「彼の母親は、土がついていて汚れているという理由で、そのジャガイモを捨ててしまったのです」
ノルウェーの首都オスロにある都市農園「Losæter(ロセーター)」で活動するシティファーマー、Anders Rogstad Børresen(アンダシュ・ログスタ・ボレシェン)氏は、ゆっくりとそう語り始めた。学校の授業で収穫したジャガイモを家に持ち帰ったある生徒が、後日こう話してくれたのだという。
その一言は、私たちの暮らしがいかに利便性や効率性を優先し、食の源から遠ざかってしまっているかを突きつけてくる。
Losæterは、こうした課題に対してユニークなアプローチで向き合う。首都オスロの再開発が進むウォーターフロント地区に位置するこの場所は、ただの農園ではない。高速道路のトンネル上という、建物の建設が不可能な土地に生まれた「壁のない博物館」だ。もともとは不動産開発のプロモーションとして始まった一時的なアートプロジェクトだったが、市民の熱狂的な支持を受けて、恒久的な公共の公園へと姿を変えた。
その中心で圧倒的な存在感を放つのは、誰もが利用できる「公共のパン焼き小屋」。これは、アートがいかにして持続可能な「公共性」を生み出し、市民が自らの手で都市を豊かにしていくことができるのかを問う、社会実験の記録である。

再開発地区のど真ん中に、Losæterはある。
アートが育んだ「公共」の土壌
Losæterのすべては、アーティスト集団「Future Farmers」が仕掛けた100個の栽培ボックスから始まった。
開発地区の殺風景な土地に突如として現れた農園への参加募集には、数千もの応募が殺到した。それは、都市に住まう人々の心の奥底に眠っていた、土や食と繋がりたいという欲求が、アートという非日常的な装置によって呼び覚まされた瞬間だった。
「当初、これは周辺一帯を建設している企業によるアートプロジェクトでした。このエリアが開発されることを、皆に知ってもらうためだったのです」と、コーディネーターのLine Ulberg Tveiten(リーネ・ウルベリ・トヴァイテン)氏は振り返る。

Line Ulberg Tveiten氏
開発業者の商業的な意図から依頼され始まったこのプロジェクトは、当初、一過性の環境関連のプロモーションとして位置づけられていた。しかし、その場に集った市民たちの純粋な関心と参加が、プロジェクトの意味を書き換えていった。利潤を起点とした構想が、いつしか人々の手によって「公共性」へと転化されていったのだ。
なぜアートが、これほどまでに有効な触媒となったのか。アートは「こうあるべき」という規範から自由であり、失敗を許容する。その懐の深さが、農業の知識がない人々にとっても「ちょっと参加してみよう」と思える心理的な安全性を確保したのだろう。Future Farmersが創り出したのは、単なる農園ではなく、誰もが創造性を発揮し、公共空間の創出に参加するための「口実」だった。
この市民の熱意は、やがて行政を動かす大きな力となった。当初は2年間の期間限定だったアートプロジェクトは、その社会的な価値が認められ、恒久的な公共の公園として都市計画に組み込まれる。これは、トップダウンで与えられるだけの都市計画を、市民がボトムアップで「ハック」した稀有な事例だ。アートは一過性のイベントとして消費されるのではなく、持続可能なコミュニティが育つための豊かな「土壌」そのものを創り上げた。
パンの香りが人々を繋ぐ、公共のベーカリー
この農園の心臓部であり、思想的な核となっているのが、船の形をしたパン焼き小屋だ。その壁は麻のクズと石灰を混ぜたヘンプクリートという素材でできており、周囲の近代的なビル群とは明らかに異質な、温もりと手触り感のある佇まいだ。

Losæter
「これは建物として定義されていません。アート作品なのです」と、Line氏はそのユニークな成り立ちを説明する。
建物の中には大きな窯が設えられ、コミュニティの活動を通じて、誰もがパンを焼く機会にアクセスできる。活動のコンセプトは「Flatbread Society」。アーティストのAmy Franceschini(エイミー・フランチェスキーニ)氏が、多文化圏が共存するエリアで人々がフラットブレッドを焼く光景を目にし、この体験が「文化間の通貨」になりうると考えたことから生まれたという。

パンを焼く窯
人々はここで農園で採れた古代小麦を使い、粉を挽き、生地をこね、火を囲む。この一連のプロセスは、食料が商品として手元に届く以前の、手間と時間がかかる物語を人々に体感させる。パン作りは、単なる調理ではなく、文化の交換であり、世代を越えた知識の継承の場となるのだ。
このベーカリーは、利益を追求する商業施設ではない。誰もが無料で利用でき、焼いたパンをその場で分かち合う、純粋な「公共のプラットフォーム」である。パンの焼ける香ばしい匂いは、人々を惹きつける引力となり、この場所が誰にでも開かれたインクルーシブなコミュニティであることを教えてくれる。ここは人々の笑い声が混ざり合う、都市における新たな「公共圏」そのものなのだ。

Farming. Vibeke Hermanrud/Losæter 2016.
誰もが担い手になる「開かれた水曜日」
Losæterの公共性は、その運営方法にも貫かれている。この場所を支えるのが、冒頭でも紹介したシティファーマーのAnders氏だ。彼の役割は単なる農園の管理者に留まらない。オスロ市に雇用された専門家として、Losæterにおける農業活動全般を監督し、コミュニティを育む中心的な役割を担っている。

Anders氏
毎週水曜日をオープンデーとしていて、誰でも12時から18時の間に来て作業することができる。Anders氏の指導のもと、若者から高齢者、特別な支援を必要とする人々まで、誰もが農作業に参加できる。知識や経験は問わず、ただ、土に触れたいという気持ちがあれば、誰もがこの公共空間の「担い手」になれるのだ。そして作業の後には、その日の収穫物からつくられた「コミュニティディナー」が、参加者全員に振る舞われる。
この共食の時間は、都市の中で孤立しがちな個人を繋ぎとめ、顔の見える関係性からなる強固なコミュニティを育んでいる。

Losæterでの作業の様子
「緑の砂漠」から「生きた公共財」へ
「私たちは、ただ緑の芝生が広がるだけの公園を持ちすぎています。私はそれを『緑の砂漠』と呼んでいます」
Anders氏の言葉には、現代の公共空間が抱える課題が凝縮されている。見た目には美しくとも、市民の主体的な関与を許さない、受動的な空間に過ぎない。対してLosæterは、雑草が茂り、作物が育つ、混沌とした「生きた場所」だ。かつてこの土地が港として開発される以前は重要な農地であったという歴史の記憶を、現代の都市に蘇らせる試みでもある。
アートプロジェクトとして蒔かれた種は、今やオスロの地に深く根を張り、「公共」という概念を豊かに耕している。冒頭のジャガイモのエピソードは、「食べ物が実際にどこから来るのか、私たちがどれだけ遠くに来てしまい、どれだけ人々を教育する必要があるかを示しています」と彼は続けた。
Losæterの存在は、私たちに問いかける。真に豊かな都市とは、高層ビルが立ち並ぶ場所ではなく、市民一人ひとりが自らの手で文化を育み、未来を創造できる、このような「生きた公共空間」を持つ都市ではないだろうか、と。
編集後記
Losæterが示しているのは、「公共性」を完成された形としてではなく、常に生成されつづける“動的なプロセス”として捉える姿勢だ。アートという予測不能な営みが人々を巻き込み、やがて恒久的な公共公園という制度へと昇華していく。その過程そのものが、従来のトップダウン型とは異なる、新たな公共の立ち上がり方を物語っていた。
そして「公共のパン焼き小屋」というアイデアの力により、「食」という普遍的な営みを媒介にすることで、言葉や文化的背景の違いを超えて、人々が自然と集う口実を生み出している。誰かと同じテーブルを囲むという行為が、分断された都市空間において、もっとも優しく、もっとも力強い橋になることを、Losæterは教えてくれる。
行政がただの箱として交流施設を整備するのではなく、文化や創造性という装置を公共空間に埋め込むこと。その意義と可能性に気づかされたのは、大きな学びだった。Losæterの試みは、分断が深まる社会において、パンの香りのように温かく、誰にでも届くひとつの解答となりうるかもしれない。
Image credit: Bakehouse. Monica Løvdahl / Losæter, 2017
【参照サイト】Losæter
【参照サイト】osloaction(s)