多自然主義とは・意味
多自然主義とは?
多自然主義(Multinaturalism)とは、ブラジルの人類学者であるエドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ(以下、カストロ)が提唱した概念である。
アメリカ大陸先住民(以下、先住民)の研究を行っていたカストロは、先住民の存在論を「多文化主義」の前提では全く理解できない「多自然主義」と概念化する。カストロは、先住民の「世界」に関する根本的な諸概念(「文化」と「自然」、「精神」と「身体」、「人間」と「動物」など)が西洋とは異なっていることを指摘し、人々が生きているのはそもそも全く違った「世界」であると主張した。
なお、日本の人類学者である奥野克巳は、カストロが先住民たちの「自然と人間」の関係性のあり方を「多自然主義」と呼んだことを、ウェブメディア「DOZiNE」のインタビュー記事にて説明している。
文化人類学における多自然主義をより深く解説するにあたり、まずは多自然主義に関連する用語について解説したい。
文化人類学と「多文化主義」
文化人類学とは、人類の社会・文化の側面を研究するもので、人類の多様性を研究する学問である「人類学」の一分野である。『精選版 日本国語大辞典』(小学館、2003年)によると、生活様式やものの考え方、言語や慣習など、多様な人間の諸文化を、フィールドワークによって記録・記述し、それを比較研究して、文化の側面における人類の共通の法則性を見出そうとするもの、と記載されている。
そして多文化主義(Multiculturalism)とは、多様な文化集団や異なる民族グループが同じ地理的空間に共存している状態、あるいはそれを目指す立場や政策のことである。社会における多様な文化的アイデンティティを尊重し、受け入れることの重要性を強調する。これは、「一つの自然があり、多様な文化がある」と考える思想だ。
その対置となるのが、「一つの文化があり、多様な自然がある」を掲げる多自然主義である。カストロの著作によると、多文化主義が自然の単一性と文化の多様性を前提としているのに対し、多自然主義は「精神の単一性と身体の多様性」を認めている。
カストロが掲げた観点主義
カストロはまず、先住住民の研究において「観点主義(Perspectivism、遠近法主義ともいう)」という考えを掲げている。
「血」と「ビール」という有名な例をもとに観点主義を解説する。観点主義とは、人間が血と呼ぶものはジャガーにとってはビールであり、人間にとって腐肉にわく虫であるものはハゲワシにとっては焼き魚であり、人間が泥沼と見なすものはバクにとって立派な儀礼の場であるといった、異なる観点が並存するように、世界はパースペクティヴ(観点)の多様性からなるといった考えである。
これは、異なる種が「同じ世界」の「複数の表象」を持っているとように理解されるべきではなく、むしろ「異なる世界」を同じように表象しているとされる。その結果、動物は人間と同じ「見方」をしていても、私たちが見ているものとは別のものを見ているという。
これは西洋の「相対主義」とは異なるものであり、カストロは、先住民の存在論を多文化主義の前提では全く理解できない多自然主義と概念化したのである。またこの観点主義は、彼らの習慣や行動がある種の「文化」に属していると考えていることを意味する。
動物と人間の共通項は「文化」
Rosemary R. P. Lerner『Beyond the Clash between World-Views: Revisiting Husserl’s Concept of the Life-World』(Advances in Anthropology Vol.3, No.3,173-178、2013年)の解説によると、先住民の観点主義においては、動物やその他の生命体もまた「人間」である。
あらゆる宇宙的存在(月や蛇、ジャガーをはじめ、神々、死者、植物、気象現象、地理的事故などの精霊)は「霊的に擬人化したもの」、つまり「人間」だというのだ。
人間もジャガーも、自分を「人間」として見ている。しかし、カストロいわく「人間と動物の共通点が動物性(自然)ではなく人間性(文化)であるとすれば、それは人間性(文化)が「主体」の一般的な形の名前だからである」。
一見すると、人間以外の存在に意識や意思を投影する西洋の典型的な「人間中心主義」と解釈されそうだが、そうではない。むしろ先住民による「擬人的アニミズム(※)」は、どんな動物も「人間」になりうるといっている。
そして、このアニミズム(※)的な観点主義によれば、それぞれの宇宙的存在は自分自身に対しては反射的に人間らしく見えるが、その一方で、非対称的に、他の宇宙的存在にとっては人間に見えない。
※ アニミズムとは、動物、植物、樹木、滝、岩、月など、すべての自然物に霊魂的存在を認める思想・信仰である。
「自然」は多様な実在である
観点主義において、人間にとって「血」と見なされ、ジャガーにとっては「ビール」と見なされるような確固とした実体Xが存在するわけではない。血とビールは境を接するものであり、決して「血」と「ビール」ではない。実在そのものに対して多様な解釈が生じるのではなく、対象物(自然)は「血/ビール」という多様な実在なのだ。
異なる種が異なるものを見るとすれば、それは彼らの身体が異なるからである。先住民にとって、他の種や宇宙的存在との違いを際立たせているのは、彼らの身体であって魂ではない。
フランスの社会人類学者クロード・レヴィ=ストロースが著書『構造人類学』で取り上げたエピソードには、大航海時代に先住民たちが、西洋人(スペイン人調査団)が自分たちと同じ「身体」をもつかどうかを確かめるために、彼らを溺死させ、死体の腐敗を確かめたという話がある。
西洋人にとって「身体」の共通性が自明なように、先住民にとっては「魂」の共通性が自明であった。先住民は、人間も動物も精霊も、すべての存在は共通の魂を持つと考える。別の形をしているのは、たまたま与えられた身体が異なるからである。
先住民は西洋人にも魂があることを疑ったことはない。むしろ、西洋人にも同じ身体があるかどうかを疑っていた。そのため、「人間か精霊かを確かめるために」溺死させ、自分たちと同じ身体を持つことを確かめようとしたのである。
多自然主義がもたらすもの
A. Nunes Chaib『Multinaturalism in International Environmental Law: Redefining the Legal Context for Human and Non-Human Relations(国際環境法における多自然主義:人間と非人間との関係の法的文脈の再定義)』(Asian Journal of International Law、2022年)では、多自然主義が現代社会にもたらすものについて記されている。
この論文は、国際環境法という、根深い人間中心主義と経済的焦点の中で人間と自然の搾取的でネガティブな関係に対処してきた法制度に、多自然主義のような人間と自然の関係についてのさまざまな視点を組み込むことで、従来とは異なる形で国際環境法を考えることができるのかを分析したものである。
著者はカストロが提唱した多自然主義の概念に取り組み、国際環境法において先住民の観点主義を認めることの利点と重要性を取り上げている。また、自然との関わり方が異なるだけでなく、自然について異なる考え方ができる先住民族の観点主義を認めるためには、伝統的な西洋の「自然」と「文化」の概念を逆転させるような方法論的な変化が必要だと述べている。
著者は、多自然主義がもたらすものについて以下のように述べている。
先住民の観点主義は、近代西洋の法制度が、自然に対する人間の関係を再構築させる多様な生活形態をより明確に考えるためのさまざまな方法を提供する。
近代西洋の法制度は、法律家は本質的に「人間」と呼ばれるものから派生しうるものであり、またそうであるべきだという考え方に基づいて構築されている。しかし先住民の観点主義をもとに、「人間」という特徴を、人間が「自然」と呼ぶ文脈に属する物事に帰すると、私たち人間の関係や結びつきを組み直す新しい存在論が生じる。
もし法制度が文化の多様性(多文化)だけでなく、自然の多様性(多自然)を説明することができるのであれば、権利の概念そのものを、自然環境と私たち人間の関係をよりよく把握するために用いることができる。
著者は、「人新世」において、「人間」を「法律の枠組みの排他的な主体および対象」という立場から取り除くべきだとも主張する。そうすることで国際環境法が、人間中心主義を超えて前進することが可能になること、生態系保全における開発的、経済的懸念と長期的な種の生存の間の緊張を解決することを示唆している。
従来の捉え方に疑問を投げかける多自然主義
日本の人類学者・奥野克巳はウェブメディア「DOZiNE」のインタビューにて「多文化主義は西洋思考の深くにまで浸透していて、これが認識論的な次元で、先住民たちの行動を人類学者が観察する際のバイアスとなっているということをヴィヴェイロス・デ・カストロは指摘した」と話している。
多文化主義に対して提唱された多自然主義は、これまでの「人間」と「自然」という認識を根底的に捉え直すものといえる。
そして、先述したA. Nunes Chaibの論文が主張するように、多自然主義には多文化主義が有する人間中心主義への批判やそこから前進することへの意志が含まれている。
【参照サイト】狩猟民プナン、アニミズム、多自然主義
【参照サイト】ビールを飲むジャガーの人類学的生息地
【参照サイト】「僕たちは多文化主義から多自然主義へと向かわなければならない」奥野克巳に訊く”人類学の静かなる革命” | DOZiNE
【参照サイト】Viveiros de Castro Cosmological perspectivism
【参考文献】エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ著、檜垣立哉・山崎吾郎訳『食人の形而上学―ポスト構造主義人類学への道』(洛北出版、2015年)
【参考文献】相原健志『人類学の存在論的転回における概念創造という方法の条件と問題:創造から他律的変容へ』(慶應義塾大学日吉紀要.言語・文化・コミュニケーションNo.49:1-15、2017年)
【参考文献】神崎隼人『問題は「環境」であるのか?ーそれだけではない」ポリティカル・オントロジーのアプローチー』(年報人間科学第41号:129-144、2020年)
▶️ IDEAS FOR GOODによる、多自然主義を含めた「多元的な世界」を垣間見ていく特集は以下リンクから。