った。
秩父はもともと山に囲まれた地形で、稲作に向かないことから養蚕業が盛んであり、その中で規格外の繭を使い「太織」と呼ばれる野良着が生産されていた。それこそが、井深さんが使用している「秩父太織」だ。
この織りの技術は後継者不足により一度途絶えたが、数年前に復活・継承されており、現在「REINA IBUKA」で使用されている秩父太織のブランド「Magnetic Pole」では、商品が100%秩父産の繭から織られている。無撚糸(むねんし・ねじり合わせていない糸)だからこそ生み出される素材本来の肌触りや吸水性、生地としての強さを兼ね備えているという。
井深さん:自然に触れたことで元気が出てきて、今後自分がやりたいことが見え始め、まずはこれまで経験してきたファッションを通して何かできないかなと思いました。けれど、アパレルブランドが溢れている日本で私が新しく活動する意味があるのだろうかと葛藤していたときに、秩父に伝統的織物があることに気づいたんです。興奮しながら織元を訪れ、「これなら私がファッションブランドを作る意味がある!」と思い立ち、現在の活動を始めました。
初めはただ綺麗で素晴らしい技術だなと思っていたのですが、工房の近くで生産された繭から一貫して作られていることにも感動しましたね。「秩父でファッション?」と心配されたこともあるのですが、秩父には魅力的な素材があると信じていたので、「私もものづくりに挑戦したい」そして「秩父のこの素晴らしい文化を世界にも発信していきたい」と思ったんです。
ファッションを通して、つながりを想う
2019年から秩父銘仙や秩父太織を使ったものづくりを開始した井深さんは、現在クラウドファンディングを通して新たなコレクションを発表している。いざそうした場で発信をしてみると、服のデザイン性だけでなく、シルクという素材や秩父の養蚕文化に興味を持つ人が多かったことに驚いたという。
井深さん:これまで実施した展示会では、色々な方に秩父太織という地域に特化したものづくりのプロセスを褒められました。私たちの取り組みをいろんな地域の方に届けたいと思い、今回クラウドファンディングを立ち上げました。秩父に住んでいるのにこれまで秩父のシルクについて知らなかった方も、クラウドファンディングをきっかけに知ってくださり、興味を持っていただけるようになりましたね。そういう方たちからのメッセージを今後のステップにつなげていきたいと思っています。
また今後は、ファッションブランドのみならず、映像作品や舞踊など芸術分野とのコラボレーション作品に取り組んでみたいと井深さんは話す。
井深さん:パリでの経験を通して、人間の豊かさや道徳心もたくさん学びました。パリでは各々が自分の哲学を持っていて、他人にどう思われるかを気にしない人が多い印象でした。自分自身を理解して大切にするということを学びましたね。パリで感じた開放感を秩父でも実現してみたいですし、自分の好きなことやまだ秩父にないことを自分から作っていきたいと思います。
私が好きな自然やガーデニング、ファッションなどは、全部つながっているんですよね。ファッションを通して、人と人との心のつながりを感じていきたいですし、自然とつながっていく感覚を大切にしていきたいと思います。
編集後記
筆者自身も日本全国のテキスタイルの産地を訪問しているが、素材からテキスタイル、そしてデザインに至るまで一貫して同じ地域で行っているケースは極めて珍しい。一般的に、アパレル産業では素材や製造など工程全体が細分化されているが、分業制であるがゆえ生産背景の全容がつかめないことが多い。
一方で、今回取り上げた秩父の取り組みは、ものづくりの川上から川下に至るまで生産背景の透明性が大きな特徴である。井深さんたちの取り組みは、ものづくりの流れ全体を捉える視点を醸成すると同時に、今後の持続可能なものづくりに関する大きなヒントになるはずだ。
【参照サイト】クラウドファンディングページ
【参照サイト】REINA IBUKA ホームページ
【参照サイト】REINA IBUKA Instagram
【参照サイト】REINA IBUKA VERTS Instagram
Edited by Megumi