視覚障害者が編み直す「ケアする/される」の関係。映像人類学でとらえた北フィリピンの風景

Browse By

誰かに支えられて生きること。誰かを支えながら共に暮らすこと。

近年、そうした「ケア」の営みが、改めて問い直されている。家事や育児、介護や医療といった日常の場面から、女性の働き方や社会的マイノリティの権利まで、「ケア」はあらゆる領域に深く関わるテーマとなっている。

なかでも近年、特に注目を集めているのが、アメリカの心理学者キャロル・ギリガンによる「ケアの倫理」という概念だ。1982年に出版された『もうひとつの声で(In a Different Voice)』の中で、ギリガンは「ケア」を、他者との関係性を通じて築かれるものとして捉え直した。この概念は、その後も多くの研究に引用され、近年ではフェミニズムやケア研究の中核的な議論となっている。

今回は、デンマークのオーフス大学修士課程にて映像人類学を専攻し、映像作品を通して北フィリピンの視覚障害当事者のコミュニティにおけるケア実践を映し出した、牛丸維人さんを取材した。ケアを提供する者/受ける者という二項対立的な関係を超えた「ケア」とは何か、そしてコミュニティでの動きがいかに社会運動へとつながっていくのか。映像人類学という手法を通してケアのあり方を探究する牛丸さんに、作品に対する思いやその背景を聞いた。

話者プロフィール:牛丸維人(うしまる・まさと)

牛丸維人写真家・民族誌映像作家・デザイン実践者。飛騨高山生まれ。デンマーク・オーフス大学映像人類学修士課程修了(映像人類学修士)。フィリピン北部の視覚障害当事者共同体による社会運動に長期間関わり、フィールドワークと映像・写真制作に取り組む。その映像人類学的研究プロジェクト『OUR CO-BLIND』として同名の写真集を発表。そのほか、デンマークでの2年間の留学生活を民族誌的アプローチで内省的に記録した『FOG AND SUN』など。公式サイト:https://masatoushimaru.com/

ケアの対象である人が、ケアを提供したら?映像人類学で当事者の姿を映し出す

Image via Masato Ushimaru

牛丸さんが制作した映像作品『OUR CO-BLIND』の冒頭は、マッサージのシーンから始まる。身体に触れ、ゆるやかにマッサージが続く映像から、徐々に牛丸さんが調査するフィリピンのコミュニティにおける生活世界へと場面が開かれていく。

映像作品が光を当てるのは、フィリピン・ベンゲット州を拠点とする視覚障害者のコミュニティ「Blessed Community of Persons with Disability(以下、BCPD)」だ。2020年に設立したBCPDでは、25名ほどのメンバーが共助システムを運営し、鶏の飼育や畑仕事で生計を立てている。

コミュニティの中で牛丸さんが注目したのが、マッサージを担当する視覚障害者の存在だった。介護施設で働いていた母や、介護が必要であった祖母の影響もあり、ケアの問題を身近に感じてきた牛丸さん。大学を卒業後、人類学やデザイン、「ケア」というテーマへの関心が強まり、デンマークのオーフス大学の修士課程に進学し、映像人類学を専攻した。そして、フィールドワークの一環としてこの映像作品を制作した。

Image via Masato Ushimaru

牛丸さんが専門としてきたデザイン人類学のアプローチは、厳格な定義はないものの、社会運動や共同体としての活動に人類学者が介入していくことが重視されているという。当事者の共同体におけるケアの役割に関心を持った牛丸さんは、「ケアの対象である障害者が、ケアを提供する立場に立った際に何が起こるのか」という疑問を持ち、研究に着手した。

「在籍していたオーフス大学にはデザイン人類学における著名な研究者がたくさんいます。彼らによると、デザイン人類学がこれまでの人類学と異なる点は、人類学者がフィールドに積極的に介入し、当事者と協働していく点を重要視すること。例えば、私の『介入』の場合、BCPDのメンバーの集会に一緒に行ったり、実際にマッサージを受けたりしていました。

ここでの『デザイン』とは、ものを作るという意味でなく、新しい運動にも視野を広げるデザインのあり方を指しています。人類学者のアルトゥーロ・エスコバル(※1)のように先住民運動に自ら介入していく研究者や、日本では民俗学者の宮本常一(※2)が長らく取り組んできた領域でした。私自身は、こうしたデザイン人類学や映像人類学をベースに、大学院で学んでいました」

※1 コロンビア出身の人類学者。デザインと人類学の視点から「多元世界」について論じた著書『多元世界に向けたデザイン——ラディカルな相互依存性、自治と自律、そして複数の世界をつくること』は国内外で注目されている。
※2 日本の民俗学者。自ら日本各地に赴き、地域に根づく生業や慣習を包括的な視点から切り込んだ。主な著書として『忘れられた日本人』『塩の道』が刊行。

社会運動としての「ケア」

Image via Masato Ushimaru

視覚障害者がマッサージという専門性の高い仕事に従事していると聞くと、目が見えないからこそ研ぎ澄まされた触覚を持っているのではないか、と何か「特別」な感覚を抱く。しかし、実際に数ヶ月間BCPDで調査をした牛丸さんは、徐々にそうしたケアに対するバイアスに違和感を感じ始めた。

「これまで私は『マッサージ』について、目が見えない分触覚によってケアを提供するという、ある種の『神聖なもの』として捉えていました。しかし、実際にフィールドワークをしてみると、視覚障害者だから感覚が優れているというわけでも、マッサージが聖なる仕事というわけでもなく、彼らは明日の生活のために仕事としてマッサージをしている。『従来ケアを受ける立場だった人(視覚障害者)がケアをする』というのは、彼らが明日を生きていく力として日常生活の中に息づいていることを実感しました」

Image via Masato Ushimaru

BCPDのメンバーの中には病気を抱える人もおり、子どもから大人に至るまで同じ集落でともに暮らしている。あるメンバーは、このコミュニティのことを「the house of bayan(人々の家)」と呼び、支援者や訪問者など、あらゆる人を受け入れる場だと語る。こうした彼らの暮らしを撮影するなかで、牛丸さんの関心は「マッサージをする人」という個の営みから、徐々に共同体の形成やケアの持つ社会運動的な側面に移っていった。

現在BCPDは経済的な課題を抱えている。彼らの主な生計手段はマッサージだが、顧客が不定期に訪れるために、収入が安定しない。あるメンバーは、視覚障害者であるゆえ自分の仕事に対するまわりからの信用を得るのが難しく、できる仕事が限られていると話す。この状況を打開するべく、政府やNGOに支援を求める手段としてBCPDという組織が作られたという背景もあるのだという。

「ケア自体は『助け合い』ではありますが、『大きな声』すなわち自分たちの存在感を獲得していくことの第一歩である、というニュアンスも強くあります。映像作品の制作を通じて、一人ひとりの当事者が集まり、連帯することで、社会に対してひとつの「声」を発していく。そのような力が「ケア」にはあるのだと実感しました。だからこそ、運動自体が大きくなっていく様子を映像や展示を通して捉えていきたいと思っています」

当事者と社会をつなぐ映像を目指して

Image via Masato Ushimaru

映像制作を通して、牛丸さんが人類学の研究者としてフィールドへ介入したことで、現場ではセクターを越えた繋がりが生まれはじめている。

これまでフィリピンでは、障害者に対する教会主導の募金活動やサポートは見られたが、彼らを取り巻く公的支援はほとんど機能していなかった。また、牛丸さんが現地に介入する前は、フィリピンでは「視覚障害者」の暮らしについて障害者政策の中では議論されていたものの、特定のコミュニティや当事者個人のストーリーとして注目されていなかったという。実際に、映像作品の中には街で物乞いをする盲目の人のすぐ横を多くの人が何事も無いかのように行き交う様子があり、社会の視覚障害者に対する「無関心」が映し出されていた。

そうした状況の中で、牛丸さんは2024年にフィリピンで作品の上映会を実施し、BCPDと現地のNGOやフィリピン大学をつなげ、対話の機会を生んだ。こうした場づくりを通して、フィリピンにおける障害者支援に向けた新たな連携が生まれつつあるという。

「障害をめぐる問題は、映像作家だけでは解決し得ないものです。障害という包括的な問題を扱うには、医療や行政関係者などあらゆるセクターが必要だと思います。だからこそ、写真や映像を通して制作活動を続けながら、当事者と社会の間に入ってファシリテートし、新しい動きを生み出していきたいです。

これまで映像作品を制作する中で、テキスト以上に映像はたくさんのことを語れると実感してきました。人々の動作や表情、その場の空気感など、フィールドでは非言語領域の情報が多く存在します。だからこそ、映像を通してフィールドの『生々しさ』を伝えていきたいです」

編集後記

家事や育児、医療・介護サービス……日常生活で見られるケアの形はさまざまだが「ケアをする/される」の境界は曖昧なものだ。家事を通して家族をケアする私は、病院では医療サービスを通してケアを受け取る、というように。

牛丸さんの作品は、ケアを必要とする人々が、公的サービスに頼ることが難しい状況で、いかにして主体的にBCPDという共同体を築いているのか、という市民による相互扶助の現場に着眼している。

映像作品の中でも、ケアを通して生まれる共同のあり方が印象的だった。障害のあるメンバーたちが自身の役割を担い、共助するというBCPDの仕組みは、「ケアをする者/される者」という二分法的な関係自体を解体すると同時に、両者は反転し得るということを暗示しているだろう。

障害を取り巻く課題は、決して当事者だけのものではなく、一部の市民を構造的に排除してしまう社会全体、そしてその構成員である私たちにつながるものである。だからこそ、「ケア」という誰もが生きる上で避けては通れない営みに注目し、日々を生きる一人ひとりの声に耳を傾けることが重要だ。

タイトルの「OUR CO-BLIND」という言葉が表すように、「ケア」とは日常生活における私たちの重層的な関係を照らし出し、一つに結束させる「呼びかけ」なのだ。

牛丸さんのnoteにて『OUR CO-BLIND』の動画を有料で視聴可能だ。また今後、牛丸さんは2025年7月末から8月にかけて長野県松本市や台湾の台北市をはじめ、『OUR CO-BLIND』に関する写真の展示を国内外で予定している。6月には静岡県静岡市にて、デンマークでの留学生活を記録した『FOG AND SUN』の展示が行われる。作品を通じて、「ケア」という行為に宿る力と可能性に、そっと触れてみてはいかがだろうか。

【参照サイト】Masato Ushimaru HP
【参照サイト】Masato Ushimaru Instagram
【参照サイト】Masato Ushimaru X(旧・Twitter)
【参照サイト】Masato Ushimaru note
【参照サイト】『PHOTOBOOK, OUR CO-BLIND -A Visual Ethnography of the Visually Impaired Community in the Northern Philippines』

Edited by Megumi

FacebookX