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NIMBY(Not In My Backyard)とは・意味

メガホン

NIMBYとは?

NIMBY(ニンビー)とは、英語の「Not In My Backyard(我が家の裏庭には置かないで)」の頭文字を取った言葉で、公共に必要な施設だということは認めるが、それが自らの居住地に建設されることには反対する住民のことや、その態度を言い表す言葉。上記のような態度を「NIMBY症候群」と言ったり、その対象をなる施設を「NIMBY施設」と呼んだりもする。

NIMBYの対象となりやすいのは、原子力発電所や廃棄物処理施設、火葬場、幼稚園、ダム、精神科病院など。それぞれの施設によって捉えられ方はさまざまだが、たとえば、建設されるとその地域や住民が衛生・環境・騒音などの面で被害を受けたり、地域の治安の悪化を招くことが懸念される施設である。

NIMBYの問題点と原因

上記で述べた発電所や廃棄物処理施設などは社会にとって必要であり、誰かが犠牲を払って自分の地域に設置されることを受け入れなければならない。そのため、NIMBYとみなされる態度が「住民エゴ」とも呼ばれるように、施設への反対運動そのものが批判の対象となることや、そういった態度を取る人たちを、公共の利益を考えない「自己中心的な人たち」だと批判する声も多い。

しかし、この問題のついて語るとき、そういった態度を取っている人たちのみを悪者にして良いのだろうか。NIMBYが起こる原因には、その対象となるような施設の利益を享受する「受益者」と、施設があることによって何らかの被害を受ける「受苦者」の乖離という、構造上の問題が絡んでいる場合も多い。

原子力発電所を例にあげると、そこで作られた電気を使用するのは遠い都市に住む人々(受益者)であるが、事故が起こったときに直接的な被害を受けるのは原子力発電所のある地域に住む人々(受苦者)であるといった具合だ。こういった構造を不公平であると感じ、建設に反対したくなるのは、ある意味当然ではないだろうか。

『実験社会心理学研究』に掲載された論文「NIMBY問題における公平と共感による情動反応」によると、NIMBYの対象となる施設の受益者である別の地域に住む人々が、施設の直接的被害を受ける地域の人々に対して無関心であることも、この問題を悪化させるという。

NIMBYの対象となるような施設の建設地に関しては、多くの場合政府と特定の地方自治体が中心となって進める。そのため、意識して関心を持とうとしなければ、自分が日々使っている電気を作ったり、廃棄物を処理したりするために、別の地域の人たちが何かを犠牲にしているかもしれないということに気づき、意識することは難しいのだ。

江戸川大学社会学部講師の吉永明弘氏による研究ノート『「NIMBYのどこが悪いのか」をめぐる議論の応酬』では、開発に反対する住民たちを「NIMBY」「地域エゴ」「住民エゴ」とレッテル貼りしてその主張を倫理的に批判することに対する批判を展開している。例えば、これまでNIMBYという言葉は「社会の公益を考えない自己中心的な人々」といった意味で批判・嘲笑的に使われてきたが、実際の事例を調べてみると、開発に反対する市民の中で本当に自己中心的な人々はごく一部であり、ほとんどの人々の主張には地域コミュニティの社会的・環境的影響を考慮したうえでの、一定の正当性があるものである場合が多いという。

さらに、NIMBYと括られる人々は、外部から来た企業などが地域コミュニティの事情を全く知らずに一方的な開発を進めようとすることや、当事者である自分たちを議論に包括していないこと、つまり開発そのものというよりそのプロセスに怒っているという分析もされている。

「第一に、反対者は、“開発者が利益を追求する外部の人たちであり、そのコミュニティについての知識をほとんど持っていないために、コミュニティに何の関心ももたずに、コミュニティにとって何の利益にもならない風力発電所を建てること”に対して抗議している。つまり、人々は計画や意思決定のプロセスに対して抗議しているのである。人々は(たいていの場合正しく)感じている。自分たちに影響を与える決定に対して何も言えていないと。意味のある参加の機会を与えられていないと。市民参加はすでに決定がなされた後で単なるお飾りとしてなされているにすぎないと。この意思決定や意思決定者に対する信頼の欠如が、抗議の原因になっているのである」
吉永 明弘 「NIMBYのどこが悪いのか」をめぐる議論の応酬 p.180より

この論文の「10.おわりに」では、「NIMBYは環境倫理の自覚化の土台となる」という小見出しの中で、NIMBYがその声をあげた結果自分たちの地域が守られ、問題を他の地域に移転するのではなく、『なぜ環境を守らなければならないのか』といった普遍的な問いに向き合うきっかけになるのであれば、そこには大きな意味がある、と述べられている。

まとめ

NIMBYについては、アメリカをはじめ世界中で議論されているが、その解決策は未だ示されていない。NIMBYを引き起す施設を建設する際には、政府は地域へ優遇措置を与えることで住民の反対感情をおさめることがほとんどであるが、理想的には、受益者と受苦者が乖離してしまう構造そのものを回避することが必要なのかもしれない。

いずれにせよ、自分の行動がNIMBYにあたると感じた人は、自分の地域のことだけではなく、社会の公益についても考える視点を持ってみることが必要であり、自分の居住地と異なる地域でそういった動きがあったときには、他人事だと考えずに少しでも関心を持つ態度が必要ではないだろうか。

また、廃棄物処理施設、原子力発電所など、現状の社会システムの中では確かに必要だが、そうした「誰かが」「どこかが」大きな負担やリスクを被る施設がないと継続できない社会システムのあり方そのものに目を向け、根本的に変えていく態度やアクションが今後求められているのではないだろうか。

【関連記事】NIMBY問題における公平と共感による情動反応:域外多数者の無関心は立地地域少数者の怒りを増幅する?
【参照サイト】NIMBY問題における公平と共感による情動反応:域外多数者の無関心は立地地域少数者の怒りを増幅する?
【参照サイト】研究ノート「NIMBYのどこが悪いのか」をめぐる議論の応酬 吉永 明弘
【参照サイト】NIMBY




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