自己責任論がうまれるのは「怖い」から。こども食堂支援の第一人者と考える、日本の格差【ウェルビーイング特集 #31 格差】

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「格差の拡大」がさかんに叫ばれる昨今。日本では、子どもの7人に1人が貧困であると言われている。2020年の調査によると、2019年調査時は3,718箇所だった日本全国のこども食堂の数が、2020年には4,960箇所に到達。コロナ禍でもその数を伸ばしていたことが分かった(※1)

日本における子どもの貧困や格差の問題に取り組んできたのが、社会活動家の湯浅誠氏だ。現在、認定NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長を務める湯浅氏は、1990年代よりホームレス支援等に従事。2009年からは足かけ3年、内閣府参与に就任し政策決定の現場に携わっており、官民両方の立場から格差是正支援を行った経験がある。

今回IDEAS FOR GOOD編集部は、長きにわたり格差是正支援に携わってきた湯浅氏に、日本における格差の特徴や私たちにできることについてお話を伺った。

話者プロフィール:湯浅誠(ゆあさ・まこと)

1969年東京都生まれ。日本の貧困問題に携わる。1990年代よりホームレス支援等に従事し、2009年から足かけ3年、内閣府参与に就任。政策決定の現場に携わったことで、官民協働とともに、日本社会を前に進めるために民主主義の成熟が重要と痛感する。現在、東京大学先端科学技術研究センター特任教授の他、認定NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長など。著書に『つながり続ける こども食堂』(中央公論新社、2021年)など多数。

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格差は「見えない身分」

──湯浅氏は、格差や貧困の問題点についてこう語る。

湯浅氏:格差や貧困には、人権の側面から、そして社会の成長の側面から問題があると言えます。

まずは、人権の側面。格差には、「固定化・再生産されやすい」という特徴があります。たとえば、生活保護家庭の子供は、成長したときに自分も生活保護を受けることになりやすいという傾向があるんですね。それが世代を越えてどんどん繰り返されていくと、その家系が、代々生活保護を受けることになっているかのように固定化されていってしまいます。これが、格差の「固定化」「再生産」ですね。

封建社会のようにはっきり分けられているわけでなくても、世の中に「見えない身分」が存在しているような状況ですから、これは人権の側面から問題だと分かりますね。

湯浅誠さん

湯浅誠さん

さらに、社会的な面でも、格差は不利益をもたらします。皆さんは、OECD(経済協力開発機構)という機構が各国の相対的貧困率を算出し、国際比較をしているのをご存じでしょうか。各国の経済成長を第一ミッションとする国際機関がなぜこうした作業をしているかというと、格差の拡大が経済成長にも悪影響を及ぼすからなんです。

先ほど、格差は固定化・再生産され「見えない身分」のようになってしまうとお伝えしましたね。「見えない身分」が固定化された社会には、「流動性」がありません。たとえば、田舎で生まれたごく普通の少年が成長して大リーガーになったり、大企業の社長として成功し大金持ちになったりというアメリカンドリームが期待できなくなるということです。

どんなに努力しても暮らしが良くならないと分かっているのなら、そもそも頑張ろうという気持ちを持てませんよね。そうすると、イノベーションも起こらなくなり、世の中全体の活力が低下、経済も停滞してしまうのです。

ある程度の格差は、「頑張れば給料がアップするかも」「より良い暮らしができるかも」というふうな人々のモチベーションになります。けれども、格差の程度が行き過ぎてしまうと、個人にも社会全体にも悪影響を与えるのですね。OECDは、この「ある程度の格差」と「行き過ぎた格差」の境目を「相対的貧困率(※2)」に見ていると言えます。相対的貧困状態にある人が増えていくような国は、今後の経済成長に疑問符がつく、ということです。

※2 相対的貧困率とは、等価可処分所得(世帯の可処分所得を世帯人員の平方根で割って調整した所得)の貧困線(中央値の半分)に満たない世帯員の割合のこと。-相対的貧困率とは?(厚生労働省)より

日本の福祉は「家族頼り」

──次に湯浅氏に伺ったのは、日本における格差の特徴についてだ。彼は、格差の特徴を理解するためには、まず福祉のモデルについて知っておく必要があると話す。

湯浅氏:福祉には、「家族福祉」「地域福祉」「企業福祉」「公的福祉」という4つの要素があります。

  • 家族福祉:家庭内での助け合い
  • 地域福祉:地域コミュニティでの相互扶助
  • 企業福祉:正規雇用による安定した収入や企業年金、雇用保険などによる包摂
  • 公的福祉:社会保障や生活保護など

「家族福祉」は親を頼る、子を頼るといった家庭内での助け合い、「地域福祉」は地域コミュニティでの相互扶助、「企業福祉」は正規雇用による安定した収入や企業年金、雇用保険などによる包摂、「公的福祉」は社会保障や生活保護などのことですね。これらがどのようなバランスで組み合わされているかによって、国ごとの社会保障制度や暮らしを支える様子が変わってくるのです。

日本は、高度成長期前、「家族福祉」や地域コミュニティのなかで支え合う「地域福祉」モデルが中心でした。その後の高度成長期以降は、企業福祉の側面が強くなり、雇用で人々を包摂する社会になったんです。

平成になると、福祉モデルの様子が変わります。少子高齢化で自治会の活動がかつてほど大々的に行えなくなったり、非正規雇用の人が増えて、正社員のような恩恵にあずかれなくなったりと、この「地域福祉」と「企業福祉」の2つがどんどん機能しなくなってきたのです。

そんななか、その存在感を増してきたのが「家族福祉」です。もともと、家族福祉論は根強く存在していたのですが、地域福祉・企業福祉が機能しなくなればなるほど、「何かあったら、まずは家族で何とかしなければ」という風潮が強くなりました。

誰かに相談したときに「就職先がない?なら親に頭下げて養ってもらえないの?」「介護がしんどい?親の面倒見るのなんてあたりまえでしょう?」といった返事が返ってくることからもわかるように、現代日本では「家族福祉」の存在が圧倒的。家族の負担がかなり大きくなってしまっているのが現状です。

この状況は裏を返すと、家族の機能が弱ければ弱いほど、福祉システムから零れ落ちてしまいやすいということです。今だと、企業の非正規社員で家族に頼れない人や家族をそもそも持たない人などが、福祉システムから零れ落ちやすく、格差社会の不利益を被りやすくなっていると言えるでしょう。

「家族福祉」「企業福祉」「地域福祉」「公的福祉」──これら4つの福祉のバランスは国によって違います。単純化すると、アジア・アフリカでは、スラムコミュニティなど横のつながりがあり、地域福祉に依存しがち。一方、ヨーロッパはあまり企業福祉に依存しすぎず、公的福祉が強い傾向にありますね。

家族への負担

格差支援の現場で感じた、官民それぞれの支援の形

──福祉システムから零れ落ちてしまった人を支援し続けてきた湯浅氏。官民それぞれの立場から格差縮小支援を行った経験のある彼は、双方の支援の違いについてこう分析する。

湯浅氏:民間での支援は「濃いけれど狭い」というのが特徴です。民間企業で何かプロジェクトを立ち上げようとするときのことを思い浮かべてみてください。このプロジェクトを進めたい、となったら、まず賛同者を探すはずです。たとえば、あなたがこども食堂を始めたいけれど資金が足りない、というとき。コンセプトを周囲に話して出資者を募ったり、クラウドファンディングを行ったりと、内側から徐々に仲間を増やすようにして、プロジェクトの成功を目指すのではないでしょうか。

このタイプの支援では、賛同者からお金を募るので「濃い」支援ができるのが特徴です。ですが、自分の限られた予算内で、限られた対象にしか働きかけられないため、支援の手の届く範囲がどうしても狭くなってしまうというデメリットもあります。

一方、行政の支援は「広いけれど薄い」のが特徴です。民間企業が賛同者の資金を使ってプロジェクトを進めていたのに対し、行政の資金源は税金。所得税や消費税、何らかの形で皆が税金を支払っていますから、税金は、皆のお金です。つまり、賛成派のお金だけでなく反対派のお金も使うことになりますよね。

みんなが関係している資金源を使うことになるからこそ、賛成だろうと反対だろうと、すべての人の声を拾わなければならないんですね。そうすると、「賛同者を増やそう」とする民間とは違って「反対する人を少なくしよう」と外側から狭めていくようなイメージでプロジェクトを進めていくことになります。すると、日本全国規模で広く支援の手が届くけれど、支援内容は当たり障りのない薄いものになってしまいがちなのです。

よく、民間企業が行政に「薄っぺらいことをやっている」と批判をし、行政が民間に「これと同じ濃い支援を全国区でも適用できるんですか?」と反論しているような構図を見かけます。でも、この批判はナンセンスです。民間も行政も一長一短。互いにできることとできないことがあります。できないことを責め合っても仕方がありません。行政の広い支援からも、民間の濃いスポット支援からも零れ落ちてしまう人はゼロではありません。それを限りなくゼロに近づけていくために、アイデアを出し合って官民協働で解決していくしかないのです。

零れ落ちる人を限りなくゼロに

格差是正を阻む自己責任論

──支援を続けるなかで、湯浅氏が戦い続けてきたもののひとつが「貧困は自己責任」という誤った論調である。「頑張れば状況は良くなるはずだ」と相手を叱咤激励する意図で利用されることの多い自己責任論だが、そもそも湯浅氏は自己責任論のどこに問題を見出しているのだろうか。

湯浅氏:自己責任論の問題点は、「頑張ろう」という気持ちを育めないことです。「自分の力で頑張ろう」という気持ちが大事なのは、言うまでもありません。それは誰にとってもあったほうがよいものです。問題は、いわゆる「自己責任論」でその気持ちが育まれるか、です。

苦しいときに「怠けているからダメなんだ」「もっと頑張れば状況は良くなるはず」と突き放されても、力は湧いてきません。「こうなったのはあなたが努力しなかったから」と責められたって頑張ろうなんて思えませんよね。本当に頑張ろうと思えるのは、受容されたとき……こんなふうに自分を心配してくれる人がいるのだから立ち上がってみよう、と思えるときなのではないでしょうか。

──では、相手の背中を押すことにつながらない誤った自己責任論が世の中に広まってしまっているのはなぜなのだろうか。

湯浅氏:自己責任論がうまれるのは、「怖いから」だと考えています。いじめを例にとって考えてみましょう。教室でいじめが起きているとき、ほとんどの人は加害者でも被害者でもない立ち位置にいますよね。自分が傍観者の立場からいじめの現場を見るとき、多くの人が「そこまでやらなくてもいいじゃん」という気持ちと同時に「下手に介入すると自分に矛先が向いてしまうかも」という気持ちを抱くのではないでしょうか。でも、そうやって葛藤しているのは苦しいですよね。ずっと考えているとしんどいので、次第に楽になろうという心理が働きます。そこで、「いじめられる被害者にも責任がある」と思うようになるのです。「あの子がへらへらしているから良くないんだ」「嫌なら嫌って言えば良いのに、黙っているのも悪いよね」というふうに。そうすれば自分の問題ではなく、「その子」の問題、つまり自己責任と認識できますからね。

貧困の問題もこれと同じです。たとえば、初めてホームレス状態の人を目にしたときは「どうしたんだろう」「大丈夫かな」と感じていたはず。助けた方が良いのかな、でも家についてこられたら困るな……そんなふうに悩むうちに、疲れてしまって「本当に嫌なら自分でなんとかするでしょ」と納得することで自分の問題ではなくするのです。

自己責任論がうまれるのは、「もやもやと悩む苦しさや葛藤から解放されたい」という人間の弱さがあるから。自分を納得させたいと思うからです。自己責任論から脱却するには、逃げたい気持ちと向き合える強さ……自分のなかの弱さを認められる強さを持つことが必要だと思います。

弱さと向き合う

格差縮小のためにできること

──湯浅氏に、格差縮小のために必要だと思うことを尋ねた。

湯浅氏:格差是正のために必要なのは、「支援の総量」を増やしていくことです。そのためにまず大事なのは、支援の総量を増やすために、民間と行政で協力しあうことだと思います。先ほど、民間と行政の支援内容には違った特徴があることをお話しました。双方が「お互いができないことをやってくれているのだ」という意識を持ち、互いの支援が届かない部分にアプローチすること、そうして補いあうことが重要だと思います。

民間も行政も違う論理で考え、違う行動規範のもとに動いています。僕自身も、両者で一定期間仕事をしてみてその違いを実感しました。言ってみれば、「民間と行政では言語が違う」のです。

みなさんは、政治家のスピーチを聞いて「何を言っているのかわからないな」と感じたことはありませんか?それは、彼らが「政治家の言語」で話しているから。私たちは、政治家がどういう考え方のもとに単語を選び、どんな論理展開で話を紡いでいるのかがわからない。だから、「何を言っているんだろう」と感じてしまうんですね。でも、それは逆も同じ。相手の理論がわからないから、いがみ合いたくなってしまうのです。

私たちは、同じ日本語をしゃべっているようで、「まったく違う言語」を扱っているようなもの。だからこそ、立場の違う相手と話すときには翻訳家や通訳になるようなイメージを持つと良いと思います。さまざまな立場の人と協力して物事を進めるためには「いろんな言語」を扱えるようになることが必要ですね。

──最後に、湯浅氏は、格差縮小のために何かできないかと考えているすべての人に向けてこんなアドバイスを贈ってくれた。

湯浅氏:格差や貧困の問題について、国に対して「お金の使い方を考えろ」と声を荒らげることもできるけれど、それってどこか他人任せで、課題がジブンゴトになっていない感じがします。ですから、政府まかせ・支援団体まかせにせず、「個人としてできること」を考えたいですよね。一人ひとりができることは小さいかもしれませんが、それら一つ一つが広がると大きな効果を生み出すことができます。

市民活動や地域活動の鉄則は、できる人が、できることを、できるところからやる、ということです。この鉄則にのっとって、シンプルに自分にできることを考えるのが大事だと思います。

たとえば、何か支援がしたいけれど忙しくて時間がないという人なら、クラウドファンディングにお金を寄付してみる。そのお金がないのなら、周囲に「こういう問題があるんだよ」と話して、格差や貧困の問題について知る人を増やす、という具合に。たとえば、こども食堂を手伝う人のなかには、「自分には学習支援はできないけれど、一緒にごはんを作って食べてもらうことならできる」という気持ちで動いている人もいます。そんなふうに「自分にもこれならできる」ということを探すのが大切なのではないでしょうか。

自分にできることを

編集後記

「相手の立場になって考えてみなさい」とはよく言われるものだ。しかし、生まれも育ちも違う相手の立場や考え方を想像するのはそう簡単なことではない。自分というフィルターを通して想像した「相手の立場」がまったく的外れなときもあるだろう。

相手の立場になってみればすべて解決する……ということはなくて、実際は「わざわざ相手の立場になって考えてみたのに、話がかみ合わない」といらだってしまうことも多い。

「同じ支援者なのに」「同じ日本人なのに」「同じ世代なのに」……「同じ」がベースにあると、わかりあえないことがもどかしく感じられる。同じ常識を共有しているはず、言わなくてもわかっているはずだと思うからだ。

だが、「違う」がベースにあると、わかりあえないことは当然になる。それでもわかりあいたいと思うなら、相手の話を理解するために一生懸命耳を傾けるし、自分の考えを理解してもらうために誠心誠意言葉を尽くす。わかりあうための努力がうまれるのだ。

私たちは、同じ日本語をしゃべっているようで、「まったく違う言語」を扱っているようなもの。だからこそ、立場の違う相手と話すときには翻訳家や通訳になるようなイメージを持つと良いと思います。

ひとりひとりが一流の「翻訳家」になること──これこそが、あらゆる社会課題を解決する「はじめの一歩」になるのではないか?インタビューを通して、こんなことを考えたのだった。

※1 それでも増えた!こども食堂 こども食堂全国箇所数調査2020結果発表のおしらせ(認定NPO法人 全国こども食堂支援センター・むすびえ)

「問い」から始まるウェルビーイング特集

環境・社会・経済の3つの分野において、ウェルビーイング(良い状態であること)を追求する企業・団体への取材特集。あらゆるステークホルダーの幸せにかかわる「問い」を起点に、企業の画期的な活動や、ジレンマ等を紹介する。世間で当たり前とされていることに対して、あなたはどう思い、どう行動する?IDEAS FOR GOODのお問い合わせページ、TwitterやInstagramなどでご意見をお聞かせください!

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