微生物と共に社会をつくる?人間中心ではない「マルチスピーシーズ」の社会がもたらす喜びとは【多元世界をめぐる】

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特集「多元世界をめぐる(Discover the Pluriverse)」

私たちは、無意識のうちに自らのコミュニティの文化や価値観のレンズを通して立ち上がる「世界」を生きている。AIなどのテクノロジーが進化する一方で、気候変動からパンデミック、対立や紛争まで、さまざまな問題が複雑に絡み合う現代。もし自分の正しさが、別の正しさをおざなりにしているとしたら。よりよい未来のための営みが、未来を奪っているとしたら。そんな問いを探求するなかでIDEAS FOR GOODが辿り着いたのが、「多元世界(プルリバース)」の概念だ。本特集では、人間と非人間や、自然と文化、西洋と非西洋といった二元論を前提とする世界とは異なる世界のありかたを取り上げていく。これは、私たちが生きる世界と出会い直す営みでもある。自然、文化、科学。私たちを取り巻くあらゆる存在への敬意とともに。多元世界への旅へと、いざ出かけよう。

人新世とも呼ばれる現代。多くの人々の暮らしは、人間が作ったものによって成り立っているようにも見える。特に都市部は、家も、車も、公共交通も、道路も、店も、周囲にある大半のものが人間によって構築されたものだ。街中の木々でさえ、人間が決めてそこに植えたものだろう。

人間が生み出したモノ・コトの多くは、人間の生活をいかに快適にするかという視点でデザインされてきた。それは、経済のまばゆい発展を支えた要素でもあるかもしれない。

一方で、こうした人間中心設計は、環境破壊が深刻化した一因とも考えられている。自然を人間のために利用し続け、人間ではない生き物の暮らしやニーズには重きが置かれてこなかった。これが過剰な生産につながり、気候や生態系バランスに異変が見られても、重視するのは「人間がいかに快適に使えるか」であるため状況の悪化につながったのだ。

そんな人間中心の考えから脱却することはできないか?──世界の一部ではすでにその観点から、これまでとは根本的に異なるデザインや思考の模索が始まっている。

その一つが「マルチスピーシーズ」という視点。これは体内の微生物から、動植物に至るまで、あらゆる生物種の“つながり”に焦点を当てる考えだ。今、分野を超えて注目が高まっているという。この概念は、一体どのように発展してきたのか。そして、これがどのようにして人間中心の視点を乗り越える助けとなるのか。愛媛大学社会共創学部環境デザイン学科でマルチスピーシーズの持続可能性について研究する、ルプレヒト・クリストフ准教授に話を伺った。

話者プロフィール:クリストフ・ルプレヒト(Christoph D. D. Rupprecht)准教授

愛媛大学社会共創学部環境デザイン学科准教授・一般社団法人FEAST理事(2021年〜)、地理学・都市計画・生態学博士(2015年、濠・グリフィス大学Environmental Futures Research Institute)。マルチスピーシーズの持続可能性、マルチスピーシーズ都市、食と農、非公式緑地、脱成長、ソーラーパンクというテーマについて、ゲーム・アート・フィクションを含む超学際的手法を通じて、共生共栄の未来への道筋を探求中。「みんなでつくる『いただきます』」(2021)、「Multispecies Cities」(2021)、「Solarpunk Creatures」(2024)共著。

個の「関わり合い」から物事を理解してみる

生物種のつながりを重視するという「マルチスピーシーズ」は、どのような観点から世界を理解し直そうとするのか。その基本軸には、二つのポイントがあるという。

一つは、人間中心の見方ではなく「関係性」から物事を捉えることだ。個や種などの単体として切り離して理解するのではなく、それぞれが互いにどのような影響を及ぼし合っているのかに焦点を当てることが重要だという。

「私たちは物事を理解するときによく二つに分けてしまいがちです。こうすると理解しやすいのですが、本来、生態系も人間の関係もとても複雑です。どこかで変化を起こしても、その結果何が動くかという因果関係は予測できません。そんな世界のあり方を受け入れることが大切であり、この複雑な絡み合いに着目することが、マルチスピーシーズにおける『関係性』であると思います」

植物の関係性が無視され、短絡化された設計のプランテーションはレジリエンスがなく、ウイルスが一気に広まることがあるという。

基本軸のもう一つは「行為者性」に意識を向けることだ。先に挙げたようにマルチスピーシーズは「関係性」を重視する。しかし、個の存在を否定する訳ではない。あらゆる生き物が、意志や意識を持とうとも持たざるとも、その存在を通して周りの環境に影響を与えて変化を起こしていると捉える考え方なのだ。

「これは新型コロナウイルスを想像するとわかりやすいです。コロナの蔓延について説明するとき、ウイルスの行為者性なしに語ることは難しいのではないでしょうか。行為者性の質には違いがあるかもしれませんが、生き物が行動を通じて環境に変化を与えているならば、それは『行為者性』があると言えます」

つまり、「あらゆる個や種は単独で切り離して存在することはできず、他との関わりを持って互いに影響を及ぼし合っている」という考えを軸に世界を理解することが、マルチスピーシーズの視点なのだ。

この見方を分かりやすく伝えてくれるのが、微生物だ。マルチスピーシーズ研究者の多くが事例として挙げるほど、微生物の“あり方”は、マルチスピーシーズの軸である「関係性」をうまく体現しているという。

「私たちは人間を『個』として他から切り離して捉えていますが、微生物を通じて常に外部と関わり合っています。たとえば、私たちがどこでどう過ごすかによって腸内細菌は変化するのです。周りの人や空気によっても影響を受けます。なので、微生物に注目すると関係性そのものが見えてくるのです」

人間がどんなに「個人」という枠を強調しても、腸内細菌は否応無しに外部の環境や人からの影響を受けて機能している。そして人間は、その関係性を意識的に断ち切ることはできない。私たちは、関係性の中に生きているのだ。

マルチスピーシーズは世界をみる「レンズ」の一つ

マルチスピーシーズは、決して真新しい概念ではないという。関係性をよく見て、行為者性を考慮して社会を作るという考え方は、先住民による文化をはじめ様々な文化に見られるものだからだ。

「マルチスピーシーズを新しい発見だと位置付けることは、間違いだと思います。デカルトの二元論から始まって、世界は物事を分解することによって理解しようと試みてきました。それによって達成できたことも多いのですが、20世紀後半になると、例えば医学においては、微生物や腸内細菌を個として理解することが難しくなってきました。二元論での理解に限界が訪れ始めたのです。そんな流れの中で、分野を超えて物事を理解しようとする動きがあり、マルチスピーシーズもその一つとして生まれています」

つまり、これまで主流とされてきた二元論から離れようとする中で、マルチスピーシーズという見方が生まれ、これまで二元論に当てはめられなかった文化的な価値観や概念に(やっと)焦点が当たるようになったと言えるだろう。

一方、既存の文化や知識に対して、「この概念はマルチスピーシーズに該当するかしないか」という類型化は避けたいポイントだ。マルチスピーシーズは、ひとつに固定できる概念ではない。国や地域によっても動植物や環境の要素が異なるため、そこで生まれる関係性には違いがあり、統一された理解ができるものではないからだ。

「0か100」「YesかNo」という極端な分け方ではなく「マルチスピーシーズの要素を見出す」「マルチスピーシーズ的な考え方から考えてみる」というように、色合いやレンズの一つとして引用する形がより望ましいとのことだ。

メガネにさまざまなデザインがあるように、世界の見方も多様であり、私たちはそれを選ぶこともできるはず

マルチスピーシーズと政策・経済の接続点を探る

そんなマルチスピーシーズ「的」な考え方は、国際的な施策や町の政策にも登場し始めている。

「生物多様性版のIPCC」とも呼ばれるIPBES(※1)による「自然の多様な価値と価値評価の方法論に関する評価報告書」を受けて環境省が作成した解説資料には、自然の価値の包括的な類型化として、人間中心的な「自然により生きる」という価値から、「自然の中で生きる」「自然と共に生きる」「自然として生きる」という多元的な価値まで、人と自然の関わり方に豊かさがあることが示されている。これらの類型を考慮することで、政策決定における自然の価値の多様性を高めることができると説いているのだ。

※1 IPBES:生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム。生物多様性と生態系サービスに関して、科学と政策のつながりを改善するために設立された政府間組織。139カ国が加盟(2023年3月時点)

出典:環境省(2023)IPBES:自然の多様な価値と価値評価の方法論に関する評価報告書 政策決定者向け要約 より引用

「この図は、自然を資源として捉える主流の考え方以外にも多様な考え方があることを示しています。『マルチスピーシーズ』という言葉は使っていないですが、図表の右側にいくほど、マルチスピーシーズの考え方になると言えます」

さらに、地方自治体レベルでは、フィンランド・ヘルシンキ市がマルチスピーシーズの視点を取り入れた政策を発表した。同市は、2023年9月に「マルチスピーシーズ・シティ:カーボンネガティブ都市のプラネタリー・プランニングに向けた正義の視点」という報告書を公開したのだ。人間中心の考え方を超えて、複数の種に対する正義を実現するようなまちづくりをすべきであると説いている。

人間中心を超えて都市の正義を問う。ヘルシンキが目指す「マルチスピーシーズ・シティ」とは?

こうして政策への活用を念頭に置いた取り組みが芽生え「多種」が意識され始めていることは、明るい兆しだ。

また、ルプレヒト教授が近い将来に向けて可能性を模索しているのは、マルチスピーシーズと脱成長の接続だ。脱成長とは、生産・消費活動を縮小して生態系のウェルビーイングを向上させ、社会・環境状況を改善させようとする考えのこと。同様の課題意識から注目されるマルチスピーシーズの視点は、永続的な成長の追求から脱するための意義を与えるという。

「脱成長を提唱している、経済学者のヨルゴス・カリス氏は、より持続可能な生き方として『小さく生きること』を提案しているのですが、その意義は『他の種のための場所を残すこと』なんです。全て人間が使い切ってしまうと、多くの問題が起こります。一方、余白を残すことができれば、人間が他の種と持つ関係も豊かになるのではないかと考えています」

ここで言う「小さく生きること」は、常に拡大を目指す成長主義から脱することだ。脱却した先の社会で、どこまで「小さく」生きるべきかという上限を決めることは不可能に近い。さらに、上限を決めると誤解が生まれやすいという。人々が地球で安全に活動できる範囲を科学的に定義し、その限界点を示したプラネタリー・バウンダリーもその一つだ。

「プラネタリー・バウンダリーという考え方は、危険も伴います。限界を決めると『ここまでは使って良い』と思い込みやすく、そもそもその限界ラインを正確に測ることが難しいからです。バウンダリーを超える前に自粛して、限界点を超える可能性を最初からゼロにするべきじゃないかと考えています」

だからこそ、多種の視点が重要となる。地球上でさまざまな種が共存することを真剣に考慮するならば、人間だけであらゆるものを独占したりしないはずだ。すると、私たちは新しい経済のあり方も見出していくことができるかもしれない。

未来の想像が実現への一歩になる

マルチスピーシーズという考え方は理解できて、それが政策や経済とつながる可能性も見えてきた。けれど、この考えを重視することが、具体的にどのような形で人間中心の社会を変えていくことができるのだろうか──そんな疑問を感じる人もいるだろう。

だがルプレヒト教授は、すでにその変化の種となるアイデアは世界各地で「想像」として生まれている、と教えてくれた。この想像上の世界はあくまでも、ポジティブな妄想であることが重要だという。

「現状への怒りから環境活動に取り組む場合もあり、私自身も怒りからエネルギーが湧くこともありますが、それは持続可能ではありません。また、人間そのものを嫌いになり、人間が消えれば自然が治癒すると捉えて『Humanity is virus, Nature is healing(人間性はウイルスで、自然こそが癒しだ)』と唱える人もいますが、それこそ二元論的な考え方です。

本当に人間を自然の一部と考えるなら、その中での役割があるはず。自然にどのように『お返し』ができるかを考えることが、人間のタスクです」

そんな「お返し」の方法を想像するとき、ポジティブな妄想へと広げることも重要だ。

「環境危機を理解しながらも、明るい未来を想像してみることが、徐々にジャンルとして確立してきています。これは科学的根拠よりも、SF作家などから生まれてきた動きです」

こうした動きはSolarpunk(ソーラーパンク)と呼ばれる。物語やゲームの世界の力を借りて、より良い世界のあり方をまずは想像してみることが、現在とは異なる世界を実現するための一歩目となるのだ。

より良い世界は、どんな場所だろうか。どんな街並み、香り、音、コミュニケーションがあるのだろう

多種のウェルビーイングが喜びに

では、その想像力を使って考えてみよう。マルチスピーシーズの視点からみた理想的な世界は、どんな世界なのだろうか。ルプレヒト教授がキーワードとして挙げたのは、ウェルビーイングだ。

「重要であるのは、マルチスピーシーズ・ウェルビーイングを実現することです。例えば、今は人間中心の設計となっている大学のキャンパスや都市も、いろんな生き物が共存しやすい場所に変えていくことができるはずです。その際には、エディブルランドスケープ(※2)やアグロエコロジー(※3)などの考えもデザインの基礎として生かすことができます」

人間だけでなく、多様な種のウェルビーイングが向上するような社会。その実現において最も基本的な原則となるのは「生き物の間の『関係性』から生まれる幸福」だという。

「関係性を意識してデザインしても、人間によって全ての種のニーズを満たすような仕組みは作れないので、他の種の行為者性を生かしてデザインすべきです。他の種も自らの幸福を作ろうとするので、それができるような環境を整えておく必要があります。あえてそこに過度に介入せず、行為者性を持つ他の種も“仲間”であると捉えることが重要です」

人間に閉じないより多くの仲間を認識することができたらならば、地球の歴史に「人類の時代」など刻まれないはずだ。もしその仲間を認識し、人間がマルチスピーシーズの視点を持って社会の役割を担うことができたら、そこにはどんな建物が、乗り物が、学校が、暮らしが存在しているのだろう。その先に「多種の時代」が刻まれる未来も、ありうるかもしれない。

※2 エディブルランドスケープ:一般的な定義では、食べられる植物による景観のこと(Fujiwara et al., 2020)
※3 アグロエコロジー:Agronomy(農)とEcology(生態系)を合せた造語(Asaoka, 2021)。生態学のベースに伝統知や農民の知恵を融合させた科学(Miguel A. et al, 2017)

編集後記

マルチスピーシーズの「レンズ」をかけて身の回りを見てみると、心が落ち着くのは気のせいだろうか。切り離すことのできない繋がりの中で、共に生きているのだと捉え直すと、どこか安心感がある。

取材の途中、ふと気に掛かった。マルチスピーシーズの視点を心がけて「多種のため」と思って行動しても、究極的には人間目線の理解になってしまう。どうしたら本当に人間中心ではない視点を持てるのだろうか。ルプレヒト教授は、こう答えてくれた。

「人間は人間なので、いつも人間の観点から世界をみています。その視野を広げることはできますが、例えばミツバチがどう世界を見ているかを完全には理解できません。

なので、人間目線で世界を見ていることを意識して、それが唯一無二の見方ではないことも意識しながら行動することが重要です。そうすれば、今見えていないことも少しずつ見えてくると思います」

少し、焦りすぎていたのかもしれない。マルチスピーシーズの捉え方も、決して何かの問題に特化した“解決策”ではない。どんな因果が起こるかわからない「関係性」のなかに生きているのだから、絶対的な答えを求める必要はないのだ。まずは、視点の限界を自覚していることが重要だ。

気候危機の話題を耳にすると気持ちがはやるが、一度その速度を緩めてみようと思う。急がば回れ、とも言うではないか。出来事を分解するのではなく、世界の「絡まり合い」をそのまま受け止めながら、多種の関係に生かされている自分を捉え直してみたい。

【参照サイト】IPBES:自然の多様な価値と価値評価の方法論に関する評価報告書 政策決定者向け要約|環境省
【参照サイト】多種が共生共栄できる未来、どう共創できるか?|愛媛大学
【参考文献】ヨルゴス・カリス(2022)『LIMITS 脱成長から生まれる自由』
【参考文献】Droz L, Jannel R, Rupprecht C, 2022, “Living Through Multispecies Societies: Approaching the Microbiome with Imanishi Kinji”, in Bossert, L, Höll, D (eds), The Microbiome and its Challenges for the Environmental Humanities, Endeavour 46.
【参考文献】藤原 優美子, 松尾 薫, 武田 重昭, 加我 宏之(2020)地域再生におけるエディブル・ランドスケープの役割とその可能性, 日本都市計画学会関西支部研究発表会講演概要集, Vol. 18, pp9-12.
【参考文献】浅岡 みどり(2021)食農教育実践をサステナビリティ教育として再考する-加州サンタクルーズの有機農業とアグロエコロジーを基盤にしたLife Labの事例から-, 環境教育, Vol. 31, No. 1, pp. 52-63.
【参考文献】Miguel A. ALTIERI, Clara I. NICHOLLS, G. Clare WESTWOOD and LIM Li Ching, 2017, アグロエコロジー 基本概念・原則および実践 全文.
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