「多様性を認め合おう。」
昨今、そんな言い回しが非常によく聞かれるようになった。年齢、性別、人種、宗教、ジェンダー、障害の有無……多様な人同志をお互いに認め合う方向に動き始めている社会の傾向を、悪いものだと感じる人はそう多くないだろう。
しかし、“多様性を認め合う”という行為は、頭ではわかっていても、そんなに簡単ではないものだ。改めて自分の実生活をかえりみてみると、異なるタイプの人と同じ場所やコミュニティで生きようとしたときに居心地の悪さや、難しさを感じてしまうことも少なくないことに気づく。そんなとき、「そもそもなぜお互いを認め合わなければいけないのだろうか?」と改めて考えてみると、意外と明確な答えは浮かんでこないものだ。
オンライン劇場「THEATRE for ALL」は、そんな疑問へのヒントを与えてくれる。コロナ禍で発足したこの劇場は、身体的・物理的、もしくは心理的な何らかの“バリア”があるために、これまで劇場にアクセスできなかった人たちに向けて、手話や音声ガイド、多言語対応などのバリアフリー対応を施した演劇・ダンス・映画・メディア芸術などの映像作品を配信している。
当事者と共にコンテンツを作り続けている彼らは、多様性にどのような向き合い方をしているのだろうか。また、私たちが考えるべきことは何なのか。THEATRE for ALLの統括ディレクターである金森香さんとチーフプロデューサーの兵藤茉衣さんに、話を伺った。
話者プロフィール:金森香(かなもり・かお)
出版社リトルモアを経て、2001年ファッションブランド「シアタープロダクツ」を設立し、2017年まで取締役。2010年NPO法人DRIFTERS INTERNATIONALを設立し、芸術祭の企画運営・ファッションショー・出版企画などをプロデュースする。2019年日本財団主催「True Colors Festival – 超ダイバーシティ芸術祭 – 」のディレクターを担当。2020年にprecogに参画し、アクセシビリティや広報・PR、ブランディング事業等を担当。バリアフリーのオンライン劇場「THEATRE for ALL」統括ディレクター。
話者プロフィール:兵藤茉衣(ひょうどう・まい)
2011年〜2014年NPO法人DRIFTERS INTERNATIONALにて、スクール事業やフェスティバル事業の事務局を担当。2015年からprecogに入社し、チェルフィッチュ/岡田利規のマネジメントや、アドミニストレーションを担当。2019年日本財団主催「True Colors Festival – 超ダイバーシティ芸術祭 – 」の事務局運営統括を経て、THEATRE for ALLの立ち上げから企画・運営統括を担当。
コロナ禍でオープンした、“みんな”の劇場
パフォーミングアーツの企画・制作を軸として活動する株式会社precogの新事業として立ち上げられたTHEATRE for ALLは、2021年2月にオープンしたオンライン劇場だ。『令和2年度文化庁文化芸術収益力強化事業』にも採択されたこのプロジェクトは、全ての人に劇場を開き、アクセスしてもらうことを目指している。
たとえば、聴覚障害を持つ人のためには、手話や字幕をつける。THEATRE for ALLの“バリアフリー字幕”では、セリフや話し手の名前だけでなく、映像の背景で流れる環境音、効果音までを言葉で説明している。また、視覚障害を持つ人のためには、音声ガイド付き映像作品を制作。このように、一般的な劇場では作品鑑賞の“バリア”となるものを取り払うバリアフリー対応を施しているのだ。鑑賞できる作品は、ダンスや演劇といったパフォーミングアーツ、映画、メディア芸術、ドキュメンタリーや、作品の鑑賞体験をより豊かにするための解説動画など、さまざまだ。
統括ディレクターの金森さんは、THEATRE for ALLの立ち上げの経緯についてこう語る。
金森さん「新型コロナウイルスの影響で、オフラインの劇場での公演やイベント、多様な人たちを巻き込んで進めていた企画なども、全てストップしてしまいました。しかし、私たちはどんな状況下にあってもクリエイターの表現の場を作り、鑑賞者には体験を届けられる場を作らないといけません。次の時代に向けて自分たちがするべきことは何なのだろうか?と改めて考えた結果、オンラインで多様な人たちに作品を届ける“みんな”の劇場を作ろうということになりました。」
THEATRE for ALLが劇場にアクセスしてもらうために課題となるのは、障害によるバリアだけではない。「アートってなんだか難しそう」「私には向いていない」──そんなアートへの心の壁をなくし、より多くの人に文化芸術との新しい出会いを提供するのも、この劇場の役割なのだ。
そこでTHEATRE for ALLでは、鑑賞体験をより豊かにするためのラーニングプログラムを用意している。たとえば、配信されている作品をアーティストや研究者などが解説する動画「2つのQ」や、作品のテーマについて考えるワークショップ映像といったものだ。一見、障害のある人たちに向けたものにも見えるこの劇場だが、金森さんの言うように、「全ての人=ALL」に開かれているという部分が、この劇場の一番のポイントだ。
金森さん「そもそも、日本では劇場に行くということが海外ほど一般化していません。以前からもっと多くの人たちに、演劇やダンスを鑑賞することで人生の豊かさや面白さに気づいてほしいと思っていました。これまで舞台芸術や文化を体験してこなかった方に気軽に劇場作品に親しんでもらう場を作ることも、THEATRE for ALLを立ち上げた目的の一つなのです。」
“バリアフリーを作る過程”が、クリエイティブだった
手話、字幕、音声ガイド……さまざまなタイプのバリアフリー施策が施されているTHEATRE for ALLの作品だが、いったいどのようにそれらを制作しているのだろうか。
THEATRE for ALLの立ち上げに向けて、金森さんらは、障害のある当事者へのニーズ調査を実施。さらに、実際に作品に字幕や手話をつけていく段階でも、当事者と協力して「ともに」コンテンツを作り上げていくスタンスを徹底した。
兵藤さん「バリアフリーを施すことを機械的に行うことはできません。その作品に合った字幕や、その作品に合ったナレーション音声があるからです。
たとえば、作品の情景描写で、“轟音がする”という字幕があったとします。でも、聴覚障害のある人の中には、そもそも“轟音”を聞いたことがない方もいます。また、演劇作品で、ストーリーが進むにつれて舞台に置いてある物体の見え方が変わっていくという演出があったときに、音声ガイドで『今これが〇〇に見えています』と言ってしまうのは、作品の解釈を狭めてしまう行為になってしまいます。でも、視覚障害のある人はそもそも舞台にものがあるというとことすらも知ることができない。こうしたことを作り手と当事者の鑑賞者が一緒にどうすれば伝わるか?を考えて制作します。」
金森さん「そんな風に、ひとつひとつの作品に最適なバリアフリーを施していくのは時間と根気を要する作業です。しかし、バリアフリー化を目指して試行錯誤するプロセス自体が、実はとてもクリエイティブで価値のある時間でした。
バリアフリーを施した作品を当事者の方に鑑賞してもらうと、当然様々なフィードバックをいただきます。たとえば、その字幕の表現では伝わらないとか、逆にその状況説明は過剰すぎる、とか。こういったことは、障害の有無ということだけではなく、個々人の趣味嗜好や作品に求めるものの違いからくるご意見でもあります。障害当事者でないとわからない課題に気づかされる一方、作品にとって重要な視点はなんであるかを見つめ直す作業でもありそうした視点を得られることがまず大きな発見でした。
このように、作品のバリアフリー化のプロセスは、鑑賞者だけでなくアーティスト側にとっても意義深いものでした。上記のように字幕や演出の代替案を考えないといけないときには、アーティスト自身が『作品やシーンで自分が何を表現したかったのか』『自分は誰に向けて作品を作っているのか』といったことにじっくり向き合い、言語化する必要があります。非常に大変な作業ではありますが、アーティストにとって、自分の作品を見つめ、表現の根本を問い直す良い機会になっているようでした。」
金森さん「THEATRE for ALLに掲載する作品の作り手には、バリアフリーをつけることが初めてだった事業者やアーティストも多くいました。そういった方々にバリアフリー化のプロセスを実際に体験してもらい、その重要性や実務プロセス、そしてそこに潜む創造性を伝えていきたいです。
今後も私たちは、こうしたバリアフリーに取り組む面白さと重要性をさらに多くの作り手や鑑賞者に伝え、その結果どんな作品にも手話や音声ガイドなどをつけることが当たり前になるといいな、と思っています。」
正解は1つじゃない。一人ひとりに合った鑑賞体験のデザイン
THEATRE for ALLには、多様な人がアートや舞台鑑賞を楽しむこと自体をテーマとした作品も多い。たとえば、『ダンスのアクセシビリティを考えるラボ〜 視覚障害者と味わう ダンス鑑賞篇〜』では、視覚障害のある方たちとアーティストらが対話を重ねながら言葉や触覚を使ってダンス鑑賞の体験を作り出していく様子が映像におさめられており、バリアフリーをつけていくクリエイティブな過程を垣間見ることができる。
また、そもそも芸術鑑賞には、「じっとしていないといけない」「前を向いていなければいけない」「静かにできないといけない」などといった制約がある。すると、それが困難な人は劇場での鑑賞体験の機会を持つことが難しくなってしまう。THEATRE for ALLでは、そのような人たちに鑑賞機会を開いていくことにも取り組んでいる。
その一例が、THEATRE for ALLが事業の一貫として行った、全国の福祉施設に作品の視聴環境を届ける「劇場をつくるラボ」プロジェクトだ。2021年2月に、奈良県の福祉施設・たんぽぽの家でトライアル企画を実施し、その後も全国のさまざな福祉施設への巡回をしている。
金森さん「この企画では、THEATRE for ALLの作品映像を、福祉施設に入所しているさまざまな方が、どのようにしたら楽しめるか、ハード面、ソフト面そしてコミュニケーションのあり方などについて、調査や実験を繰り返しています。たとえば、常に前を見て鑑賞するということが身体的に困難な人がいる施設では、床に大きく映像作品を写して鑑賞してみました。
また、自由な体勢でリラックスして鑑賞できるように、広いスペースにクッションをたくさん置いてみたり、逆に、一人で落ち着いて視聴できるように施設内にカーテンで仕切られた小さな個室の視聴環境を作ってみたりなど、空間に関する専門家やクリエイターと一緒に挑戦しています。」
違いを認め合うのは難しいことかもしれないが、日々それに取り組み、新しいコンテンツを生み出しているTHEATRE for ALL。コミュニケーションにおいて特に心がけていることはあるのだろうか。
兵藤さん「大事なのは、“対話”ですね。目の前にいる人がどんな人でで、どんなサポートが必要なのか、まずはよく知ること。そこから、「こんな方法はどうか」「あれはどうだろう」という提案をして、みんなで一緒に試してみる。違和感があれば話し合い、必要があれば違うやり方を試してみる……そうやってひとつひとつ、互いの認識をすり合わせていくことが大切なのではないでしょうか。」
相手と対話し、できる限り歩み寄ることが基本だと話す兵藤さん。しかし、彼女は同時に「“その人の全てを理解することは絶対にできない”ということを、忘れてはいけない」という。
兵藤さん「私たちはできるだけその人を知るための努力をします。でも、障害の有無に関わらずその人の人生の中で辛かった経験や、排除されていると感じた苦しさ……そうした感情を想像することはできても、完全に理解することはできません。究極的には、その人のことはその人にしかわからないから、それを“知ったつもりになる”ということが一番危険なのだと思います。」
一人ひとりが、多様性というトピックの当事者
型にとらわれずにさまざまな方法を用いて、多様な人に文化を開いていくTHEATRE for ALL。そんな彼女らに、多様性について考えていることを聞いた。
金森さん「そもそも私たちって、生きてきた歴史も、それによって形成されてきた考え方も、感じている生きづらさも、一人ひとり違いますよね。だからこそ、“多様性”は誰もが当事者として考えるべきトピックなのだと思います。
また、多様性社会に対する理解や取り組みを促進する、というと、漠然としていて自分ができることと結びつけて考えるのが難しいかもしれません。たとえば、バリアフリーの事例として紹介されやすいのは、スロープをつける、段差をなくすなど、大きなお金が必要なことも多いです。
でも、たとえば周囲の人が車椅子を持ち上げれば何か解決するシーンがあるかもしれないし、まずは声をかけること、困りごとを口に出しやすいコミュニケーションを取ることなどから、できることがあるかもしれません。世の中のバリアは物理的な障壁だけではないですし、お金や専門技術がなくても私たち一人ひとりのちょっとしたアクションで取り除くことができる小さなバリアもたくさんあります。
まずは、自分の日常や仕事の中で、多様性社会という漠然とした概念ではなく、個々の人とか困りごととかに向き合ったとき、自分の生活や仕事のやり方を少し見直すことで、できることがあるんじゃないか、と考えてみることから始めて見てほしいですね。」
兵藤さん「アートには正解がない、とよく言われますが、「それぞれの人にとっての正解」は存在していると思います。多様性についても、それと同じことが言えるのではないでしょうか。
正解はひとつではないし、いろいろな正解があっても良いのだと思います。だからこそ、このTHEATRE for ALLでは、『多様性とはこういうものです』『こう向き合うべきです』というひとつの答えを提示することはしたくない。一人ひとりが“自分にとっての多様性との向き合い方”について改めて考えることが大事なのではないでしょうか。」
編集後記
自分とは異なる人との関わりによってこそ、人は新しい気づきを得られる。多様性を本気で認め合い、歩み寄っていくという行為は、その大変さ以上に、クリエイティビティや楽しさが詰まった価値のあるものだったのだ。
みんな違ってみんないい、とよく言われるが、その“みんな”が関わり合えば、きっと、今まで以上に刺激的なことが起こって、新しいものが生まれる。そんなポジティブな気持ちでさまざまな人と関わってみることを続けたら、社会は少しずつ、多様性を認め合える心地の良い場所に変わっていくのではないだろうか。
【参照サイト】THEATRE for ALL
【参照サイト】株式会社precog
【参照サイト】True Colors Festival(トゥルーカラーズ フェスティバル)
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