網膜に直接光を投影するアイウェア「RETISSA」を通して考える、障害を持つ人のQOL【ウェルビーイング特集#25 多様性】

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「視覚障害」と聞くと、どのような状態の人を思い浮かべるだろうか。まったく目が見えない人は、駅で白い杖をついていたり、盲導犬を連れて歩いていたりするため、一般に広く認識されやすいだろう。

一方で、世の中には晴眼者と比べ視力が非常に弱い、「弱視者=ロービジョン者」と呼ばれる人々も多く存在する。彼らもまた、小さい文字を読むことができなかったり、人の顔を判別できなかったりと、生活や仕事の中でさまざまな苦労を抱えている。そして、そういった人たちの症状のほとんどが、普通の眼鏡やコンタクトレンズでは改善できない。

「RETISSA」は、網膜に直接レーザーの光を投影する特殊な技術を用いて、ロービジョン者の視力を大きく上げることができる世界初のレーザーアイウェアだ。高い半導体レーザー技術を持つ日本のベンチャー企業、株式会社QDレーザによって開発・製品化され、今後、視覚障害を持つ人の生活のQOL(クオリティ・オブ・ライフ)向上への大きな貢献が期待されている。

今回は、株式会社QDレーザ代表取締役の菅原充氏にその開発経緯や、今後の展望を聞きながら、テクノロジーの可能性と私たちのウェルビーイングとの関係について考えていきたい。

話者プロフィール:菅原充(すがわら・みつる)

菅原充氏1984年株式会社富士通研究所に入社し、半導体レーザの研究開発に従事。富士通研究所ナノテクノロジー研究センター長代理を経て、2006年株式会社QDレーザを設立し、代表取締役社長として現在に至る。量子ドットレーザの基礎研究から実用量産化までのパイオニアとして、IEEE Photonic Society Aron Kressel Award 2014等受賞多数。東京大学工学博士。

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長く放置されていたアイデアに目をつけて

株式会社QDレーザ(以下、QDレーザ)は、富士通株式会社からのスピンオフベンチャーとして設立され、「人の可能性を照らせ」という理念のもとに最先端の半導体レーザーを開発する企業だ。

レーザーと言うと難しそうに聞こえるが、実は私たちの生活のあらゆる場所に活用されている。

たとえば、光通信がその代表的な例だ。さらに、私たちが毎日使っているテレビやパソコンなどのスクリーンのディスプレイも、赤、青、緑のレーザー光を組み合わせてあらゆる色彩をつくり出しているもののひとつである。

RETISSAは、いわば、網膜をスクリーンとしたレーザープロジェクターで、瞳孔に弱くて細い3色のレーザー光を高速で送ることによって、網膜にカラーの画像を投影することができる「レーザー網膜投影技術」を搭載している。ロービジョン者は自身の目で光を十分に取り込むことのできない症状を持つ人が多いが、RETISSAは網膜に直接光を送り込むため、使用するとくっきりとした画像を見ることができるのだ。

RETISSA図解資料

「実は、網膜に映像を投影するという発想は1991年にアメリカで生まれたのですが、当時の技術では実用化には至らず、20年以上忘れられていたのです。そこに、自分たちの持つ半導体レーザーの技術を掛け合わせることで、小型で美しい映像を映し出すRETISSAの試作品を開発できました。それが、2012年のことです。」

試作品の作成に成功した菅原氏らは、スペインで毎年開催されている世界最大級のモバイル業界の展示会、Mobile World Congress2013への出展を開始。

2014年には、それに目を止めた盲学校の教員から、「RETISSAをうちの学校の生徒にぜひ使わせて欲しい」と連絡があり、その学校の生徒らにも製品に対する当事者としての意見をもらった。RETISSAの開発をきっかけに、パラリンピックを目指す弱視の柔道選手も会社の従業員として加わった。

RETISSA

世界中のロービジョン者のために、商品化

ロービジョン者には、小児弱視や先天性白内障、先天性無水障害といった先天的な病気を持つ人のほか、後天的な病気や事故、高齢が原因で見えにくくなってしまう人もおり、その数は世界で2.5億人、日本だけでも145万人にのぼると推定されている。

QDレーザが網膜投影のアイデアに着目したのは、最初は会社としてレーザー技術のさらなる応用に挑戦するためだったという。しかし、実験後すぐにこの技術がロービジョン者のために使用できると気づいた菅原氏らは、商品化に向けての取り組みを本格的に開始した。

「目の中にレーザー光を入れることには、やはり社会的にはまだまだ抵抗があります。そのため、国や消費者の信頼を得るためにも医療機器認証を取ろうと決めました。そして認証取得のためには、『使用すると確実に視力が上がること』そして、『安全であること』を臨床試験を通して証明しなければならず、そこに至るまでが非常に大変でした。」

試作機展示、初出展のときの写真(スペインMWC2013)

スペインでのMobile World Congress(MWC) 2013にて、試作機初出展時の写真

医療機器認証を取得しようと決め、厚生労働省を尋ねたのが2015年。そこから臨床試験に入るまでにも、「電磁波を出さないこと」「サーバー攻撃の影響を受けないこと」「レーザーの強さが安定していること」など、安全性を証明するさまざまな項目をクリアしなければならなかった。そしてついに2018年の10月、2か月の臨床試験を終えて、一般消費者用の網膜走査型アイウェアの第一号製品「RETISSA®ディスプレイ」を世に送り出すことができた。

さらに、2019年12月にはより小型化、軽量化され、解像感も向上した「RETISSA® ディスプレイⅡ」も登場。現在は全国40か所の眼鏡店に加え、Rakutenや家電量販店の通販サイトなどで販売しており、個人向けの体験レンタルサービスも行っている。

見えなかった世界を、見えるように

視力が著しく低く、通常の人が持つ視力の9割以上を失っていることも珍しくない弱視の人々。表示を見ることが難しいため公共交通機関の利用をためらってしまったり、拡大ルーペがなければ本を読むことができなかったりと、生活の中での苦労は多い。

RETISSAのブランドサイトでは、網膜投影技術を搭載した同社の開発した製品を、弱視の当事者たちに体験してもらった際の感想を載せている。

たとえば、「仲間の顔や家族の顔を初めてはっきり見ることができた」「周りの人の反応を見ることができるので会話をより楽しめるようになった」といった、人とのコミュニケーションのしやすさを喜ぶ声。また、「本をスラスラ読むことができるので早速たくさん読書をしたい」「YouTubeも見られそう」などと、知的好奇心をより満たせることに感動する声もあった。

さらに同社は、ロービジョン者の“見えづらい”を“見える”に変えるプロジェクト「With My Eyes」プロジェクトを他社と協力して実施。ロービジョン者がレーザー網膜投影技術を用いたカメラ型デバイス 「RETISSA SUPER CAPTURE」を使って自らの目で写真撮影に挑む小旅行を行い、これまで2本のドキュメンタリー動画を制作している。

動画では、ロービジョン者たちから生活の中での実際の困りごとや不安などが共有されるが、彼らは決して常に悲観的に人生を生きているわけではない。むしろ、「目が見えなくてもスポーツを楽しんでいる人がいることを知り、自分も陸上競技を頑張っている」、「視力が悪いことで出てくる困りごとを自分で工夫して乗り越えること自体が楽しい」などと語る彼らは、ポジティブで力強い。そんな彼らの姿を受け、「マイナスをゼロにするのではなく、プラスの価値を生活に提供する」というコンセプトのもと、動画は制作された。

楽しそうに景色の写真を撮ったり、被写体の表情が見えることを喜んだりするロービジョン者たちの姿からは、RETISSAの持つ力も容易に想像することができ、見ている方まで嬉しくなってくる動画となっている。

今後は多くの人が必要とする製品に

弱視の人のためのアイウェアと聞くと、使用対象となる人はある程度限定されるように感じるが、近い将来このようなアイウェアを必要とする人の数は増えるだろうと菅原氏は語る。

「近視は目の病気のひとつです。軽度なら眼鏡やコンタクトをかければ問題なく生活できるかもしれませんが、悪化すると網膜剥離で失明してしまう危険性もあります。

現代では世界中の20億人が近視だと言われており、スマートフォンやタブレットなどの普及により、大人だけでなく子どもの近視も非常に増えています。これは非常に大きな社会問題ではないでしょうか。

最近では教育現場でのDX(デジタル・トランスフォーメーション)も進み始めていますが、子どもの視力のことを考えると懸念点もあると思いますね。」

能楽堂でのRETISSA体験イベント

能楽堂でのRETISSA体験イベント

将来的にはより多くの人の見え方を改善してくれるであろうRETISSA。現在は価格が高額なため購入できる人は限られてしまいそうだが、今後どのように製品の普及をはかっていくのだろうか。

「もちろん、より手に入りやすい価格まで下げなければRETISSAを普及させることは難しいと思っているので、今後も製造ラインや設計の見直しを行っていく予定です。
目標は、数年以内にスマートフォン程度の価格にすること。また、内臓されているシステムをより小型化し、最終的には普通の眼鏡に匹敵するくらい軽く小さくすることを目指しています。」

編集後記

障害を持つ人の課題を解決したり、QOLを向上させるために開発されたものが、結果的により多くの人の役に立ったり、課題を解決する。RETISSAは、その好事例なのではないだろうか。今後の広がりにも大きく期待したい。

また、今回の取材で印象的だったのは、菅原氏の「研究者が研究に取り組むのは人の役に立つためではなく、単純にそれが“面白い”と思うから」という言葉だ。

もちろん、誰かのために、何かを変えるためにと研究や開発に打ち込む人も素晴らしいと個人的には思う。しかし、自分の好奇心や興味に従って、一心不乱に何かを追求することもまた、結果的には誰かを助けたり、私たちのウェルビーイングにつながる大きなイノベーションを生み出したりする可能性がある。RETISSAの開発経緯や上記の菅原氏の言葉は、そんな大切なことを学ばせてくれるものだった。

【関連サイト】RETISSA(ブランドサイト)
【関連サイト】
QDレーザ

「問い」から始まるウェルビーイング特集

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