2020年8月4日、中東レバノンの首都ベイルートで大規模な爆発事故が起きた。爆発の主な原因は、港の倉庫に保管されていた約2,750トンの硝酸アンモニウムに関連しているとされている。爆発の震源地となったベイルート港は住宅地や商業施設からも程近く、爆発の衝撃で多くの建物が破壊され、道路は横転した車や飛散した窓ガラスで覆われた。9月11日時点で、約200名が死亡、約6,500名が負傷し、約30万人が家を失った。また、爆発により被害を受けた家屋は少なくとも約5万戸、破損したガラスは約5千トンにのぼるという。
混乱の中、人々は負傷者の救護や崩れた家屋の片付けに追われた。一見ただの瓦礫に見えるものも、家を失った人々にとっては「かけがえのない日常が刻まれた我が家の一部」であり「大切な家族や友人との思い出」でもある。一瞬にして姿を変えた「日常」や「思い出」を片付ける人々の心の傷は計り知れない。
爆発事故の悲劇を忘れないように、また少しでも早く日常を取り戻せるように──そんな想いからベイルートのある市民団体らが立ち上がり、破損したガラスを日常使いできる食器やインテリア雑貨に生まれ変わらせる活動を始めている。
市民と職人達による破損ガラスのアップサイクル
破損ガラスのアップサイクル活動を進めているのは、「レバノン・グリーンガラス・リサイクル・イニシアティブ(Green Glass Recycling Initiative Lebanon、GGRIL)」だ。GGRILは2013年の設立以来、レバノンの廃棄ガラス削減と伝統的なガラス工芸の活性化のため、廃棄ガラスを職人たちの手でガラス食器やインテリア雑貨にアップサイクルする活動を続けていた。
△リサイクルされたガラス食器
GGRILの共同設立者であり、レバノンで環境エンジニアリング事業を展開するCedar Environmental社CEOのジアード氏(Ziad Abichaker氏)は、政府が爆発で生じた大量の破損ガラスを瓦礫と一緒に埋立地に廃棄しようとしていることを知り、「ガラスを分別回収しリサイクルできないか」と考えたのだという。
ジアード氏は、被害を受けた道路や家屋を片づける人々にSNSを通して呼びかけ、ガラスの回収が必要なエリアには連絡を受けてから48時間以内に運搬トラックを派遣する旨を伝えた。
破損ガラスを回収したあとは、その中から、再利用に適した汚れの少ないガラスを選別。それらを細かく砕いて、GGRILが提携するガラス工房に無料で提供する。工房で不純物を取り除く作業を行い、溶解炉でガラスを溶融した後、職人たちが手作業で水差しやコップ等のガラス食器や花瓶等のインテリア雑貨を生み出すのだ。
GGRILが提携するガラス工房は、数千年前に古代フェニキア人がレバノンで発明したとされる吹きガラスの技法を守り続ける数少ない工房であり、なかには250年以上の歴史を持つ工房もあるという。レバノン第二の都市トリポリやレバノン南部に位置しており、爆発による被害は受けていないそうだ。
△工房の様子|ガラス食器やインテリア雑貨は、現地で開催されるマーケットやGGRILのオンラインショップで購入することができる。
廃棄物を削減しながら伝統的なガラス工芸を守る
ジアード氏らがGGRILを立ち上げた背景には、レバノンの複雑な歴史が関係している。あまり日本では知られていないが、肥沃な土地を持つレバノンは、高品質なワインの産地でもある。ワインボトルに使われるガラス瓶の需要も多く、以前は使用済のガラス瓶を回収しリサイクルする仕組みも国内にあったそうだ。
しかし、2006年にヒズボラ(レバノンのイスラム教シーア派の政治・武装組織)とイスラエル間で戦闘が起こり、レバノン唯一のガラスのリサイクル施設が破壊されてしまったのである。その後もリサイクル施設が再度建設されることはなく、2006年以来毎年7千万本以上のガラス瓶が埋立地に廃棄され続け、国内の埋立容量の限界と環境悪化が指摘されていた。このような状況を受けて、GGRILは廃棄ガラスを回収しガラス工房に無料で提供する取り組みを始めたのだ。
また、GGRILには、職人達にガラス製品を作ってもらい、その販売支援を行うことで、廃棄ガラス削減と同時にレバノンの伝統的なガラス工芸を保護したいという想いもあったという。活動開始から5年目を迎えた2018年には、約100万本のガラス瓶(約225トン相当)をリサイクルすることができたそうだ。
△破損ガラス回収の様子
新たな雇用を生む機会として
GGRILの活動はボランティアに支えられており、販売によって得た収益はガラス工房の収入として、またGGRILの活動資金として使われている。現在は、廃棄物削減と伝統工芸の保護に加え、爆発の爪痕とも言える破損ガラスを美しい食器によみがえらせるGGRILの活動に共感が広がり、工房での生産が追い付かない程に国内外から注文が寄せられているという。爆発から1ヵ月半が経った9月中旬の時点で、再利用された破損ガラスは約80トン。
ガラス工房では新たな雇用も生まれており、経済活動が停滞するレバノンにおいて、持続可能な事業としての可能性に注目が集まっている。
編集後記
街並みの美しさからかつて「中東のパリ」とも称され、多くの観光客を魅了してきたベイルート。筆者も昨年友人に会いに訪れたことがあるが、歴史情緒溢れる街並みと豊かな文化に心を奪われた。地元の飲食店には多くの人が集まり、賑やかに、しかしゆったりと食事を楽しんでいる姿が印象に残っている。
そんな明るい雰囲気を見せるレバノンだが、キリスト教やイスラム教など様々な宗教、宗派を抱える国として、内戦や隣国からの侵攻と戦争に悩まされてきたのも事実だ。不安定な政情と緊迫した財政問題を抱え、2020年3月に政府はデフォルトを宣言。新型コロナウイルスの影響も重なり、失業率が増加し所得が減少する中で起きた今回の爆発は、市民にとって経済的、精神的にも追い打ちをかける出来事だっただろう。
厳しい現実と闘いながら、人々は自身を鼓舞し街の復興に励んでいる。家の一部だった破損ガラスを、廃棄するのではなく、再び家族や友人と使うための食器に生まれ変わらせる。怒りや悲しみを、忘れるのではなく、新しい日常を築くエネルギーに生まれ変わらせる。「家の跡」「怒りや悲しみ」「事故の記憶」──捨てることのできないものを、形を変えて残そうと「リサイクル」するイニシアティブは、どのような未来を示すのだろうか。
イニシアティブの発起人でもあるジアード氏は、活動を始めたばかりの8月中旬、自身のSNSでこのように語っていた。
「フランスの思想家ピエール・ティヤール・ド・ジャルダン氏の名言に、『未来は次の世代に希望を与える人たちのものである(The future belongs to those who give the next generation reason for hope)』という言葉がある。希望こそがレバノンの唯一の武器だ。この活動に協力してくれる方々に心から感謝している。今までもそしてこれからも繰り返し言いたい。このような大変な時こそ、レバノン人であることに誇りを思うと。」
自然災害や事故、生まれた土地や生きる時代……自分一人ではどうにもできないことによって、これまで築いてきたものが簡単に崩れ去ってしまうことがある。費やした時間も、懸命な想いも、積み重ねてきた努力すらも、一瞬で奪い去られてしまったとき、不条理な現実を前に自分は無力だと感じてしまうこともあるだろう。
今頑張れば必ず幸せになれる──そんな確約はない。それでも、レバノンの人々は希望を持ち、ともに支え合いながら、一歩ずつ前に進んでいる。自分たちの未来を自分たちの手で確実に切り開いていくその姿は、次の世代の希望ともなっているだろう。
一人一人のできることは限られていても、より良い未来を築こうとする人々の努力の積み重ねが、新たな日常を切り開く力となり、次の世代の希望となる──そんなことを教えてくれるプロジェクトだった。
【参照サイト】Green Glass Recycling Initiative Lebanon(GGRIL)
【参照サイト】ziad_abichaker|Instagram
【参照サイト】Garbage King Beirut Trash Value |The Switchers.eu
【参照サイト】From window to jug: Lebanese recycle glass from Beirut blast| France 24
【参照サイト】GGRIL Green Glass Recycling Initiative for Lebanon – Animation|Youtube
Edited by Yuka Kihara