人新世(アントロポセン)とは・意味
人新世(アントロポセン)とは?
人新世(じんしんせい、ひとしんせい)とは、ノーベル化学賞受賞者のドイツ人化学者パウル・クルッツェンとアメリカ人生態学者ユージン・ストーマーが提唱した「人類の時代」という意味の新しい時代区分。人類が地球の生態系や気候に大きな影響を及ぼすようになった時代であり、現在である「完新世(かんしんせい、地質時代の新生代第四紀の後半の時代のこと)」の次の地質時代を表している。
原語の「Anthropocene(アントロポセン)」は、ギリシャ語で「人間」を意味する anthropo-(アントロポ)と「新しい」を意味する -cene(セネ)に由来した造語である。
地質学における時代区分
地球の歴史は「地質時代(Geologic time scale; Geological age)」と呼ばれる、階層的な一連の小さな時間の塊に分けられている。これらの区分は、時間の長さが長い順に「累代(eon)」「代(era)」「紀(period)」「世(epoch)」「期(age)」と呼ばれる。
現代は「新生代・第四紀・完新世・メガラヤン期」などさまざまな呼び方がされており、最後の大氷河期の後、1万1700年前に始まり現代まで続いていると言われている。しかし、産業革命以後の約200年間に人類がもたらした森林破壊や気候変動の影響はあまりにも大きい。そのため、完新世の次の地質時代を表す言葉として、人類の繁栄した時代を表す人新世が提唱された。
人新世に関する議論
人新世は、地質学の国際組織「国際地質科学連合(International Union of Geological Sciences、IUGS)」に公式に認められた時代区分ではない(2023年7月時点)。国際的な評価を得るためには、岩石層に刻まれた完新世と人新世との境界線をはっきりと定義する必要がある。
人新世はいつから始まったのか
現在、人新世の起源は20世紀中頃とされている。
人新世の起源をめぐっては、過去にさまざまな見方があった。
鴫原敦子、清水奈名子『人新世の平和学』平和研究第58号:人新世の平和学巻頭言(日本平和学会、2022 年)によると、人新世の起源には産業革命の始まりの時期とする見方のほか、新石器革命と農耕文明の始まりの時期とする見方や人口増加とエネルギー使用の爆発的拡大が進んだ第二次世界大戦後とする見方などがあげられていた。有力な説として1945年とする説もあった。1945年は人類が初めて原子爆弾の実験を行い、広島と長崎に原爆を投下した年である。
「人新世を検討する作業部会(Anthropocene Working Group、AWG、IUGS内で2009に発足したグループ)は2016年、人新世は完新世とは異なり、地球に影響を与える人間活動の劇的な増加である「大加速」が始まった20世紀中頃から始まると合意した。
「大加速(Great Acceleration)」は、第二次世界大戦後に人口増加や産業のグローバル化、それによる環境の変化といったトレンドが飛躍的に増加した時期の始まりにあたる。
人新世の起源を20世紀中頃とする理由には「大加速」の開始時期であることと、1945年のアメリカによる初の核実験以降、大気中の放射性物質の濃度が増えたことが世界中の地層で確認されたこともあげられる。
地層から確認された人新世の起源を示す物質は核実験による放射性物質に限らない。科学雑誌「Nature ダイジェスト」の記事には、以下のように記されている。
複数の学問分野の研究者からなるAWGのメンバーたちは、数年がかりで議論を行い、人新世を定義する基準地の地層に捕捉されていると考えられる多くのシグナルを特定した。そうしたシグナルには、核実験による放射性同位元素や、化石燃料の燃焼による灰、マイクロプラスチック、農薬などがあり、これらの物質は、人口が急増し、人類がかつてない速さで物質を消費し、新しい物質を作り出すようになった1950年代初頭から現れ始めた。
2019年5月に公開されたAWGの報告書では、「2021年までに『国際層序委員会( International Commission on Stratigraphy、ICS)』に正式な提案を提出することに合意し、人新世の起源を20世紀中頃に位置付けた」とある。
2023年現在、人新世は20世紀中頃から始まったとする見方が一般的となっている。
人新世をめぐる動向
2023年現在、地質学者たちによって人新世の最初の明確な痕跡を残す「基準値」の選定が行われている。
同年1月に公開された科学雑誌「Nature」の記事によると、地質時代の境界として物理的な目印となる「ゴールデンスパイク(金の鋲)」が設置される候補地として以下の9カ所が絞り込まれていた。
- 別府湾(日本、大分県)
- クローフォード湖(カナダ、オンタリオ州)
- フリンダーズ礁(オーストラリア、コーラル・シー諸島)
- ゴットランド海盆(バルト海)
- パーマー氷床コア(南極半島)
- シアーズビル湖(アメリカ、カリフォルニア州)
- 四海龍湾湖(中国、吉林省)
- スニェシュカ泥炭地(ポーランド、ズデーテン山地)
- ウエストフラワーガーデンバンク(メキシコ湾)
2023年7月、人新世を象徴する地層の候補地としてクローフォード湖(カナダ、オンタリオ州)が選ばれたことが科学雑誌「Nature」の記事に記されている。
ただし、クローフォード湖が人新世の基準値として正式に決定されるには、地質学者からなる他の複数の委員会の投票を経る必要がある。加えて、全ての科学者が人新世を地質時代と認めることに同意しているわけではない。
人新世をめぐる批判的議論
科学雑誌「Nature」の記事によると、人新世を地質時代と認めることに同意しない理由には、人新世と呼ばれる時代がごく最近のことであり、この地質時代を定義する地層はまだ存在していないという考えがあげられる。この考えをもつ研究者の間では人新世を、地質時代を表す言葉ではなく、「地質学的イベント」という包括的な用語として扱うことが提案されている。
政治経済的観点からは、人類が選択した資本主義が時代区分の境界を生じさせたのではないかという考えから、人新世ではなく「資本新世(Capitalocene)」と呼ぶべきだとする研究者もいる。
資本新世を提唱するアメリカの環境史学者ジェイソン・ムーアは、「今日の気候変動をもたらしたのは資本主義経済に要因がある」「地球環境を破壊したのは人類全体ではなく、化石燃料に依存し、大量の二酸化炭素や化学物質を排出した先進工業国である」「人新世という言葉は資本主義的生産様式による人間の不平等の結果をカモフラージュするものだ」と批判する。
人新世に代わる呼称には他に、アメリカの思想学者ダナ・ハラウェイが提唱する「プランテーション新世(Plantationocene、植民新世とも)」や「クトゥルー新世(Chthulucene)」がある。
広く普及し始めた「人新世」という用語
人新世はいまや真新しい用語ではない。
前田幸男『気候変動問題から見る「惑星政治」の生成 : 「人新世」時代に対応するための理論的諸前提の問い直し』境界研究(8)p.89〜116(北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター、2018年)によれば、2013年には人新世を冠する学際的な学術雑誌が発刊されている。
同論文では、“地理学系及び政治学・国際関係学系の学術雑誌に限定しても「人新世」の用語をタイトルに含む論文がいたるところに登場してきている”とあり、あらゆる学問分野で話題にあがる用語であることがうかがえる。
日本では2020年に出版された日本の哲学者斎藤幸平の著書『人新世の「資本論」』(集英社新書、2020年)が話題を呼んだ。環境危機の時代=人新世の解決策を『資本論』を書いたドイツ人思想家カール・マルクスの新解釈の中に見出すといった内容のこの書籍は30万部以上出版されている。
人新世に関する論争は続いている
人新世は公式に認められた時代区分ではない。だが、その起源は20世紀中頃とされ、地質時代を示す基準値としてクローフォード湖(カナダ、オンタリオ州)が候補に選ばれるなど、人新世を新たな地質時代として定義づける動きは進展している。
また先で紹介した「資本新世」「プランテーション新世」「クトゥルー新世」といった人新世に代わる呼称からもわかる通り、人新世という概念はあらゆる分野で論争の的になっており、さまざまな学問分野の研究者たちが議論を続けている。
【関連ページ】森林破壊とは?数字と事実・原因・解決策
【参照サイト】Anthropocene
【参照サイト】International Union of Geological Sciences
【参照サイト】鴫原敦子、清水奈名子『人新世の平和学』平和研究第58号:人新世の平和学巻頭言(日本平和学会、2022 年)
【参照サイト】Working Group on the ‘Anthropocene’ | Subcommission on Quaternary Stratigraphy
【参照サイト】「人新世」の定義は、未来の研究者のために ―地質年代決定の最前線で活躍するマーティン・ヘッド教授の講演会より|NEWS|茨城大学
【参照サイト】The Anthropocene Epoch, Marked by Human Impact on Earth, Began in the 1950s
【参照サイト】人新世の定義を目指す地質学者たち | Nature ダイジェスト
【参照サイト】This quiet lake could mark the start of a new Anthropocene epoch
【参照サイト】Enter the Capitalocene: How Climate Change Will Ruin Capitalism | WIRED
【参照サイト】人新世概念が社会学にもたらすもの
【参照サイト】“Anthropocene, Capitalocene, Plantationocene, Chthulucene: Making Kin” | Environment & Society Portal
【参照サイト】子どもではなく類縁関係をつくろう──サイボーグ、伴侶種、堆肥体、クトゥルー新世|ダナ・ハラウェイが次なる千年紀に向けて語る | DOZiNE
【参照サイト】気候変動問題から見る「惑星政治」の生成 : 「人新世」時代に対応するための理論的諸前提の問い直し
【参考文献】前田幸男『人新世で問題となる「政治思想」の措定する前提』社会科学ジャーナル(90) p. 99-120(国際基督教大学社会科学研究所、2023年)
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