茨城県常総市には、世界一ミツバチに優しい神社がある。「一言主神社」だ。「手水舎に集まるミツバチが怖い」という参拝客の声を取り上げ、ミツバチ専用の水飲み場を設置したことがその理由である。斬新な方法でミツバチとの共存を目指した神社に、今注目が集まっている。
【今年も御来社!ミツバチ専用水飲み場はじめました】
暑くなるとミツバチさんが団体で手水舎に水を飲みに(正確には〝運びに〟かな?)来ます。
連日の猛暑で今年は1ヶ月ほど早めの御来社。
慌てて専用水飲み処を作りました。暖かく見守っていただければ幸いです。#ミツバチ #水飲み場 pic.twitter.com/x1pVfKIzUB— 一言主神社 (@hitokoto0913) July 6, 2022
多様な生物との共存が持続可能な社会にとって重要であることは、以前から言われてきたことである。しかし、なぜ今、これほどまで生物多様性への関心が高まっているのだろうか。
生物多様性への関心が高まる理由
国連が設置した科学者組織「IPBES」の報告によれば、花粉を運び農作物作りに貢献するミツバチなどの役割は、経済効果にして66兆円ほどに及ぶ。花粉を運び受粉を促す役割は、生態系の中でも特に重要なのだ。
しかし今、そうしたミツバチなど花粉を媒介する動物は、かつての100~1000倍というとてつもない速度で絶滅に向かっている。花粉媒介者がいなくなれば、リンゴや梨などのくだものなどはもちろん、モーニングコーヒーという言葉もなくなってしまうだろう。
また、2010年に愛知県名古屋市で開催された生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)では、2020年までに陸域の17%、海域の10%を保護地域等として保全する愛知目標を採択した。2021年時点で、日本の保全状況は、陸域20.5%、海域13.3%とクリアしているが、世界全体では部分的な目標達成にとどまっている。
これらの事実も踏まえ、国際組織や会議から、生物多様性の保全または回復のための迅速な対応を求める発信が、同時期に3回も行われた。関係し合う3つの発信は、それぞれどのような内容だったのか。
2030年までに陸と海の30%以上を健全な生態系として効果的に保全・保護を目指す「30by30」
2021年6月、イギリスのコンウォールでG7サミットが行われた。イギリスはG7議長国として4つの優先課題をまとめ、その内の1つが「気候変動問題と生物多様性保全への対応」であった。
この議題に対し、議長国のイギリスが提示したのは、「2030年までに陸上と海洋の30%を保護し、将来世代のために自然環境を保全する」という考えであった。G7サミットにて、合意を得たこの目標は、30by30として知られている。
30by30達成のかぎを握るのが、保護地域以外で生物多様性保全に資する地域、いわゆるOECM(Other effective area-based conservation measures)である。保護地域が国立・国定公園など法令に基づき開発等が制限される地域であるのに対し、OECMは30by30の趣旨に賛同する民間企業や個人、地方自治体等からの申請に基づき、環境省が認定する仕組みだ。
OECMへの認定を進めることは、人と自然が共生する地域を広げていくことにつながる。生物多様性の保全と人間の福利向上を両立させる、里山のような地域を通じて自然共生社会の実現を目指す国際的な取り組みSATOYAMAイニシアティブというものがある。この取り組みに代表されるようなものが、今後さらに注目を増すことになりそうだ。
生物多様性の保全だけではなく回復を目指す「ネイチャー・ポジティブ」
イギリスG7サミットの約4か月後、中国の昆明で生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)の第一部が開催された。この会議では、アジェンダ2030を想起しながら、2020年までの愛知目標の反省を活かしたポスト2020生物多様性枠組の採択に向け、「昆明宣言」が採択された。
昆明宣言では、生物多様性の保全だけでなく、回復も目指していくネイチャー・ポジティブの考えも取り入れられた。この野心的な考え方であるネイチャー・ポジティブは、生物多様性分野におけるあらゆる取り組みに対して貫かれるべきとされ、30by30やOECMなどにも求められている。
ネイチャー・ポジティブをテーマに下記のような取り組みも行われている。
今後は、G7で合意を得た目標をもとに、ポスト2020生物多様性枠組をつくることが意図されている。2022年12月のカナダでのCOP15により、最終的な採択がされる予定だ。
「生物多様性の損失」は、今後10年で深刻度の高いグローバルリスク
また、生物多様性への関心を高める決定的な報告が、世界国際フォーラムから2022年1月になされた。2022年版の「グローバルリスク報告書」である。今回で17回目となる本報告書では、短期的な視点だけでなく、中長期的な視点も踏まえリスクの管理と対応策の検討が呼びかけられた。
短期的、中長期的な視点でまとめられたグローバルリスクでは、自然環境に関するリスク項目が上位を占めている。さらに、リスクの深刻度で順位付けすると、1位の「気候変動への適応」、2位の「異常気象」に続き、3位は、「生物多様性の損失」だった。
2020年版や2021年版の報告書でも、影響の大きいリスクとして生物多様性の喪失は認識されていたが、当時はまだ感染症や大量破壊兵器などの下に位置づけられていた。それが今回覆ったということで、2022年は、生物多様性の損失への対応の転換期になるかもしれない。
自然の力を活用することで、問題を解決していく「NbS」
今、生物多様性を損失しない、または回復させていくための迅速な対応が強く求められている。最近では、「自然の力を使ってさまざまな問題を解決していこう」というNbS(Nature-based Solution)と呼ばれる、IUCN(国際自然保護連合)と欧州委員会が発表したアプローチもうまれている。「社会課題に効果的かつ順応的に対処し、人間の幸福および生物多様性による恩恵を同時にもたらす、自然及び人為的に改変された生態系の保護、持続可能な管理、回復のための行動」を指す。
類似する概念として、風力や太陽光発電などの自然由来の解決策や、自然に着想を得たバイオミミクリーなどの概念もある。また、空間の中にいる人が自然とのつながりを感じられるようにするための設計や手法を表す「バイオフィリックデザイン」なども健康・環境・経済など幅広い分野へのメリットがあると注目されている。
ネイチャー・ポジティブな経済を促進させるTNFD
前述したような企業の取り組みを後押しする上で大事なのが、金融業界の流れだ。その中で話題になっているのが、金融機関や民間企業に対し、自然資本および生物多様性の観点からの事業機会とリスクの情報開示を求める、国際的なイニシアティブ「TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)」だ。
世界経済フォーラムによると、世界全体のGDPの半分以上に相当する44兆ドル(約4,800兆円)の経済的価値の創出が、森林、土壌、水などの自然資本に依存しているという。そして、自然資本を形成するうえで重要な柱となるのが生物多様性だ。それにもかかわらず、企業が生物多様性保全のために具体的に何をするべきなのか、明確な指針が示されていないことが課題となり、TNFDの発足に至ったのだ。気候変動だけではなく生物多様性保全に関する、情報開示の標準化が急務となっている。
TNFDは、2015年に設立された「TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)」の生物多様性版と言われている。TCFDが、環境・社会がもたらす企業への財務的な影響(財務的マテリアリティ)についての開示を表すシングルマテリアリティを主としていたのに対し、TNFDはそれに加えて企業活動が環境・社会に与える影響(環境・社会マテリアリティ)という2つの側面から重要性を検討すべきとする「ダブルマテリアリティ」の考え方が採用されているのが特徴だ。
「ミツバチが絶滅したら、4年以内に人類も絶滅するだろう」
生物多様性の保全、回復だけではなく、さまざまな環境問題を同時に解決していくような取り組みも今後重要になってくるだろう。
オランダのユトレヒト市には、バス停を「ハチ停」にするというアイデアがある。市内の316カ所のバス停の屋根を、多肉植物のセダムで緑化することで、ミツバチなどが停まって受粉できる場所を作った。
屋根の緑化には、空気の浄化作用や貯水機能もある。ハチの生活を支えるだけでなく、様々な環境問題への取り組みにもつながる屋根の緑化には、ユトレヒト市から補助金が出る仕組みにもなっているという。
また、ハチはハチでも単生バチに注目した取り組みがある。単生バチは、ミツバチ120匹に相当する受粉を行うことができるという。つまり、生態系に対しての影響力がより強いと言うことだ。
そこで、単生バチの住処が増えれば生態系の繁栄につながる。そう考えたのはスウェーデン発の家具量販店IKEA。誰でも利用できるオープンソースとして、ハチの巣のデザインを公開している。
日本の木工品が参考にされた巣のデザインは、釘などを使わずに木材のみで作れるようになっている。また、単生バチはハチミツを作らないため、人に危害を加える要素はないという。自然と人間の共生が実現でき、かつ環境への負荷も少ない1つの具体的なアイデアとして参考になりそうだ。
アインシュタインは、「ミツバチが絶滅したら、4年以内に人類も絶滅するだろう」と話したと言われる。大切なのは、この一言が真実かどうかではなく、ミツバチをはじめとする1つ1つの種が、生態系において替えの利かない存在であるという事実を知ることである。
今年開催されたダボス会議でも大きなテーマとなった「生物多様性」。フィンランドのシンクタンクであり投資ファンド「Sitra」は今年5月、4つの主要セクター(食と農、建設、繊維、林業)でサーキュラーエコノミーに取り組むことで、2035年までに2000年時の生物多様性レベルを取り戻すことができるというレポートを発表した(※)。生物多様性の回復には、企業が自社と生物多様性との関係をどう位置づけ、事業活動に組み込めるかが鍵となるだろう。生物多様性の保全や回復に向けたシナジーを探りながら、さまざまな取り組みが展開されることを願う。
※ Tackling root causes:Halting biodiversity loss through the circular economy
【関連記事】生物多様性はなぜ大事?その必要性や世界の潮流を解説
【参照サイト】IPBES 評価報告書1の概要(環境省)
【参照サイト】昆明宣言(環境省)
【参照サイト】<報告書発表> グローバルリスク報告書2022年版: 2022年のグローバルリスクのトップは、気候変動への適応の失敗と社会的危機
【参照サイト】自然を基盤とした解決策(NbS)に関する国際的議論
Edited by Erika Tomiyama