ドーナツ経済学とは・意味
ドーナツ経済学とは?
ドーナツ経済学とは、自然環境を破壊することなく社会的正義(貧困や格差などがない社会)を実現し、全員が豊かに繁栄していくための新しい経済の概念のことをいう。英オックスフォード大学の経済学者ケイト・ラワース氏が2011年に提唱した。そのビジュアルイメージから、私たちに身近で想像しやすい「ドーナツ」にちなんで名付けられた。
わかりやすくいうと、下の図の緑色の部分(=ドーナツの食べられる部分)の範囲内で生活していこうということである。この緑色の枠は、人類にとって安全で公正な範囲、そして環境再生的(リジェネラティブ)で分配的な経済をあらわしている。
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ドーナツより内側(中心)の空洞は、エネルギーや水、住宅など、人々が暮らす上で必須のものが欠乏している状況を示している。国でたとえると、インフラの行き届いていない途上国のようなものだ。その不足を埋めることで、社会基盤を緑色のドーナツ部分に引き上げることを目指す。
一方、ドーナツの外側には、ストックホルムレジリエンスセンターが提唱するプラネタリーバウンダリーの9つの要因(※)が配置されている。この部分に突入するということは、地球環境に過負荷がかかっている状態を示す。急激な工業発展による大気汚染や、海洋汚染、気候変動などが起こっているということだ。こちらも、従来の大量生産・大量消費のモデルから、循環型の経済モデルに変えることで、ドーナツの緑の部分に引き戻すようにする。
※9つの項目の中には、以下が含まれる:「気候変動」「生物圏の一体性」「土地利用の変化」「淡水利用」「生物地球化学的循環」「海洋の酸性化」「大気エアロゾルによる負荷」「成層圏オゾン層の破壊」「新規化学物質」。このうち、「気候変動」「生物圏の一体性」「土地利用の変化」「淡水利用」「生物地球化学的循環」「新規化学物質」の6つの項目で境界を上回った。
ストックホルムレジリエンスセンターが公表している最新の研究結果によれば、2023年現在でこの「プラネタリー・バウンダリー」として知られる9つの要因のうち6つがすでに上限を超えている。また、人々の生活の満足度を高めるためには持続可能なレベルの2-6倍の資源が必要であるという研究もある。
ドーナツの真ん中のように社会的な不足をすることなく、かといって資源全体の利用量が、環境限界である外側の円を突き抜けることもない。それがドーナツ経済学の目指すところである。なんだか理想的に聞こえるロジックだが、いまや新環境政策とも呼ばれ、サーキュラーエコノミー(循環型経済)と共に世界的に注目されている。
ケイト氏の語る、GDPの「弊害」
ドーナツ経済学という言葉自体は、ケイト氏が2012年に出版した著書『Doughnut Economics: Seven Ways to Think Like a 21st-Century Economist』で初めて登場したものだ。日本でも、2018年に『ドーナツ経済学が世界を救う 人類と地球のためのパラダイムシフト』が出版されている。
著書の中で、1980年代末に経済学を専攻していたケイト氏は当時を振り返り、こう綴った。
経済学を専攻するわたしたち学生はカッコウにだまされた親鳥のように、けなげにGDPの成長という目標を胸に抱いて、経済成長の要因を述べた最新の諸説を比較検討させられた。経済成長をもたらすのは、新しいテクノロジーの導入か、それとも機械や工場の数の増加か、それとも人的資本の増加か?
それらの問いはどれも問うに値するものだが、わたしたちは一度も立ち止まって、GDPの成長はつねに必要なのか、つねに望ましいのか、そもそもつねに可能なのかと真剣に問うことはなかった。(中略)
それまで目的を考えていないことを自覚すらしていなかった。
『ドーナツ経済学が世界を救う 人類と地球のためのパラダイムシフト』より引用
ケイト氏は、自身が登壇したTED Talkの中で、GDPなど従来の経済指標で重要視される成長のために、大量消費・廃棄が助長され、環境破壊に拍車がかかっていると指摘。また、これまでの税と所得の動きをグラフ化したところ、どんな国でも、国民所得のおよそ80%が人口の20%の手に渡り、国民所得の残りの20%が人口の80%の人々によって分け合われていたという「パレートの法則」を引用している。
世界のGDPは、1950年から10倍になっている。しかし私たちはいま、経済の成長曲線のどこにいるのか。まだ低いところにいるのか、ピークにいるのか。何をもって「高い」「低い」を判断するのか。成長の先には何があるのか。成長するうえで、何を犠牲にしているのか。
このような疑問を持たせることなく、政治家たちはさまざまな言葉を使って成長の正当性を説いている。たとえば、「右肩あがり」や「上向き」などの言葉はポジティブなイメージの言葉として捉えられ、人々は知らず知らずのうちに「何のためかわからない」成長に支配されているという。
そもそも成長を永続させることは不可能なのだ、とケイト氏は言う。そして経済的、政治的、社会的な“成長依存”を脱却することが必要だと訴えている。
そこで重要になるのが、第一の優先事項として経済・社会を「成長させる」ことではなく「繁栄させる」にはどうするかを考える、ということだ。
成長(Growth)ではなく繁栄(Thrive)を目指す
繁栄とは、つまり人間の生活そのものが豊かになることを指す。誰もが自分の「尊厳」を保つことができ、やりたいこと、なりたいものを選べる「機会」が与えられる。一人ひとりの潜在的な能力(健康や創造性など)が引き出され、信頼できる人々の「コミュニティ」と、地球の限られた資源内(=ドーナツ)のなかで、幸福に暮らすことができる。
この「尊厳」「機会」「コミュニティ」の3つが繁栄のキーワードだ。たしかに、人々は多くの収入を得ることそのものよりも、他の人を助けたり、社会的に認められたり、地域のコミュニティに関わっていたり、興味のあることを学んだりしているほうが幸福度が上がるという研究結果もある。
繁栄するときに、経済が成長するかどうかは関係ない。とりわけある程度経済が成熟した先進国では、成長が止まるのは、必ずしもネガティブなことではないのだ。「限界」は創造性の源になり、参画、帰属意識、意味付けによって人類が繁栄する力を開花させるという。
ドーナツ経済モデルの設計
ドーナツ経済学で提唱されるこれからの経済モデルとは、環境再生的(リジェネラティブ)で、分配的(ディストリビューティブ)なものだ。
まず、これまでの消費のあり方を見直す。作っては使い、すぐに捨てるという、産業の質が低下する構造は、地球資源を限界に追いやるからだ。資源は、基本的に何度も利用する。そもそも、ごみを出さない設計にする。また、太陽光・風力・潮力などをエネルギー源とし、廃棄物を次の生産活動に活かせるような設計をすることで環境を再生する。
また、再分配をすることで、欠乏と過負荷に同時に対処する。国際的な不平等・不公正はもちろんだが、国内での貧富の差が出ないよう、分配を行える経済を設計するべきだとケイト氏は語る。
今後、先進国がさらにGDPを成長させていきたいのであれば、経済成長と環境負荷をデカップリング(分離)させることが必要だ。しかし、多くの国はすでに消費のピークに達してしまっているので、相対的なデカップリングでは到底足りない。これからやるべきは、GDPの上昇とともに資源利用が絶対量で減る「絶対的デカップリング」である。
これまのケイト氏のTED Talkや著書から、従来の経済モデルと、これから私たちが目指していくモデルの要素をいくつか並べてみよう。
これまでの経済モデル
- 有力者に富・知識・権力が集中する中央集権モデル
- 化石燃料
- 大規模生産
- 大量消費・大量廃棄
- 株主の利重最大化ばかりを追求する企業
未来の経済モデル
- 誰もが知識を持つ分散型社会
- 再生可能エネルギー
- デジタルプラットフォーム
- オープンソースのP2P知識コモンズ
- 3Dプリンター
- ソーシャルアクションを行う企業
- AIやブロックチェーン、IoTなどのテクノロジーによる医療・教育アクセス向上
オランダ・アムステルダムで進むドーナツ経済学
2050年までに100%サーキュラーエコノミーを実現するという野心的な目標を掲げ、世界のサーキュラーエコノミーを牽引しているのが、オランダの首都・アムステルダムだ。同市は、2020年4月に世界ではじめてドーナツ経済学の構造モデルを自治体として適用することを決定した。
2015年、アムステルダム市は世界で初めてサーキュラーエコノミーが自治体にもたらす環境・経済的な影響を定量的に把握するための本格的な調査を実施した。同市はその結果に基づいて ”Amsterdam Circular: Learning by doing”と”the Circular Innovation Programme”という2つのプログラムをローンチした。この戦略の中で新たに採用されたのが、ドーナツ経済学だったのだ。
以降3年間で70を超えるサーキュラーエコノミープロジェクト/サーキュラーデザインが生み出され、多くの知見が蓄積された。今となっては、世界中からの視察が途絶えない「サーキュラー都市」の地位を築いている。
サーキュラーエコノミーと聞くと、資源の循環や再利用など環境の話をイメージする方も多いかもしれない。しかし、現在アムステルダムではサーキュラーエコノミーが環境面にもたらすインパクトだけではなく、その社会的な側面にも目を向けた議論が活発に行われており、その帰結とも言えるのがドーナツ経済学の考え方を取り入れた2025年までの戦略でもある。
ドーナツ経済を実践レベルに落とし込むために
ドーナツ経済学の原則を実際の行動指針に変えることを目的とする組織としては、ドーナツ・エコノミクス・アクション・ラボ(以下、DEAL)があげられる。2019年に設立されたDEALは、地球の資源を再生し、社会全体に利益を公平に分配する、再生的で分配的な21世紀の経済をデザインすることを目指している。このアプローチは、地球の限界内で全ての人々のニーズを満たすことを目標とし、経済政策と実践を根本的に再考する。
DEALは、世界中でコミュニティ、教育者、政府、企業と協力し、ドーナツ経済学を適用し促進している。さまざまな実践領域にこれらのアイデアを組み込むために、チェンジメーカー向けのツールやリソース、ワークショップ、戦略的ガイドラインを提供。
ドーナツ経済学を社会実装するためのデザイン手法として「Donut-Centered Design(ドーナツ中心デザイン)」という考え方も出てきている。
このドーナツ中心デザインを利用した企業の例としては、たとえば、取締役を「自然」にするイギリスの美容ブランド「Faith In Nature」があげられる。「自然」に代わって意見を述べ、議案への賛否を表明する人物を取締役会のメンバーに加えるための定款変更を行う。また、パタゴニアでは創業者であるイヴォン・シュイナード一族が保有する議決権株式(発行済株式の2%)は新設した「Patagonia Purpose Trust」、無議決権株式(同98%)は環境保護活動を目的とするNPO団体「Hold Fast Collective」がそれぞれ保有したことを公開した。
自然、地球を事業の意思決定者としておく仕組みを構築している両社。事業上の収益をこれまで外部性とされてきたものに分配している好事例である。
まとめ
現在、私たちの住む世界では、欠乏と過負荷の問題が同時に起きている。必要最低限のものが不足している人々がいる一方で、環境をみると地球の限界を超えている。これが人類と地球の現状で、20世紀の経済学者は想定していなかった事態だ。今の私たちが、この問題に直面する最初の世代であり、問題を回避するチャンスが残された最後の世代だと、ケイト氏は強調する。
彼女が提唱したドーナツ経済学の動的バランスの考え方は、先進的に映る。一方で、マオリ族のタカランギ図、道教の陰陽図、仏教の無限のひも、ケルトの二重螺旋といった、多くの古代文化における幸福のシンボルにも表われている。
人間が悠久の時の流れの中で培い、連綿と受け継いできた再生的で分配的な思想は、いつしか廃れてしまった。ドーナツ経済学は、斬新な理論として受け止められているが、実は人の本来あるべき生き方への原点回帰の提案だ。まさしく温故知新といえるのではないだろうか。
【参照サイト】ケイト・ラワース公式サイト
【参照サイト】TED talk: A healthy economy should be designed to thrive, not grow | Kate Raworth
【参照サイト】TED Talk
【参照文献】ドーナツ経済学が世界を救う 人類と地球のためのパラダイムシフト(河出書房新社)
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