アマゾン奥地の民「ヒベリーニョ」と暮らして考えた、豊かさのこと【多元世界をめぐる】

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特集「多元世界をめぐる(Discover the Pluriverse)」

私たちは、無意識のうちに自らのコミュニティの文化や価値観のレンズを通して立ち上がる「世界」を生きている。AIなどのテクノロジーが進化する一方で、気候変動からパンデミック、対立や紛争まで、さまざまな問題が複雑に絡み合う現代。もし自分の正しさが、別の正しさをおざなりにしているとしたら。よりよい未来のための営みが、未来を奪っているとしたら。そんな問いを探求するなかでIDEAS FOR GOODが辿り着いたのが、「多元世界(プルリバース)」の概念だ。本特集では、人間と非人間や、自然と文化、西洋と非西洋といった二元論を前提とする世界とは異なる世界のありかたを取り上げていく。これは、私たちが生きる世界と出会い直す営みでもある。自然、文化、科学。私たちを取り巻くあらゆる存在への敬意とともに。多元世界への旅へと、いざ出かけよう。

南米大陸の数カ国にまたがる広大なアマゾン熱帯雨林。そのうち63%が、ブラジルの国土の中にある。2023年1月と5月に、筆者はブラジルのアマゾンに暮らす民、ヒベリーニョ(ヒベイリーニョ)と生活を共にした。

「ヒベリーニョ(Ribeirinho)」とは、川縁に家を建て、漁や畑を耕し生計を立てる人たちを意味するポルトガル語。筆者が滞在したのは、ブラジルを流れるアマゾン最大支流、マデイラ川流域のコミュニティだった。支流と言っても、このマデイラ川の全長は、日本の南北の全長(約2,787km)を超える約3,380kmもある。それほど大きな川であり、人々にとっては切っても切り離せない存在なのだ。

マデイラ川

今回は3つの集落を訪問し、現地でカカオ農家を営む人の家に寝泊まりさせてもらい、日々を共にした。人間中心主義、西洋至上主義ではなく、まさに自分たちのやり方で多元世界を生きるヒベリーニョ。今回の記事では、そんな彼らと暮らした日々を「豊かさ」の観点から赤裸々に綴っていく。

長い道のりを経て、都市と隔絶された場所へ

目的地は、Boca do Jauari(ボカ・ド・ジャウアリ)コミュニティ。まず、アマゾン川があるアマゾナス州の州都、マナウス市から、集落近くの町まで船で48時間かけて移動した。

船

船は3階建てで、2階と3階は乗客エリア。座席は一切なく、窓や壁のような外と隔てる物もない吹きさらしだった。雨が降ったとき用のビニール幕は付いている(写真、船中部のオレンジの幕)。乗客は、持参したハンモックを「早い者勝ち」で天井から吊し、自分の場所を確保する。ロッカーなど貴重品を保管できるものはないため、荷物は床に点在している。

アマゾンは蒸し暑いが、吹きさらしの船のおかげで四六時中風が通り抜け、夜中は少し肌寒く感じるくらいだった。食事は3食付きでシャワーも付いている。しかしシャワーは汲み上げた川の水なので、茶色く濁っていて冷たい。ちなみに、川が濁っているのは汚れというわけではなく、ミネラルなどの影響である。

船

過酷な環境に思えるかもしれないが、座席兼寝床のハンモックの居心地は最高で、コツさえ掴めばベッドよりも寝心地がよく、旅に出る前から苦しんでいた腰痛が治ってしまったほどだった。

船で過ごした48時間は、とても有意義な時間だった。太陽の動き、川のきらめき、川岸の木々やその様々な形や色、夜空や月に照らされた川面。森の間に突然現れるヒベリーニョのカラフルな家。見慣れない物が多すぎて全く見飽きない。スマートフォンの電波が入らないので目の前に広がる光景に集中できる。船内にはWi-Fiが完備されていて、有料で利用することもできた(筆者はしなかった)。

「川」を中心としたヒベリーニョの暮らし

48時間の船旅のあと、Manicoré(マニコレ)という町に到着した。ジャウアリの集落までは、さらにそこからボートに乗り換えて約3時間強かかる。さすがアマゾン。その壮大さを思い知らされた。

今回、ジャウアリ集落のほかにもVerdum(ベルドゥン)集落、Borba(ボルバ)集落を訪れたが、いずれも舗装された道路はない。電車はもちろん、バスも車もない。隣の集落と陸続きになっている場所もあるが、カヌーで川を渡って移動する場面が多かった。そこに住む人々とっての川は、私たちの生活でいう道路なのである。公共交通機関と呼べるものは、ときどき寄港する定期船くらいだ。

定期船

ヒベリーニョは、自分たちが作った農作物などを売って生活している。その買い取り業者も、やはり船でやってくるし、氷など生活で必要なものも外部から船で売りに来る。集落によっては、子どもが通える学校があるが、そうでない場合、カヌーで別の地域まで通学することになる。

川の水は、飲料水でもあり、衣服の洗濯や、入浴をするものでもある。現地の水に慣れていない筆者たち一行は、ミネラルウォーターを大量に持参し、なるべくそれを飲むようにしていた。途中、何度かヒベリーニョが飲んでいた濾過した川の水を飲むことがあったが、特に癖などは感じなかった。

川での暮らし

滞在したヒベリーニョの家には、川の水を貯められる大きなタンクがあり、それを生活用水に利用していた。滞在先によっては、電動ポンプで川の水を汲み上げられる家庭もあったり、トイレやシャワーがある家も。電気の供給が不安定なため、電気があるときだけトイレやシャワーの水が流れ、そうでないときは、バケツなどで水を汲んで体を流したりした。

川がすべての生活の中心になっている。そんなことをありありと実感した。

美味しさに国境はなかった。自然の恵みを最大限使うフード

滞在中、ヒベリーニョが用意してくれた食事をいただいた。どれもとても美味しかった。

朝食以外は魚中心で、魚のスープ、フライ、焼き魚が食事毎に振る舞われ、米と一緒に食べた。さらにキャッサバ芋の粉であるfarinha(ファリーニャ)と、キャッサバ芋から作られたtupupi(トゥクピ)やarubé(アルベ)というソースをお好みで入れる。昔からキャッサバ芋はこの地域の重要な食材で、様々な方法で加工され、大事な栄養源として食べられている。

料理は、塩と森で採れるライム、香味野菜や香辛料などで味付けされている。すっきりシンプルな味わいで、素材の味がよくわかるのと同時に、旨味が濃く奥深さもあった。

現地で振る舞われた料理

今回2週間以上滞在したなかで、トマト、にんじん、玉ねぎなどの野菜は食べたが、レタスなど葉物はなく、サラダを食べる習慣はあまりないように見受けられた。魚の付け合わせのトマトとパクチーのソースが、唯一サラダのような一品だった。

現地で振る舞われた料理

フルーツは豊富だ。朝食にはバナナのフライ、チップス、ピュレ状のものなど様々なバナナ料理も。おやつにも森の恵みがふんだんに並び、もぎたての熟れたフルーツや茹でた木の実、茹でたキャッサバ芋やキャッサバ芋の沈殿物から作ったクレープなどを食べた。

現地で振る舞われた料理

こんなに何日も連続で、加工食品を食べず自然な物だけを食べて過ごしたのは、生まれて初めての体験だ。食事とは食欲を満たす嗜好品ではなく、体を整えて、さらにエネルギーを与えてくれるものだと改めて実感した。何より食事が体に染み渡り元気になっている感覚を覚えた。

自然と葛藤

自然と共に暮らし、生活スタイルそのものが森の自然環境を保つためにも重要な役割を担っていると感じられるヒベリーニョの暮らし。そんな集落で過ごすうちに、さまざまな不便さも見えてきた。

たとえば、基本的に電波が届かないこと。一部、自宅にネット回線を引いている家庭もあるものの、電力供給は不安定だ。上下水道等も、もちろん整っていない。また、ごみの問題も考えさせられた。都市の暮らしで使われているようなプラスチック製のものなどがヒベリーニョの生活にも入ってきているのだが、アマゾン奥地で暮らす彼らには、都市にあるようなごみ回収や処理のシステムがないのだ。

筆者が話を聞いた住民は、食器用洗剤のプラスチック容器や、トイレットペーパーが入っていたビニール袋などを捨てる、もしくは回収するところがないとか、使い捨て電池の処分に困るといった悩みを漏らしていた。

川での暮らし

また、不便という言葉では言い切れないほどの課題もある。気候からの影響だ。

アマゾンでは雨期と乾期では川の水かさが大きく変わり、その年によって異なるが、約15メートル前後水位が変わるとされている。なので、雨期になると川の中に沈んでしまう場所もある。

雨期になって水かさが増すと、アンデス山脈からたくさんのミネラル成分が川の水によって運ばれてきて、土地に栄養が行き渡るというメリットもあるという。その自然のサイクルのおかげで、化学肥料などを使わなくても、マデイラ川流域には肥沃な土地が広がるのだ。

その一方、あるヒベリーニョの女性は、2014年に起こったマデイラ川の氾濫の影響で家が浸水し、水が引くまでの約90日間、川に浮かべた船の上で生活した話を聞かせてくれた。収入源であるカカオ果物などの木々が何百本も流され、また一から苗を植えて生活を立て直すしかなかったという。

さらに、集落のあるアマゾナス州は6月~11月が乾期であるが、今年はアマゾン川やその支流のあちこちで川が干上がっており、観測を始めた1968年から最低水位を記録した地点もある。生活用水の不足、不漁、また船やボートが出せないなど、ヒベリーニョを始め多くの住民の日常生活に影響が及んでいる。

自然と共に暮らす彼らにとって、自然はかけがえのない恵みを与えてくれる一方、自然災害が発生したときの被害の大きさはまさに脅威だ。近年、気候変動による弊害はグローバルサウスの人々の方がより直接的に受けると言われている。一緒に暮らしたヒベリーニョたちのことを思うと、改めて私たちが環境負荷の低い生活にどれだけシフトしていけるかをもっと考えて行動しなければと痛感する。

かさが増した川

アマゾン奥地の暮らしに見る「豊かさ」

豊かさとはなんだろう。今回の滞在で、何度も考えさせられたことだ。不便ながらも、自然の流れに逆らわず、「こと足りた」状態のことだろうか。

アマゾン川の集落で過ごした2週間あまり。体は川で洗い、洗濯をし、用を足したいときは森の中。電気がない家では、暗くなってからはローソクの明かりの中で過ごすことも。滞在中はずっと家に吊るしたハンモックで寝ていたが、寝心地がよく大ファンになってしまった。これも確かに、一つの豊かさだった。

ヒベリーニョのとある男性は、こう語る。「ここアマゾンの森には貧困なんてないよ。少なくてもお腹を空かして困ることはない。なぜなら、川に行けば魚が捕れるし、森には果物や木の実がたくさんあるからだ。アマゾンの自然は、すべてを与えてくれる。だから、もしアマゾンでお腹を空かしているヤツがいるとしたら、そいつはただの怠け者なだけさ」

川

それぞれの集落は、外部との接触が限られていた。私たちから見るとすごく魅力的な生活のあれこれが、集落で暮らす人たちにとっては何の価値も見いだされてないこともあるという。彼らのなかには、自分がヒベリーニョであることに劣等感を抱く人たちもいると聞いた。

だからこそ、私たちがヒベリーニョの生きる世界に触れ、川や森との関係性を心から学び、その価値や、私たちにない別の豊かさ、素晴らしさを語ることには意味があると感じる。外部との情報交換によって、ヒベリーニョが自分たちの持っているものを再認識し、誇りを持てたらなお良い。

交流の様子

私たちが生きる地球はとても多様だ。育った環境、生活している場所・環境はまったく違う。しかし私たちは同じ人間であり、それぞれの役割、もしくは、できることがある。そんなことを考えさせられた滞在だった。

【参照サイト】Amazon Amamos
【参照サイト】Depois de Manaus, mais uma cidade do Amazonas registra seca histórica
【参照サイト】アマゾンの現状
【参照サイト】国土技術研究センター – 国土を知る / 意外と知らない日本の国土
Edited by Kimika

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