絶え間なく走るバイク。大気汚染。近年、目覚ましい発展を遂げているベトナムの温室効果ガス排出量は世界と比べても著しく伸びている。そして農業大国であるにもかかわらず、急速な都市化で緑地は減少し、都市部では自然とのつながりを失いつつある。一体、ベトナムの子どもたちはどこで遊ぶというのだろうか。
そんな社会状況を背景にして生まれたのがベトナム東南部、ドンナイ省にあるFarming Kindergarten(農業幼稚園)である。今や世界中から見学者が殺到するその農業幼稚園は、「子どもたちに自然からもっと学んで欲しい」という建築家たちの熱くやさしい想いからつくられた。巨大な靴工場の敷地内に建てられた幼稚園には、工場で働く低所得のワーカーの子どもたち500人が通う。
設計を担当したのはベトナムを代表する建築事務所であるVTNアーキテクツだ。デザインは、日本で国家留学生として長く学んだ経験を持つ主宰者ヴォ・チョン・ギア氏と、パートナーとして活躍した日本人建築家の丹羽隆志氏、そして岩元真明氏によるものである。
「最初はもっと保守的な案だったのです。」そう語るのは、この農業幼稚園のデザインに関わった日本人建築士のひとり、丹羽氏だ。
「幼稚園の設計企画を出した後、最初に選んでもらった案に納得がいかず、『もっと飛躍したい』と無理を言ってデザインが進む前に1週間、待ってもらったんです。」
どうせつくるのならいいものにしたかった。そう語る丹羽氏はパワーポイントのページをめくり、農業幼稚園への想いを口にした。
子どもたちに緑とのコミュニケーションを
特徴的なのは、その形である。この大きなリング型の建物を見て、誰が幼稚園だと想像するだろうか。1ヘクタールの大きな土地を、500人の子どもたちで最大限に活用するために、2階建ての一筆書きのリング型の屋根になったという。屋根の屋上緑地部分は農業用耕地としても使われており、教育用の野菜畑でもある。子どもたちのランチの30%〜40%が、この畑でできた野菜でまかなわれている。「子どもたちが、屋上をぐるぐる走り回る間に、昨日はなかった野菜ができたことに気付く嬉しさがあるんです。また、敷地の中に建物や樹木で日陰の場所を多くつくってあります。時間帯によって涼しい場所が変わるため、子どもたちは快適な場所を探して遊びます。このような仕掛けにより、子どもたちは楽しみながら日常的に自然の用い方を学ぶことができるんです。」
自然とのふれあいを通じた学びを誘発する幼稚園の構造は、子どもたちにより実践的なサステナブル教育をするのにも役立つ。
窓はジグザクに高いものと低いものをつくることで、子どもたち同士のコミュニケーションを創出している。また、熱帯気候であるベトナムの昼間は暑いので、ほとんどの学校ではカーテンを完全に閉めてしまう。しかしそれでは自然と人とのコミュニケーションがなくなってしまうので、農業幼稚園では植物で自然のカーテンをつくり、通風を取りながら子どもたちが快適に過ごせるようにしている。
エネルギーを減らすのではなく、増やさない
採光のために太陽光を十分に取り入れながら風をよく通す設計にするために、設計時にはコンピューターシミュレーションが使われた。屋上緑化の表土と建物の周囲にかかった緑のカーテンが、太陽熱の負荷を減らし、室内の温度の快適さを保つ仕組みとなっている。驚くべきは、南国ベトナムの気候にも関わらず、農業幼稚園のクラスルームではクーラーを使っておらず、ランニングコストが抑えられているという点だ。
また、工場の中に排水の処理施設があるため、幼稚園で使われた水は工場内で処理され、再度幼稚園の緑の散水に使うというサイクルができあがっている。熱帯気候の国ならではの暑さへ配慮をしつつ、エネルギーが有効利用されている。完成後10ヶ月間の記録によれば、農業幼稚園は、一般的な建物に比べると25%のエネルギーの削減と40%の水を節約しているという。
長く残るものをつくることが、ほんとうのサステナブル
これまで、ベトナムを中心に数多くのプロジェクトを手がけてきた丹羽氏。農業幼稚園のプロジェクトは、その中でも特に記憶に残る、意味のあるものだったという。
「やはり、長く残るものをつくりたい。ひとつの用途にとどまらず、他の需要も生まれるように、空間の豊かさや魅力を持つ、文化財をつくることがサステナブルであると思っています。性能を上げつつ、建築物を長く使えるようにすることも大切です。性能があっても空間に魅力がなかったら壊されてしまいますよね。だから良い建物をつくろうと思うとやれることはたくさんあります。」
ベトナムにはこれまで長く残ってきた歴史的建物が少ない。ハノイに今残るフレンチコロニアル時代の有名な建築物でも、建てられてまだ100年ほどしか経っていない。丹羽氏がベトナムに来た頃はまだ建築家の職業すらあまり認知されていなかったそうだ。
丹羽氏の建築事務所では今、大学で建築を学んだ優秀なベトナム人たちがデザインに取り組んでいる。経済発展とともに急速に変化する建築の状況で、ベトナムで働く日本人として少しでもこの国がプラスになるよう、まだまだ自身で学んだことを伝えていく使命があると丹羽氏は語る。
「人が育つ場所」を創出したいという想い
今から8年前、丹羽氏は高専で一緒に建築を学んだギア氏の誘いでベトナムに移り住んだ。現在は、ハノイに住み、独立して自身の建築事務所を持つ。今回取材で訪れたPizza 4P’s Phan Ke Binhをはじめとした環境と文化を重視した建築物を、ベトナムを中心に東南アジアのさまざまな国で手がけている。
「実は建築デザインの勉強をやめて、医者になろうと思ったこともあるんです。」
地元石川の高専から東京の都立大学に編入したときに、周りの友人がみんな優秀で、迷いを感じたときがあったという。そう語る丹羽氏は、それでも立ち止まらずに建築を続けてきた理由をこう話した。
「怪我や病気などのマイナスになってしまったコンディションを、できるだけニュートラルな状態に戻すのを助けるのが医者ですよね。一方で建築は、そのニュートラルにある人を豊かにし、さらに楽しくしたり、人の記憶をより強く思い出に残るものにする力を持っています。そういう“意味”を、同時にたくさんの人に与えられる建築デザインが魅力的だと思ったんです。結果的にはこの道を選んで良かったと思っています。」
今は使い手が限定される個人住宅の仕事はあまり受けずに、ホテルやオフィス、レストランなど多くの人が使う施設のデザインを優先して引き受けているという。ベトナムで働く日本人として今、何ができるか。残りの人生をどう使うかを考えているという丹羽氏。自分の建築を通して“人が育つ場”を創出したい。そんな彼にとって、まさに農業幼稚園のプロジェクトは、未来を担うベトナムの子供たちを育てる建築物となった。
編集後記
幼い頃に遊んだ、幼稚園の記憶。新興国ベトナムでも、先進国日本でも、子どもたちの記憶に残るのは、緑いっぱいの中で走り回り、おもいっきり楽しく遊んだ記憶であって欲しい。
「誰かの思い出をサポートする建物をつくりたい。」そう語る丹羽氏の言葉に取材中、胸が熱くなった。ベトナムの農業幼稚園で学んだサステナブルなアイデアや環境のこと、自分たちでつくった野菜のこと。幼い頃の体験を通して学んだことこそが、これから先、社会や環境のことを考える若者が育っていく一助となるのではないだろうか。
最後にインタビューの中で特に印象的だったのが、丹羽氏がベトナムに持つイメージだ。
「ベトナムに来る前は発展途上国だから外的サポートが必要だと思っていました。実際に住んでみてわかったのが、実はサポートなんてなくても、この国は十分に豊かな文化を持っているということです。ベトナム人の収入はまだ低いですが、食事などの基本的な生活はとてもリッチです。とにかく植物や野菜が食べきれないほど育ち、家族同士や近所同士の助け合いが生きています。豊かな自然が育んだ質の高いプロダクトを用いて、丁寧に生活をしています。人生は、こんなにも豊かなんだと、僕はこの国から学びました。」
そう語る丹羽氏の言葉と彼が手がける建築物からは、ベトナムという国への愛、そして少しでもこの国にプラスの影響を届けたいという熱意が伝わってくる。そんなやさしい建築家たちの想いが、ベトナムの農業幼稚園には込められている。