ロンドンのまちを“脱植民地化する”アーバニスト。地名に込められた「支配の歴史」が紐解かれるまで【多元世界をめぐる】

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特集「多元世界をめぐる(Discover the Pluriverse)」

私たちは、無意識のうちに自らのコミュニティの文化や価値観のレンズを通して立ち上がる「世界」を生きている。AIなどのテクノロジーが進化する一方で、気候変動からパンデミック、対立や紛争まで、さまざまな問題が複雑に絡み合う現代。もし自分の正しさが、別の正しさをおざなりにしているとしたら。よりよい未来のための営みが、未来を奪っているとしたら。そんな問いを探求するなかでIDEAS FOR GOODが辿り着いたのが、「多元世界(プルリバース)」の概念だ。本特集では、人間と非人間や、自然と文化、西洋と非西洋といった二元論を前提とする世界とは異なる世界のありかたを取り上げていく。これは、私たちが生きる世界と出会い直す営みでもある。自然、文化、科学。私たちを取り巻くあらゆる存在への敬意とともに。多元世界への旅へと、いざ出かけよう。

あなたの住む場所にはどんな地名が付いているだろう。そしてその名前が付けられた経緯を調べたことはあるだろうか。

それは周囲の自然環境を反映したものかもしれないし、その土地の成り立ちやそこで展開されてきた商いを象徴するものかもしれない。いずれにせよ地名とは、その土地が歩んできた歴史を表しているはずだ。

もしその地名がいまや祝福できない歴史的なイベントを反映したものだとしたら──そこで暮らす人やその土地にゆかりのある人はどうすれば良いのだろう。

そんな「地名」をめぐり、いまロンドン北西部のウェンブリーという地区で、小さな変化が起きようしている。それがまちの脱植民地化プロジェクトである「Decolonising Wembley(デコロナイジング・ウェンブリー)」だ。その動きの中心になっているのは、イギリス・ロンドンを拠点とする建築環境の専門家Nabil Al-Kinani(ナビル・アルキナニ)さんである。

イギリスがかつて歩んだ帝国主義の歴史から、ロンドンというまちの多様化の経緯まで、すべてに関係するこのプロジェクト。今回はナビルさんへのインタビューを通じて、ウェンブリーで生まれようとしている新たな「まちの物語」を聞いた。

話者プロフィール:Nabil Al-Kinani(ナビル・アルキナニ)

Nabil Al-Kinaniさんプロフィール写真ロンドンを拠点とする建築環境の専門家。都市化・プレイスメイキング・サステナブルデベロップメントに関心がある。場所とストーリーを結びつける文化プロデューサーでもある。イラクのバグダッドで生まれ、ウェンブリーで育った。

ロンドンで最も多文化な場所の一つ。ウェンブリーというまち

北西ロンドンに位置するウェンブリーという地区は、スポーツとエンターテインメントでよく知られている。最も象徴的なランドマークは「ウェンブリー・スタジアム」だ。1923年に建設されたこのスタジアムは、2007年に再建された。9万席を超える収容能力を持ち、イギリス最大かつヨーロッパでも最大級のスタジアムとして知られている。サッカーや音楽ライブのイメージを持っている人も多いだろう。

ウェンブリー・スタジアム|Image via Shutterstock

ウェンブリーはロンドンで最も多文化な場所の一つでもあり、さまざまな国や民族にルーツを持った人々が暮らしている。2021年にブレント自治区がおこなった調査によると、ウェンブリーで暮らす約3分の2の人々がアフリカやアジアのバックグラウンドを持っており、55%の人々はイギリスの外で生まれている。ウェンブリーの中では、150の言語が話されているという。

自身もイギリスとイラクのバックグラウンドを持つナビルさんは、2歳のときにイラクからイギリスに移り住み、多様な文化が織り混ざるウェンブリーで育った。そして彼は中学生のときにある疑問を抱くことになる。

ふと疑問を持った、場所の名前の由来

ウェンブリーに住み、そこの開発をするデベロッパーのもとで働いていたころ、ナビルさんは一つの地区につけられた「カナダ・ガーデン」という地名をふと目にした。

「なんで『カナダ』なんだろう?と思った記憶があります。そして当時働いていたデベロッパー企業の上司に思い切って聞いてみたんです。そうすると、回答が返ってきました。どうやら、かつてウェンブリー地区では『British Empire Exhibition(以下、大英帝国博覧会)』が開催され、カナダ・ガーデンと名付けられたところには、大英帝国博覧会で『カナダ・パビリオン』が設置されていたようなのです」

それがナビルさんの「脱植民地化」プロジェクトの出発点になった。新たなレンズを手に入れて、まちの風景を眺めていると、今まで見えなかったものが見えてくる。ロンドンの中でも特に多様なウェンブリーというまちは、1920年代には大英帝国の繁栄を祝ったイベント「大英帝国博覧会」の開催場所でもあったのだ。

「そうした視点で見てみると、まちには植民地主義の名残が多くあります。植民者の銅像がいまだに建っていることもありますし、まるでイギリスの帝国主義を誇りに思っているかのように、奴隷貿易に関連する道の名前や場所の名前がついていることがあるのです」

Decolonising Wembleyのプロジェクトが訴えるもの

2023年現在、ウェンブリーはまさに再開発の段階にある。特にウェンブリーパークの周りが大規模に開発される予定だ。

「かつての帝国主義は、白人(主に男性)が外の『野蛮な』人々を文明化するという意味合いを少なからず含んでいます。1924年の大英帝国展もそうした価値観を大々的に反映した催事の一つであり、そこでは『ヒューマン・ズー(人間動物園)』という企画が催され、有色人種である273人のウェンブリーの住民が『展示』されたこともありました」

「ウェンブリーにおける多くの道の名前や建物の名前が、いまも1924年の大英帝国博覧会を記憶するように付けられています。これは一種の『帝国主義のノスタルジア』であり、それらの名前を残すことは、帝国の歴史を生きた記憶として残すことであると、私は考えています」

プロジェクトの対象となっているウェンブリーの地域|Image via Decolonising Wembley

そこで、ナビルさんはDecolonising Wembley(デコロナイジング・ウェンブリー)のプロジェクトを始めた。このキャンペーンは、そうした帝国主義の歴史をまずはしっかりと認識し、その反省を乗り越えていこうとするものだ。プロジェクトは、ロンドンのブレント自治区およびウェンブリー地区の開発に携わるデベロッパーに対して、下記の5つのことを要求する。

  • 資産や土地の命名規則に関する調査を行い、その結果を公表すること
  • 帝国主義的な行事(『大英帝国博覧会』のこと)の是正の必要性を正式に認めること
  • イギリスの帝国主義の実情とレガシーに関する教育の必要性を主張すること
  • 1924年の大英帝国博覧会の遺産を称える資産の名称を変更すること
  • 1924年の大英帝国博覧会およびその遺産を適切に記録し、美化しないようにすること

このキャンペーンは2023年の6月にはじまり、ナビルさんからブレント自治区およびウェンブリー地区の開発に携わるデベロッパーにコンタクトを取っているものの、まだ正式な回答は得られていない。しかし、ナビルさんはOpen House Festivalというロンドンのまちづくりに関するイベントなどでも、デコロナイジング・ウェンブリーのプロジェクトについて発信し、建築家だけではなく、歴史研究者や作家とも意見を交わした。

ロンドン中で「脱植民地化」は大きな動きに

1990年から世界中で行われていた「ヒトゲノム計画(人間の遺伝情報を構成するDNA配列を全て決定し、解析する国際的な科学研究プロジェクト)」。イギリスにおいては、主に白人男性のサンプルに基づいて行われていた。しかし、このアプローチでは不十分であることが認識され、英国国民保健サービス(NHS)はより多様なサンプルに基づく追加のテストを実施した。その結果、白人男性のサンプルのみに依存することの限界が明らかになり、研究の範囲と精度を高めるためには、より多様な人口集団を包括する必要があることが浮き彫りになったのだ。

こうした科学的背景も後押しし、現在「脱植民地化」の議論がイギリス内部から湧き上がっている。それに伴い「コモンウェルス(※かつての大英帝国を構成していた50余りの独立諸国が加盟する連合体の名称)」という考え方も再評価されている状態だ。

ロンドンでは特に脱植民地化の動きが顕著に見られる。以前IDEAS FOR GOODでは、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンが優生学者の名前をつけた建物を改名した事例や、教育カリキュラムを見直した事例などを紹介した。

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東ロンドンには「The Museum of Home(ミュージアム・オブ・ホーム)」という美術館がある。ここはかつて、Robert Geffrye(ロバート・ジェフリー)という奴隷商人が居を構えた場所だった。そこで、ミュージアム・オブ・ホームは、ロバート・ジェフリーが博物館の創設やコレクションとは直接関係がないことを示した上で、その建物と大西洋奴隷貿易とのつながりによって引き起こされる痛みを認識し、構造的な人種差別と植民地主義の遺産について教育する必要性をホームページで発信。現在彼の銅像を目立たない場所に移動することを検討している。(※ミュージアム・オブ・ホームの建物は歴史的な遺産として登録されているため、銅像の移動を移動するための手続きには時間を要する見込みだ。)

また、ウェンブリー近郊には「グラッドストン公園」という場所がある。1901年に公開されたこの公園は元イギリス自由党首相ウィリアム・グラッドストンを記念して名付けられた。しかし、ウィリアム・グラッドストンの父、ジョン・グラッドストンは、イギリスが植民地化したカリブ海地域の大規模な奴隷所有者の一人であった。こうした歴史的背景と、ウィリアム・グラッドストン自身が初期の政治キャンペーンで奴隷所有者に対する補償を支持していたことから、彼の像(※ロンドンのストランドという通りに設置されている)に対する議論が生じている​​。その結果、2020年のBlack Lives Matter運動を受け、イギリス全土にある彼の像の撤去を求める声が高まった。

Image via Shutterstock

※2023年にグラッドストンの子孫は南米のガイアナを訪れ、奴隷制度への関与に対して謝罪した。ウィリアム・グラッドストンの曾々孫であるチャールズ・グラッドストンは、奴隷制度は人類に対する犯罪であり、その影響は今も世界中で感じられていると述べた。彼は、家族の過去の行為に対して深い恥と後悔を表明し、ガイアナの奴隷の子孫に心からの謝罪を伝えたが、現地のアフロ・ガイアナ人活動家によると、この謝罪は不十分であり、ガイアナのアフリカ人の子孫に対して1.2兆ドル以上の賠償金が支払われるべきだとしている。(参照サイト

かつての植民地をはじめとする国々から文化的な遺産を収奪し、現在も展示している大英博物館については、その議論がロンドンにとどまらず全世界へと広がっている。

このように、ロンドン市内だけを見ても、まちに刻み込まれた植民地化の歴史と、それに対しての批判の声は、例をあげようと思えばキリがないほどだ。これらのことに対して、ロンドン市長は「公共空間における多様性委員会」を設置。文化的ビジョンの一環として、教育や環境、住宅などの分野での多様性と包摂に関する取り組みを強化し、歴史的人物や彼らの奴隷制度との関連に対する全国的な再評価の動きの一部にもなっている。

西欧の帝国主義とセットだった「人種差別」から抜け出すために

ヨーロッパ諸国がかつて行った植民地政策の話をするときに、ついアフリカ、アジア、南米などのグローバルサウスの国々を想像してしまっていないだろうか。しかし、イギリスの帝国主義の影響が及んだのは、それらの国々だけではない。例えば、アイルランドはイギリスにおける植民地主義の影響を受けた「最初の被害者」だと主張する声もある。アイルランドでは、現に差別的な隔離政策をしていたことが明らかになっている。

日本も戦時中には同様に他の地域を占領し、植民地化した歴史がある。ただ、ナビルさんいわく、西洋の帝国主義が他の地域のそれと決定的に異なるところは、「白人の優位性」という人種差別的価値観がセットとなり植民地化が繰り広げられたことだという。

「白人は、かつて『無料の奴隷』を扱っていいほど、十分優れていると考えられていました。そうして人を『アセット』としてみるようになり、人が金を生む装置になるのです。そうした考え方が奴隷制度、資源の搾取、人種隔離、社会ダーウィニズム、メリトクラシーなどを生みました。いまも(必ずしも無料ではないものの)安価な人件費で人を『使う』という発想が残っています。そうしたシステム自体を脱植民地化していかなければなりません」

また、ナビルさんは社会全体の分断ではなく連帯を呼びかけるために、こう付け加えた。

「強調したいのは、これらの脱植民地化のプロジェクトは、『白人の優位性』に抗議するものであって、白人を攻撃するものではないということです。そして前の時代の反省をきちんとするためにも、特定の記憶を全て消し去るわけではなく、その記憶が正しく、美化されることなく、残るようにしていく必要があります」

脱植民地化のプロジェクトが必要なくなる未来を目指して

最後に、ウェンブリー地区の脱植民地化プロジェクトの今後の展望について聞いた。

「私の願いは、このプロジェクトが必要なくなることです。提出した5つの要求がブレント自治区とウェンブリー地区の開発に携わるデベロッパーにのまれ、ウェンブリーがイギリスの脱植民地化議論のスタート地点となり、国家的・国際的な対話に発展することを望んでいます」

「また、先ほども話したように、人権そして労働力が正当に評価される世の中になることを望みます。さらには、経済成長だけではなく、バランスの中ですべての人が生きているようになってほしいですね。豊かに生きるための世界観の一部は東洋から来ています。そして多くの薬や技術や知識が、イスラム圏やアフリカ大陸で誕生しました。脱植民地化の過程で、資本には置き換えることが難しい、考え方や知識にこそ、価値が置かれていくべきなのではないでしょうか」

編集後記

戦争の終わりは、植民地主義の終わりを意味するわけではない。それが、ナビルさんへのインタビューを通して感じた一つのことだった。ロンドンの土地に刻まれた地名はもちろんのこと、社会で起きている人種差別、広がる経済格差、労働問題と人権問題──すべてのものが複雑に絡まり合って、いまの時代に存在している。私たちは「植民地主義の次」の時代を生きているというより、「植民地主義の続き」の時代を生きているのだと感じざるをえない。

木の根っこのように社会に強く残るその価値観を、いますぐ一掃することは難しいかもしれない。そんなとき、前の時代に起きたことをきちんと認識すること、そして現在からみたときの評価を丁寧に下すことは、大切な一歩になりうる。デコロナイジング・ウェンブリーのプロジェクトはまさにその一歩を踏み出そうとしている。

あなたのまちにはどんな物語が刻まれているだろう。まちの成り立ちを支えてきた人々の目線から、いまの景色を眺めてみると、新たな発見があるかもしれない。

【参照サイト】Nabil Al-Kinani
【参照サイト】DECOLONISING WEMBLEY
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