「ladies and gentlemen」のアナウンス停止は、何に配慮した方針なのか

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ニューヨークの地下鉄とバスで「ladies and gentlemen(紳士・淑女の皆様)」というアナウンスを止め、「passengers (乗客の方々)」「everyone(皆様)」という呼びかけに変えるという。良いことだ。ロンドンの地下鉄でもすでに同じような取り組みが行われており、これといった反対意見も浮かばないこのアクションは今後も広まっていくことだろう。

性の多様性を認め、性別の中立を保つ立場から導入されたこのアナウンスだが、より深く見ていくと、その動機は大きく分けて次のふたつに集約されるのではないかと思う。

ひとつめは、性的マイノリティの人への配慮だ。LGBTのなかのT、つまり生まれたときに割り当てられた性別と異なる性自認を持つトランスジェンダーの人への気遣いが特に大きい。レズビアン、ゲイ、バイセクシュアルの人については、性的指向がマイノリティであることの苦悩はあるものの、自身の性別が男性、女性のどちらであるかというアイデンティティの部分ははっきりしているはずなので、「ladies and gentlemen」という呼びかけに強い抵抗は感じないと考えられる。この辺りの理解が曖昧な人のために説明すると、レズビアンは同性を好きになる女性、ゲイは同性を好きになる男性、バイセクシュアルは性別に関わらず同性も異性も好きになる人を指す。

ふたつめは、男性、女性の違いを強調する言い方はよろしくないというジェンダーニュートラルの観点だ。性別を問わないジェンダーニュートラルなファッションや、「看護婦という性別を限定する呼称はおかしい、看護師に統一するべきだ」といった議論と同じベクトルにある配慮。「ladies and gentlemen」と言うと、無意識のうちでも「紳士たるもの」「淑女たるもの」というステレオタイプな男性像と女性像を流布することになりかねない。それを防ごうという考えだ。

便宜上ふたつに分けてみたが、LGBTとジェンダーニュートラルの歴史も不可分なものではあり、この分け方もこの限りではない。ただ性的マイノリティへの差別と男女差別の問題は本質的に別物なので、そこを意識して分けてみた。ジェンダー問題は何重もの構造になっている。

【参照サイト】MTA replacing ‘ladies and gentlemen’ with gender-neutral announcements

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