「発達障害は天才」ポジティブな言葉に隠れた危険性とは?ラベリングと多様性の関係を考える【ウェルビーイング特集 #23 多様性】

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近年、各種メディアで発達障害についての特集が多く組まれている。NHKは、2017年5月から2018年4月までの1年間、発達障害をテーマに掲げ、当事者や家族の声を、継続して発信する特集「発達障害プロジェクト(※1)」を実施。翌2018年の11月には、約20の発達障害に関連する番組を集中的に放送する特集「発達障害って何だろう(※2)」を放送している。

2021年4月、一般社団法人チャレンジドLIFEが発表した調査結果によると、こうして発達障害の認知度が確実に高まっている一方で、当事者や家族の90.4%が「十分に理解されていない」と感じていることが明らかになった(※3)

私たちは、発達障害やHSP、LGBTQ+にノンバイナリーAセクシャル……こうした多様な属性を指し示すラベルを知ることで、いわゆるマイノリティの存在や悩みに気づくことができる。しかし、先の例を見てみると、「発達障害」というラベルやカテゴリを知り、その概要が分かることと、当事者を正しく理解し本当の意味で受け入れることとの間には大きなギャップがあるように思えてしまう。

今回は、この「カテゴライジング(分類すること)」「ラベリング(ラベルを貼ること)」が多様性とどのように関係しているかについて考えてみたい。

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単純なカテゴリに仕分けていくことの問題性

冒頭で、発達障害の認知度が上昇しているにも関わらず、当事者や家族の多くが「きちんと理解されていない」と感じているとの調査結果を紹介した。

もちろん、各種メディアで発達障害が頻繁に取り上げられることには、利点も多い。当事者は、メディアで紹介される他の当事者の声を聞いて「悩んでいるのは自分だけじゃなかったんだ」と思えたり、特性に向き合う方法を知ることができたりするし、周囲の人は当事者の特性や悩みを理解しやすくなる。

だが、短い特集のなかで発達障害の特性すべてを紹介することは難しい。結果として、印象的に繰り返される「落ち着きがない」「こだわりが強い」「コミュニケーションが苦手」などのキャッチーな一部のキーフレーズのみが強調され広まっていってしまう、という問題がある。

そもそも発達障害は、ADHD(注意欠陥多動性障害)、ASD(自閉スペクトラム症)、LD(学習障害)など「脳機能の発達の偏りによる障害」のことを指す。同じように発達障害とくくられるが、それぞれの特性にはかなり違いがある。

たとえば、ADHDの人は「集中が続かず飽きっぽい」という傾向を持つが、ASDの場合、変化が苦手で、一つの同じ物事に熱中しやすい傾向がある。同じ発達障害といってもADHDには単純作業が苦手な人が多く、ASDにはむしろ単純作業のほうが向いている人が多いということだ。

さらに、同じ診断名がついていても、脳の発達の仕方やその特性には個人間で大きな差異がある。同じADHDでもじっとしていられない「多動」に悩まされている人もいれば、多動には困っていないけれど「不注意」にひどく悩まされているという人もいるのだ。

カテゴリ分け

「才能あふれる発達障害者」一見ポジティブなラベルに隠された呪い

もう一つ、カテゴライジング・ラベリングによる弊害をご紹介したい。さまざまなメディアの発達障害特集において、「発達障害の人は、実は天才!」「あの歴史上の天才も実は発達障害だった」というようなフレーズを目にしたことはないだろうか?これらのフレーズは、発達障害者の苦手なところばかりに目を向けず、得意なところを伸ばそうと呼びかける文脈でよく登場している。

「発達障害者=天才」というラベリングは、一見、障害を肯定し、背中を押しているようだ。しかし、こうした言説は裏を返せば「発達障害の人には『どこか突出した才能があるはずだから』認めてあげよう」「きっといつか私たちに『メリットをもたらしてくれるはずだから』大切にしよう」という意味にもなってしまう。突出した才能があれば認めてあげるけど、そうでなければあなたに用はない──そんなふうに「社会が発達障害人を受け入れる条件」を突きつけている残酷な言葉にもなりえてしまうと思うのだ。

裏表
これまで見えていなかった「発達障害の人」というカテゴリを自分の頭の中につくり、「発達障害」に「忘れっぽい」「こだわりが強い」「落ち着きがない」「コミュニケーションが苦手」「実は天才」……など、見聞きした知識をラベリングしていく──。「こんな属性の人たちがいる」という情報が広まるのは、さまざまな人にとって生きやすい社会をつくるために欠かせないことだ。しかし、先述の2つの例を見ると、属性を指し示す新たな単語や、メディアでつまみ食いしたインスタントな情報が広まるだけでは、真の多様性を実現できないのではないかと考えられる。

言葉によるカテゴライジングの難しさ

ここからは、私たちが「カテゴライジング」「ラベリング」するときに欠かせない「言葉」について考えてみたい。

言葉は、「私たちがどう世界を理解するか」に密接に関係している。これはどういうことか、筆者が大学時代に聞いた逸話を例に用いて紹介しよう。

Aさんは、とある先住民族の元を訪ね、現地の言葉を教えてもらうことになった。民族の代表者は、周囲の植物の葉を摘み取ってきて、それを一つ一つ指差しながら「これは○○」「これは◇◇」と単語を教えていこうとした。だが、Aさんにはそれらの植物の見分けがつかなかったため、学習が全く進まなかったのだという。

いろんな種類の葉っぱ

Aさんの訪ねた村では、自然がいつも身近にあり、Aさんからすると全く同じように見える植物の葉を分類するための言葉がたくさん存在していた。村に住む彼らにとって葉っぱは、初歩の語学にピッタリの基礎的な要素だったわけだ。

しかし、Aさんの暮らす場所では日常的に多種多様な葉っぱを見分ける機会も必要性もなかった。そのため、Aさんの世界(Aさんが認識している世界の範囲内)には、たくさんの葉っぱを区別するための単語がそもそも存在していなかったのだ。

人は、対象物を指し示す言葉を知らなければ、当然それが何かを言い当てることはできない。葉っぱを区別するボキャブラリーを持ち合わせないAさんは、そもそも対象物を認識することすらできず、学習が進まなかったというわけだ。

「言葉」の違いによって、世界をどう理解するかにも違いが生じる。つまり、「ものごとを理解したり思考したりするためには、言語が必要だ」ということだ。これを踏まえて、言葉によるカテゴライジングの問題について考えてみよう。

言葉で全てを包括する大変さ

2020年6月、世界各国で人気の児童文学『ハリー・ポッター』シリーズの著者として知られるJ.K.ローリング氏が「月経のある人、昔はそんな人たちを指し示す言葉があったんじゃない?」とツイートし、批判を集めた。

これは、トランスジェンダーなどさまざまなセクシュアリティの人に対する配慮からつけられたとある記事タイトル「月経のある人達のためにコロナ後にはもっと平等な世界を作ろう」に対して、ローリング氏が否定的な意見を示したものだ。

この発言により傷ついた人の気持ちを軽視するべきではないが、今回はローリング氏が先述のツイートをした背景に目を向けてみたい。

彼女の真意は定かではないが、筆者は、ローリング氏が「他者に気を遣うあまり発言がしづらくなる」ことへの息苦しさを言葉にしたのではないかと考えている。

誰も傷つけないように言葉を発しようと思えば、多くの単語を使って説明的に表現したり、前置きを長くしたりする必要がある。たとえば、トランスジェンダーの人を排除しないために「女性」ではなく「月経がある人」と表現する、書き言葉の場合なら、「女性」“女性”などのように記号で囲うことで含みを持たせるといった具合だ。

商品広告の長い但し書きにも、似た部分がある。但し書きがどんどん長くなっていくのは、企業が「クレームが一本も入らないように」──つまり「この広告を見る人が誰も嫌な思いをしないように」文言を調節していくためであろうから。

長い但し書き
一つの言葉で指し示すことのできる概念は限られている。だからこそ、誰も傷つけない、全ての人を包摂する表現を使おうと思えば、たくさんの言葉が必要になる。

言葉がなければ何かを認識することすらできないが、言葉の指し示す範囲にも限りがある。全てを言い表そう、「完璧」を目指そうとすると、どうしても前置きや説明が長くなってしまうという難しさがある。

また、現代はSNSの時代だ。タイムラインをスクロールし、瞬時に「いいね」「シェア」のボタンを押したり、さっとコメントを書き込めたりしてしまうSNSの仕様は、気楽で楽しいもの。しかし、ともすれば発言の一部分だけ切り取って批判し、必要以上につるし上げるような現象も見られる。「なぜその単語を使ったんだ!差別だ!」「なぜ○○には言及しなかったんだ?重要ではないとでもいうのか?」──そんな「言葉狩り」を恐れ、そもそも発言を控えている人もいるのではないだろうか。

ローリング氏の発言の裏には、言葉で多様な人々を包括する難しさや、気軽に発言できない息苦しさがあったのかもしれない。

言語化/明文化することによる弊害

さらに、「認知度の高いモノ」や「明文化されたモノ」ばかりに人々の意識が集中してしまうのも問題である。

たとえば、「LGBT」という言葉について。筆者は、とある当事者団体を訪ねた際にこんな話を聞いた。

近年、「LGBT」という言葉だけが一人歩きすることで、レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダーの4つだけがセクシャルマイノリティであるかのように捉えられていると感じます。

言葉が広く知られること自体は悪いことではない。LGBTという言葉を知って初めてジェンダーセクシュアリティの問題を意識するようになった、という人も少なくないはずだ。

だが、4つの属性にフォーカスしたLGBTという単語を使うことで、LにもGにもBにもTにも当てはまらないクエスチョニングやAセクシャル、Xジェンダー……さまざまな属性の人たちの存在が見えづらくなってしまっているということである。

フォーカス

もう一つ、こんな例を紹介したい。以下は、IDEAS FOR GOODのセクシャリティに関する過去の取材でインタビュイーが発した言葉だ。

自分がFtMだと思っていたときはFtMと呼ばれることがすごく嫌だったんですね。FtMはFemale To Maleの略で「女から」男へという意味。つまり、そう呼ばれる限り「女だった過去の自分」が付きまとってくるからです。

言語は世界を理解するために欠かせないもの。だが、言語化すること自体にも暴力性がある、と気づかされた例だった。

多様な属性を示す言葉が増えれば、多様性は促進されるのか?

先述のように、言語は私たちが世界を理解するのに欠かせないものだ。この意味で、「さまざまな属性を指し示す言葉=ラベル」を知ることは、互いに理解しあい多様性を促進するための第一歩になると言えるだろう。

だが、多様な属性を示すラベルがたくさんあればあるほど、違いを認め合える社会を築けるのかというと、そうではないと感じている。

深緑や青緑、若竹色、モスグリーン、ピーコックグリーン……色味も彩度も違うこれらの色がすべて「緑色」とラベリングされてしまうように──ラベルからはカテゴリ内に存在する差異やニュアンスが抜け落ちてしまいがちだ。この差異やニュアンスを無視したままのコミュニケーションは、当人の気持ちを無視したちぐはぐなものになる。それは言わば、美術館で実際の絵画には目もくれず、額縁の横に添えられた説明文だけを読んで「私は絵画をきちんと鑑賞し理解した」と言っているようなもの。説明文を読むのも良いが、目の前にある絵画そのものにもっと目を向けなければきちんと「絵に向き合った」とは言えないだろう。

さまざまな緑のグラデーション

一口に発達障害といっても、その特性や困りごとが人によって全く違うように、同じラベルを貼られていてもひとりとして同じ人はいない。周囲から「真面目だね」と言われる人も「24時間365日ずっと真面目」なわけではないし、時には手を抜きたくなることだってある。「優しい」人でも電車で席を譲りたくない日があるだろうし、普段は「物静か」な人がたくさんおしゃべりをする日だってあるはずだ。時によって真面目だったり、優しかったり、意地悪だったり、気難しくなったり、泣き虫になったり……私たちは揺らぎながらもいろんな自分を生きている。一人の人間の中にも多様性/グラデーションが存在しているのだ

分かることは分けることだ、という表現があるようにカテゴリー分けやラベリングは物事をおおまかに理解するときの助けとなる。だが、本当に相手のことを理解し、他者に寛容な社会を築こうとするのなら、こうした差異やニュアンスを軽視せず、目の前の人と向き合い丁寧に対話していくことこそが何よりも大切なのではないだろうか。

多様性は誰のもの?

近年、ジェンダーセクシュアリティの文脈で性をグラデーション的に捉える「SOGI」という概念が注目されている。これは、Sexual Orientation and Gender Identity(性的指向/性自認)の頭文字をとったもので、「どんな性別を好きになるのか」「自分自身をどういう性だと認識しているのか」という「状態」を示す言葉だ。LGBTがレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーなど「誰」のことを指す言葉だったのに対して、SOGIは、性をグラデーション的に捉え、私たち全員が関係するものとして考えるのが特徴である。

多様性についても、「社会から排除されているのは誰か」「誰を受容すべきなのか」といったように「誰」が中心の議論になってしまいがちだ。ともすれば「多様性=マイノリティの人たちだけが声をあげれば良い問題」のように捉えられてしまうこともある。だが、本来、人間は一人ひとりが多様な存在なのであり、多様性というテーマは「みんな」に関係するものであるはずだ。今回のウェルビーイング特集をきっかけに、「あなたにとっての」多様性について、ほんの少し想いを馳せてみてもらえたら、と願っている。

多様性

(※1)NHK 発達障害プロジェクト
(※2)NHK 発達障害って何だろう
(※3)社会における発達障がいへの認知や理解に関する全国調査(一般社団法人チャレンジドLIFE)

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「問い」から始まるウェルビーイング特集

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