ベルリン在住のアーティストに聞く、人間と動物のちょうどいい距離感とは?【ウェルビーイング特集 #10 再生】

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この広大な地球には、およそ870万もの生き物が存在すると言われており(※1)、人間はそんな数多くの生物の一つにすぎない。それなのに、私たちは普段、他の動物たちと滅多にすれ違うことなく生活している。それはなぜか――。

人ごみ

image via Shutterstock

「私たちが動物たちの居場所を奪ってしまったから。」

そう答えるのは、ベルリン在住のエコロジカル・アーティスト、井口奈保(いぐち なほ)さんだ。私たち人間が他の生物たちの住処を奪い、「自分たちのエリア」を拡大しすぎてしまったがゆえに、異なる種との共存が難しくなってしまった。そう考える井口さんは、人間中心の考え方で支配されてしまった地球を元に戻していこうと活動を行う。

現在は、自身がつくった物語「Journey to Lioness」を映像やイラストレーションで制作したり、ベルリン市民とともに、かつてデパートだった建物を改装し、ボトムアップなアーバンデザイン(都市設計)を用いた複合施設にする、ご近所づくりプロジェクト「NION」を進めたりしている。

そんな井口さんが、これまで自身に問い続けてきたことがある。それは「人間の役割とは何か?」。言い換えると、「他の生物と同じ『動物としての人間』が果たすべき役割は何か?」だ。

この問いの答えを探すカギとなるのが、井口さんが生み出した2つの概念――“GIVE SPACE(動物たちに居場所を返す)”“Human Animal(人間という動物)”である。これらが何を意味するのか?そして、井口さんが考える「動物としての人間の在り方」とはどんなものなのか?お話を伺いながら、先述の問いの答えを模索していきたい。

話し手:井口 奈保(いぐち なほ)さん

井口奈保2013年ベルリン移住。働き方、住む土地、時間、お金、アイデンティティ、街との関係性、地球エコシステムとの連環。どういったスタンスでどう意思決定するか?都市生活のさまざまな面を一つ一つ取り上げ実験し、生き方そのものをアート作品にする。近年は南アフリカへ通い、「人間という動物」が地球で果たすべき役割を発見、その実践を「GIVE SPACE」というコンセプトに集約し方法論を構築中。また、「GIVE SPACE」を広く伝えるための物語「Journey to Lioness」を映像やイラストレーションで制作。ベルリン市民とともに進めているご近所づくりプロジェクト「NION」共同創始者。

ウェルビーイング特集(環境)

「HumanAnimal(人間という動物)」を考えるようになったきっかけ

大学で人間科学、大学院では組織心理学を専攻していた井口さん。卒業後は、PRやマーケティングといった、いわゆるマスに対するコミュニケーションではなく、人間同士の直接的なコミュニケーションプロセスをデザインしたいとの思いから、コミュニケーションプロセスデザイナー(以下、CPD)という職業を自らつくり、フリーランスとして活動を始めた。

具体的には、WHAT(何を)が重視される資本主義社会で見落とされがちな「HOW(どのように)」をデザインするプロとして、企業内での個人へのリーダーシップ開発やコーチング、組織全体の開発などの「コミュニケーションプロセスのデザイン」を行ってきた。

そんな彼女が、「人生のテーマ」として掲げるのが「Human Animal(人間という動物)」だ。

井口奈保

井口奈保さん

「『Human Animal(人間という動物)』が人生のテーマになった背景には、常に自分の中に『人間とは何か?』という問いがあった、ということがあります。中学生の頃から、文化に興味があり、文化は人が育むものであるということから、人間という存在に想いを馳せるようになりました。大学に入り、批判的な視点で社会を見つめてみると、人間は本当に色々な問題を抱えて生きているんだと感じて。それがのちに、『そもそも人間って何だろう?』という大きな問いになりました。」

その問いをさらに深めることになったきっかけの一つが、井口さんが自身の父の死で実感したという「日本社会での生きづらさ」だ。父親が亡くなったときに、「もしかしたら、多くの人は身近な人の死を悲しみたくても悲しめないんじゃないか」と感じたという。

「生き物が死ぬのは自然な成り行きですが、人間は近しい人が亡くなると、年金のことや保険のことなど、とにかくやらなければならない手続きがたくさんあります。特に、働いている人の中には、長期間仕事を休むことができない人も多くいます。」

「当時は、奇しくも、大学院を修了したての就職活動期間中。学生でも仕事人でもない上に、長期間アメリカにいる最中の突然の帰国となったので、日本社会そのものにも所属していないような不思議な『あいま』にいました。だから、絶望に暮れながらも父の死と向き合い、悲しみ切ることができた。その時間と空間がありました。しかし、日本で働いている人の中には、そのような時間がない人も多いと思うんです。もちろん、そうやって忙しくするからこそ、大切な人の死を乗り越えられる人もいると思います。ただ同時に、『悲しみきりたいのにそれができない人がいるのなら、それは理不尽だ』とも感じました。」

「そう考えたとき、この社会は人間にとって生きやすくないと思ったんです。」

人間社会から少し外れたところにいる状態で、人の生死を真っ向から見つめることになった機会は深淵で壮絶だったと振り返る井口さん。

「そんな日々に目にするものは、身の回りの太陽、雲、風、海、雨、土、木々や生き物たちでした。それら、そして彼ら彼女らをただただ観察するうちに、『動物としての人間って何だろう?』という問いが立ち上がってきたんです。」

「人間という動物が果たすべき役割は何か?」

「人間としての動物の役割は何か?」この問いを探り続ける中で出てきたのが、“GIVE SPACE”――「動物たちに居場所を返す」ことを表す概念だ。井口さんがこの考え方にたどり着いたのは、南アフリカを訪ねたとき。

「人間以外の生物は、粛々と生命を営む中で生態系の役に立っています。では私たちは?と考えたとき、火葬して骨壺に入れるのが一般的である日本では特に、死体でさえ他の生き物や土の栄養素になることができない場合が多い。人間はどう地球に貢献すればいいのだろうと疑問に思ったんです。その答えを探すため、他の動物たちが身近にいる環境でしばらく過ごしてみようと考え、南アフリカに行くことにしました。」

「訪れたのは、野生ではない、人間によって繁殖された後にそこから保護されたライオンやハイエナなどがいるケビン・リチャードソン・ワイルドライフ・サンクチュアリー(保護区域)。サンクチュアリーの周りにはキリン、バッファロー、ヌーなどの色々な野生動物たちが生息しており、毎日彼らとすれ違いながら、ボランティアとして働いていました。」

ライオンの足跡

ライオンの足跡

南アフリカで動物たちと共に過ごす中で、井口さんはあることに気付いたという。それは、動物同士のコミュニケーションについて。人間以外の動物たちは、種族が違ってもお互いにコミュニケーションをとることができるという。例えば鳥が何かしらの合図をすると、猿など他の動物たちは鳥のメッセージを理解し、それに対応した行動をとる。一方で人間は、人間以外の生物が発するコミュニケーションのサインを正しく読み取ることができない。

「ボランティアをしたサンクチュアリー内に住んでいるのは、一度も野生に住んだことがないレスキューされた動物たち。他の野生動物から身を守るため、彼らは彼らの生態に合った十分な面積のフェンスの中で暮らしています。特にライオンはフェンスの周りで寝ていることが多く、そんな姿をボランティアの人たちは写真を撮ります。それはボランティア体験のハイライトの一つではありますし、もちろん私もします。でも、動物たちにも限度というものがあります。最初はじっとしていたライオンたちも、長い間撮られ続けていると、次第にイライラしてくるんです。」

「嫌がっているライオンたちは、段階的に少しずつ威嚇レベルを上げて『癇に障るよ』というサインを出します。しかし写真を撮る人たちの中には、そのメッセージを受け取れずにシャッターボタンを押し続ける人たちがいました。そうするとライオンたちはいよいよ怒り出し、それを見かねた現地スタッフの人が“Give him space.”と言って撮影者を注意する。それでもなお、撮影を続ける人がいたんです。私はその姿を見て愕然とし、人間って情けないなと思いました。」

南アフリカのライオンたち

南アフリカのライオンたち

動物は種族を越えてコミュニケーションをしているのに、人間にはそれができない。そのことを強く感じた瞬間だったと井口さんは振り返る。

「ただただSNSで他の人からの『いいね』をもらうため、身勝手に写真を撮り続けている人の姿を見たとき、人間は他の動物に『スペース』を与える能力を失っているんだと感じました。」

「人間は、貴重な動物を密漁するし、トレードもする。熊や狼といった人間が危ないと考える動物だって、銃などを使えば簡単に殺せます。絶滅するまで数を減らすことだってできてしまう。他の動物たちは生態系のバランスの中で生きており、生存するために食べる、縄張りを守る以外の理由で、他の種を死滅させるまで殺すことはありません。」

3つのGIVE SPACE

南アフリカでの体験がきっかけとなり、多くの動物たちのスペースを占領してしまった人間に気付いた。しかし、今からでもスペースを返していけるはずだし、そのための活動を広めていきたい――。そんな強い想いから、井口さんはGIVE SPACEという新しいアーバンデザインの方法論を作り始めた。

「ここでのSPACEは、フィジカル・メンタル・スピリチュアル、3つの意味でのスペースを指します。フィジカルはアーバンデザインなどの手法を通して、物理的に他の動物たちに土地を返していくこと。特に都市においては、自然を増やす取り組みを通して、生物多様性を守ることを目指しています。」

自転車に止まる鳥

自転車に止まる鳥

さらに、井口さんは、他の動物に居場所を与えるだけではなく、人間同士でもスペースについて考える必要があると言う。

「例えば、昨年話題に上ったアメリカの黒人人種差別問題もそう。ある特定の人種が多く住む地域には、近くに病院が少なかったり散歩できる緑の場所がなかったりします。それは、彼らのスペースを別の人間が奪おうとしてしまっているからです。人間同士でも、物理的なスペースの奪い合いを行っているということですね。」

メンタル面でのスペース。これは、人間同士が話をする際のことを考えれば分かりやすい。

「多くの人は普段、自分のことで頭がいっぱいの状態で、他の人の話を聞いています。一方、私が大事にしているアクティブリスニングでは、聞き手が相手の言っていることや伝えようとしていることを知ろうとし、寄り添う姿勢で話を聞きます。聞き手は、話し手の言葉を反射的に良し悪しで判断したり、自分が言いたいアドバイスや意見によって話し手の話す時間と心理的スペースを奪ったりすることがない。スペースを解放することで、話し手は聞いてもらえていると安心して話をすることができる。そういった他者との間に生まれる関係性が、メンタル面でのスペースです。」

そして、最後のスピリチュアル。スピリチュアルなスペースがあるというのは、「動物としての身体的感覚を持てる」ということでもあるという。

「スピリチュアルなスペースを持つためには、私たちは内なる静寂を整えることが必要になります。例えば、日々の仕事に忙殺されてパソコンだけを見ている時でも、窓の外では風が吹いていて、風によって雲が速く動く。雲の隙間を太陽が出たり隠れたりして、日差しの角度が変わったりする。そんな景色の変化に気付く瞬間を、日々いくつも得ながら暮らし続けることで、スピリチュアルなスペースは育まれていきます。」

具体的にどう実践しているのか

フィジカル、メンタル、スピリチュアル。これら3つのスペースを取り戻していく活動を行う井口さん。冒頭で触れたNIONプロジェクトは、フィジカル面でのスペースを与える活動の一つだ。目に見えるスペースをつくる手段として「アーバンデザイン」を取り入れた同プロジェクトは、彼女にとっての社会実験であり「アート作品」でもある。

「GIVE SPACEを実践する方法を考えていたとき、動物の居住空間の問題が、より顕在化している都市でこそ、この活動を行うべきだと思ったんです。そこで、都市のスペースを他の動物たちに返していくアーバンデザインを実践していこうと決めました。」

「現行の社会構造では、権力を持っているデベロッパーや外資の投資家などが次々と土地を占領し、市民が求めていない高級アパートや、環境にも社会にも貢献しない商業施設をつくっていることが多いです。そこで私たちは、市民が自分たちのために使えるようにするコミュニティーベースのご近所づくり『NION Hausプロジェクト』を始めました。」

NION

NION Hausプロジェクト

「以前デパートだった建物を、そこにいるだけでウェルビーイングを得られるようなバイオフィリック建築へと改装。地元のフードスタートアップや農家さんが提供する食のエリア、シェアオフィスやアートスペース、幼稚園などが入った複合施設をつくることをビジョンに、オーナーと交渉しています。屋上と庭には公園のような空間をつくり、誰でも気軽に来て休憩できるようなスペースにしたいと考えています。人だけでなく鳥などの動物たちもやって来れる、都市の生物多様性が回復するGIVE SPACEのアプローチを使います。」

「また、建物自体がリジェネラティブになるよう、屋上や庭では都市農業をできるようにしたり、ハイドロポニックを使って室内でも農業ができるよう計画したり……雨水は100%キャッチして綺麗にし、自分たちの建物内の植物への水にするなど、汚水を外に出さないクローズドシステムもつくるつもりです。」

必要なのは、威嚇の方法を学ぶこと

デザインの力、そして地域の人々の力で自然の豊かさと生物多様性を取り戻すため、ベルリンで街の再生に取り組む井口さん。私たち人間が他の生き物や自然とどのように距離を取っていくべきだと考えているのだろうか。

「まず、今の都市化や産業化された人間が『住みやすい』場所で、自然を増やすことが必要ではないでしょうか。住んでいるところで普段から自然に触れあえる建築物や道などのインフラストラクチャーをつくることで、人々が日常的にエネルギーをチャージできるような街になると思います。休日だけ自然の多い島にリフレッシュしに行く、といったことも必要ではなくなるかもしれません。」

また、近年増加する野生動物による人的被害などの問題についても、都市の中で「他の生き物に物理的にスペースを返せるようなデザイン」をしていくことで、衝突は減っていくという。

NION

井口さんとNIONの仲間たち

「今の、人間が自分たちの活動範囲を広げすぎている状況では、動物たちは逃げる場所がないのですから、衝突してしまうのは当たり前です。」

「動物たちは、威嚇することで互いのスペースを守っています。あのライオンとハイエナだって、常に殺し合っているわけではありません。威嚇し合って追い払うことだってあるんです。出会ったら銃などの武器を持っている人間の方が強いはずですが、人間は強いという自覚がないので、力を行使して不必要に弱いものを殺してしまう。他の動物のように威嚇だけすればいいのにそれができない。私たちは、威嚇の方法を学ぶ必要があるのかもしれません。」

人間を含む動物にとってのウェルビーイングとは

世界に存在する様々な動物。それぞれの生物にとっての、そして人間にとってのウェルビーイングとは一体どのようなものだろうか。

「他の生き物の気持ちを正確に掴むことはできませんが、同じ種である人間一人ひとりでもニーズが違うのですから、種の違う動物と人間の求めるウェルビーイングは大きく異なるでしょう。例えば、鷲は生まれた時から高さ20~30メートルにもなる高木の上で暮らします。上空ですから風の勢いは地上の比ではありません。さらに、雪が全身に積もる中で卵を温めることもあります。彼らの体温は40度あり、鳥の羽毛と翼は極度の天候に適しているんです。」

「そんな彼らが一番安心して気持ちいい場所は、地上30メートルの天空。人間だったら身を縮めて耐えるしかないような強風の中、枝から颯爽と飛び立ちます。もし私たちがあんなグラグラ揺れる高いところにいたら、恐ろしくてたまらないでしょうね。」

鳥

「肝心なのは、それぞれの種のウェルビーイングが違う(であろう)から、地球上には多様な気候、地形、水質、土質などが必要であるということです。地球上の環境を人間の局所的な欲望やニーズで変形させてきたことが、今の環境・経済・社会問題を引き起こしているのかもしれませんよね。」

私たちは今、「動物としての人間」の感覚を失い、他の種とは違う「特別な存在」として生きているのかもしれない。そんな、「傲慢な」人間と870万もの生き物たちが住む地球。どうなれば、ウェルビーイングに満ちた世界といえるのだろうか。

「海、湖などを含めた拡大している人間の生息地が、もっと他の生き物に解放されることでしか、ウェルビーイングは達成されないのではないでしょうか。」

「未来の世代のためとか、絶滅危惧種を保護するといった姿勢も大切ですが、私は地球という同じ場所を、同じ時間軸で共有している、人間を含めたすべての生き物に優しくすることが一番重要だと思っています。そうすることで、間接的にすべての生物、それを支える水や空気、土、鉱物、化学物質など、自然界の様々な要素にウェルビーイングをもたらすことができると信じています。」

編集後記

「私たちが動物たちの居場所を奪ってしまった」

冒頭の井口さんの言葉を聞いて、ある出来事を思い出した。それは、先日電車に乗っているとき車内に入って来た一匹の蝶々のこと。とても美しい色の羽を持った蝶々だった。その姿をじっと目で追っていると、蝶々は別の乗客のところへ近づいて行った。蝶々の存在に気づいたその乗客は、足を蹴り上げて振り払おうとした。

私たちが毎日のように歩いている道は、蟻やダンゴムシなど他の生き物も一緒に歩いている道だ。だが、私たちはそんな小さな存在に目もくれず、大きな足で構わず歩き続ける……。

井口さんが行っているようなアーバンデザインを個人で始めるのは、そう簡単ではないかもしれない。だが、生活の中でふと足元や空を見上げるとき、地球上に生きとし生けるものたちを思いやってみる。それなら誰にだってできるはずだ。

動物としての人間の感覚を「再生」させる。それが、人間を含むすべての動物にとってのウェルビーイングへとつながる気がした。

※1 How Many Species Are There on Earth and in the Ocean?

【関連サイト】Journey to Lioness
【関連サイト】NION Haus Neukölln
【関連サイト】THE KEVIN RICHARDSON WILDLIFE SANCTUARY

「問い」から始まるウェルビーイング特集

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