鹿児島空港からプロペラ機に揺られること約一時間。眼下に広がる東シナ海の深い青の中に、その島は力強く浮かんでいる。

Image via 南西旅行開発
鹿児島県・徳之島。かつて「合計特殊出生率日本一」を誇り、子宝と長寿の象徴として語られてきたこの島は、2021年に世界自然遺産へと登録された。一方で、こうした注目の高まりとは別に、島では深刻な課題が進行している。若者は減り続け、かつて5万人を数えた人口は今やその半分以下(※)。自然が豊かでも、それを守り継ぐ人の営みが細っていく。その現実に、島はいま向き合っている。
パンデミックを経て旅の日常が戻りつつあるいま、私たちは地域とどう出会うべきだろうか。美しい風景をスマートフォンの画面に収め、非日常の思い出として持ち帰るだけの旅は、少しもったいない。地域の営みと深く交わることなく通り過ぎてしまう関係は、訪れる側にとっても、受け入れる側にとっても、どこか寂しさを残す。
南西旅行開発の代表取締役・内山貴之さんが提唱する「シマモリ」は、現代の観光が抱えるこうしたジレンマに一石を投じる、新しい旅のあり方だ。
「シマモリ」とは、島の自然や文化を守るための活動に、訪問者も関わりながら学び続けるプロジェクトである。例えば、ビーチクリーンや登山道整備、サンゴや藻場の再生活動といった保全活動に参加しながら、島の思想や歴史についての対話を重ねる。重要なのは、こうした活動が地域の営みと切り離された“体験メニュー”ではなく、島にすでにある暮らしや文化を下支えするものとして設計されている点だ。そして、旅が終わった後もコミュニティや発信を通じて関わり続ける──そうした多層的な関係性を前提として設計されている。
筆者にとって、徳之島は母の生まれ育った場所でもある。3日間のモニターツアーに参加し、徳之島観光連盟事務局長の林美樹さん、内山さん、島の人々との対話に触れるなかで見えてきたのは、旅そのものが失われつつある「結い」を編み直す契機になり得るということだった。

山の中腹から望む、徳之島の圧倒的なパノラマ。海と山が凝縮されたこの風景こそ、島の人々が守り、ともに生きてきた「源流」そのものである。
未来の青を植え、ウサギの穴から生命を推察する
徳之島では100年以上前、大正時代初期までは産業としてのリュウキュウアイの栽培・藍染料生産がおこなわれていた。また、各家庭では藍を栽培し家族の衣を染める母の姿があったという。育てた藍を使い、布を染め、暮らしのなかで受け継いでいく。そこには、植物を育てる人、染める人、身にまとう人が土地を介してつながる、ひとつの循環があった。
しかし近代化のなかで、より安価で扱いやすい化学染料が普及すると、手間と時間を要する天然染料の生産は次第に姿を消していった。失われたのは、単なる染料の選択肢だけではない。植物を育て、色を取り出し、布に移し、次の世代へ渡していくという、土地に根ざした技術と記憶の連なりでもあった。
「シマモリ」のツアーの核心にあるのは、その琉球藍をもう一度、島の土に植える作業である。安価な化学染料に置き換えられたこの伝統を、あえて手間のかかる方法で復活させようとしているのだ。
琉球藍を植えることは、単なる農作業体験ではない。島の工芸や自然資源、土地の記憶を未来へつなぎ直す、小さなチャレンジでもある。「シマモリ」が目指すのは、こうした一つひとつの実践を通じて、訪問者が島の営みに“参加し、共に育む”ことだ。
そこには、移住してきた親子や島を愛する人々が、同じ心の温度を持って集まっていた。

「アイヤマにアイを育むツアー」に集まった人々。島の自然を愛し、次世代へ紡ぎたいという同じ心の温度を持つ人々が、ともに土に触れる。
「未来の子どもたちの世代に、自然の恵みや知恵を残したい。この地に色んな人の想いや営みが刻み込まれているんだということを、伝えたいんです」
林さんの言葉が、土を掘る参加者の手に重みを加える。私たちがいま植える苗は、ただの植物ではなく、かつてこの島で暮らした人々の記憶であり、数十年後の誰かの時間を彩るかもしれない未来への贈り物だ。その長い時間軸に触れるとき、旅人は単なる通過者から、島の歴史をともに紡ぐ「当事者」へと昇華する。

未来へと手渡したい、島の自然の恵みと知恵。琉球藍の苗は、かつての暮らしの記憶を次世代へつなぐための大切な種まきである。

泥にまみれながら、一生懸命に藍を植える子どもたち。その小さな手がいま、島の歴史をともに紡ぐ「当事者」としての第一歩を刻む。
藍の植え付けの合間、参加者は山を歩き、生命の痕跡を探した。

50年前、パルプ用に皆伐された森は、いま若い木々に覆われている。尾根と谷、乾いた場所と湿った場所がすぐ隣り合い、その微細な環境の違いが、島ならではの多様な動植物を育んでいる。森を歩くほどに、自然は一つの風景ではなく、いくつもの気配が重なり合ってできているのだと気づかされる。
足元にある小さな土の穴を、みんなで囲んでじっと観察する。それはアマミノクロウサギが掘ったものだという。林さんに教わって周りを見渡すと、穴は一つだけではなかった。寝るための穴、子育てをするための穴、リラックスするための穴など、ウサギたちは用途に合わせて異なる穴を掘り分けるという。
この穴の角度からウサギはどこを向いていたのか、何を想ってここでくつろいでいたのか。林さんの解説をヒントに、見えない生命の営みに想像力を働かせる時間は、スマートフォンの画面からは決して得られない贅沢な知覚体験だった。
徳之島の自然は看板で説明してはくれないが、私たちが関心を寄せることで、はじめて「生きる証」を見せてくれる。

アマミノクロウサギが用途に合わせて掘り分けた穴の跡。見えない生命の営みを想像する時間が、森の解像度を少しずつ上げていく。
効率を捨て、「つながりの確認」のために集う豊かさ
「徳之島の営みには、そのすべてに“つながりの確認”が含まれているのです」
林さんの言葉は、このツアーの哲学を象徴している。
徳之島には、農作業や地域の営みを、近隣の人々が互いに手を貸し合いながら支えてきた「結(ゆい)」という相互扶助の文化がある。ここで言う「つながりの確認」とは、頭で理解するものではない。同じ場所に集い、同じ作業をし、顔を会わせる時間を共有するなかで生まれるプロセスそのものだ。
それは、祭りにも通じている。島の人々にとって祭りとは、単なる娯楽やイベントではなく、自分たちはどこから来て、何に支えられ、誰とどこにつながっているのかを確かめ直す時間でもある。祖先、自然、集落、隣人、そしてまだ見ぬ次の世代。その関係性の網の目のなかで、自分たちの現在地を確認し、ではこれからどこへ向かうのかを、言葉にならないかたちで問い直していく。
そこには摩擦や対立も生じるかもしれない。それでも、その「面倒くささ」さえ含めて、お互いの存在を確かめ合う。そこには、徳之島に伝わる「結」の精神が息づいているのだ。
かつて島には、稲作を中心とした濃密なコミュニティが存在していた。田植えや収穫は、隣人たちと協力しなければ完結しない営みだった。しかし、機械化や政策の変化によって共同作業の場は失われ、現在ではサトウキビの収穫さえも大型収穫機(ハーベスター)とそれを動かすオペレーターのみで完結するようになった。それは、コミュニティのレジリエンスが削がれていくことでもある。
効率や利便性を優先する社会では、この「つながりの確認」プロセスは省かれやすい。だからこそ「シマモリ」は、あえて時間をかけ、同じ場所に集って手間のかかる作業を共有する。その面倒くささのなかに、失われつつある有機的なつながりを取り戻す手がかりがある。

徳之島の歴史や文化、自然を多層的に紐解く林氏。その言葉のひとつひとつには、島とそこに生きる人々への、突き刺さるほどに深い愛情が宿っている。
墓石は海を向き、山にはケンムンが潜む
徳之島の自然観を理解するには、島の人々が抱く独特の死生観と精神世界に触れる必要がある。島の墓地を歩くと、墓石の多くが集落ではなく海の方角を向いていることに気づく。人間は水平線の彼方、目には見えない神の領域である理想郷「ネリヤカナヤ(※)」からやってきて、死ねばまたそこへ還っていく。目の前に広がる海そのものではなく、その水平方向の奥にある精神世界こそが生命の源流なのだ。
※ 沖縄では「ニライカナイ」と言われる。

命の源であり、いつか還るべき理想郷「ネリヤカナヤ」を象徴する徳之島の海。この静謐な青のなかに、島の人々の死生観が息づいている。
一方で、背後にそびえる山の上、はるか天上には「オボツカグラ」と呼ばれるもう一つの神の領域が存在する。集落には「テラ」と呼ばれる高台があり、天上から神が降りてくる聖地として、そこから上には家を建ててはならないという暗黙のルールが守られてきた。ネリヤカナヤが水平方向の穏やかな母性的な源流だとすれば、オボツカグラは垂直方向から人間を見守り、ときに畏怖を抱かせる厳格な父性的象徴といえるかもしれない。
徳之島の人々は、この水平と垂直の「見えない二つの神域」に挟まれた「里」で、豊かな自然の恵みをときに全力で活用しながら、たくましく生きてきた。ときには、山がはげ山になるまで木を伐採することもあったという。決してただ畏縮して機嫌をうかがうのではなく、目に見えない神々の存在を確かに感じながら、自然と深く交わり命をつないできたのである。
この自然観を社会の秩序として支えてきたのが、河童に似た精霊「ケンムン」の伝承だ。相撲が好きで悪戯好き、ときには魂や名前を奪うとされるこの存在は、単なる迷信ではない。
「海で獲ったタコを別のものにすり替えられないよう、夜の海では互いの名前を呼ばず『おい』とだけ呼びかける習慣がありました」
林さんはそう笑うが、そこには先人たちが長い歴史のなかで紡いできた、自然と共存するための知恵が息づいている。荒ぶる神として語られるイワトゥシ神や、悪霊のような存在もまた、人々の暮らしのすぐそばにいた。場所や作法を誤れば、命を取られる、病に伏せるといった「たたり」を受けるとも考えられてきたのである。
「特定の場所で騒がない」「決まった時期以外は山に入らない」といったケンムンや神々にまつわるにまつわるタブーは、単なる迷信ではなく、結果として乱獲を防ぎ生態系を維持するための「セーフティーネット」として機能してきた。
人間が自然を一方的に管理するのではなく、目に見えない存在(ケンムン)を介在させることで、共生の秩序を保つ。科学的データや法律が及ばない時代、物語こそが、人間と自然をつなぎ止める大切な約束事だった。

神聖な場所であり恵みと生きる糧をもたらす宝の山。数十年前のはげ山だった姿からは想像もつかないほど、いまは力強い生命の多様性に満ちている。
山は「宝」か、それとも「聖域」か
現在、青々と茂る徳之島の山々には、苦難と再生の歴史が刻まれている。かつて島に5万人を超える人々がひしめき合っていた時代、山は生活の糧を得る「宝の山」だった。食料、燃料、建材など、あらゆる資源を山から得ていたのだ。戦前から戦中にかけては枕木として松が大量に切り出され、戦後はパルプ材としての伐採が進んだ。昭和40年代、酷使された島の山々は丸裸になった。
しかし、そこから山は驚異的なスピードで自力で回復を始める。人間が山を使わなくなると、植林などの手助けをほとんど借りず、わずか半世紀で世界遺産に登録されるほどの豊かな森へと還ったのだ。この圧倒的なレジリエンスは、黒潮と季節風がもたらす温暖湿潤な気候──すなわち、徳之島を包む海と風の賜物である。
だが、世界遺産登録という栄誉は、新たなジレンマも生んでいるという。かつて「生活の糧を得る場所」であった山が、厳格な保護の枠組みによって、立ち入ることさえ制限された「聖域」へと固定化されつつあるのだ。
「山への親しみが減っている。山と人を切り離すことや、ルールを作るだけでは保護は続きません」
林さんの指摘は、現場を知る者ならではの切実な響きを持っていた。人間が関与することで維持されてきた里山の文化や、自然への畏敬の念は、山が「遠くの景色」になった瞬間に失われてしまう。「シマモリ」の取り組みは、この「保護」と「関わり」の境界線を溶かし、現代的な形で山と人間の関係を再定義しようとしている。

林氏の解説に耳を傾ける筆者と参加者たち。筆者の記憶にある徳之島には、いつもこの美しい海がすぐ隣に寄り添っていた。
旅は、失われた「結い」を編み直す針になる
島の源流をたどる旅は、しばしば、訪れる者自身の価値観や生き方を見つめ直す契機となる。だが、それは徳之島にルーツを持つ人だけに開かれた感覚ではないのかもしれない。
効率や利便性のなかで日々を回していると、私たちは自分が何に支えられて生きているのかを見失いやすい。旅は、そうした見えなくなったつながりを、もう一度身体でたどり直す時間にもなり得る。

倒木に根を下ろす新たな緑。死と生が循環し、再生を繰り返す森の姿。
徳之島での体験は、旅の新しい定義を教えてくれた。風景を消費して終わるのではなく、藍を植え、生きものの痕跡を観察し、島の人の言葉に耳を澄ます。そうした小さな行為が島の自然や文化を守る営みとつながったとき、旅は地域を支える関係性の一部へと変わっていく。
「誰でもいいから多くの人を呼びたいわけではない」と内山さんは語る。島の思想や営みに共鳴し、自らの人生と重ね合わせることのできる人に訪れてほしい──その言葉には、観光を一過性の消費で終わらせず、地域と訪問者の双方に変化をもたらす関係性へと育てていこうとする意思がにじむ。

林氏(左)、内山氏(右)、そして島を愛する渋屋氏(中央)。「シマモリ」の想いに共鳴する人々が、垣根を越えて対話を重ね、未来の形を編み上げていく。
林さんから受け取った、島の地層のように多層的な知識。内山さんが掲げる、島の未来を紡ぐための意志。それらが身体感覚をともなって腑に落ちたとき、徳之島は筆者にとって「美しい観光地」という枠を超え、「ともに生きる場所」へと変わった。
だからこそ旅は、遠くへ行くためだけのものではなく、自分が何とつながり、これからどのような関係を結び直していくのかを考える営みでもあるのだろう。
私たちはいつでも、自分自身の源流へと還ることができる。そしてその源流は、過去に閉じた場所ではなく、これからの生き方を選び直すための出発点でもある。

天空から根を降ろす気根の間から見上げた空。大地を抱きしめるような力強い根のなかに身を置くと、自然の圧倒的な生命力と「強さ」に包まれる。
編集後記
日々の仕事にやりがいを感じ、志を共にする仲間に支えられながらも、ふと立ち止まったときに思うことがあった。自分の根は、いったいどこにあるのだろうか。
今回の3日間のツアーで強く残ったのは、徳之島に息づく「確認する」という営みだった。誰とどのような関係にあるのか、どのような価値観を共有しているのかを、対話を通じて確かめ合うこと。それは現代社会において、しばしば省略されがちなプロセスでもある。その手間のなかに、人と地域の関係を結び直す力があるのだと感じた。
「シマモリ」は、地域に何かを“してもらう”旅ではなく、自分もその土地の未来に少しだけ責任を持つ旅なのだと思う。訪れた場所を一度きりの思い出として消費するのではなく、その後も気にかけ、学び続け、必要なときにまた手を貸す。そうした関係の積み重ねこそが、「シマモリ」の考える「島を守る人」の姿なのだろう。
この想いを分かち合える仲間たちと、島の未来を紡ぐ一員でありたい。大切な叔父や叔母との時間を慈しみながら、母の生まれ故郷であるこの島と関わり続けたい。その感覚が、いまの筆者を支える確かな力になっている。
もし今、日々の忙しさや「こうあるべき」という価値観のなかで、「自分はどこにつながっているのだろう」と感じている人がいるなら、この記事がその問いをそっと見つめ直すきっかけになれば嬉しい。旅は、遠くへ行くためだけのものではない。自分が何とつながって生きているのかを、もう一度思い出すための営みでもあるのだと思う。
※ 各回国勢調査時の市町村別人口の推移
【参照サイト】南西旅行開発株式会社
Edited by Erika Tomiyama






