特集「多元世界をめぐる(Discover the Pluriverse)」
私たちは、無意識のうちに自らのコミュニティの文化や価値観のレンズを通して立ち上がる「世界」を生きている。AIなどのテクノロジーが進化する一方で、気候変動からパンデミック、対立や紛争まで、さまざまな問題が複雑に絡み合う現代。もし自分の正しさが、別の正しさをおざなりにしているとしたら。よりよい未来のための営みが、未来を奪っているとしたら。そんな問いを探求するなかでIDEAS FOR GOODが辿り着いたのが、「多元世界(プルリバース)」の概念だ。本特集では、人間と非人間や、自然と文化、西洋と非西洋といった二元論を前提とする世界とは異なる世界のありかたを取り上げていく。これは、私たちが生きる世界と出会い直す営みでもある。自然、文化、科学。私たちを取り巻くあらゆる存在への敬意とともに。多元世界への旅へと、いざ出かけよう。
同じまちに暮らし、同じ道を歩き、同じ公共交通で移動する。ある人は、これからの予定に胸を膨らませる。ある人は、危ない人物に遭遇しないようにと身の回りを警戒する。ある人は、車内アナウンスの言語が聞き取れず、焦って電光掲示板を見る。たとえ、同じ場所にいたとしても、そこでの体験は人によってバラバラだ。
もしあなたが何も気にせずに、まちを歩き、生活ができていたとしたら──あなたはその社会で「特権的立場」にいるのかもしれない。社会の中でマジョリティでいることのオイシイ点は、「自分の属性を意識せずに生活できる」ということだろう。
都市を女性の視点で捉え直す「フェミニスト・シティ」の冒険は、ある人のこうした個人的経験から始まる。なぜ夜道を警戒して歩かなければならないのか。なぜ車椅子を使用していると地下鉄に乗りにくいのか。このような疑問はいずれ「誰が誰のために設計したまちなのか」というところに辿り着く。
都市地理学者であり、カナダのマウント・アリソン大学教授であるレスリー・カーンさんは、この問いに正面から向き合ってきた。まちを女性の視点でみると、どのような景色が見えてくるのだろう。彼女が「先進的」だと考える各都市のプロジェクトから、今後のフェミニスト・シティのあり方まで、話を聞いた。
「刺激的で楽しいロンドン」が、子どもができて一変
『Feminist City(以下、フェミニスト・シティ)』『Gentrification Is Inevitable and Other Lies』などを執筆したレスリー・カーンさんは、ジェンダーと都市の問題が交差するところをフィールドとして探求してきた。都市をフェミニズムの視点で捉える、あるいは反資本主義の視点で捉えることを得意とする。ここでいう都市の問題とは、建造物やインフラなどのハード面から、社会システムなどのソフト面まで様々だ。
『フェミニスト・シティ』を出版してからは、ジェンダーの専門家として実際のまちづくりに携わることもあるという。実際に彼女は、アメリカ・ロサンゼルス市の地下鉄に関する「ジェンダー・アクション・プラン」の策定にも関わっていた。
そもそもレスリーさんはいかにして、地理学・都市計画とジェンダー研究の交差点に立ったのだろう。
「もともと学部生のときにジェンダー専攻だったので、フェミニスト的視点は持っていたと思います。ですが、それを都市空間の権力に結びつけて考えるのは、当時まだ新しい考え方でした。修士課程では『人種』について学びました。人種差別、人種のヒエラルキー、そしてそれによって作られた空間…… そしてその時期に、1970年代から都市空間・小さな町・自然環境とジェンダーを結びつけて論じている分野があることを知ったのです。そしてこれこそが『フェミニスト地理学』だと発見しました」
「その後、都市研究でも、女性の経験に焦点を当てるものが増えました。夜道で恐怖心を抱くこと、安全かつ予算に合った家を探すのが大変なこと、怖い思いをせずに公共交通で移動するのが難しいこと。それらの問題に興味を持ちました」
しかし、彼女が『フェミニスト・シティ』の書籍を執筆するまでにいたった経験は、そうしたアカデミックなキャリアとは別の、さらに個人的なところにあった。
「でも、何よりの契機になったのは母になったことでした。当時、私はロンドンに住んでいました。ずっと快適で楽しいと思っていたロンドンのまちが、妊娠して出産し、子どもを連れて歩くようになった途端、動き回るのが難しい場所へと一変したのです。ベビーカーを引いて地下鉄に乗るのも一苦労。2階建てバスの2階には上れなくなりました。そのとき、ロンドンという都市が女性のみならず、子ども・車椅子移動の人・高齢者などの『ケアする人・される人』にとって快適な場所ではないことに気付いたのです」
ベビーカーを引いて動き回りづらいということは、車椅子の人もきっと同様だろう。階段しかない駅が多いとなると、高齢者は公共交通以外で移動するしかないのだろうか。
「フェミニスト・シティ」の先駆となるまち
しかし、世界中すべてのまちで女性やケアする人・される人の視点が忘れられてきたかというとそうではない。一部の都市では、早くも1990年代から、ジェンダーの視点をまちづくりに取り入れる動きが始まっていた。
「本の中でも触れていますが、オーストリアのウィーンは『ジェンダー主流化』の政策をいち早く取り入れたまちでした。そこでは、女性でも手の届きやすい(比較的安価な)公共住宅を建設したり、誰もが安全に歩けるよう夜道の照明を増やしたりと、様々な取り組みが行われました」
▶︎参考記事:もし、街が「女性目線」で作られたら?ジェンダー平等都市・ウィーンを歩く
「また、スペインのバルセロナも『ジェンダー・ジャスティス・プラン』を採用しています。歩行者エリアを家族で利用しやすくしたり、ケアワークをする人(それは女性であることが多いですが)が、スーパーや薬局など生活の中で行く必要がある場所と自宅が近くなるようにしたり、その中に緑の空間を盛り込んだり。女性や障害のある人が、日頃なにを気にして生活しているのか、コミュニティメンバーからインプットしてもらう機会も作ったのもポイントでした」
「フランスのリヨンのように、ジェンダーに関するまちづくり政策とその実態が食い違わないよう、まず『ジェンダー関連の施策予算を確保する』アプローチをとっている場所もあります。予算ありきで考えることで、具体的な目標と手段が明確になり、どの部分に問題が存在するのかを特定しやすくなります。例えば『男児が楽しむスポーツのための場所ばかりになっている。じゃあ女児のための空間もつくろう』と、話が進みやすくなります」
さらに、いま多くのまちで問題になっているのは「家」の問題だ。ホームレス状態の人々に関して、レスリーさんは下記のように指摘する。
「ホームレス状態の人々というと、多くの人は男性をイメージしがちですが、これは公の見える場所に暮らすホームレス状態の人々の中に男性が多いというだけ。実は、家を持たない女性も多く存在します。女性専用のシェルターがまだ十分に提供されていないのが実情です」
フェミニスト・シティは「特権的な男性」に代わる「特権的な女性」のまちではない
「ジェンダー・アクション・プラン」を策定したアメリカ・ロサンゼルスでも現在、公共交通を安全に、快適に、アクセスしやすくするためのプロジェクトが動いている。しかし、そのルート策定などにはまだ課題が残る。
「本来、公共交通は低所得の人たちにとって大事な移動手段です。その中には、移民の女性や家事労働に携わる女性も含まれます。ですが、その人たちが快適なようには設計されていないのが現実です」
ロサンゼルスをはじめとするアメリカ諸都市には「ゲーテッド・コミュニティ」がある。ゲーテッド・コミュニティとは、しばしば経済的に豊かな人がセキュリティの向上を目的として、出入口にゲートを備え、フェンスや壁で囲うことで、人や車の出入りをコントロールした住宅地のことを指す(※1)。そんなゲーテッド・コミュニティに出入りする人々の導線を想像してみたい。
「ゲーテッド・コミュニティの中に住む富裕層はたいがい車を使っています。というより、公共交通に乗る低所得者層が行きにくい場所にあるからこそ、住所のセキュリティが担保されると考えられているのです。では、そこで掃除をしたりベビーシッターをしたり、ガーデニングをしたり、料理をしたりするヘルパーたちは、どうでしょうか。彼ら・彼女らは公共交通で通うことになりますが、まち全体はそのための設計になっていない。結果、何本もバスを乗り継いで向かうこともあるのです」
このようにみていくと、都市での暮らしは単に「ジェンダー」という視点によって切り取られる属性にとってのみ、規定されるものではないことがわかる。現実はさらに複雑だ。そこで、レスリーさんが強調するのが「インターセクショナリティ」というワードだ。
「『インターセクショナリティ』とはマイノリティの中でもさらに焦点の当たりづらい差別を受けている当事者を可視化するための概念です。ジェンダーだけではなく、階級、人種、年齢、障害、セクシュアリティなど多くの要素が組み合わさって、私たちの人生の機会を決め、私たちの生き方、まちで暮らすときの感じ方を規定している。そのことに目を向ける必要があります。私は『特権的な男性』によって作られたまちを、『特権的な女性』によって作られるまちにしたいわけではありません」
例えば一言で『女性』といっても、その中にまたいくつもの層が存在し、それは複雑に折り重なっている。移住してきた女性、障害のある女性、シングルマザー……都市計画の中に想定されない傾向にある彼女たちの声をいま一度拾い上げる必要があるのだ。
これから注目すべき概念は「ケア」と「フレンドシップ」
ジェンダーの視点からこれからのまちづくりを考える上で、覚えておきたい概念が二つある。それが「ケア」と「フレンドシップ」だ。レスリーさんは人々のパートナーシップの結び方や家族の形も大きく変化する上で、これらの概念は見逃せない切り口になると語る。
「『ケア』に関してはいまに始まったことではありませんが、今後高齢化が進む地域も多い中、必ず議論しなければならなくなるでしょう」
誰が子育てをし、看病をし、介護をするのか。今まで女性が家庭内で『無償で』こなし、見過ごされてきた仕事は、ジェンダーの視点が与えられたことによって、「労働」として認識され、その価値が見直されるようになった。それにより、家庭の外でも社会全体でも、誰かが行わなければならない「役割」となったのだ。
さらに、レスリーさんが強調するのは「フレンドシップ」だ。フレンドシップとは直訳すると「友情」。家族でも恋人でもないゆるやかな関係が、私たちの今後の暮らし方の鍵になっていくかもしれない。
「誰かと同居するということ、家族や家庭のあり方、パートナーとの関係性……どれも多様になっているので、今後はもっと広い議論をする必要が出てくると思います。でもいまは核家族用に設計されている家が多いですよね。さらに、プライバシーを確保しやすい、つまりコミュニケーションを遮断するような設計になっている家が多くなってきました」
「でもそれは、私たち全員が望んでいる形でしょうか?特に高齢者の人は、家族ではなくても、つながりの中で生きたいと思っている人が多くいます。最近は暮らしの一部を他の居住者と共同で使う、交流を前提とした暮らし方『コハウジング』なども話題になっていますね」
▶︎参考記事:人や地球とつながり直せる暮らし方。オーストラリアの「コハウジング」を覗いてみよう
日本もそれ以外の地域も、濃淡はあれど、「家族」の概念が根強い場所が多い。しかし、家族やカップルだけが一緒に暮らす形ではない。そして、世界にはすでにそれ以外の暮らし方を実践している人たちもいるのだ。
女性の声を聞くまちづくりは、結果として全員が嬉しいものなのか?
フェミニスト・シティは決して「女性」だけのためのまちではない。例えば、LGBTQ+の人々に優しいまちづくりとはどのようなものなのだろう。
「例えば、いま完全に男女で区別される傾向のある場所、トイレや着替える場所などは配慮されるべきだと思います。トイレなどは、色々な人が使う商業施設の中に作るのか、あるいはほとんどが顔見知りの学校の中に作るのかでその設計が変わってくると思いますが、『男女問わず個室にする』『女性と男性トイレの部屋が分かれたとしても、それぞれの部屋の中にオールジェンダー用の個室を作る』など方法はたくさんあります」
「カナダのトロントには『ゲイ・ビレッジ』と呼ばれる地域があって、そこのコミュニティセンターではLGBTQ+の人に必要な支援やHIVテストなども受けられるようになっています。まちでは多くのレインボーフラッグが掲げられ、横断歩道が6色に塗られる。それらはあくまでシンボル的な運動かもしれませんが、誰もが歓迎されている雰囲気を出すためには必要なことでもあります」
このように今までまちづくりの真ん中に置かれてこなかった、女性やLGBTQ+の人々の声。気になるのはこれらの声が、社会を構成する「全員」にとって心地よいまちを実現するのに必要なのかということだ。
「私の答えはYESです。結果として、誰でも安全で孤立しない場所をつくるわけですから。公共交通も使いやすくなる、公園にも行きやすくなる。それは男性でも嬉しいことですよね。公共の場所で暴力に遭う可能性は、女性よりも男性の方が高いと言われていますし、そういう意味では男性も安全を必要としているはずです」
「それに、私たちはいつマイノリティになるかもわかりません。放っておいても年を取りますし、明日病気になるかもしれません。そういう意味で、誰がいつそうなっても問題ないまちにしておくことは、全員をハッピーにするのではないでしょうか」
フェミニスト・シティの視点で考える「理想のまち」とは?
最後に、レスリーさんの考える理想のまちについて聞いた。
「まずは、きちんと女性、その他の周縁にいる人々の声が聞かれること。そしてそれがきちんと予算や政策に反映されることですね。そして大事なのはやはり『家』の問題だと思います。手が届きやすい、公共住宅があること。それが様々な形の家族に向いていること。ケアをみんなでシェアできることも大事です」
そしてそのようなまちづくりは、最終的にそこに暮らす人のマインドにも変化をもたらすようだ。資本主義に支配される世界中のまちのあり方への批判も込めて、彼女はこのように締めくくってくれた。
「最終的には都市の優先順位が、経済を拡張し、利益を生み出すことではなく、『そこに暮らす人々が他人を気に掛けた働きができるようにすること』に置かれることではないでしょうか」
編集後記
「次の駅では、エレベーター・スロープで段差なしの移動ができます」これは筆者が住むロンドンの地下鉄でよく流れるアナウンスだ。やけに明るい声色のこのアナウンスを聞くたびに、階段だけで移動しなければいけない(エレベーター・スロープが整備されていない)駅があとどのくらいあるのだろうと考える。日本では当たり前だった設備が、ここでは当たり前ではない。そしてまさにこのロンドンの地下鉄の駅で、かつてレスリーさんはベビーカーを引き、不自由さを感じ、「フェミニスト・シティ」の探求を始めたのだ。
フェミニスト・シティは新しい概念のようにも聞こえるが、レスリーさんの話を聞くと、これは「まちを私たちの手の元に取り戻す」運動のようにも感じた。対象は女性だけではない。いつかどこかでマイノリティになりうる私たち全員だ。
レスリーさんは現在、研究活動だけではなく、世界各地の自治体と組みながら、フェミニスト・シティを現場に落とし込む活動に尽力している。今後各地でフェミニスト・シティの事例が生み出される日もそう遠くはないかもしれない。
※1 ゲーテッド・コミュニティ
【参照書籍】『フェミニスト・シティ』(レスリー・カーン 著, 東辻賢治郎 訳, 2022)
【参照サイト】Leslie Kern
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