「#この髪どうしてダメですか」パンテーンの広告が促した、生徒と教師の対話

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渋谷では外国人観光客の姿が目立つようになった。京都では外国人が舞妓の衣装を着て歩き、白川郷では外国人カメラマンが冬景色を求めてシャッターを切る。われわれ日本人が海外の市民と交流する機会は、10年前よりも格段に増えた。それと同時に、日本へ移住する外国人も増えている。日本人と結婚して日本で子供を作る外国人の存在は、珍しいものではない。

「親が日本人以外の子」が増えるということは、彼もしくは彼女が「黒髪」でないかもしれないということだ。いや、そもそも「日本人は皆黒髪」という意識は間違っている。人種が多様化するということは、ブロンドヘアーの日本人がいてもまったくおかしくはないということだ。だが、そのような流れに教育現場が適応しているか否かは別問題である。

ヘアケア製品ブランドのパンテーンが2019年3月に打ち出した広告が、大きな話題を呼んだ。髪染めに関する校則に関して、学校の先生が、生徒から出された質問に回答するという内容である。その質問票には、「地毛証明書を出す理由を教えてください」と書かれている。

パンテーンの広告

地毛証明書は、都立高校の約6割で提出が求められるという。地毛が黒色なのか茶色なのか、髪の毛に癖はあるのか、その強さはどの程度か……ということも書かなければならない。学校によっては、地毛が茶髪の生徒に対しても黒染めを命じる。

なぜ、そのような校則があるのか?ある教師は、「地毛なのか加工しているのか分からないから」と、回答する。しかし、それは果たして答えになっているのだろうか?

ある生徒は、「髪の毛が茶色だから染めるか切るように」と教師に命じられたことがあるという。「茶色に染めるのはダメなのに、黒く染めるのはいいんですか?」
CM動画の中で、生徒たちは教師に対して素朴な筆問を容赦なくぶつけた。

ここで、バービー人形を思い出していただきたい。あの着せ替え人形である。昔のバービー人形は、金髪碧眼の白人の女の子だった。スリムな体形をドレスに包み、まさに「昔のアメリカ」を象徴するかのような人形だった。しかし、金髪碧眼のアメリカ人は実際は少数派である。

アメリカという国は人種の宝庫であり、アフリカ系やアジア系の市民が公民権を求めて戦ってきた歴史がある。キング牧師の演説「I Have a Dream」はその最頂点だ。太平洋戦争の時に差別を受けていた日系人も、自らが銃を取ってヨーロッパ戦線で戦うことで選挙権を手に入れた。

どのような分野でも、特定の人種で構成された集団がそれを独占するというのはアンフェアである、というのが公民権運動が発生した国の考え方だ。従って、バービー人形も多様化する。現在、バービーの友達には黒人やスパニッシュ、アジア系、さらにはイスラム教徒の女の子も存在する。

パンテーンの動画では、生徒と教師との対話が取り上げられている。SNSでハッシュタグとしても広がった「#この髪どうしてダメですか」という質問は、ルールに疑問をぶつけると同時に、立場の異なる者の対話を大いに促す材料でもあったのだ。

パンテーンの広告

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「学生らしい」とは何なのか? 我々が昔から口にしてきた「学生らしい」とは、生まれながらの髪の色を否定する凶器になってはいないだろうか?キング牧師が呼びかけたのは「対立」ではなく「対話」である。個々の違いを認め、受け入れる。字面で書けば極めて簡単な流れだが、それには対話が不可欠だ。また、この問題は「教師の働き方」にもつながる話題である。

中学高校の現役教師の約93%が「時代に合わせて校則も変わる必要がある」と考えているという。この部分は、単に地毛証明書だけに適合させた問題だろうか?不合理な校則は、結果的に教師の固定観念を強め、労働環境を悪化させる可能性が高い。それに教師の側が気づき始めた、と解釈することもできる。

パンテーンのCMが配信されて以降、SNSでも「理不尽な校則」や「教師の働き方」に対する議論が活発になっている。このCMは物事を結論付けるための終着点ではなく、あくまでも議論を円滑にするためのきっかけに過ぎない。従って、どちらか一方の側に立って白黒をつけようとする態度はここでは相応しくない。

動画が呼びかけるのは「対話」であり、立場の違いを超えた建設的な議論である。

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