世界でも稀に見る、水に恵まれた国、日本。そんな日本のコンビニには、何種類もの国内外のミネラルウォーターが売られている。
60年代の終わり、欧州のある食品大手企業が水に莫大な投資をはじめたとき、大勢の人が「水なんて味がないものに食品会社が投資するなんて」と、笑ったと言う。もちろん、今となっては驚くほど先見の明があったことを認めざるを得ない。
そんな地球の50年後、100年後を見据えて投資や環境保全を率先して行っている欧州の先進企業が、今まさに投資しているのが「土壌」だ。たとえば、世界最大のファッション業界大手企業体であるLVMHグループのワイン&スピリッツ部門であるモエヘネシー社。同社は、世界トップの科学者や国際的な専門家を集め、土壌の保護と再生を支援するために研究センターの設立に2,000万ユーロ(約29億円)を投資している。
世界では、土壌浸食、砂漠化、都市の拡大によって毎年240億トンの肥沃な土壌が失われている(※1)。失われた土壌を元に戻すのに、自然に任せるだけでは数百年もかかるといわれている。つまり未来の耕作地不足は明らかであり、多様な土壌微生物が生きる、安全で豊かな農地を守る重要性は増すばかりなのである。
さらに農業や食関連産業だけでなく、土の健康が人間の健康に深く影響することへの意識も高まっている。そうした中で、農薬や化学肥料を使わないことはもちろん、汚染されていない安全な土で育てられた、植物由来の原材料を求めるファッションや建築、化粧品製造など様々な産業で需要が高まっている。
そんな中、全ての産業が土をよくする社会を目指して2020年に設立されたのが、国際コンソーシアム「JINOWA」だ。イタリアや日本の企業が参画し、土に安全に還る生分解性の製品や循環型のサービス設計はもちろん、土を豊かにする有機物の循環デザインやテクノロジーを、その土地の環境条件や風土に適するようつなぐことで、コミュニティレベルでの土の循環と食糧自給が可能な社会を目指している。
そんなJINOWAとIDEAS FOR GOODがソーシャルグッドな体験「Experience for Good」の一環として提供するのが、「土」について考え学ぶ国内外でのフィールドワークの機会だ。それは、従来の観光では出会うことが叶わなかったような、ローカルコミュニティに深く根ざした人たちとの対話と体験だ。お互いの環境再生への取り組みの理解とリスペクトを深め、国境を超えたつながりを生み出していく。
2022年9月にJINOWAが先行して行った旅では、グリーンビジネス分野の起業家や研究者たちが、北イタリアを6日間かけて巡った。
農業・IT・資源循環・ジャーナリズムなど、普段は一堂に会することのない異分野で活躍するメンバー。実際にイタリア各地で土やコミュニティを再生する活動を続ける人たちと深くつながり合ったことで、今までにない環境再生へ向けた共創が生まれようとしている。
IDEAS FOR GOODでは、そんな参加者たちの体験やイタリアのローカルで活躍する活動家について、全4回に分けてご紹介していく。第1回目の今回は、イタリアの産業廃棄物処理の現実から、土と体験から学ぶ場での学びについてお届けする。
土とリジェネラティブ 連載
【第1回】環境教育の未来形は”手を動かす”ことにある。イタリアの「命あふれる土」をめぐる旅
【第2回】体験から学ぶフリースクール〜ワイン造りはホリスティックな環境再生と生態系拡張〜
【第3回】誰もがプロフェッショナルな能力を備え、共同体の中で役割を持って生きていく。多様性と真のインクルージョン
【第4回】オーバーツーリズムのヴェネツィア本島の隣で、人々が暮らしを紡ぐジュデッカ島というコミュニティ。地域資源を循環させる、自給自足への挑戦
世界中でコミュニティを再生する人々との出会い
今回の旅の参加者のひとり、石坂小鈴さんは弱冠23歳。この春にアメリカの大学を卒業し、サステナビリティについて学んだ経験を、これから社会でどのように活かしていこうか考えている。
石坂さんのルーツは、産業廃棄物のリサイクル事業にいち早く取り組み、日本の循環経済のリーディング企業として知られる家業である石坂産業株式会社にある。代表をつとめる母、石坂典子社長の娘として、幼少期から環境に配慮することの大切さを感じながら育った。そんな彼女は今回、新しい道を切り拓こうとイタリアへ渡ったのだ。
ソニーコンピューターサイエンス研究所からは、協生農法を世界に普及する研究者、舩橋真俊さんが参加。協生農法とは、土地を耕さず、肥料や農薬も使用しない、多種多様な植物を混生・密生させた生態系を作り出し、人間の食料自給も向上させる農法である。国際会議の合間に旅に参加し、イタリアで同じく生態系の拡張に取り組むアグロエコロジストや、農福連携に取り組むボローニャの社会的協同組合のトップとじっくりと語り合った。
社会の裏側に隠された「廃棄物の現実」
この旅の初日、ピエモンテ州で廃棄物処理業を営むOsson社を訪問。なぜ土をテーマにした旅で最初にごみ処理場を訪れるのか。それは世界が実に多くの廃棄物を土に埋め立てて来たからである。
肥沃な土には何億もの微生物がコロニー(細菌の集落)を作り、その作用によって有機物が分解される。かつて、あらゆる生活用品が自然素材でできていた時代には、それらは土によって分解されることで社会の循環が保たれてきた。歴史的に人類は、土の浄化作用にごみの分解を頼ってきた。しかし近代、私たちの社会は多くの分解できない多種多様なごみを生み出し続け、自然の分解力だけではとうてい追いつかないほどのごみが溢れかえっている。
イタリアでは市民の反対運動によって、ごみの焼却設備建設を許容してこなかった歴史がある。それによってリサイクルできない分類不可能なごみは主に埋立てされているという経緯があった。しかし、土に埋めることで大地の水脈まで重金属や化学物質の汚染が広がってしまったのだ。未分解のごみが生物多様性に与える大きな負荷が理解されるにつれ、いかに土への埋立を減らすか、少しでも社会で再利用できるようごみを再資源化する取り組みが加速している。
ヨーロッパ各地ではローカルなごみ処理場でもOsson社のように海外の最新技術を研究し、燃料化はもちろん、再資源化のためのテクノロジー導入が熱心に進められているのだ。
社会の中で目に見えない部分があまりにも多いごみ
朝一番に訪れた、世界遺産にも認定される風光明媚なワイン畑が続く美しい丘陵地帯。その真ん中に、突如積み上げられたごみの山を目の当たりにしたときは、参加者全員が驚きを隠せなかった。
うず高く積み上げられたチョコレートの銀紙の山、お菓子の箱、ワインのラベルの裏紙が、まるで一種の社会的メッセージを含んだアートのように整然と並んでいる。
ここOsson社に集められたのは、周辺の60市町村から集められたごみと、地域の企業や大型店舗などが排出した産業廃棄物だ。「この土地で生まれたごみを全て再資源化したい」と、代表のアレッサンドロ氏は語る。現在、アルミ加工された紙はイタリアでは法律の壁に阻まれ国内でリサイクルできないため、インドへ送られる。また、世界的に著名な地元のチョコレート製品の波状容器はインドネシアへ、そしてウィスキーのシール加工を施したラベルはデンマークへ送られるのだ。
しかし、エネルギーが高騰するヨーロッパでは、このような莫大な輸送費が再資源化を阻む。まずは地域で処理できないものを作らないよう、メーカーが意識を変える必要がある。企業に対して消費者が働きかけられるよう、地域で新しいごみに関する教育の必要性や、中央集権型でないローカルな廃棄物循環を可能にする解決策についても意見が飛び交った。
「普段、農地への不法投棄や有機農業への畜産廃棄物の実質上の投棄などをよく見かけますが、自分自身や地域の生活ごみなどがどう処理されているかをごみ処理場で見たのは、小学校の社会科見学以来でした。それに気づいたとき、どれほど現代社会が、身近な資源の浪費を隠蔽したまま、穏便に生活できるように仕組まれているかと感じ、愕然としました(舩橋さん)」
「家業で見慣れていた廃棄物処理とは異なる、イタリアのローカルな廃棄物処理の現状に直面し、驚きました。再資源化テクノロジーの導入も大事な一方で、ごみの分別や粉砕作業はまだまだ手作業も多く、作業員の安全性や、ごみを資源化するならば当然配慮すべき衛生面において課題を感じました(石坂さん)」
改めてごみというものが、世界ではまだ目に見えない部分が多く、それを扱う人たちにリスクの高い状態で処理されているか。日本ではあたりまえであっても、海外では浸透していないことがあり、ノウハウの交換や気づきを共有する大事さを痛感した。
土を住空間に美しく取り入れる「土の多様性スタジオ」
次に訪れたのは、ピエモンテ一帯のワイナリーなどの建物を手がける、建設会社のフラテッリ・サルトーレ。2代目のマルコ氏とステファノ氏のサルトーレ兄弟が経営する、100年の歴史ある老舗企業だ。今は20代の息子たちも参画する家族経営の会社だが、周辺の著名人の別荘や名だたるワイナリーの建設など、地元の名建築を数々手がけている。
彼らが手がける建物の特徴は、イタリアらしさに溢れた自然美と、オーナーのマルコ氏が独学で学んできた、土の建築技術が融合されていることにある。日本の伝統技術である左官の土壁技術も、マルコ氏は長年学んできた。日本の土壁は、土に稲藁などの植物繊維を含ませ発酵させているため、強度や調湿、消臭などに長けている。機能面でも世界的に評価されており、同社はこの日本の土壁の最新技術を学び取り入れているのだ。
広大な敷地の自宅には、オリーブの木やワイン用のブドウなど果樹農園が広がり、馬やロバ、牛がゆったりと放牧されている。美しい邸宅は非常に洗練されたラグジュアリーな美しさに満ちているが、使われている素朴な自然素材の風合いからか、どこか人をほっとさせる。敷地内には、マルコ氏が実験的に作った童話の世界にあるような土の小屋が佇ずみ、その居心地のよい庭で美味しいワインやサラミで参加者をもてなしてくれた。
環境教育の未来形は、「手を動かす」ことにある
建設会社のフラテッリ・サルトーレにはもう一つ、イタリア中の土を集めたスタジオが併設されている。もちろんマルコ氏や会社のメンバーたちの研究のためでもあるが、時々このスタジオでは、地元の幼稚園の環境教育も行われている。
「美しいでしょう」と、マルコ氏が見せてくれたのは、鮮やかな黄色や赤、多様な色の様々な場所で採れた土。土は茶色や黒と思っていた子どもたちの概念ががらりと変わると言う。
環境教育といっても、ここでは泥団子を作ったり、土絵の具で絵を書いたり、いたってシンプルな手や感性を使うアートのような体験が提供されている。そこでマルコ氏は、何を教えるでもなく、子どもたちや地元の学校が望むままにこの場所を提供し、自分が美しいと思う土の多様性について、楽しそうに話し続けるのだ。
マルコ氏のアプローチを見ていると、環境教育の理想的な教師というのは、SDGsが何か、気候変動がどれほど深刻かというような情報を頭で教える人ではないと感じる。マルコ氏は、自然を慈しみながら、毎日の中で調和した暮らしを実践している。そうした実践者の暮らしの一部に招き入れてもらうことこそが、本物の学びとインスピレーションになると感じさせられる。
環境教育の未来形は、知識習得型の従来の教育の延長にあるのではなく、職人見習い的な「手を動かす」ことにあるのかもしれない。手を無心に動かすことが、地球の未来を生きる次世代に必要な感性を伸ばし、それが自分をとりまく自然への興味や関心を高めていくという可能性に私たちは気付かされたのだ。
次回は、体験から学ぶフリースクールの現場から、ホリスティックな環境再生と生態系拡張についてお届けする。
日本国内で、多様な土を使った体験に参加できる循環型農園 「ReDAICHI」
今後、IDEAS FOR GOODはJINOWAと連携し、土をめぐる人と自然とコミュニティのための循環する暮らしのあり方を実践する様々なプログラムを展開予定だ。
舞台になるのは、多様な土を通した体験に参加できる場所、埼玉県三芳町にある循環型農園 「ReDAICHI」だ。この石坂オーガニックファームが運営する循環型農園 は、「土」を通して地球規模の環境について感じ、日常の中で学べる機会を与えてくれる。
ReDAICHIは肥沃な土に触れながら、固有種の種を育てたり、世界の食糧問題や農業について知ることができる会員制シェアファームである。従来の農業の枠組みを超え、どうしたらもっと良い土を生み出す社会に転換できるのか、世界的に活躍する専門家から、学生から地元のお年寄りまで、多様な人々が土を通して交わる場所となる。
また、ReDAICHIは土の国際的なイノベーションハブでもある。その分野は、食産業に携わる生産者や料理人、建築家やアーティスト、都市開発や建設業、ITやファッションなど、多岐に渡る。
ウェブサイトでは、土をめぐる世界の情勢や、各国の土の活動家の取り組み「母なる大地のはなし」も発信している。興味がある方は、こちらも読んでみてはいかがだろうか。
※今後のプログラム情報は、随時IDEAS FOR GOODサイト内でお知らせいたします。
執筆者: 齋藤 由佳子(さいとう ゆかこ)氏
2011年にヨーロッパへ移住し、2013年にイタリア食科学大学大学院を修了後に地域文化と環境教育プログラムを提供するイタリア『Genuine Education Network』を2014年にミラノにて設立。2016年から『株式会社GEN Japan』の代表取締役社長CEOに就任。2021年5月に循環と土壌再生を推進する国際コンソーシアム『JINOWA』を設立。現在の専門は持続可能な発展(SDGs)の教育政策(ESD)および衣食住のエコロジカルな伝統知(Traditional Ecological Knowledge)を活かしたイノベーション戦略、食文化による地域振興を目指す自治体、NPO、企業、生産者へ向けた持続可能な観光・食文化政策・国際コミュニケーション戦略アドバイスなどを行う。2016年 Forbes Japan「世界で闘う日本人女性55名」に選出。『シーバスリーガル ゴールドシグネチャー・アワード 2020 presented by GOETHE』ビジネスイノベーションカルチュラル部門受賞。
※1 国連砂漠化対処条約
Supported by Ishizaka Organic Farm
Photo by Masato Sezawa.
Edited by Erika Tomiyama