ナッジ(行動経済学)とは・意味
ナッジとは?
ナッジとは、行動科学の知見から、望ましい行動をとれるよう人を後押しするアプローチのこと。多額の経済的インセンティブや罰則といった手段を用いるのではなく、「人が意思決定する際の環境をデザインすることで、自発的な行動変容を促す」のが特徴だ。
2017年、シカゴ大学のリチャード・セイラー教授がノーベル経済学賞を受賞したことがきっかけでナッジは大きな注目を集めることとなった。英語でナッジ(nudge)は「ひじで小突く」「そっと押して動かす」の意味。行動変容をそっと促すナッジは、しばしば母ゾウが子ゾウを鼻でやさしく押し動かすようすに例えられる。
もっとも有名なナッジの事例は1999年、アムステルダム・スキポール空港の小便器の「ハエ」のナッジだ。公共トイレを清潔に保つために、ハエの絵を小便器の底に貼り付けたことで、利用者の飛沫を80%減らした。制約措置だけでは不十分と考えられていた課題をナッジでいとも簡単に解決した成功事例である。
英国キャメロン政権(BIT)、米国オバマ政権(SBST)などのように、人々が、自分たちにとってより良い選択をできるようにすることを目的として、政府内に行動インサイトの活用を試みる組織を置く例も見られる(日本にも、BEST<Behavioral Sciences Team>と呼ばれる日本版ナッジ・ユニットが存在)。また、世界銀行(eMBeD)、ハーバード大学(BIG)といった非政府組織でも、ナッジ等の行動インサイトを採用した組織を設置する例が増加している。
ナッジの活用事例
1、「思わず登りたくなる」しかけで健康促進
階段のそばにエスカレーターやエレベーターがあると、つい楽をしたくなりそちらを選んでしまうもの。この例では、階段を鍵盤に見立て、足を乗せると実際に音が鳴る仕掛けを施すことで「楽しそう」「登ってみたい」という気持ちを引き出すことに成功した。
階段利用を促すもっと身近な仕掛けとして、「ここまで登ると○○カロリー消費!」などと書かれたステッカーの活用が挙げられるだろう。エスカレーターと階段、どちらを使おうかと迷ったときにこのステッカーが目に入れば、「健康になるためにも階段にしておくか」という気にもなるというわけだ。
2、ポイ捨て防止に!吸い殻で投票するゴミ箱
煙草のポイ捨てを防ぐために用意されたのが「吸い殻で投票するゴミ箱」。こちらのゴミ箱の中は2つの空間に分かれており、投入口も2か所ある。「世界最高のサッカー選手はロナウド?メッシ?」といった2択の質問が用意されており、自分が投票したい答えが書かれているほうの投入口から吸い殻を投入するという仕組みだ。
ただゴミ箱に捨てるよう言うのではなく、楽しい要素を加えることで自発的にポイ捨てをやめるよう促すことに成功した事例である。
3、メッセージの内容を変えて、受診率アップ
大腸がん発見には毎年のリピート受診が必要だ。八王子市では、前年度の受診者に採便容器を送付し、リピート受診を促していたのだが、キット送付対象のうち受診率は約7割にとどまっていた。キット送付には費用もかかっているため、市はナッジを用いた受診勧奨通知を開発することにした。Aグループには「検診を受けてもらえれば、来年も検査キットを送ります」という対象者にとって得になるメッセージを、Bグループには「受診しないと来年は検査キットは送付されなくなります」と、これまで自分が享受していたサービスを失う可能性のあるメッセージを送付。すると、損失回避に働きかけたBグループの受診率は、Aグループよりも7.2%高くなった。
4、小さなお皿に変えるだけで、食品ロス削減
日本国内では、年間570万トンが廃棄されているとされ、その量は飢餓で苦しむ人へ送られる世界の食料援助量の1.4倍にあたる。IT業界世界最大手のGoogleが、社員食堂で従来より約2.5cm小さい深さの皿を使い始めたところ、食べ残しを最大7割削減できたという。イリノイ大学が学生寮で行った研究結果によると、丸皿からより表面積の小さい楕円形の皿に変えることで、丸皿では15.8%だった食べ残しの廃棄量が、楕円皿では11.8%に減少したという。こうした無意識の小さな行動の積み重ねが、実は持続可能な生活を送るために欠かせないのだ。
5、ジェンダー平等に向けた育休取得ナッジ
千葉市が取り組んでいる男性の育休取得に向けたナッジ。「デフォルト化」の取り組みで、昔は何も申請しなければ育休は取得しないことがデフォルトだったが、それを「何も申請しなければ育休を取得する」ということをデフォルト化し、取得しないことに説明責任が伴うようにした。その結果、育休取得率が2013年度の2.2%から2019年度には92.3%と大幅に上昇。男性の育休取得を「あたりまえ」に変えたナッジだ。
6、思わず走る速度を緩めてしまう交通安全のためのナッジ
アイスランドの小さな町イーサフィヨルズゥルでは、細い道の横断歩道の前では自動車が自然と速度を落とすようにと、トリックアートを使って横断歩道にユニークな仕掛けを施。横断歩道に通常の白い塗料だけでなく薄いグレーと濃いグレーをそれぞれ絶妙な場所に塗ることで、正面から走ってくる車から見ると白い立体の棒が宙に浮いているように見せかけたのだ。横断歩道の上を歩く歩行者も宙に浮かんでいるように見える。この横断歩道に出くわすと、ドライバーは見慣れぬ光景に慌てふためいて思わず走る速度を緩めてしまう。
7、家庭ごみ袋のサイズ縮小で、廃棄物削減
スコットランドの首都であるエジンバラ市は、2014年8月に特定の地区で新しいごみ収集システムを実装。家庭ごみ袋のサイズを240リットルから140リットルに縮小したのだ。市は年間100万ポンドを節約でき、世帯数の40%の廃棄物削減に成功した。
8、コロナ禍でソーシャルディスタンスをとるためのナッジ
フランス、パリ市庁内の道路には、ソーシャルディスタンスを促すための波とカモメをモチーフにした涼しげなストリートアートがペイントされている。1メートルごとにペイントされているカモメの模様は、大人も子どもも思わずそこに立ちたくなりそうなデザインだ。これが、距離感に迷うことなく安全なソーシャルディスタンスを実現する助けになる。人々の不安やストレスを少しでも和らげながら、心地よくソーシャルディスタンスを守り続けることを可能にする、ユニークなアイデアだ。
日本初の自治体ナッジユニット
2019年2月に設立された神奈川県・横浜市の職員らが有志で結成したのが、日本初の自治体ナッジユニット「YBiT」だ。さらに、同組織から様々な経歴を持つ官学民のメンバーらが集まってできたのが、NPO法人「PolicyGarage(ポリシーガレージ)」である。
気候危機、エネルギー問題、少子高齢化に伴う社会保障負担の増加、地方部の過疎化、貧困や格差の問題、ジェンダー不平等など、日本が直面している政策課題は数を挙げればきりがない。これらの課題解決に向けて、「ナッジ」と「デザイン思考」、そして「EBPM(Evidence-based Policy Making:統計データや数値などの客観的証拠に基づく政策立案)」の3つを掛け合わせ、人間中心のアプローチにより地方自治体から政策を変えていくことを目的に2021年1月に誕生した。
行動デザインとEBPMを駆使して政策にイノベーションを起こし、自治体職員がワクワク感を持って仕事に取り組めるようにするというYBiTの理念や活動に共感した仲間が全国から集まり、PolicyGarageが結成された。2022年4月現在、同団体は10省庁、13都道府県、35市町村の職員を含む500を超えるコミュニティメンバーで構成されており、その輪はどんどんと広がっている。現時点でのパートナーは、北海道庁、鹿児島県出水市、沖縄県公衆衛生協会、東京大学公共政策大学院など。
ナッジを活用する際、留意したいこと
ナッジ、と聞くと「新しいモノ」「難しいモノ」と考えてしまう人もいるかもしれないが、そんなことはない。例えば、新型コロナウイルス感染対策として、ソーシャルディスタンスが保たれる距離がわかるよう、地面に線を描くのもナッジの一つ。気をつけてみると日常のあらゆるところにナッジが潜んでいるのに気づくはずだ。
人々の自然な行動変容を促すナッジ理論は、社会の共通の利益のため使用することもできれば、悪用することもできる。意図して悪用しようとしていなくても、そもそもの「目的」がズレていたら、良い結果を生み出さないこともあるだろう。ナッジ理論を活用する際には、それが人々の行動を大きく左右することを理解し、「望ましい行動」「導くべき方向」とされるものが本当に皆にとって望ましいものかどうかをきちんと議論する必要がある。
【関連記事】ゲーミフィケーションとは・意味
【関連記事】ナッジとデザイン思考で人間中心の政策づくりを支援する「PolicyGarage」
【参照サイト】受診率向上施策ハンドブック 明日から使えるナッジ理論|厚生労働省
【参照サイト】日本版ナッジ・ユニット(BEST)について|環境省
ナッジに関連する記事の一覧
用語の一覧
あ行
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- エクイタブル・デザイン
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- CCS(二酸化炭素回収・貯留)
- CDM(クリーン開発メカニズム)
- CDP(Carbon Disclosure Project)
- Chosen family
- CIO(Chief Impact Officers)
- Climate Clock(気候時計)
- Climate Sience(クライメートサイレンス/気候沈黙)
- Climate Tech(気候テック)
- COP(国連気候変動枠組条約締約国会議)
- Country as a service
- Cradle to Cradle(ゆりかごからゆりかごへ)
- CSA(地域支援型農業)
- CSR(社会的責任)
- CSV(共通価値の創造)
- Cycle Logistics(サイクルロジスティクス)
D
E
- eスポーツ
- EBPM(証拠に基づく政策立案)
- Eco-DRR
- EdTech(エドテック)
- e-ヘルス(e-Health)
- ELSI
- Environmental Gentrification
- ESD
- ESG投資
- ETS(排出権取引スキーム)
- EUタクソノミー
- EU-ETS
F
- FaaS(Farming as a service)
- Fab Lab(ファブラボ)
- Farm to Fork
- FemTech(フェムテック)
- FinTech(フィンテック)
- First Movers Coalition(FMC)
- Flight shame
- FOMO(Fear of missing out)
- FSC認証
- FtM(Female to Male)
- FTSE4Good Index(フッツィー・フォー・グッド・インデックス)
G
- GHG排出ピークアウト
- GNR革命
- GovTech(ガブテック)
- Green Climate Fund(緑の気候基金)
- Green Dating
- GRI(Global Reporting Initiative)
H
I
- IaaS(Infrastructure as a Service)
- IIRC(国際統合報告評議会)
- Inner Development Goals(IDGs)
- InsurTech(インシュアテック)
- Internet of Abilities(能力のインターネット)
- Internet of Animals(動物のインターネット)
- Internet of Behavior(行動のインターネット)
- Internet of Customers(顧客のインターネット)
- Internet of Human(ヒトのインターネット)
- Internet of Skills(スキルのインターネット)
- Internet of Things(モノのインターネット)
- IPCC
- ISSB
- IUU漁業
J
L
- LAC(Living Anywhere Commons)
- LCA(ライフサイクルアセスメント)
- LEAPアプローチ
- LEED(Leadership in Energy and Environmental Design)
- Learning by doing
- Less is more
- Life-Centered Design
- LOHAS(ロハス)
M
- MaaS(Mobility as a Service)
- MAPA(Most Affected People and Areas)
- MENA(ミーナ)
- Medtech(メドテック)
- MDGs(ミレニアム開発目標)
- MSC認証
- MtF(Male to Female)
N
O
P
Q
R
S
- SaaS(Software as a Service)
- 里山イニシアチブ
- SASB
- SBT(Science Based Targets)
- SBTs for Nature(Science-Based Targets for Nature)
- SDGsウェディングケーキ
- SDGsウォッシュ
- SFDR
- Shecession
- Shecovery
- SOGI(ソジ)
- SPO(Sustainable Public Equity Offering)
- STEAM教育