「孤育て」をコンテンツで防ぐ。母親につながりを届ける「きずなメール」

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「この子は無事に生まれてくるだろうか。」「自分にしっかりと育てられるのだろうか。」はじめて子供を授かったとき、何物にも代えがたい喜びや期待とともに、それと同じぐらい戸惑いや不安を感じたという母親や父親は少なくないだろう。

はじめて誰かの親になるということへの怖れ。お腹のなかの子供の成長とともに、毎日変化していく身体への怖れ。少しでも気になることがあれば不安がよぎり、一人思い悩んでしまう。

そんな親の不安を包み込み、優しく手を差し伸べてくれるサービスが、静かに全国へと広がっている。それが、携帯メールを通じて妊娠、育児中の母親やそのパートナーを支援してくれるサービス、「きずなメール」だ。

最近では親が子供を虐待するといった痛ましいニュースを目にすることも増えているが、その背景にあるのが「子育て中の親の孤立」という問題だ。なかなか表には見えづらいこの問題に目を向け、その解消に向けてコンテンツとメール配信を組み合わせたユニークな方法で取り組んでいるきずなメールは、どんなきっかけでスタートし、どんな想いで運営されているのだろうか。

今回は、きずなメールのコンテンツ制作元であり、サービスの生みの親でもある特定非営利活動法人きずなメール・プロジェクトの代表理事を務める大島由起雄氏にお話を伺った。

きずなメール・プロジェクト代表理事 大島由起雄氏

「きずなメール」とは?

「きずなメール」は、妊娠してから子供が3歳になるまでの約4年間にわたって届けられる育児支援メールサービスだ。妊娠中に毎日1通、胎児の成長過程や妊娠生活中のアドバイスに関するメールが送られてくる「マタニティきずなメール」と、出産後に送られる「子育てきずなメール」の2つに大別できる。

きずなメールは全国の自治体や医療機関との連携により成り立っており、母親はすべてのメールを無料で受信可能だ。今年の7月からは東京・大田区でLINEからの配信も開始されたほか、外国人向けのメールも試験的に運用がはじまっている。

大島氏によると、きずなメールは現在全国3万人の母親に読まれており、創業してからの7年間で累計の読者数は12万人を超えているという。日本の出生者数が年間90万人超であることを考えると、実に1%近くの母親がこのきずなメールを読んでいる計算だ。

きずなメールが生まれたきっかけは一冊の本

きずなメールが生まれたきっかけは、創業者である大島夫妻の個人的な体験にさかのぼる。

大島氏の妻であり、きずなメールのコンテンツ制作を手がける松本ゆかり氏が、自身のはじめての妊娠に戸惑っているとき、アメリカに住む友人から教えられて出会った一冊の本、「The Pregnancy Journal」の内容に感激したのが、物語の始まりだ。

1日単位で胎児の成長過程を紹介してくれるこの本の素晴らしさを実感し、日本でも紹介したいと考えた松本氏は、自ら翻訳本を出版社に提案し、採用された。長女を出産してから3年後の2006年、『はじめての妊娠・出産 安心マタニティブック』というタイトルで日本語版 The Pregnancy Journal の出版にこぎつけた。

しかし、2008年に二度目の妊娠生活を送るなかで、松本氏は妊婦にアドバイスを送るには書籍よりも毎日届く携帯メールのほうがよいのではと考えていた。そしてその1年後、ちょうど夫である大島氏が出版社を辞めてウェブの企画制作会社に転職し、そこでメール配信システムの仕組みが2006年当時よりもはるかに廉価で作れることを知ったそうだ。

メールマガジンという形であれば、今の自分たちでも無理なく情報の配信をスタートできる。そう考えた二人が力を合わせて2010年に創業したのが、「きずなメール・プロジェクト」なのだ。

「孤育て」問題の背景にある、世の中の変化

きずなメール・プロジェクトは、妊娠中や子育て中に孤立する親の問題を「孤育て」という言葉で表現している。きずなメール自体は個人的な体験をもとに生まれたものだが、このメールサービスがここまで広く支持されている背景には、親の孤立という問題がある。

この「孤育て」という言葉には、どんな意味が込められているのだろうか。大島氏は、ネグレクト(児童虐待)に関する痛ましいニュースを目にしたとき、「家族とは何か」について深く考えたという。

同氏は、「母親と赤ちゃんが24時間2人きりでいるという状況は人類の歴史から見てもとても特殊なことで、その状況でまともにいられる人はなかなかいない。しかも、それは子育てに限ったことではない。人が共同で暮らすことが減り、コミュニケーションの取り方や人との関わり方自体が劇的に変化している現代では、意識しなければ誰もが簡単に孤立してしまう。子育てが密室化しやすい状況が生まれている」と語る。

隣に誰が住んでいるかも分からないマンションの一室で一日を過ごし、社会とのつながりも希薄な母親にとって、子育てとは文字通り「孤」育てなのだ。そんな母親にとって、携帯電話やスマホというもっともパーソナルなメディアに毎日のように届く「きずなメール」の優しい文章は、子育ての不安を和らげ、心を癒してくれるとても大事な贈り物なのだ。

親になって、はじめて「歴史」につながれた

妊娠や出産が母親にとって大きな出来事であることは間違いないが、自ら身体の変化を感じることはない父親にとってはどうだろう。大島氏自身は、はじめて自分に子どもができるという経験をしたときに、大きな心境の変化があったそうだ。

「はじめて妻が妊娠したときは衝撃でした。それまではその場その場で生きている感じでしたが、歴史が『縦につながる』というか、自分にも前があり、その先もあるのだなと。突然、本当に歴史につながれたような感覚があった」と話す大島氏。

子どもができれば、2050年という遠い未来も「この子が30歳になる年」といったように今に続く具体的な未来へと置き換わる。今まで興味を持たずに見過ごしてきた環境や社会の問題も、一気にジブンゴトとして目の前に降りかかってくる。

だからこそ、「孤育て」という問題は母親だけではなくそのパートナーとなる父親も、そしてその家族が暮らす地域全体も関わっていかなければいけない問題だと言える。

きずなメールの「きずな」には「家族のきずな」と「地域のきずな」という2つの意味が込められているが、大島夫妻がこのサービスを通じて実現したいこともまさにそこにある。

母親が受信したきずなメールの内容がきっかけで夫婦の会話が生まれる。きずなメールの存在を通じて家族とメールの配信元となる自治体や医療機関とつながる。きずなメールの効果を母親の心だけではなくそのパートナー、そして地域社会全体へと波及させ、社会の悲しい出来事を未然に防でいく。それがきずなメール・プロジェクトのゴールなのだ。

やがてはきずなメールに見守られて育った子どもたちが大人となり、大島氏のいう「縦の歴史」を紡いでいくのだろう。

大事なことは、他者へのリスペクト

妊娠、出産という人生の一大事を前にして悩みを抱えている人々にコンテンツを届けるうえで、どのようなことを心がけているのだろうか。そう大島氏に尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「読者との信頼関係をどのように作るかが大事。そしてその根底にあるのは相手に対するリスペクトであり、相手の役に立ちたいという気持ちだと思います。」

実際に、きずなメールの配信するコンテンツは、読者に寄り添う気持ちだけではなくその情報の信頼性についても細心の注意が払われている。コンテンツを担当する松本氏とともに、産婦人科医、小児科医、家庭医など9人もの専門医や管理栄養士が、コンテンツを協働で制作、監修し、情報の正確性を担保しているのだ。

このように読者ひとりひとりを大切に扱い、最大限のリスペクトを持って毎日のコンテンツを配信し続けてきた結果、今では子どもが3歳の誕生日を迎え、きずなメールの配信が終了するタイミングになると感極まった読者から数多くの感謝のメールが届くようになった。

きずなメール読者から届いた感謝のメール

これらの感謝のメールは、運営に関わるスタッフだけではなく、当初はプロボノとして関わってくれた監修医など外部のステークホルダーにとっても大きな励みになっているそうだ。

きずなメールの未来

読者に対するリスペクトを常に欠かすことなく小さな信頼を毎日少しずつ積み重ねてきたきずなメール・プロジェクトの成果は、読者から届いた感謝メールの量を見れば一目瞭然だ。

一方で、NPO法人として運営されているきずなメールは、継続的に全国の親を支援しつづけられるだけの事業体としての強さも兼ね備えている。その秘訣は、きずなメール・プロジェクト独自の事業モデルにある。

メールマガジンの配信と聞くと、一般的な事業モデルとしては広告かユーザー課金かという二択しか思い浮かばないが、きずなメール・プロジェクトの場合は、自治体や医療機関を顧客とし、彼らから費用をもらうことで読者に対しては無料で有益なコンテンツを提供するという、メルマガビジネスとしては全く新しい「B to B to C」のモデルを創り出している。

様々な模索をしながら新しいモデルの構築に取り組むなかで、大島氏が多大な感銘を受けたのが、経営学者・三宅秀道氏の著書「新しい市場のつくりかた」だという。

イノベーションがどのように起こるのかを「文化開発」という言葉で表現する同著は、「問題解決」ではなく「問題開発」の重要性を唱え、「モノづくり」ではなく「文化づくり」に取り組むことを提案する。この著書は、まさにこれまできずなメールが歩んできた道のりでもあり、きずなメールの未来を考えるうえでの指南書でもある。

きずなメールは個人的な経験から「孤育て」という問題を新たに「開発」し、メールマガジンのB to B to Cという従来の常識に囚われない事業モデルを創り出してきた。今まで書籍や産婦人科などでしか受け取れなかった子育てに関する情報を誰もが受け取りやすい携帯メールという手段で送り届けることで、全国の母親の孤独を和らげ、家族や地域とのつながりを生み出すことにつなげている。

ただし、大島氏は自身のサービスを「メールマガジン」と呼ぶことを好まない。同氏いわく、自分たちの事業を「メールマガジン」と定義した瞬間に、その言葉に自分たちが捕らわれてしまい、新たな機会を失ってしまうからだという。そんな意思を体現するかのように、きずなメールではLINEからの配信という新たな挑戦をすでにはじめており、すでに4つの自治体で採用され、現状はブロック率も非常に低く大きな手ごたえを感じているとのことだ。

また、大島氏は情報を一方向で届ける「メール」という形態にはこだわっていない一方で、最近よく語られることが多い「インタラクティブなコミュニケーション」というトレンドにも流されることはない。「インタラクティブなサービスで成功したものは何かと問われても、すぐに思い浮かべるのは難しい。インターネットの世界ではすぐにコミュニティを創ろうとなりがちだが、『インタラクティブ』であるとはそもそもどういうことなのか、という点から考えるようにしている」と大島氏は語る。

実際に、きずなメールはインタラクティブなサービスではないものの、配信終了時には数多くの感謝のメールが届く。たとえ相互のやり取りがなかったとしても、少しでも母親の役に立ちたいという作り手の気持ちは確かに相手に伝わって信頼となり、結果的にインタラクティブな関係になっているのだ。

スティーブ・ジョブスが生み出したiPhoneに代表されるように、世の中の人々は実際にそれを手に取ってみるまでは自分が本当に欲しいものが何なのかが分からない。それこそがイノベーションであり、だからこそ一つ一つの言葉を丁寧に定義しながら、まだ誰も答えを知らない未来を創造したい。

そんな大島氏の考えからは、長らく文章づくりに携わってきたプロフェッショナルならではの「言葉に対する深いリスペクト」が伝わってくる。そんな大島氏が手がけるきずなメールだからこそ、多くの人々の心に届くのだろう。

東京・阿佐ヶ谷にあるきずなメール・プロジェクトのオフィス前にて。

取材後記

大島氏と松本氏というたった一組の夫婦からはじまったきずなメールの物語は、これまで全国12万人以上の人々に届けられ、その輪は今も着実に広がり続けている。きずなメールの読者から生まれた子供たちも同じ数だけいることを考えれば、きずなメールが世の中にどれだけ大きなインパクトをもたらしているかがよく分かる。

大島氏の話を聞くと、一通のメール、一言のメッセージが母親を「孤育て」の不安から解き放ち、その積み重ねが社会を変えることができるのだと実感させられる。母親だけではなく、家族、そして地域のみんなで子供を育てるという「古くて新しい」文化の創造に挑戦しているきずなメールが、少しでも多くの人々に届くことを願いたい。

【参照サイト】きずなメール・プロジェクト