世界で最も過激な劇場レストラン「アルケミスト」の、心を揺さぶる食体験【持続可能なガストロノミー#10】

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Social Food Gastronomy(ソーシャルフード・ガストロノミー)”を提唱し、活動を広げる杉浦仁志シェフが、食の分野におけるサステナブルな未来を目指すキーパーソンを紹介し、これからの食の在り方を社会に伝えていく連載「持続可能なガストロノミー」。

今回杉浦シェフが訪れたのは、デンマーク。北欧地域の伝統的な食文化を基にした料理スタイルである、ノルディックキュイジーヌの食文化が、ここ数十年で世界に広がっている。そんなノルディックキュイジーヌの影響を受けながらも、それを超えた独自のアプローチを持っている革新的なシェフがいる。デンマークのコペンハーゲンにあるレストラン「アルケミスト(Alchemist)」の創設者兼料理長として知られている、Rasmus Munk(ラスムス・ムンク)シェフだ。

右から二番目がラモスシェフ

右から二番目がラスムス・ムンクシェフ

アルケミストは、ただのレストランではない。世界で起こっている社会課題に焦点を当て、専属のクリエイターチームが料理に合わせて映像や空間を創り出す。まるで劇場のような、世界中見渡してもここでしかできない体験を提供するレストランなのだ。

ラスムス氏は、料理哲学“ホリスティック・キュイジーヌ”を提唱している。これは、ガストロノミー、演劇、アート、科学、技術の要素を組み合わせて、五感と知性を刺激する包括的な食体験を創出するものだ。アルケミストはこの哲学に基づいて、持続可能性や倫理的問題を題材に、食の概念を超えた感情的な体験を提供する。

アルケミストは2024年の「世界のベストレストラン50」にもにおいても8位を獲得し、常に上位にランクインするなど、高い評価を得ている。2024年2月に開催された限定160名の3日間に渡るイベントは、一人2,000ユーロ(約32万円)のコース料理を体感するため、5,250件の予約リストが世界中からの申し込みにより一瞬で埋まったことでも注目を集めた。

今回、アルケミストが取り組む人生を変えるほどの食体験や、ラスムス氏が考える日本の職人技術の魅力について話を伺った。

ラスムス・ムンクシェフと杉浦シェフ

ラスムス・ムンクシェフと杉浦シェフ

体感型のレストラン「アルケミスト」

アルケミストは、2019年に敷地面積2,000平米に5部屋52席をもつ大型のレストランとして、元々倉庫街だった新興開発地に移転オープン。専属のデジタルクリエイターチームが生み出す映像と、110ページもの「台本」に基づく舞台さながらの演出は唯一無二の世界。

巨大な扉をくぐると、ゲストは真っ暗な部屋に案内されエントランスからすでにショーが始まる。その後は「ラボ」で前菜を楽しみ、ドーム型の天井に映像が投映される「メインダイニングルーム」と、ボールプールのある「感覚体験」の部屋、ティール―ムと分かれる。

アルケミストのもてなしは、50のアート体験と46皿の一口サイズの料理から構成されており、それぞれの空間一つ一つにコンセプトが用意されている。スタッフの説明を丁寧に聞きながら、約6時間にも及ぶ膨大な食とアートの世界を体験していくのだ。

ほとんどの料理は食べられるが、中には香りや音楽体験だけのものもある。また、料理構成の中には、食品廃棄物やプラスチック汚染、献血者不足など、政治や環境問題などの社会課題に重きを置いたテーマ性のある料理があり、現代社会における食の在り方を改めて考えさせられる。

ラスムス氏の目標は、皿に盛られた料理以上の体験を提供することで、食の概念に対する私たちの理解を再定義することなのである。

ドーム型の天井に映像が投映される「メインダイニングルーム」

ドーム型の天井に映像が投映される「メインダイニングルーム」

ジョージ・オーウェルのディストピア小説「1984年」にインスピレーションを得て作られた料理「1984」。ソーシャルメディアを利用して個人情報を収集する大手テクノロジー企業への恐ろしさを表したもの。

献血の重要性について意識を高めるために考案されたデザート「ライフライン」。 献血者として登録するための公式ページにつながるQRコード付きの皿に盛られている。

現在の社会問題を一皿の料理から描く意味

多くの人々を魅了するアルケミストの裏側には、果たしてどのような想いがあるのだろうか。ラスムスシェフに話を聞いた。

Q. ラスムスシェフは、ホリスティック・キュイジーニュを提唱し、食へのアプローチを様々な角度で表現をされていますね。その中で、現在の食における課題をどのように伝えていますか?

私たちのレストランのメニューは、気候変動などの環境問題や動物福祉、貧困問題、フードロスなど、世界が抱えている社会問題に対する現状を伝える約46皿の料理で構成されています。例えば、海洋プラスチック問題を反映させた一皿や家禽の問題など、インパクトのある料理もメニュー構成の中に組み込んでいます。

鶏の家畜を課題にした空間

家禽の社会問題解決を掲げる一皿

家禽の社会問題解決を掲げる一皿

私の中の料理に対する考え方をどう表現するかを追求し続ける中で、こうしたいわゆる総合空間プロデュースをするアイデアが生まれました。

料理を提供する本意を知ってもらうため、サービススタッフには時間をかけて、レストランのコンセプトや料理のストーリーを学んでもらい、ゲストにわかりやすいよう説明しています。そうすることで、現在の食事情について何かを感じてもらいたいと思っているからです。
   
もちろん、私自身が直接ゲストに説明するときもあります。私たちのレストランでは、料理を通してゲストとの会話、ディスカッションを大切にしているのです。

さらに、普段食べない、または食用だと考えられていないけれど実際は栄養価が高く食べられる食材を扱い、それらに食材としての価値を見出しています。例えば、昆虫やクラゲがあげられますが、クラゲを食べるという発想はあまり一般的ではないと思います。しかし、実はクラゲにはコラーゲンやナトリウムが豊富に含まれているのです。

このように、知らないだけで実は食材として素晴らしいものがたくさんあります。私たちは柔軟な発想を持って、一般常識に捉われない食の可能性を常に追い求めているのです。

アルケミスト

継がれる日本食文化の哲学と進化

ラスムス氏は、日本の食文化・職人技術から多くのインスピレーションを受け、独自の料理を創り出すことも多く、過去に5回以上も来日している。2024年夏にも、日本の伝統ガラス工芸展に自ら伺い、手作りの技術の高さと独自性のあるデザインに関心を抱いたという。

ラスムス氏

ラスムス氏

Q. 日本には東洋独特の持続可能な発酵の食文化があり、それは約1300年前に遡ると言われます。ラスムスシェフが日本の食文化で印象に残っていることはありますか?

私は、日本の職人から大きな刺激を受けています。堅実で、一つの物事を極めることに人生を捧げている。生きがいをもって働いている職人たちの姿勢は美しいです。例えば寿司業界であれば、皿を洗うところや、お米を炊くところから指導を受けます。魚を捌くまで長い道のりです。現代では一見簡単に見える作業に時間をかけることは少なくなってきました。しかし本来、何かを短期間で極めることは、簡単ではありません。

そうした哲学的な考え方に改めて気づけたのは、日本のおかげかもしれないですね。

日本の寿司職人をデンマークに招待したことがあります。その職人はデンマークの魚市場で、魚の扱われ方がとても雑なことに衝撃を受けていました。私はデンマークでの魚の扱い方に意識を向けたことがなかったので、日本では食材一つ一つに敬意を持って扱うということを学びました。また、その職人は食材を選ぶときも自身の手で触って見極めていました。感性を使ってより良いものを選択する、そして食材に対して敬意を持って調理する、この姿勢にはとても感銘を受け、今でも大切にしています。

私が感じることは、伝統文化が現在も維持されている日本とは異なり、デンマークでは昔からの食文化が少しずつ失われつつあるように見えることです。しかし、その一方で、ノルディックキュイジーヌは伝統的な食文化を現代に合わせて進化させることで、世界から注目を集めています。その点が異なりますね。

次世代を担うシェフが考える未来の食構想

Q. ラスムスシェフが考えるサスティナビリティの可能性と、ラスムスシェフが実際に取り組んでいることを教えてください。

レストラン内では、可能な限りフードロスを抑えたり、地元の食材を使ったりしています。しかし、社会全体で見ればレストランでの取り組みの貢献度は限られています。

そこで私たちは、新しく「Innovation group (イノベーショングループ)」を立ち上げ、レストラン外での社会問題に取り組んでいます。サービス中に厨房を仕切るシェフの他に、アルケミストでは研究開発に専念するシェフや科学者も雇用しています。食の研究や実績を通して培った知識やテクニックを生かして、より良い食のシステムがめぐる社会を目指します。

また、社会全体における問題に対しても食からの貢献を継続的におこなっており、現在はホームレス状態にある方々に温かい料理を提供したり、子どもの病院での食事をサポートも実装しています。

今後は、レストランという垣根を超えて、より社会と連携し、社会全体がポジティブになる活動も私の未来構想の一つです。

編集後記

「レストランの食事形式は過去100年でほとんど変わっていません。基本的にはどこも同じ流れに従っています。演劇がガストロノミーを豊かにする方法を探り始めたとき、レストランの食事の進行が演劇のそれと非常に似ていることに気づきました。この発見は、私自身のシェフとしてのアイデンティティに新たな意味をもたらしました」

アルケミストの料理には倫理的または政治的な観点が反映されているが、どの食事も「味」が妥協されることは決してない。だからこそ多くの人々から注目され続けているのだろう。

レストランの概念を覆す、アルケミストでの体験。人々の心ゆさぶる劇場でのひとときは、体験者の人生に大きく刻まれるに違いない。

筆者プロフィール:大野南香(おおの みなか)


東京大学医学部健康総合科学科卒業後、コペンハーゲン大学院食品科学科で修士課程を取得し、現在はうま味の研究をしている。玄米と味噌汁、カポエイラが大好き。

【参照サイト】Alchemist

Edited by Erika Tomiyama

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